1-10 この聖女は元暗殺者ですが、本当に宜しいのでしょうか?
卒業式の日、ミラは婚約破棄を宣言された。けれど彼女は特に痛手を負ったわけでもなければ、悲しむ様子すらない。淡々とした感情のままに受け止めた。
そんな彼女は貴族でありながら裏家業として、暗殺者をしていた。正確には彼女の一族が、だ。
元婚約者を暗殺せよと、国王から命令を受ける。戸惑う暇もなく向かった先には元婚約者の男がいた。けれどあろうことか、ミラに聖女の代わりをしてほしいと頼んできたのだ。
「いやいやいや。ちょっと待って。暗殺者に聖女やれ! とか、おかしいでしょ!?」
元婚約者と元暗殺者の偽聖女は、どこまで他者を惑わすことができるのか。そして皇子の真意とは?
離れてはくっついて。そんなふたりがドタバタと送る、偽聖女物語の始まり始まり。
「ミラ・グリアシューゼル、君との婚約は破棄する。俺はこの少女、ミモザ・マーライルビーと新たに婚約をする!」
私の婚約者は、声高らかにそう言った。彼はこの国の皇子で、小さな頃に私と婚約した男だ。
金の髪に、青い瞳。いかにも王子様といった顔立ちで、甘いマスクでさぞ、腕に抱く女を誑かしたのだろうって考えてしまう。
そして隣にいるのは編入生の少女。ふわふわなピンクの髪が印象に残る女の子で、本当に可愛らしい方のよう。
そんなふたりは私を、卒業式のこの日に、このような晒し者にした。
「……はあ、わかりました。では、ごきげんよう」
ぶっちゃけ、何の感情も湧いてこない。
そっとスカートの裾を持って、軽くお辞儀をする。
私からすれば、別に痛くも痒くもなかった。だって元々、望んだ婚約ではなかったから。両親が勝手に決めたことだったし。
私も彼も、乗り気ではなかったから。これはこれで良かったのかもしれない。
とまあ、心の中で、ほくそ笑んでいたわけだけど……
「──まさか、その私にあの男を暗殺してこい! なんて依頼がくるなんて」
私たちグリアシューゼル家は、代々、王国の膿を潰す暗殺者の役割をしている。もちろん裏側で。
表向きは裕福な侯爵家だ。父は、王の右腕となる宰相を勤めている。だけど裏では王の命令で、異分子を排除してきた。
今回は身勝手に婚約を破断した挙げ句、平民と結婚する発言をした息子に、制裁を加えてほしい。的なことだった。
最初、これを聞いた父は笑っていた。「はっはっは。国王陛下は我々のことを、お仕置き係とでも思っているようだね? 愉快愉快!」なんて、額に血管浮かばせながら言ってたわね。
まあ、気持ちはわからなくもないけど……
「さて、と。やることをやってしまいましょう」
長い銀の髪を首の後ろで縛る。 決してきれいとは言えない……いや、むしろ、ダサいとすら思える真っ黒な服に身を包んだ。上から足元までを覆う黒い服は、ハッキリ言って時代遅れ。
だけどこれが、私たち一族の仕事着だった。
鏡の前に立つ。
年頃の女とは思えないような飾り気のない服装に、苦笑いしか浮かばない。そんな服は目以外の顔を隠す機能があった。
「……よし。これでオッケーね」
腰にベルトをつけ、ナイフをかける。太ももには仕込みナイフを装着。
これで準備万端だ。
「さあ、国王からの依頼で、あの浮気男に制裁を加えに行こうかしら──」
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そう、意気込んでみたはいいものの……
何を間違えたのか。豪華な部屋の中を一本の大根が飛んでいた。しかも、上半身と下半身がきれいに割れている。
そして私の目の前には、この国の第一皇子であるミュラー・ハルセンス(今回の暗殺対象)がいた。
しかも、美形形無しなぐらいに目玉が飛び出ている。それに……
「ああ! 今朝、取れたばかりの大根が!」
などと、貧乏臭……皇子らしからぬ言葉を放っていた。
皇子が大切にしていたのかもしれない大根が、ゴトリと床に落ちる。同時に、皇子は床へと崩れていった。四つん這いになり涙を流す。
「うう! 大根足ぃーー!」
「…………はい?」
ええ!? 名前つけてたの!? しかも何その名前。確かにそれは大根だけども……そんな、世の女性すべてを敵に回すような名前つけるんじゃないわよ。
そんなことを考えていると、情けないぐらいに泣いていた皇子が私を睨みつけてきた。
私は急いで体勢を立て直し、持っていたナイフを構える。
「……君、責任取れ」
「はい?」
責任って、大根の? 冗談でしょ? 馬鹿なのかと、鼻で笑ってみた。すると皇子はさっきまでとは段違いの機敏な動きで、私の方へとやってくる。
私よりも頭ふたつ分ほど高い背の皇子は、鋭い目つきで見下ろしてきた。
当然私も負けじと、睨みつける。
「責任って何の?」
「大根足を、だ! あれは、俺が初めて振り回す事に成功した野菜なんだ」
「そう。……って、え? 振り、回す?」
