19:騎士(1)
期末考査が終わり、あれだけ必死に勉強したエルーシアが63人中40位という何とも微妙な成績を収めたことが判明した翌日の昼休みのこと。
彼女は何故か、特別棟の4階の端にある空き教室に閉じ込められていた。
「うわっ!埃っぽい!やっぱり窓開けよー」
数年前からほとんど物置状態になっているだけあり、積み上げられた木箱に少し触れるだけでも、ぶわっと埃が舞う。
エルーシアは制服の袖で口元を抑え、目の前の埃を手で払うと、とりあえず窓を開けた。締め切っていたカーテンを開けたせいで宙を舞う埃に陽光が反射して、キラキラと光る。ただの埃なのにダイヤモンドダストのように綺麗に見えるのは、ちょっとばかしずるい気もする。
「……飛び降りるしかないのかなぁ」
窓の外を覗き込んだエルーシアはそこそこの高さだが死にはしないだろうと呟いた。しかし、すぐにその案は却下される。
「飛び降りるには高すぎるだろ。馬鹿かよ」
呆れ顔でそう話しかけてきたのはレオン・ギーズ。エルーシアの宿敵アンネリーゼの騎士様(笑)だ。
レオンは正攻法で出るしかないと入り口の扉を乱暴に動かす。だが扉はガタガタと今にも壊れそうな音がするだけでびくともしない。
「やはりここは蹴破るしかないかぁ」
「すぐ壊そうとするのやめてくださいよ、脳筋」
「……お前に脳筋と言われたくはないんだが?」
すぐ飛び降りようとするやつに言われたくはない。レオンは振り返り、キッとエルーシアを睨んだ。
「というか、お前。俺に謝れよ」
「は?どうして私が謝らないといけないんですか」
「そもそもの話、お前がクロードに騙されるからこんなことになってるんだろ?」
「騙されてませんから。私はハイデマリー先生に呼び出されてここに来ただけです。そしたら何故かクロード・ロレンツェンに外側から鍵をかけられただけです」
「それを騙されてるって言ってんだよ!ハイデマリー先生が生徒をこんなところに呼び出すわけないだろうが!呼び出すとしたら生徒指導室だろ!?……ったく。少し考えればわかることだろうに。バカかよ」
「そんなこと言われても!そりゃあ、私だってあやしいとは思いましたよ!?伝言してきたのはロレンツェンの取り巻きだし、もしかしたら罠かなーとは思いました!」
「じゃあ何でノコノコ来てんだよ!」
「だって万が一、本当にハイデマリー先生からの呼び出しだった場合、どうするんですか?呼び出しを無視するとか、後でどうなるか考えただけで怖いわ!」
かの先生の指導は容赦がないと聞く。万が一の可能性を考えるならば、呼び出しを無視する選択肢などエルーシアにはない。
「それに、別にロレンツェンとその取り巻きごとき、拳ひとつでどうにでも出来るし」
「拳って……、やっぱりお前のほうが脳筋だろ」
「うるさいな。まだ実技の授業に入ってないんだから魔法は使えないんだし、仕方ないでしょ?」
「いや、そういう問題じゃないだろ。物理攻撃を前提としていることが脳筋だって言ってんだよ」
「……ほんとうるさいなぁ!というか、なんか巻き込まれたみたいな態度してくれちゃってますけど、あなたが閉じ込められているのはこんな所で昼寝をしていたあなた自身の責任でしょ?自業自得のくせに被害者面して当たらないでくださいよ」
そもそもこんな所で昼寝をしていたやつが悪い。エルーシアはレオンを威嚇するようにイーッと唸った。そしてそれと同時に、開けた窓から鐘の音が聞こえた。
「あ……」
「まじかぁ……」
「ああ、昼休みが終わった……」
昼からの講義が開始されたことを知らせる鐘の音が無情にも鳴り響く。エルーシアははぁー、と大きなため息をこぼした。午後の授業はサボり確定だ。補講を受けねばならない。
「もう!最悪!今日の5限の講義は楽しみにしてたのに!」
「外部講師の講義か。確か魔法省の研究室の……」
