1-15 私が私を救わなきゃ。ループする日常からの脱出
ある日おきたら別人になっていた。しかもテレビからは私が死んだというニュースが流れている。
一体何が起こっているのか、自分の死を回避できるのか。
朝起きて、顔を洗おうと思って鏡を見たら知らない顔が写っていた。
鏡の中にいるのは金色に近い茶髪の若い女の子。どう見ても十代半ばといった感じの幼い顔なのだが、私は日に焼けて色のあせた黒髪のはずだし、寝起きでも疲れの抜けきらないアラサーのオフィスレディが写っていなければおかしいのだ。
夢でも見ているのかと思ってほっぺたをつねればちゃんと痛い。右を見れば鏡の中の女の子は左を向き、左を見れば鏡の中女の子は右を向く。
「あっち向いてホイ」
思わず人差し指を立ててクイッと左に手首から曲げるが、鏡の中の女の子は真顔で正面を見たままで、人差し指を立てた手を手首から右側に曲げていた。
なんだんだいったい、何が起こったというのか。未練がましく鏡の中の女の子とにらめっこをしていたら、背後の部屋からテレビの音が聞こえてきた。
振り向いてみれば、かわいいピンクのビーズでできた暖簾越しに隣の部屋のテレビが見えた。壁に掛けられている薄型で大きなテレビだ。おかしい。私のテレビは薄型だが20インチしか無いはずだ。
というか、よく見れば家具や小物が私のものではない。ここは、間取りが同じだけで私の部屋では無いみたいだった。
窓に近づき、窓ガラスを開けて雨戸も開ける。私の部屋と同じく目の前は駐車場になっていて、遠くに見える風景も一緒だ。奥に山が見えて、手前にスーパーマーケットチェーンの看板が見える。窓から身を乗りだして下をみれば、真下には赤いスポーツカーが止まっていた。
私の部屋の下にはいつもグレイのワンボックスが止まっていたはずだ。目線をずらせば、赤いスポーツカーの二台隣にグレイのワンボックスが止まっている。
つまり、この部屋は私の部屋と同じ建物の隣の部屋っぽい。
どういうことだろう?
朝起きたら隣の部屋に居て、鏡に映る人物も私じゃない。普段近所付き合いをしていないので、そもそもこの女の子がこの部屋の住人であるかどうかも私にはわからない。
なんだか、頭が痛くなってきた。ズキズキとして立っていられなくなり、その場にしゃがみ込む。
胸や関節もギシギシと痛んで同しようもない。会社に行かなくちゃ、とは思ったもののそういえばこんな女の子の姿で会社に行っても玄関通してくれないかもしれないなとぼんやり思っていた。頭痛はどんどんひどくなり、そのうち意識を失ってしまった。
目が覚めたら、部屋は暗くなっていた。一日中意識を失っていたらしい。
相変わらず、間取りは同じなのに家具や小物が違う誰かの部屋の中だった。無断欠勤してしまったなぁと思いつつ、とりあえず時間が知りたくてテレビをつけた。
私の部屋にあるよりも大きい薄型テレビには、私の顔が表示されていた。朝、鏡には拒否された私の見慣れた顔である。左右反転していない状態でだが。
『本日午後三時頃、信号の無い交差点でひき逃げ事故がありました。死亡したのは近所にすむOLの……』
テレビが、そんな事を言う。私の顔写真を映しながら交通死亡事故がありましたと報道している。
え? どういうこと?
私が、死んだ?
