8:先輩と再会(2)
「わかった。全て話すよ」
「本当ですか?」
「ああ。でも治療が先」
「ああ……」
そういえば怪我をしていたのだった。エルーシアは首筋に手を当て、面倒臭そうにため息をこぼした。
「大した傷ではありませんので、お気になさらず」
「ダメだ。傷を見せなさい」
少しばかりの後悔の念を孕んだ口調でそう言われ、エルーシアはキョトンとしつつも素直に顎を上げて傷を見せた。
「傷はそんなに深くないな」
「そうですよ。だから心配無用です」
「そういうわけにはいかない。傷が残るかもしれないし」
ライカはエルーシアの首筋にそっと手を伸ばした。
彼の冷たい手が肌に触れ、エルーシアは思わず肩をこわばらせる。
冷静になると、距離が近いような気がしなくもない。集中するように目を閉じるライカのまつ毛が思っていたよりも長いことに気づいてしまい、エルーシアは少し動揺してしまう。
「………ん?緊張してるのか?脈が速くなった」
「し、してませんけど!?」
「そうか、ならいいんだが。なるべくリラックスしてほしい」
「あ、あの、何をしてるんですか?医務室には行かないんですか?
「医務室に行くよりこっちのが早いから」
「……こっちのが、って?」
「治癒魔法」
「はぁ!?ち、治癒魔法……!?」
エルーシアは思わず間の抜けた声を出してしまった。
しかし彼女が驚くのも無理はない。何故なら、治癒魔法は小さなかすり傷ひとつ治すのにも膨大な魔力を必要とするからだ。
「治癒魔法なんて人間が使える代物じゃないはずでは……?」
治癒魔法の実現は、現在の魔法界における難問の一つ。エルーシアは怪訝な視線を向けた。
しかしライカは、「まあ、見てな」と得意げに口角を上げる。
そしてすうっと息を吸い込いこむと、唇の端を勢いよく噛み、エルーシアの首筋に口付けた。チクリと、傷口が痛む。
「………は?」
エルーシアは一瞬、何が起きたのか分からなかった。
(………………え?す、吸われてる?)
今、確実に患部を吸われた気がする。あり得ない。こんなものはだだの痴漢だ。エルーシアは咄嗟にライカを突き飛ばそうとした。
しかし、その時。不意に首筋から青白い火花が飛ぶ。これは魔法反応だ。魔法を使用した時に出る光で熱くはないが、間近で直視するのはあまり良くないもの。
エルーシアはギュッと強く目を閉じた。
「せ、せんぱい…………?」
「もう少し我慢してくれ」
「そんなこと言われても……」
体が熱い。血管を通って内側から全身を撫で回されているような感覚がする。自分の体に何が起きているのかわからず、エルーシアは恐怖心からライカの背中に手を回し、彼の服をぎゅっと掴んだ。
この光景、側から見ると場所もわきまえずにちちくり合う恋人同士に見えるのだろうか。そう思うと何だか恥ずかしい。
しばらくして、ライカはエルーシアの首筋から唇を離した。そして密着していた体をゆっくりと離し、エルーシアの顔を覗き込む。
「え?大丈夫か?」
蒸気した頬。荒くなった吐息に乱れた衿元と涙を浮かべたエメラルドの瞳。
ライカはエルーシアの姿を見て、一応心配するそぶりを見せた。
もちろんエルーシアはそんな彼をキッと睨みつける。
「………………何なんですか。どういうつもりなんですか」
首筋に触れても傷跡は確認できず、綺麗に治っている。それがなんだか、とても気持ちが悪い。
だが一番気持ち悪いのは何の説明もなく唐突に首を吸われたことである。エルーシアはライカを変態だと判断し、身を守るように自身の肩を抱きながら半歩後ろに下がった。
けれど、彼女の嫌悪はうまく伝わらなかったらしい。ライカは何故か誇らしげに話し始めた。温度差がすごい。
「仕方がないから君には特別に僕が提唱する治癒魔法論を教えてやろう」
「はあ……」
「君は治癒魔法が難しいのはどうしてか知っているか?」
「はあ……。大量の魔力を消費するから、ですよね?神の創造物であるヒトそのものに干渉する魔法は神の領域に踏み込む分、その代償も大きいと教わりました」
「ああ、そうだ。確かに学園はそう教えている。だが本当のところは違うんだ。実は神だの何だのと言うのは、魔法を使いこなせなかった奴らが自分の無能さを誤魔化すために広めた言い訳に過ぎないんだ!」
「へえ……」
急に生き生きと話し出すライカ。見えていないのに、長い前髪で隠れている真紅の瞳がキラキラと輝いているのが良くわかる。
エルーシアはそんな彼を生暖かい目で見つめていた。だって彼女が聞きたいことはそれではない。
「先輩……、あのですね……」
「魔法を行使する時は本来、血を媒介として対象物の情報を読み取る必要があるだろう?」
「そうですね……」
「だけど、人間は誰しも多かれ少なかれ魔力を持っている。異なる魔力同士は混ざり合うとどうしても反発しあって魔法がうまく発動しない。だから治癒魔法は難しいんだよ」
「はあ……。そうですか」
「ではどうすればいいのだろう?正解はな、相手の体の状態を読み取る時に相手の魔力と自分の魔力を中和させてやれば良いんだよ!」
