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5:我慢の限界(2)

 入学からひと月ほどが過ぎるころには、アンネリーゼの取り巻きたちによる女々しい嫌がらせにも慣れてきた。

 罵倒も嫌がらせも気にするからしんどいのだ。気にしなければいい。適当に遇らう術を身につけたエルーシアはストレスを感じつつも、何とか学園での生活に溶け込もうとしていた。


 そんな中での、ある日の昼下がりのこと。

 エルーシアは取り巻きの一人に突き飛ばされ、盛大に転ばされた。それも人が大勢いる食堂の、アンネリーゼと愉快な仲間たちの目の前で。


(最っっ悪……)


 何をしても大して響かないエルーシアに業を煮やした取り巻きたちは、とうとう物理攻撃に出たらしい。

 これには流石のエルーシアもそこそこのダメージを受けた。物理的にも痛かったし、何より恥ずかしかった。いい歳して、ビタンと顔面から床にへばりつくように転けてしまったのだから、当然と言えば当然だ。滴る鼻血の感触がさらに羞恥心を刺激し、叶うならば気絶したフリでもしたかった。そのくらい恥ずかしかった。

 けれどアンネリーゼはそれを許さず、大丈夫かとエルーシアに手を差し伸べた。


(この手を取るとどうなるんだろ……)


 エルーシアは顔を伏せたまま、彼女の手を借りる事を躊躇した。

 何故ならアンネリーゼ・ヘッセンバイツはおそらく、噂通りの心優しい聖女様ではないからだ。

 だって彼女はこのひと月の間、直接的にエルーシアをいじめることはしないものの、自分の名を大義名分として掲げていじめを楽しむ同級生を諌めることもしない。

 それどころか、気まぐれにエルーシアに近づいては、火種を投下しているような気さえする。


(この手を取ると、きっとろくでもないことが起きるんだろうな)


 なんて思いつつ、エルーシアはゆっくりと顔を上げた。

 目の前にはエルーシアを見下ろして微笑むアンネリーゼと、「関わらない方がいい」と婚約者を諌める王子。それから「早く立て」とこちらを睨みつけるレオンがいた。


(ああ、面倒くさい)


 ろくでもないことが起こるのは分かり切っているのに、今ここで彼女の好意を無碍にしてしまうことはできないのが辛い。何故なら、それはそれできっと「せっかく助けてくれようとしているのに!恥知らずが!」とめんどくさいことになるからだ。


「……すみません。ありがとうございます」


 エルーシアは仕方なく、アンネリーゼの手を取った。

 しかし、その手は謎に思い切り払い除けられた。


「……え?え?」


 払い除けられた反動でエルーシアは再び地べたにへばりつく。もう何が何だかわからない。

 すると、アンネリーゼはそんな彼女を見下ろしながら涙を浮かべて言った。


「ご、ごめんなさい。急に強く握られたものだから、痛くて……」


この一言で周りにいた人間は、『エルーシアは嫉妬からわざとアンネリーゼの手を強く握り、彼女を痛めつけようとした』と捉えた。

 エルーシアは、してやられたと思った。だがもう遅い。

 ハインツはアンネリーゼの肩を抱きしめ、彼女を医務室へと連れて行き、騎士団長子息のレオンはその場でエルーシアのことを激しく叱責した。

 

 ―――――ああ、そうか。やはり、この女が元凶なのか。


 この時、エルーシアは全てを悟った。

 エルーシアは今まで、アンネリーゼをただの傍観者だと捉えていた。助けてはくれないが、いじめには加担する気もないのだと思っていた。

 だがその考えは間違いだった。

 おそらく、入学式から今までのことはすべて、彼女が裏で糸をは引いていたのだ。

 彼女は自分の言動が周りに与える影響をよく理解している。その上で、周りがエルーシアを攻撃するように仕向けている。自分の手を汚さず、邪魔者を排除しようとしているのだ。


 やはり、聖女様のような心優しいお貴族様などいないらしい。アンネリーゼの良い噂を信じていたエルーシアは、自分の思慮の浅さを悔いた。


 