「そうですよ!ほんと最悪!」
「はあ……。なあ、もう扉を壊そうぜ。どうせ壊しても魔法で直せるし、緊急事態だから誰も責めないって。講義受けたいんだろ?」
「……でも責められはしないけど、事情は聞かれるでしょう?」
「そりゃそうだろ」
「そうなった時、昼休みから今まで貴方と密室で二人きりでいた事が皆に知れ渡ってしまうじゃないですか」
今の状況は、中庭で噴水に落とされた時とは訳が違う。あの時はその後の授業をサボっても仕方ないくらいの攻撃を受けていたし、多くの人がそれを目撃していた。その後のことも、ライカの研究室にいたことを知る者はいない。
けれど今回はそうじゃない。クロードが自らのしたことを自白しない限り、エルーシアは自発的にこの部屋に来たことになる。そして自らの意思で、密室で、レオンと二人きりの時間を過ごしたことになる。
そんな事になれば、きっとアンネリーゼはこう言うだろう。エルーシアがレオンを誑かした、と。
(アンネリーゼにとってのこの男が『攻略対象』というやつならば、こいつと私が二人きりになることを彼女は決して許さない……)
アンネリーゼは二人の仲を疑って、一筋の涙を流すだろう。そしてその瞬間、エルーシアは授業をサボって男と逢引するふしだらな女へと成り下がる。
今までアンネリーゼがエルーシアを勝手に敵視しているだけだと思って静観していた人たちも皆、エルーシアのことを噂通りの悪女だったのだと認識するに違いない。
そうなると、これからの学園生活は間違いなく地獄だ。救いがない。エルーシアは想像しただけで恐ろしいと体を震わせた。
しかし、そんな彼女の憂慮など知りもしないレオンは本気でわからないというように首を傾げた。
「……?だから?」
「………」
「……何だよ」
「……はぁ」
「何だよ。その顔やめろよ!」
エルーシアは何もわかっていないレオンを鼻で笑い、肩をすくめた。
まったく、誰のせいでここまで気を使わねばならないと思っているのか。これも全部、今までずっと、勝手にエルーシアに好かれていると思い込んで行動して来たお前たちのせいだというのに。腹立たしい限りである。
「あーあ。一人だったら迷わずドアを蹴破って外に出れていたのに」
「俺のせいみたいに言うなよ!大体、何をそんなに気にする必要がある?確かに未婚の男女が密室に二人きりというのはあまり世間体が良くないが、お前も俺も婚約者はいないだろ?だったら問題ない。少し噂になるくらいだ」
「貴方と噂になるなんて屈辱以外の何物でもないんですけど」
「なっ!俺だって!」
「というか、貴方。婚約者はいなくとも恋人はいるじゃないですか。とても厄介で面倒くさい恋人が」
「……は?」
「私は彼女のことを言っているのです。彼女の影響力を考えれば貴方と二人きりなんて死刑宣告も同然でしょ?これから先の学園生活は今以上の地獄になるはずだわ」
きっと明確にアンネリーゼのモノに手を出したエルーシアは大罪人となる。そしてそんな罪人になら何をしても良いという雰囲気が出来上がり、助けを求めても誰も手を差し伸べてくれないような生活になる。
……まあ、元々誰も助けてくれないのだから大して変わらないと言えばそうなのかもしれないが、それでも今よりもいじめが激しくなるのは確実だ。
ちなみに、ここにいるのがもしレオンではなくハインツだったなら、エルーシアは弁明の余地なく、即刻処刑台に送られていただろう。そう思うと共に閉じ込められた相手がコイツであったのは不幸中の幸いとも言える。……かもしれない。
「ふしだらなのは私の方じゃないのに。ほんっと最悪」
エルーシアは汚物を見るような目をレオンに向けた。
するとレオンは何故か真っ青な顔をしていた。
「………………なあ」
「はい」
「もしかして、アンネのことを言っているのか?」
「貴方には、あの方以外にも恋人が?」
