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6:我慢の限界(3)

 怒りが頂点まで達したエルーシアに令嬢たちは恐れ慄き、顔を真っ青にして尻餅をついたまま後ずさる。

 この一連の流れを傍観していたギャラリーからは『殿下をお呼びしろ』と叫ぶ声が聞こえた。


(ここの主人は教師でも学園長でもなく王子殿下なの?)


 この場を収めるために呼ばれるのが教師ではなく王族な時点で、身分関係なく平等というのは本当に建前なのだろう。


「わ、わわわわ、私たちを誰だと思っているの!?」

「左から、エリザベス・ガードナー伯爵令嬢。メアリー・バートン子爵令嬢。ミライラ・マグノリア伯爵令嬢」

「わ、わかっているのならそれ以上近づかないで!私たちに手を出したらどうなるかわかっているの!?」

「どうなるというのでしょう?」

「あ、あんたなんて、すぐに地下監獄行きよ!」

「うふふっ。そうですねぇ、地下監獄行きですねぇ?」

「な、何を笑っているのよ!」

「気持ち悪い!」

「だってそれも覚悟の上ですもの。なんなら私、別に死罪になっても構いませんのよ?」

「なっ!?」

「まあ、私が死ぬ時には既に、あなた方はこの世にいないかと思いますけれど。ねえ?」


『行けるといいですね、天国』とエルーシアは笑う。

 失うものがない人間ほど怖いものはない。

 まさかエルーシアが死をも恐れぬほどの覚悟で反撃しようとしているなど思いもよらなかった3人の令嬢は、伸びてくる彼女の手が自分に触れるより前に、地面に額をこすりつけて許しを乞うた。

 令嬢たちの予期せぬ行動に、周囲はさらにざわつく。ちょうどその時だった。


「何の騒ぎだ!?」


と、タイミングよく現れたのは第一王子ハインツと騎士団長子息レオン。それから公爵令嬢アンネリーゼだった。

 ハインツの後ろに隠れていたアンネリーゼは、床に膝をついて涙を流す学友の姿を見て慌てて駆け寄る。レオンは瞬時に腰の剣を抜き、それをエルーシアの喉元に突きつけた。

 切先が触れた首筋からは、わずかに赤い雫が流れる。


「……ははっ。驚きましたわ!魔法の制御を学ぶ場で帯剣を許されている人間がいるとは。騎士学校に編入された方がよろしいのでは?」


 エルーシアは騎士気取りのレオンを小馬鹿にするような口調で嘲笑を浮かべた。剣を突きつけられても微動だにしないエルーシアに、レオンはチッと舌を鳴らし睨みつける。


「貴様、彼女たちに何をした?」

「何を()()?」

「こんなに怯えて可哀想に……。エルーシアさん。暴力は良くありませんわ。私たちは同じ言葉を話す人間なのだから、きちんと対話を……」

「対話をしようとしないのはどちらでしょう?」

「……え?」

「常日頃から対話することを放棄し、周囲から与えられた『らしい』ばかりの信憑性皆無の噂話を信じ込んで、私の話など聞こうともせずに攻撃してきているのはそちらのご令嬢方ですが?」

「エルーシアさん、それは誤解ですわ」

「まあ!誤解ですって?」

「確かにこの子たちがしたことはよくなかったかもしれないけれど、みんなは貴女との対話を放棄してなどいない。貴女がみんなと距離を取っているだけ。貴女が歩み寄ればみんなだって……」

「ははっ!面白いことをおっしゃいますのね、ヘッセンバイツ公爵令嬢。よくご覧くださいな?貴女の幼馴染は私から事情を聞くこともなく剣を突きつけておいでです。今、現在進行形で私には歩み寄る機会すら与えられておりませんが?」

 