 ちなみに翌日、アンネリーゼの手には包帯が巻かれていた。

 か弱い小娘が多少強く握ったところで、そんな重傷を負うわけがなかろうに、大袈裟な。エルーシアはそう思った。

 だが、周りは彼女と同じ思考にはならなかった。

 皆が包帯の巻かれた手をさすり痛がるアンネリーゼを心配し、そしてエルーシアに軽蔑の視線を向ける。

 中には罵詈雑言を浴びせるだけでなく、物を投げたりするやつまで出てき始めた。


 狂っている。エルーシアはこの異様な光景に形容し難い恐怖を覚えた。


 けれど、ここで安易に反論するのは悪手だ。今のエルーシアにはもうわかる。

 そんなことをすればきっと、アンネリーゼは目に涙を浮かべて『エルーシアさんは何も悪くないわ。わたくしが急に手を出してしまったから……』と自分に非があるようなことを言い、周囲が『そんなことないよ』と言って、エルーシアが罪のないアンネリーゼを悪く言っていると更に非難されるようになるのは目に見えている。だから彼女は何も言わずに耐えた。

 まあ、結局『謝りもしない』と陰口を言われたので、結果としてはそんなに変わらなかったのだが。


 この事件以降、エルーシアはストレスからか、体に湿疹がで始めた。



 *



 ………そして入学式から三か月ほどが経過した、今日。


 食堂で昼食を取り終えた昼下がり。抜けるような青空の下、少し動くと汗ばむ陽気の中でエルーシアはずぶ濡れになっていた。

 王城のバラ園の次くらいに美しいことで有名は学園の中庭で、エルーシアは突然、噴水に突き飛ばされたのだ。

 下着までぐっしょり濡れている。制服が肌に張り付いて気持ち悪い。

 この瞬間、エルーシアの頭の中では何かがプツリと切れる音がした。


「……くだらない」


 入学してから今日まで、エルーシアは何もしていない。最近はアンネリーゼには極力近づかないようにしたし、自惚れ男のハインツやレオンとは目を合わせることすら避けている。

 はじめは多少やり返したりもしたが、今はもう教室でも寮でも必要最低限の言葉しか発さず、何をされてもおとなしくしていた。

 それなのに、誰も彼も目が腐っているのだろうか。そう考えてしまうほどに誰も目の前の真実を見ようとしない。


「くだらないくだらないくだらない……」


 一に忍耐、二に忍耐。三、四がなくて五に忍耐。元軍人神父の元で育ったエルーシアはこれを合言葉に耐えてきたが、とうとう我慢の限界に達した。


「……魔法の制御よりも先に、感情の制御の仕方を学ぶべきではないかしら。レディー?」


 噴水の中でしゃがみ込んでいたエルーシアは内圧を下げるように深く息を吐くと、ゆらりと立ち上がり、噴水から出た。

 そしてツインテールをほどき、濡れた髪をかき上げながら、自分を突き飛ばした令嬢を睨みつける。


「ひっ……」


 エルーシアの鋭い瞳に令嬢たちは体をこわばらせた。その瞳が人間を2人以上殺したことがある奴のそれだったからだ。殺意が隠しきれていない。

 先程まで、クスクスと嘲笑を浮かべながら『あららー?大丈夫ですかぁ?』『きちんと避けないとぉ』などとわざとらしく声をかけてきて令嬢たちは、この殺気に圧倒されその場に崩れ落ちる。

そんな彼女たちを見下ろし、エルーシアはニィッと怪しげに口角を上げた。


「私がお世話になっていた孤児院の神父様は元軍人なんですのよ」

「だ、だから何よ!」

「そんな神父様の口癖はこうです。『やられたら3倍返しでやり返せ』」

「え……、あ、あの……」

「ふふっ。そんなに怯えて。小動物みたいね。お可愛いこと」

「こ、来ないで……」 


 エルーシアは怪しい笑みを浮かべたまま、怯える令嬢たちに向かって一歩一歩と足を前に進める。

 あのコワモテ神父様に鍛え上げられたエルーシアは実は、勉強よりも武闘が得意だ。


「さあ、どうしてくれましょうか?」

 

 いつの間にか静まり返った中庭にゴキッと指を鳴らす音が響く。エルーシアの大きな目に宿るエメラルドの瞳は獰猛に光り、目の前で怯えるか弱い獲物を捉えた。

 

 

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