「……………勘違いするな。俺と彼女はただの幼馴染だ」
「お貴族様の間では幼馴染同士で濃厚な口付けを交わすのですね。知りませんでした」
「……っ!?」
どうしてそれを知っているのだ、という顔をするレオン。
エルーシアはそんな彼の反応に不思議そうに首を傾げる。
「ん?どうしてそんな顔をするのです?お二人の関係は公然の秘密なのでは?」
アンネリーゼとレオンの仲は皆が知るところだ。ロゼッタもマチルダも言っていた。
エルーシア自身も彼らの普段の様子から、二人がただならぬ関係であることには割と早い段階から気づいている。
「私ごときが気づくくらいなのですから、てっきり王子殿下も公認なのかと思っていたのですが…………、もしかして隠していたつもりだったのですか?」
「…………」
「無言は肯定」
「……う、うるさい」
レオンは頭を抱えてその場にしゃがみ込んだ。
「へぇ?ふぅーん?」
「……なんだよ」
「その様子だと、王子殿下公認の関係ではないようですねぇ?」
これは良いことを知った。公然の秘密と化している時点でこの秘密に利用価値はないと思っていたが、意外と使えそうだ。エルーシアはニヤリと悪い顔をした。
「王子殿下もお可哀想に」
「……」
「主人の婚約者との浮気は楽しいですか?背徳感が癖になる?それとも王子殿下を出し抜けたと優越感に浸っているのかしら?」
「な、何だと!?」
挑発するような笑みを見せるエルーシア。煽られてカッとなったレオンは彼女の胸ぐらを掴もうと手を伸ばした。
けれど、その手はサッと躱された。体制を崩したレオンは近くにあった木箱にぶつかり、また、埃が宙を舞う。
エルーシアは埃を吸い込まぬよう口元を抑え、眉を顰めた。
「事実を指摘されたくらいで暴れないでもらえます?あ、怒るってことは図星ってこと?」
「貴様……っ!!」
激昂したレオンは近くに置いてあった剣に手をかけた。エルーシアはそんな彼を嘲笑う。
「ははっ!また騎士を気取って剣を抜くのですか?こんなところで?丸腰の女相手に?主人を守るためでも何でもなく?己のプライドを守るために?」
「…………くっ!」
「貴方はそろそろ騎士を気取るのをやめた方がよろしいわ。だって、行動も心構えも清廉で高潔な騎士には程遠いもの」
「う、うるさい。お前に何がわかる」
「何もわからないし、わかりたくもないわ。けれど……、ねえ?レオン・ギーズ。貴方のお父君は今の貴方を見てどう思うのかしら?」
「………っ!?」
痛いところを突かれたのかレオンはグッと唇を噛んだ。どうやら反論できないらしい。
(やはり、父に憧れていたのか)
レオンの父であるギーズ侯爵は、魔力至上主義のこの世界において魔力ゼロの身で侯爵まで上り詰めたホンモノ。それまで王家の権力を誇示するだけの存在にすぎなかった王宮騎士団をまとめあげ、魔法師にも対抗できるだけ力を持つ組織に作り変えた男だ。
剣の腕と誠実な人柄だけで成り上がった人格者。そんな人間のそばにいれば、憧れてしまっても仕方がない。ああなりたいと強く思ってしまうことは必然と言えるだろう。
だが、彼は不幸にも魔法適性があった。魔力を持つ者に職業選択の自由はない。レオンは魔法師になるしかなかった。
(まあ、そう考えると可哀想だと思わなくもない)
魔力至上主義の社会において、魔法適性があることは大変名誉なことだが、他にやりたいことがある人間にとっては魔力があることは不幸でしかない。
かくいうエルーシアもその一人である。
(だからといって、同情するつもりも、今までのことを許すつもりもないけど)
エルーシアは腕を組み、押し黙ってしまったレオンに冷めた視線を向けた。
レオンは大きく深呼吸をすると、近くの木箱の上に腰掛ける。そして、
「……アンネは俺を救ってくれたんだ」
聞いてもいない身の上話を始めた。




