2:運命の出会い(2)
どこぞの舞踏会会場かと錯覚するほど豪華な講堂の中で、粛々と進行する入学式。
エルーシアは講堂の片隅で、高貴なお方による高尚で中身のないありがたいお話を右から左へと聞き流しながら、ライカにもらったネックレスを眺めていた。
(……変わったデザインね)
ネックレスはプラチナのチェーンに不思議なガラスの装飾が施されているシンプルなものだった。その飾りは一辺が2センチほどの立方体で、中には光の当たり方によって七色に変化する小さな白い球体が埋め込まれている。
これを装飾品として価値があるかどうかと問われたら、多分そこまでの価値はないだろう。デザインが独創的すぎる。
(私を守ってくれるって、どういう意味なんだろう?)
平民だと知ってからこれを渡してくれたことを考えると、貴族と平民の差を埋めるための何かなのかもしれないし、もしかすると物理攻撃から身を守る盾になるのかもしれない。
いずれにせよ、『守る』という単語がでるということは、やはり平民がこのアカデミーで生きていくのは厳しいのだろう。
(大丈夫大丈夫。強気に元気。私はやれる!)
エルーシアは不安を一つ一つ消していくように、胸に手を当ててゆっくりと深呼吸をした。
(目標はここを無事に卒業すること。そのためには決して目立たず静かに生活するのみ)
一定の魔力を持つ者は学園で魔力制御を学ぶことが義務付けられているため、エルーシアはここに通うしかない。逃げることは許されない。
ならばとりあえず無事に卒業し、国家魔法師としての地位を手に入れるために尽力すべきだろう。
(魔法師は高給取り。卒業さえできれば私の将来は安泰よ!)
ポジティブに考えよう。そう自分に言い聞かせ、エルーシアはグッと顎をあげた。
くよくよしていても仕方がないのだ。ライカが言う通り、ここに入学してしまった以上はもうなるようにしかならない。ならばせめて堂々としているべきだ。
***
「エルーシア・ヘルツ!」
学園長やら魔法省の長官やらの話が長く、気がつくとウトウトしていたエルーシアは名を呼ばれたことに驚き、勢いよく立ち上がった。
皆の視線が一斉に彼女に集まる。国王夫妻がいないことを考えると、もう式は終わったのだろう。
(……な、なに!?)
寝ていたのがバレたのだろうか。エルーシアは恐る恐る壇上へと視線を向けた。
壇上にいたのは新入生総代の挨拶を務めていた金髪碧眼の正統派王子ハインツと、ついさっきまでエルーシアの2列前辺りに座っていた赤髪の短髪がとても爽やかな新入生。周りの女性の反応から察するにおそらく騎士団長子息のレオンだ。
二人はとても険しい顔でエルーシアの方を睨みつけている。特にレオンの金色の瞳は獣のように鋭く光っていて怖い。
(え、何でそんな険しい顔でこっちを見てるの……?)
自分に送られる厳しい視線にエルーシアは困惑した。
二人は王侯貴族の中でも位はかなり上の方。ただの平民でしかないエルーシアは当然ながら、彼らとは接点がない。
エルーシアはきっと何かの間違いだと、着席しようとした。
しかし……。
「エルーシア・ヘルツ!!こちらに来い!!」
レオンがもう一度、今度はかなり強い口調でエルーシアを呼んだ。
壇上では教師たちが青い顔をして彼らを諫めているようにも見えるが、2人はそれを無視して何度も早く来いと叫ぶ。
辺りが騒然とする中、エルーシアはわけもわからぬまま、壇上へと急いだ。貴族に命令されたのなら、従うしかない。身分とはそういうものだ。
(一体何なのよ。もう!)