それを認識した時、頭のなかで映像がフラッシュバックした。
会社で急なお客様の予定が入ったのでお菓子を買ってこいと言われ、近くのコンビニに買いに行き、その帰りに信号のない交差点を渡ろうとした所で車に轢かれた。すごい衝撃を体の横から受けて、飛ばされて、そして意識が途切れた。
そうだ、多分私は死んだのだ。あの時に、車に轢かれて。
だが、今生きている。別の人間として。
「いや、ちょっと待って。 朝起きて、頭痛で意識が飛んで、夕方起きたら『私が今日死にました』というニュースをやっていたっておかしくない?」
それならば、朝私が別人として起きた時には、元の私は生きていたことになる。今日の三時に死んだんだから。
「それなら……。頭痛を我慢して三時に交差点に行っていれば、私は私を助けられたんじゃないの?」
それに気づいてしまったことで、私は発狂しそうになった。自分で自分を見殺しにした! それに気がついてしまったからには、居ても立ってもいられなかった。
とにかく、現場を見てこよう。会社に近いからとこのアパートを借りたのだ。事故現場の交差点はすぐそこだ。
朝起きたパジャマのままだったが、上にジャンパーを羽織ってサンダルをはいて部屋を飛びだした。
交差点にたどり着くと、まだパトカーが二台止まっていて現場検証をしているところだった。道には番号の書いてある小さな看板が何箇所かに置かれ、歩道からの距離をメジャーで測ったり地面の落下物を探すように歩いたりしているお回りさんがいた。
本当にここで交通事故があったんだ。そして、私は死んだんだ。
自分が死んだ事を思い出せていれば。
頭痛を我慢してとりあえず外にでていれば。
そんな後悔が頭をよぎっていく、涙が出てきて唇をぐっと噛んだ。
「葉山さん?」
そう声をかけられながら肩を叩かれた。葉山さんとは、この茶髪の女の子の名前だろうか? 反射で振り向くと、交差点前のコンビニの制服を着たおばさんが立っていた。
「今日、無断で休むから本当困っちゃったんだけどぉ。それ、下はパジャマじゃない? あらぁ? 泣いているのぉ? どうしたの、連絡できないぐらい具合わるかったぁ?」
おばさんは、最初咎めるような声で話しかけ始めたが、私の様子がおかしいことに気がついて段々と心配そうな声色になっていった。
やはり、この茶髪の女の子は葉山さんというらしい。そして、そこのコンビニでバイトをしているようだった。そういえば、こんな茶髪の子が居たかもしれない。よく使うコンビニなのに店員さんの顔なんて意識していなかった。
「この事故の人、塩プリンさんよねぇ。あなた、結構あの人の来る時間にバイトしていたものねぇ。直接の知り合いじゃなくても、なんか悲しくなっちゃうわよねぇ」
私の涙の理由を、勝手に想像して勝手に同情してくれているようだ。お人好しなんだろう、このおばさんは。そして、私はコンビニで『塩プリンさん』というあだ名で呼ばれていたのか。確かに、塩プリンばかり買っていたが。
「今日の無断欠勤は、体調不良の連絡有り休みって事にしておいてあげるからもう帰りなぁ。顔見知りが死ぬってショックだものねぇ」
おばさんはそういって優しく肩を叩くと、コンビニへと戻っていった。仕方がないので、私もとぼとぼとアパートに戻る。どうしたり良いんだろう。今後私は、葉山さんとして生きていかなければいけないんだろうか?
今後に対する不安を抱えながらアパートに帰り、自分の部屋ではなく葉山さんの部屋へと戻った。部屋に入り、ドアを締めようとした瞬間に背中から突き飛ばされる。何があったのかと、振り返ろうとした瞬間に背中に重いものが乗っかってきて、次の瞬間には背中にすごい痛くて熱くなり、そのまま意識がなくなってしまっていた。
ジリジリとめざましの鳴る音で目が覚めた。手を伸ばしてスマホを探すが見つからず、代わりにとても大きな目覚まし時計が腕にぶつかって床に落っこちた。
慌ててベッドから起き上がると、目覚まし時計を取り上げてスイッチを切る。とんでもなく大きな音量の目覚まし時計だった。
私は、スマホのアラームで起きていた。だから、目覚まし時計は使っていない。起き上がってなれた足取りで洗面所まで行くと鏡を覗き込む。そこには、ちょっとくたびれた感じの黒髪の男性が写っていた。
今度は、ちゃんと前の記憶がある。
私はOLで、三時に交差点でひき逃げにあって死んだ。そして何故かその日の朝に同じアパートに住むコンビニ店員の女の子として目覚め、その日の夜に事故現場から戻ってきたところを突き飛ばされて、たぶん背中を刺されて死んだ。
そして、今は男性として目覚めている。
まずはテレビをつけて日付を確認する。やっぱり、私が交通事故にあった日の朝だ。日付を確認したら、窓を開けて下を覗き込む。真下には白いセダン型の車が止まっている。二つ隣にグレイのワンボックスカーが止まっていて、そのさらに二台向こうに赤いスポーツカーが止まっている。
つまり、この部屋は私の部屋の、コンビニ店員とは逆側の隣の部屋ということだ。
「よしっ」
何がどうなっているのかさっぱりわからないが、今ならまだ色んな事が間に合うはずだ。三時頃に車にひかれて死ぬ私と、夕方頃に押し入り強盗に殺されてしまう葉山さん。
この二人を救うべく、私はまずこの男性の部屋を家捜しから始めることにした。