21.蠱毒(1)
「お前……」
レオンは救いを求めるように、エルーシアへと手を伸ばす。
しかし、エルーシアはその手を容赦なく払い除けた。
「は?何?触らないでください」
心底不快そうに言うものだから、レオンは一気に現実へと引き戻された。やはりこの女は女神には程遠い。
「…………おい、無礼だぞ」
「貴方に無礼とは言われたくありません」
エルーシアは今までの自分の行動を思い出してみろと、レオンを一蹴する。
レオンは気まずそうに顔を背けた。
「…………わ、悪かった」
絞り出すような声でなされた謝罪。客観的に見れば人に謝罪する態度ではないのだけれど、それでもまさか謝られるとは思っていなかったエルーシアは目を丸くした。
「わお。びっくりです。あなたって謝ることできたんですね」
「何だそれは。馬鹿にしているのか?」
「いいえ。純粋な驚きです」
「どちらにしても失礼だな」
「失礼で結構。言っておきますけど、謝ってもらったところで許す気はありませんから」
エルーシアがされた事を考えれば、そう簡単に許せるものではない。
それは当然の意見なはずなのだが、レオンはわかりやすく落ち込んでしまった。
(何なのよ、もう!)
面倒くさい。エルーシアは仕方ないなと舌を鳴らすと、腕を組んで尊大な態度でレオンに言った。
「…………まあ、許す気はないですけど、その謝罪は受け入れてあげてもいいです」
その言葉に、レオンは安堵したように柔らかく微笑んだ。
許したわけではない、という大事な部分を理解しているか少々不安になる反応だ。
(でもまあ……、こっちのほうがマシか)
今まで見てきたレオンはいつも怒っていた。それはアンネリーゼが絡む場面での彼しか見たことがないせいなのだが、よく見ると彼はとても端正な顔立ちをしている。
「そうやって笑ってる方がいいわ」
エルーシアはおそらく初めて、レオンに笑いかけた。
歯を見せて悪戯っぽく笑うエルーシアにレオンの頬は微かに赤らむ。
アンネリーゼに植え付けられた悪女フィルターを外して見てみると、この娘は思っていたよりもずっと可愛い。
「お前、意外と可愛かったんだな」
レオンは不意にエルーシアの頭を撫でた。エルーシアの顔は一瞬にして歪む。
「…………は?」
「いや、よく見ると幼い感じだけど整った顔立ちをしているし、瞳の色もすごく澄んでいて綺麗だし……」
「やめてくださいよ。気持ち悪い」
「なっ!?気持ち悪いって……、お前なぁ!」
「急に何なんですか?口説いてるんですか?もしかしてちょっと顔が良いからって、調子乗ってます?平民の女なんて、少し優しくして何かわからんけど頭撫でてやればすぐに落ちるとか思ってます?うわー。無理だわ。その発想がもう無理。キモ……。うん。気持ち悪い。ごめんなさい。大変申し訳ないのですが、普通に気持ち悪くて無理寄りの無理です」
「おいこら、口説いてない。客観的意見だ。気持ち悪いを連発するな。ほんと口悪いよな」
「卑しい生まれなものですから。というかとりあえず、ここから脱出する方法を考えません?」
「お、おう……」
「あと、そこ。毒蜘蛛がいる」
「へっ!?」
淡々とレオンの背後を指すエルーシア。レオンが床に目を向けると、そこには子どもの手のひらサイズの毒々しい赤色をした蜘蛛がいた。
驚いたレオンは飛び跳ねてエルーシアの背後に回った。エルーシアは思わず半眼になる。
「……さりげなく盾にするのやめてもらえます?」
「あ、悪い。つい」
「やっぱり貴方は騎士には向いていないわ。これ、借りますね」
エルーシアはレオンの剣を手に取ると、それを躊躇なく毒蜘蛛に振り下ろして串刺しにした。グシャッという嫌な音がした。
「ん?体液が青い……?」
潰れた蜘蛛から流れ出る体液にエルーシアは怪訝な顔をした。
彼女の記憶が正しければ、この種の蜘蛛の体液は空気に触れると直ぐに酸化して黒くなる。だがこの蜘蛛の体液は鮮やかな青色をしている。
(品種改良されたものってこと?あれ?でも動植物の改良は魔法省の研究所でしか認められてないって先輩から聞いたような……)
そして、品種改良されたものは国王の許可を得た物以外は市場に出回らないよう厳重に管理されているとも、その許可が出るのは殆ど食物の苗に限られるとも聞いた。
もしこの蜘蛛が品種改良されたものならば、ここにいるのはおかしい。研究所から逃げ出したか、もしくは……。
(意図してこの部屋に置かれた……?)