 エルーシアはアンネリーゼに冷たい視線を向けつつ、フッと鼻で笑う。もう呆れ果てて笑うしかないのだ。


「私は弁明の余地もなく、問答無用で殺されるのかしら?」


 全身ずぶ濡れのカースト最下位の人物を、彼女の取り巻きは問答無用で切り裂こうとしている。この首筋から滴り落ちる血を見ても同じことが言えるのなら、その紫水晶の瞳は何も映していないのと同じだ。見えないのならいっそ抉り取ってしまえば良い。

 

「や、やだ。そんな目で見ないで。怖いわ……」


 エルーシアの冷たい視線に耐えられなくなったのか、アンネリーゼは手で口元を隠し、ううっと泣く素振りを見せた。

 すぐ泣ける女は得だ。涙一つで話を逸らせてしまうのだから。

レオンの後ろに隠れていたハインツはアンネリーゼの涙を見て、彼女を守るように前へ出た。

 相変わらずレオンの剣の切先は喉元にあるし、ハインツも腰の剣に手を添えている。


(……そもそも、どうして二人とも帯剣しているのよ)


 だからここは()()学園だっつってんだろ、と突っ込みたくなる気持ちを抑え、エルーシアは大きなため息をこぼした。果たして自分はこのよくわからない勘違い男2人に凄まれるほどの罪を犯したのだろうか。だとしたら一体何をしたのか教えて欲しい。


「エルーシア・ヘルツ」

「はい、王子殿下」

「アンネに当たるのはやめないか」

「私は事実を申し上げただけでございます」

「嘘をつくのはよくないな?」

「嘘?私は嘘などついておりませんが?」

「しらばっくれる気か?この状況だって、どうせ君が何か失礼なことを言ったのだろう?だから彼女たちが君に攻撃的な態度を取るんだよ。自業自得というやつさ」

「どうしてそう思われるのしょう?」

「そうでなければ彼女たちがこんなに怯えているわけがないさ」

「……はぁ」

「おい!なんだその態度は!殿下に向かって無礼ではないか!?」

「あらあら。申し訳ございません、ギーズ侯爵子息様。国家の未来を憂うあまりにため息が出てしまいましたわ」

「なっ!?」

「まさかまさか、あなた方のような高貴なご身分のお方が、状況を正確に理解できる頭がなく、且つ、先入観に囚われて真実を見抜くこともできぬ愚か者だとは思わなかったものですから?この国に明るい未来はありませんわね?ああ!嘆かわしい!」

