1:運命の出会い(1)
【魔法】。それは血液中に含まれる魔法の源【魔力】を用いて、触れたモノの状態を自由自在に変化させることのできる特殊能力を指す。
よくある御伽話に出てくるような魔法とは違い、無から有を作り出す万能さはないものの、例えば湖をスケートリンクに変えたり、材料さえ集めれば必要な工程を無視して手軽に武器を作成できたりと用途は幅広い。
故に魔法は神の御業とされ、魔法を使うことのできる人間は昔からどこの国でも重宝された。
そして、時の権力者たちは魔法の力を独占しようとより強い魔力の持ち主との婚姻を積極的に行った。
そうしていつしか、魔力の強さがその人の価値を表す指標となり、魔力至上主義の社会となっていった。
*
東方の国から友好の証にと貰い受けた木々に桃色の花がつき始める頃。
大陸の各地で市民革命が巻き起こる中、未だ絶対的な魔力至上主義を掲げるロメリア王国の首都ルーゼルベルクの貴族街の端。商業区との境に位置する無駄に豪華な建物の前で呆然と立ち尽くす少女が一人、ポツリとつぶやいた。
「ここが、王立魔法学園……」
まっすぐ下に伸びる長いピンクブロンドの髪を高い位置で二つに結った幼なげな風貌の少女は、エメラルドの瞳を怪訝そうに細めた。
おそらくは内心で、平民でありながら貴族と同等の魔力を保有してしまったがために、貴族ばかりの魔法学園に通わざるを得なくなった自身の運命を嘆いているのだろう。
「チッ。クソが」
……気性の荒い人たちが多く暮らす国境付近の山間部出身だからだろうか。はたまた元軍人の神父様の元で育ったせいだろうか。年頃のか弱い女の子にしては口が悪い。
「魔法実技のために広大な敷地が必要なのは分かるけど、建物を無駄に豪華にする必要性はどこにあるのよ」
ただでさえ税負担が重くなる一方だというのに。国民の血税が王侯貴族の見栄のために使われている現状は単純に腹立たしい。
少女は腕を組み、また舌を鳴らした。
すると何故だか周りからクスクスと嘲笑が聞こえてくる。彼女が警戒するようにあたりを見渡すと、従者を引き連れた新入生と思しき生徒たちがこちらを見て笑っていた。
「ほら、あの子よ。身の程知らずの庶民」
「ああ、あの子か。可哀想にな」
「平民のくせに、生意気な」
支給された制服も同じで、挨拶すら交わしていないのに何故自分が平民であることがわかるのだろう。自分に対する陰口よりもそちらの方が気になった少女は小首を傾げた。
そして手鏡を取り出して自身の姿を確認し、ある結論を導き出した。
「そりゃあ、わかるわよね」
きちんと手入れされていない艶のない髪。日焼けした肌と畑仕事で荒れた手先。よく見ると自分は貴族のご令嬢ではあり得ない姿をしている。
財力の差というのはこういうところにも現れるのだと知り、少女は悲しくなった。
(いじめられるのかなぁ)
そういえば、入学前の面談で学園の先生が言っていた。
-------目立つ事をしなければ無視されるだけだから、問題ない
申し訳なさそうに言った先生の顔を少女は今も鮮明に覚えている。
(無視されるだけって、3年間も無視され続けろってことでしょ?問題しかないじゃない!)