嫌な予感がしたエルーシアはレオンに剣を返すと部屋を漁り出した。レオンは返された剣の先を見て、不快そうに眉を顰める。
「おい、お前。流石にこれは俺に謝れよ。気色悪い液体がべっとり付いているんだが?」
「許可は取りました」
「使って良いとは言ってないぞ」
「……守ってもらっといて文句言わないでください!あと、間違ってもその体液には触らないでくださいね。普通なら皮膚がかぶれるだけなのですが、そいつはちょっとどんな症状出るかわからないので」
「どういう意味だよ」
「そのままの意味です。死に至るほどの猛毒を有している可能性も捨てきれないので」
「まじか」
「マジです。それと、もしかしたら他にも居るかもしれないので気をつけてください」
「わ、わかった。ところで、お前は何を探しているんだ?」
「ちょっと気になることがあったので、もしかしたらあるのではないかなーと」
「だから何が……」
「あ、あった!!」
エルーシアは何かを見つけたらしい。近くに来るようレオンに手招きした。
レオンが恐る恐る一つの木箱の中を覗き込むと、夥しいほどの虫が中に潜んでいる古い壺があった。
「ひぃ!?何だよ、これ!」
レオンは驚いて情けない悲鳴を上げる。
エルーシアは中身を見せて直ぐに壺の蓋を閉めた。
「おそらく、蠱毒のつもりなのでしょうね」
「蠱毒?」
「東方の古い呪術ですよ。一つの壺の中で多種多様の毒虫を飼育して互いに共食いさせ、最後の一種に残ったものを使って人を殺すんですって」
「よく知っているな」
「詳しい人に教えてもらいました」
「ライカか」
「…………まあ」
「ということは、何者かがこの壺で毒を作ろうとしていたってことか?」
「いや、蓋がきちんと閉まっていないことを考えると、毒を作ろうとしていたというよりも、蠱毒を模しただけのただの嫌がらせですかね」
「嫌がらせって……、まさかクロードか?」
「どう考えてもそうでしょ。私をここに閉じ込めたのはあいつですし」
「で、でも毒虫だなんて……。流石にやりすぎだろ」
下手をすれば怪我だけでは済まない。死ぬことだってあり得る。流石にこれは見過ごせないと、レオンは憤った。
けれど、エルーシアはそんな彼を冷めた目で見る。
「貴方は本当に自分のことを棚に上げるのがお得意なようですね」
首元を触り、何かをアピールするエルーシア。初めは何が言いたいのか分からなかったがレオンだが、エルーシアが指で首を切る仕草をするとすぐに彼女の言いたいことを理解した。
「ご、ごめんって」
「ごめんで済んだら警ら隊も法律もいらないんですよ」
「そうだけど!…………ん?そういえば傷はもう治ったのか?」
そんなに深く傷つけた記憶はないが、ふと気になってしまったレオンはエルーシアの首筋に手を伸ばした。
急に触れられたエルーシアはその手の冷たさに驚き、バランスを崩す。
「きゃっ!?」
「あ、おいっ!!」
レオンはバランスを崩して後ろに倒れそうになったエルーシアの首筋に手を回し、支えようとした。そのおかげでエルーシアは床に後頭部を強打することなく無事で済んだのだが、レオンは逆に自分の体を支えきれず……。自分の体を支えるはずだったもう片方の手はつるりと床を滑り、彼はエルーシアの、脱いだらそこそこにあるらしい胸元に顔を埋める羽目になってしまった。
気まずい沈黙が流れる。レオンはいっそこのまま気絶してしまいたい気分だった。
「………………ご、ごめん」
「………………いえ」
レオンがごめんとしか言えないように、エルーシアもまた、助けてもらった手前、怒ることもできない。
エルーシアは遠慮がちにそこを退いてくれと言おうとした。
しかし、その時だった。無情にも、空き教室の扉が開いた。
「きゃあ!?レオン!エルーシアさん!?何をしているのですか!?」
鈴のような可愛らしい声でそう叫ぶのはもちろん、エルーシアの宿敵アンネリーゼだった。