「貴様!!不敬だぞ!!」


 またしても小馬鹿にするような笑みを浮かべたエルーシアに、レオンは声を荒げた。野次馬のバカ共も不敬だとか何とか言っている。

 だが、エルーシアからしてみればそれがどうしたという感じだ。ここは身分関係なく皆平等なのだ。頭の悪い奴を説き伏せて何が悪い。

 すると何故かハインツは前髪をかきあげ、フッとナルシストっぽいポージングで艶のある笑みを浮かべた。


「まあ待て、レオン」

「しかし、殿下!」

「大丈夫。彼女は私の気を引きたいだけだから」

「……はい?」

「被害者ぶって私の気を引こうとしても無駄だよ、エルーシア・ヘルツ。悪いけど、私は君の想いに応える気はない」


 俺にはアンネリーゼだけだから。ハインツは眉尻を下げ、少し困ったように笑った。

 先程までの会話でどうしてその解釈ができるのだ。エルーシアはわけがわからず、痛む頭を抑えた。


「どういう理屈かは知りませんが、あなた方はなぜ私に好かれているなどと思っているのですか。そんなわけないでしょう」

「そんなわけない?嘘をつくな。現に君は今じっと私を見つめているじゃないか」

「何を仰っているのですか?」

「そんな目で見つめてくるのに、私に想いがないと言われても信じられないな」

「…………こっちの方が信じられないわ。あんたと話してんだから、あんたのこと見るに決まってんだろ。バカか」


 あまりに会話が成り立たないものだから、エルーシアは思わず口が悪くなる。


「はあ……。もういいです」


これ以上は無駄だ。エルーシアは一歩前へ出た。

 当然の如く、レオンの剣の切先がほんの少しだけ、喉元にめり込んだ。


「お、おい。動くな!何をしている!死にたいのか!?」 


 堂々と一歩前へ出るエルーシアに、レオンは思わず後ずさる。そして警告した。

 しかし、それでもエルーシアは怯まない。


「ロッカールームに行きたいのです。見ての通りびしょ濡れですので、替えの制服を取りに行こうかと」

「まだ話は終わっていない」

「私はあなた方と話すことはありません。レオン・ギーズ……あ、()とつけた方が良いのかしら?ふふっ。騎士様……ですものね?」


 そう言ってレオンを嘲笑うように口元に弧を描くエルーシア。レオンはカッと顔を赤くした。

 一応、自分が騎士ではないことを自覚しているらしい。自覚があるのなら、自分の行動が騎士道に反するということにも気付いてほしいものだ。


「剣を下ろしてくださいな」

「断る」

「では、私はこのまま進みます」

「死にたいのか?」

「殺したいのですか?」

「……どういう意味だ」

「私がいた孤児院の神父様は非常に情に厚い方なのです」

「そ、それがどうした」

「本当の娘のように可愛がっていた私が死ねば、きっと神父様は悲しみます。そしてせめて自分で供養したいと私の遺体を引き取るでしょう。しかし、戻ってきた遺体に明らかに()()斬られたような痕があれば?」

「あ、あれば?」

「もしかすると、周りを巻き込んで暴動を起こすかもしれませんね?国民は皆、度重なる増税で不満が溜まっていますもの。きっとこれをきっかけにして、民の間に燻っていた不満が爆発し、火はやがて国中に燃え広がる………。貴方は業火に焼かれる覚悟がおありで?」


ここでの自分の死は、王侯貴族に対する不満を爆発させる火種となりかねないとエルーシアは悪人っぽく笑った。

 もちろん、あの義理人情に厚い元軍人の神父が周りの人を不幸にしてまで暴動を起こす確率は極めて低いし、そもそも遺体は燃やしてしまえば本当の死因など簡単に隠蔽できる。

 だが、最近の他国で巻き起こる市民革命の流れと、何よりも彼女のあまりにも堂々とした態度がそうなる未来を暗示しているように見えてしまう。

 ハインツはレオンを諌め、剣を下ろさせた。


「ふふっ。くだらない茶番はこれで終わりで構いませんわね?では、失礼?」


エルーシアがそう言ってその場を後にしようとすると、野次馬たちはまるでモーゼの海割りのように道を開けた。

 意図せず作られた花道を、背筋を伸ばし胸を張って歩くエルーシアの姿が野次馬たちの目に強く焼きついた。

 ずぶ濡れの制服を着ているくせに見窄らしくないのは何故だろう。

 ピント伸びた背筋と凛とした眼差し。貴族令嬢のような話し方に、それから堂々とした態度と溢れ出る気品。平民のくせにそこらへんの令嬢よりも気高く、揺るがない強い心を感じさせる彼女には、アンネリーゼとはまた違った美しさがあった。


「エルーシア・ヘルツ……」


 ピンクブロンドの髪を靡かせて闊歩する後ろ姿を眺めていたハインツは不思議そうに目を丸くし、レオンはいつの間にか薄らと頬を染めていた。



(……何?何なの、あの子)


 二人の陰に隠れていたアンネリーゼは内心穏やかではなかった。

 先程からのエルーシアは明らかにアンネリーゼの知る、か弱く泣き虫で男に媚を売るしか脳のない天然系ビッチヒロインではない。自分をしっかりと持った強く気高い女性だった。


(どういうこと?なんで……!?)


 思い返せばアンネリーゼはエルーシアが泣いているところを見たことがない。ゲームの中では嫌がらせをされればすぐに泣いていたのに。

 何故自分の知るヒロインと違うのか。

 そして、何故攻略したはずの2人が彼女を見つめているのか。


(断罪は回避したはずじゃ……?)


 何かがおかしい。

 この日から、アンネリーゼの断罪回避計画は少しずつ狂い出した。


 

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