別に無理に仲良くなる必要はないだろうが、それでもみんなから無視されるというのは精神的にくるものがあるし、何より実技科目で二人一組になれなどと言われた時とか、きっと困るはず。
「はあ……。どうなるんだろ……」
少女は溢れそうになる涙をグッと堪えた。
数日前に見た、首都へと旅立つ自分を心配そうに見つめる孤児院のシスターや他の子どもたちの顔を思い出す。彼らには『魔法は金になるから沢山学んでくる!』なんて言って笑顔で別れを告げてきたが、やはり怖いものは怖い。
少女は泣きそうな顔を誰にも見られないように軽く俯き、唇の端を噛んだ。
「大丈夫か?」
「……え?」
不意に後ろから声をかけられた。少女が振り返ると長めの前髪で顔を隠した、見るからに不健康そうな黒髪の少年がいた。
彼の羽織るローブの色を見るに上級生だろう。少女はハッとし、とっさに距離を取って身構える。
「新入生だよな?」
「は、はい…」
「気分が悪いとか?」
「す、少しだけです。大丈夫です」
「本当に?随分と顔色が悪いけど……。良ければ保健室に案内しようか?」
「いえ、もうすぐ入学式なので……」
「そうか、では講堂まで送ろう」
「そんな!恐れ多いです……」
「僕もその辺に用事があるからついでだ。気にしなくていい」
「でも……」
顔はよく見えないが、口調は優しい。
少女が平民だと気づいていないだけかもしれないが、害はなさそうだ。
(ここで頑なに拒否しても失礼かな?)
ここは下手に反発して怒りを買うより、彼の優しさを受け入れた方が良さそうだ。そう判断した少女は大人しく案内されることにした。
少年は人が少ない道を通り、少女を講堂まで案内する。時々すれ違う学生が皆、自分を見ている気がして怖い。
少女は緊張して早くなる鼓動を正常値に戻そうと、胸に手を当ててゆっくりと息を吐き出した。
「そんなに緊張する必要はない。大抵のことはなるようにしかならないのだから」
「……は、はい。そう、ですよね」
「それに、ここでは弱そうな奴から蹴り落とされる。だから不安な時こそ顔を上げて堂々としていたほうがいい」
「はあ……」
「ほら、着いた」
神殿の大聖堂のような建物の前に着いた少年は足を止めると振り返り、ポンと少女の頭を優しく叩いた。
少女は触れられた頭を両手で覆い、顔を上げた。
「受付は向こうだ」
「あ、ありがとうございました……」
「気にするな。これも上級生の勤めだからな。では」
上目遣いで気恥ずかしそうにこちらを見上げる少女に、少年は優しく微笑んだ。
(もう少し、ちゃんと顔が見たいなぁ)
無意識にそう願った少女の願いを神が聞き入れたのだろうか。立ち去ろうとする彼の前髪をかきあげるように不意に風が吹いた。
髪の隙間から、少しだけ見えたその瞳は炎のように赤く燃えていて、この世のものとは思えぬほどに美しかった。
だからか、少女は無意識のうちに彼を呼び止めていた。
「お、お名前を伺ってもよろしいですか!?」
制服の袖を掴み、必死に引き留める少女に少年はクスッと笑みをこぼす。
「ライカ・ヴァインライヒ。君は?」
「エルーシア・ヘルツです」
「エルーシア・ヘルツ……?」
「はい」
「そうか。君が……」
ライカと名乗る彼の声色は、少女エルーシアの名前を聞いて少し低くなった。
「あの……、私のことをご存知なのですか?」
「今年で唯一の平民の子だろ?」
「あ、はい……」
平民だと知ってガッカリさせてしまっただろうか。エルーシアの視線は自然と下を向く。
ライカはそんな彼女にそっと近づくと自分がつけていたネックレスを外し、彼女の首元にそれをつけた。
「……え?」
彼のローブから香る仄かなインクの匂い。ふわっと香るそれが距離の近さを感じさせて、どうにも落ち着かない。
「これを持っていなさい」
「……これ、何ですか?」
「きっと、これが君を守ってくれる」
「それってどういう……」
どういう意味かと聞き返そうとした時、新入生は急ぐようにとのアナウンスが入る。ライカは視線でエルーシアに受付へと行くよう促した。
(……まあ、いいか?)
よくわからないが、急いだ方がいい気がする。なぜなら平民如きが遅刻など、多分許されないから。
エルーシアは深々と頭を下げて講堂の方へと走って行った。
彼女のピンクブロンドのツインテールが風に揺れる。軽快に駆けていくその後ろ姿はとても愛らしかった。
「……ホント、頑張れよ。新入生」
ライカはエルーシアの背中を眺めながら、ポツリと呟いた。