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4:我慢の限界(1)


 公爵令嬢アンネリーゼ・ヘッセンバイツといえば、美しく品行方正で慈悲深く、まさに淑女の鑑であった。

 勉学や社交活動が完璧であること以外にも、孤児や浮浪者への支援活動に精を出す姿から『彼女こそ未来の王妃に相応しい』、『まるで聖女さまだ』と褒め称える声が多い。

 孤児院出身であることもあり、エルーシア自身もアンネリーゼについての評判は周りから聞いてよく知っていたし、実際に会ったことはなくとも普通のお貴族様とは違う人格者なのだろうとそれなりに好感を持っていた。

 だからエルーシアは入学式でのことも彼女の本意ではなく、婚約者を止められなかっただけだと思っていた。そしてこの先いじめられることがあっても、心優しい彼女なら止めてくれるかもしれないと、少しだけ期待していた。


 しかし、今になってみればその考えは甘かったと言わざるを得ない。



 ***



 入学式の翌朝。エルーシアが寮の部屋を出ると目の前にはゴミが散乱していた。

 誰がやったのかは分かり切っている。隣の部屋と向かいの部屋、それからその隣の部屋の住人だ。だってその三人が廊下の突き当たりを曲がったところから顔を出し、こちらを見てはクスクスと笑っているから。


「……はあ、くだらない」


 はっきり言ってやることが低レベルすぎる。15の淑女がやる嫌がらせではない。

 エルーシアはその場にしゃがみ込むと、散らばったゴミを3つの袋に分けて回収し、彼女達の部屋のドアノブにかけてやった。

 廊下の向こうのほうからキーッという金切り声が聞こえたが、無視だ。

 エルーシアは文句を言う彼女達の横を平然とした顔で通り過ぎ、朝食を取るために食堂へ向かった。


 


「エルーシアさん。ゴミはきちんとゴミ捨て場に捨てないけませんわ」


 周囲からの蔑みの視線と嘲笑を浴びながら、絶品のモーニングプレートに舌鼓を打っていたエルーシアの元を訪れたのは、アンネリーゼだった。彼女の後ろにはクスクスと笑うポイ捨て三人娘がいる。

 おそらくはそこのポイ捨て女たちが、今朝の出来事をアンネリーゼに報告したのだろう。それも自分たちに都合の良いように事実をねじ曲げて。


「もしかして、ゴミ捨てのルールがわからなかった?」


 アンネリーゼは困ったように眉尻を下げて問う。

 アンネリーゼの反応から察するに、彼女はきっと大体の事情を把握している。その上で公爵令嬢という立場上、エルーシアに注意をしなければならないのだろう。そう考えると、公爵令嬢も大変だ。


「ヘッセンバイツ様の手を煩わせてしまい、申し訳ございません。しかしながら、ゴミ捨てのルールは把握しております。今朝のことはただ、落とし物を持ち主に返しただけのことでございます。騒ぎを起こしてすみません」


 エルーシアはアンネリーゼを見上げ、ニコッと申し訳なさそうに微笑むと、すぐに朝食を掻き込んで席を立った。

 それはアンネリーゼとて、無実の生徒を責め立てたくはないだろうという彼女の気遣いだった。


(人を叱るのって気力使うしね)


 お互い、朝から無駄なことに労力は割くべきではない。エルーシアはアンネリーゼに軽く会釈をすると食堂を出て、そのまま校舎へと向かった。

 後ろで取り巻きとポイ捨て女共が「無礼だ」と騒いでいるがそんなものは知らない。元はと言えばポイ捨てしたあいつらが悪い。


 *


 そしてそれから数日後のこと。

 幸いにも、その日は午後まで何ごともなく過ごすことが出来た。いや、正確には陰口を叩かれたり、配布資料を一人だけ配ってもらえなかったりはしたが、その程度のことは想定内なので問題ない。

 だから、エルーシアはつい油断してしまった。


「あちゃー、やられたぁ……」


 講義と講義の間の短い休み時間。トイレに行って帰ってくると、テキストが破られていた。

 雑に破かれたテキストを手に取り、エルーシアは苦笑した。


「……確か、事務局に行けば新しいのをもらえるんだっけ?寄ってから部屋に帰らないとな」


 テキストが()()ではなく()()で良かったと心から思う。エルーシアは着席すると、急いでテキストの破られた部分を接着剤で繋ぎ合わせつつ、ふと入学前面談の内容を思い出した。

 そういえば、先生が申し訳なさそうに『魔法実技が始まるまでは魔法が使えないから、テキストとかの修繕ができなくて不安になるかもしれないけど、学用品はストックは事務局に用意してあるから安心してね』と言っていた気がする。

 果たしてどの辺が安心できるのだろうか。甚だ疑問である。


「エルーシアさん!何をしていらっしゃるの!?」

「ふぇ?」


 突然声をかけられたエルーシアは驚いて顔を上げた。

 すると、そこにいたのはまたしてもアンネリーゼ・ヘッセンバイツだった。


「あ、ヘッセンバイツ様。こんにちは」

「いくら支給品だからといっても、それは良くありませんわ。テキストは大切に使わなくては!」

「え?いや……」

「このテキストたちは国民の血税により賄われているのですよ?」


 突然現れたアンネリーゼは、いつもとは違う、少しだけ怒ったような口調で話しかけてきた。

 多分、エルーシアが自分でテキストを破いたとでも思っているのだろう。そんなわけなかろうに。

 エルーシアは困惑しつつも弁明した。


「えっと、何者かに破かれていたので修繕しているだけですが……」

「人のせいにするのは良くありませんわ。そんな事をする人なんてこの教室にはいません!」

「……いや、いますよ。多分。というか、なぜここにいらっしゃるのですか?ヘッセンバイツ様の教室は隣では?」


 エルーシアは不思議そうに首を傾げた。

 何故、講義と講義の間の10分足らずしかない休み時間に、わざわざ隣の教室まで来て平民を叱るのか。それは純粋な疑問だったのだが、言い返されたアンネリーゼは何故か目尻から涙を溢れさせ、「ひどいわ」と呟いた。


「わ、わたくしはエルーシアさんのためを思って……。ううっ……」

「え?え?ご、ごめんなさい?」


 そんなつもりはなかったが、少し言い方がきつかっただろうか。動揺したエルーシアはつい、キツく言い過ぎたかもしれないことを謝ってしまった。

 だがやはり、悪くないのに謝るのは良くない。謝罪をすると自分が悪いと認めたことになるため、当たり前のように批判の集中砲火を浴びせられた。


「アンネリーゼ様に謝れ」

「人の親切を無下にして」

「最低」


 さまざまな言葉で罵られるエルーシア。気がつくと、アンネリーゼはいつの間にかいなくなっていた。

 彼女は一体、何がしたかったのだろう。

 

 結局、この日は運良く講義開始の鐘が鳴ったためにすぐに罵倒から解放されたが、エルーシアは講義が終わると即時に寮に帰り、ベッドに飛び込んで枕に向かって「めんどくせぇ!!」と叫んだ。

 結局、事務局に寄り忘れていることに、彼女が気付いたのは夜中のことだった。


 



 

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