まさか新入生全員が見守る中で、居眠りをしたことを叱責されるのだろうか。ちょっとウトウトと船を漕いだだけなのに、流石にそれは厳しすぎる。
(目立たず過ごすはずがまさかの展開だぁ……)
エルーシアはできるだけ穏便に済ませようと反省している顔を作って壇上につながる階段を登った。
そしてハインツの前に跪き、頭を垂れる。
「……」
「君がエルーシア・ヘルツか」
「は、はい……」
「そうか。ならば君にはひとつ、言っておかねばならぬことがある」
「はい……」
ハインツはエルーシアを、冷たく見下ろしながら、何故か自身の婚約者である新入生の公爵令嬢アンネリーゼも壇上へと呼んだ。
アンネリーゼは困ったような笑みを浮かべながらゆっくりと壇上へと登る。ハインツはそんな彼女をふわりと優しく抱き寄せた。レオンもアンネリーゼを守るようにして一歩前へと出る。
まるでお姫様と騎士と王子だ。お姫様を悪から守ろうとしているみたいに見えた。
一体何が起ころうとしているのだろうか。
エルーシアには理解できない。いや、理解したくもない。多分この後に起こることは、良くない事だ。本能的にそう感じた。
「学園では身分関係なく、皆平等である。それは事実だ」
「は、はい……?」
「だがしかし、はっきりと線を引かねばならぬこともあるんだ。わかるね?」
「はぁ……」
「では、エルーシア・ヘルツ。よく聞くがいい」
ハインツは大きく息を吸い込むと、地を這うように低く冷たい声色で宣言した。
「私が君を好きになることなど絶対にないとここに誓う!くれぐれも勘違いした行動を取ることがないよう気をつけたまえ!!」
唐突に、訳もわからずフラれたエルーシアは目を大きく見開いて、呆然とハインツを見つめた。彼の碧の瞳にはエルーシアに対する侮蔑の感情だけが宿っている。それは隣にいるレオンもまた同様で、エルーシアは眉を顰めた。
(…………なぜに?)
意味がわからない。理解が追いつかない。なぜ初対面の相手にこんなことを言われなければならないのか。誰かこの状況を説明してほしい。
(これは、反論すべき?)
しかし、許可もなく王子の前で発言して良いものなのかわからない。故に、エルーシアは口を開くことができなかった。
すると、後ろからは新入生たちの声が聞こえてきた。
『やっぱりね。いい気味だ』
『何?どういうこと?』
『あの平民がハインツ殿下に横恋慕していたらしいわ』
『何と身の程知らずな。自分の身分をわかっていないのだな』
『今日は入学初日だというのに、早速忠告されるようなことをしたということ?』
『節操がないのね』
『これだから卑しい生まれの者は……』
ヒソヒソと囁かれる、エルーシアに対する軽蔑の声。どうやら彼女は今、この講堂の中での自分は身の程も弁えず第一王子に恋をした女になっているらしい。
(……いやいやいや!この男とは初対面ですけどぉ!?)
当たり前だ。ただの平民と一国の王子様が出会う機会などあるはずもないのだから。
ならば、ハインツたちのこの行動にはどんな意味があるのだろう。こんな大勢の、しかも記念すべき入学式の後というタイミングで、なぜこんな仕打ちをするのだろう。
(意味がわからんんん!)
魔法省が管轄するこの学園は『魔法を学ぶ上で身分は必要ない』とか何とか言って身分関係なく皆平等を謳っているが、実際はガチガチに上下関係があり、平民のエルーシアはその中でもカースト最下位。
身分の違いと全寮制という閉鎖的な環境を考慮すれば、彼らの行動のせいでエルーシアの学園生活が台無しになるなど、考えずともわかるだろうに。
さすがは貴族だ。下々の者のことなどどうでも良いのだろう。
(終わった……。私の学園生活はきっと灰色だわ)
元々薔薇色の学園生活など期待もしていなかったが、まさかこんなことになるとは思いもしなかった。
「なるほど。ふむ。言い返さないところを見ると、もう私に惚れたようだね。やはりあらかじめ釘を刺しておいて正解だったかな」
「……は?」
「覚えておきたまえ、エルーシア・ヘルツ。君がアンネを傷つけるようなことが有れば、即刻その首をはねる」
ハインツはそう言い放つと、衛兵に指示を出しエルーシアを講堂からつまみ出した。
会場は謎の拍手に包まれる。まさかのまさか。皆、第一王子のこの謎行動に賛同しているらしい。
衛兵たちは申し訳なさと同情が混ざり合ったような複雑な表情で、パニック状態のエルーシアの両脇を掴むとそのまま引きずるようにして講堂の扉まで連行した。
何だ?あの自意識過剰男は。
何だ?この茶番は。
何だ?この異常な空間は。
扉をくぐるその瞬間、耐えきれなくなったエルーシアは、侮蔑と嘲笑の視線を浴びながら叫ぶ。
「っざけんなよ!?!?」
色々言い返したかったのに、言葉というものは咄嗟には出てこないものだ。
この日から、エルーシアの地獄の学園生活が幕を開けた。