「へー、すごいですねー」
「具体的なやり方としてはまず、血と血を直接……」
「……先輩は魔法がお好きなのですね、ははは」
止まらないライカの魔法語りにエルーシアからは思わず乾いた笑みが溢れた。
確かに、彼が今話していることは、魔法界の長年の難問だった治癒魔法を実現可能なものにできるかもしれない世紀の大発見だ。魔法好きな少年ならば、そんな話をしていてテンションが上がってしまうのも理解はできる。
けれどもう一度言うが、今エルーシアが聞きたいことはソレではない。
「ワー、スゴーイ」
などと適当に相槌を打ちつつも、段々とライカのキラキラとした笑顔が腹立たしくなってきたエルーシアは、とりあえず真顔で一発、彼の頬を平手打ちした。
パァン、と大きな音が静かな廊下に響く。ライカの頬にはくっきりと赤い手形がついた。
「……は?」
ライカは一瞬何が起きたのかわからず、頬を手で押さえて、エルーシアの方を見た。
するとエルーシアは感情のない目でこちらを見つめていた。せめて何かしらの表情は見せてほしい。無表情は逆に怖い。
「な、何を……」
「先輩。怪我を治してくださりありがとうございます」
「あ、ああ……」
「きっと先輩は本当に天才なんでしょう。ですが、あんな事をする必要があるのなら、せめてやる前に一言あるべきでは?」
「あんなこと……?」
「こんな事ですよ!!」
何もわかっていないライカにとうとう限界を迎えたエルーシアは、彼の襟元を掴むと自分の方へと引き寄せた。
そしてその青白い首筋に思い切り噛みついてやった。
焦るライカ。けれどエルーシアは歯形がつくまで彼の首筋に食らいついた。
「な、何すんだよ!?」
「やられた事をやり返しただけですー!!」
「はあ!?やられたこと…….って、………………あ…………」
ようやく自分がしたことに気がついたのか、ライカはたちまち顔を赤くした。
「い、いや、悪かった!そんなつもりはなかったんだ!」
「じゃあどんなつもりよ!」
「あの、本当に他意はなくてだな……」
「私だって、魔法を行使するのに血液が必要となることは私も理解しています。けれど、他にやり方があったでしょう?なんでわざわざこんなやり方するんですか!?」
「その、今は何も持ってないから手っ取り早く血を出せるのが唇しかなくて……。ほら、口内の傷は治りやすいし?」
「はあ!?魔法師なら普通、針の出る指輪なり、小型ナイフなりを持ち歩くものでしょうが!」
魔法師は魔法を行使するために血を必要とする。だからすぐに血が出せるように何かしらの道具は持ち歩いているのだが、今日のライカはそれを持っていなかったらしい。
だがしかし、当然のことながらそんな言い訳をされても「なら仕方がないね」とはならない。
「ほんっと最悪!めちゃくちゃ恥ずかしかったんですからね!ウブな乙女に何してくれてんのよ!」
「だ、だから謝ってるだろ!?」
「態度が謝ってないんですよ!この変態!」
「な!変態は言い過ぎだろ!というか、そもそもあれは立派な治療行為だぞ?今しがた君がつけた意味のない歯形と違い、僕のは治療行為だ!君が過剰に意識しすぎなんじゃないのか?悪いが僕は君にそういった類の興味はない!」
「どこぞのクソ王子みたいなこと言わないでくださいよっ!!」
腹の虫が治らないエルーシアはとりあえずもう片方の頬も平手打ちした。
やはり良い音が廊下に反響する。ライカは両頬に手形を作る羽目になった。
「どこがか弱いヒロインだよ」
アンネリーゼに聞いていた話とは全然違う。こんな強気な女だとは思わなかった。これ以上この暴力ヒロインに頬を叩かれたくないライカは両頬を手で覆い、彼女から目を逸らした。
そうこうしているうちに、昼休憩の終わりを告げる鐘の音が鳴り始めた。
エルーシアは近くの柱にあるスピーカーを見上げ、ため息をこぼす。
「あー……。授業……」
「何の授業だ?」
「魔法基礎です」
「後で教えてやる。とりあえずついてこい」
「え、どこに?」
「僕の部屋」
「部屋!?」
まさかの『部屋』という単語に、エルーシアは差し出された手を振り払った。
けれど、ライカはすぐに彼女の手首を掴む。
「部屋に連れ込んで何をする気ですか、この変態!」
「何もしねーよ!話さなきゃならないことがたくさんあるんだ!でもここじゃ話せない内容なんだよ!」
「そんなこと言って油断させておいて、あんなことやこんなことするつもりなんでしょう!?白状なさい!」
「おいこら。自意識過剰も大概にしろよ、新入生。残念ながら僕は面食いなんだ」
「………………それは暗に私のことを不美人だと言っているのですか?」
「……………さあ、行こうか」
「チッ」
エルーシアは否定しないライカの膝裏に蹴りを入れ、彼より先に歩き出した。
「暴力女め」
ライカはボソッと呟き、行き先がわからないのに先をゆくエルーシアの跡を追う。
こんな粗暴な女、絶対に、頼まれても好きにはならないだろう。