「そうだ。俺にとってはトレーニングに欠かせない、相棒だったんだ! いつも俺の振り回すという筋トレに耐え、寝るときですら一緒だったんだ!」
何だか力説しながら涙を流していた。というか、この人……
「本物のアホだわ」
頭が痛くなってきた。私はこの人を殺すように命じられてるけど、そこまで有能とは思えない。だって正真正銘のアホだから。
そんなことを考えながら、手に持つナイフを強く握った。
すると皇子は私をじっと見つめ、何かに気づいた様子。ハッとして「あー!」と、大声をあげた。
「き、君は誰だ!?」
「え? それ、今さら聞く!? 私、もっと前からここにいたわよね!?」
どこまでもオツムが残念な男ね。大きくため息をついた。
この男と話していると、やる気というものが削がれていく。それでも使命を遂行しなければならなかった私は、無理やりにナイフの刃先を皇子へと向けた。
「……あなた、状況わかってるの?」
ダメ元で聞いてみる。
「わ、わかってあるさ。大方、婚約破棄したミラ・グリアシューゼルからの依頼なんだろう? 逆恨みで、皇族である俺を始末しろ! 的な……」
「半分当たりで、半分はハズレよ」
「……?」
ああ、すごく不思議そうな顔してる。それはそうよね。半々とか言われても、普通はわからないものだし。
だけど、ご丁寧に依頼主や暗殺者の正体を明かすわけにもいかず……
「依頼主は、ハズレよ。見当違いもいいところだわ」
「…………」
声とか仕草とか。そういったもので、多少はわかりそうなものなのに。本当に、どこまでもオツムが悪い男ね。
ふと、そのときだった。皇子は何かを悟った様子で、だらんとしてしまう。背中を丸めてはため息をつき、頭をポリポリと掻いていた。
「……わかった」
「え?」
何がわかったと言うのか。あまりにも唐突な言葉に、私は首を傾げるしかなかった。
すると皇子は真剣な顔で私へと近づいてくる。当然私は警戒のためにナイフを握った。
「この際、俺を暗殺しようとしたことは不問にする。見なかったことにしてもいい。だけど……」
人差し指を立てる。そして……スライディング土下座をした。
「頼みがある! このまま、俺の言うとおりにしてほしい!」
「は?」
何をどうしろと? そもそもこの男に、そんな命令券があるとは思えなかった。だけど私の心が何かを語りかけてくる。
見逃してあげて。一時でも恋人として、婚約者として、そして幼馴染みとして楽しく過ごした日々がある。その日々をなかったことにしろ! なんて、残酷すぎるんじゃないだろうか。
そんな、お人好しな私が心の奥にあったようだ。
「……いきなり、何を言い出すの?」
「す、すまない。初対面の君に、こんなことを頼むなんて、おかしいって思うだろう。だけど!」
拳を握って、顔を上げる。私を見る眼差しは真剣そのものだ。
「このままでは、彼女が……ミモザが聖女に選ばれたんだ。俺の……国の王妃になってしまう。それだけは何としても止めたい。いいや! 止めなくてはならないんだ」
私の手を握ってくる。
「……は? 何、言ってるの? あなた、卒業式に元婚約者の女に何を言ったのか。忘れてしまったの?」
あんなに堂々とした態度で私を陥れたくせに。なぜ、そんなことを言い出すのか。ミモザと仲良くやっているのではないのか。
私の頭の中では、思考がぐるぐると回っていた。握られた彼の手をほどき、緊張を隠す。
「身勝手な人ね? 公衆の面前であんな大見えはってたくせに……」
きっと、睨みつけた。
彼は何か言いたそうに口ごもり、下を向いてしまう。
「言っておくけど、私はあなたを殺す暗殺者なのよ? どんな理由があるかは知らないけど、協力はでき……な……」
「頼む! 君の力が必要なんだ!」
「はあ!? ちょっ……腰に巻きつかないでくれる!?」
ぐいぐいと。この男は両膝を折って、泣きついてきた。あまりにも情けない姿、そして、私が知る立派な姿勢とでは、欠け離れすぎている。
私は問い質したい気持ちを押さえ、彼を軽く平手打ちした。
「ありがとうございまーす!」
「キモい!」
お礼を言う場面ではないだろうに。かなり、ひいてしまう。
咳払いをして、気を取り直した。もう一度、どういうことかと尋ねる。
「……知っていると思うが、この国での聖女の影響力は絶大だ。それで、ミモザはその聖女候補に選ばれてね」
「え? あの女が?」
私の驚きをよそに、彼は頷いた。
「聖女になれば、皇子の婚約者だろうと何だろうと、国そのものに身を預けなければならなくなる。そうなってしまったら……」
彼は、神妙な顔つきへと変わる。
「国が終わる。そうならないために……」
「……な、何をしようってのよ?」
意味がわからなかった。あの女が聖女になったら、国が終わる? 国が発展するの間違いじゃないのだろうか。
そう口にしようとした直後、彼は重苦しそうに立ち上がった。
「君に、ミモザの代わりに聖女を頼みたい──」
「……はい?」
理解が追いつかない提案に、私は混乱するしかなかった。