13:ブーメラン
あの中庭の事件から早3日。エルーシアは相変わらず、独りぼっちだった。
けれど、彼女を取り巻く環境はいつもとは少し様子が違っていた。
堂々と悪口を言う者はおらず、また向けられる視線もいつもの嘲笑ではない。ライカが言っていた『周囲のエルーシアを見る目は変わったはず』という言葉はあながち間違いではないようだ。
(ついこの間まで、か弱い平民の悪口を言って大盛り上がりしていたのに、変わり身の早いこと)
雑音が数ないのは良いことだが、これはこれで居心地が悪い。視線がうるさい。
エルーシアは極力気にしないようにしようと、皆が帰り支度をする教室の片隅で静かに本を開いた。
今日は珍しく下ろしている長いピンクブロンドの髪を耳にかけ、ふうっと小さく息を吐く。
その仕草は普段の彼女と何も変わらないはずなのに、周囲の目にはどこか艶めかしく見えた。
「……美しい」
誰かが呟いた。誰が呟いたのかはわからない。けれど、誰も犯人探しをしなかった。
いつもならエルーシアを肯定するような発言をした者は吊し上げられて、袋叩きにされるというのに。
エルーシア・ヘルツはただの平民。みんなの聖女アンネリーゼの敵。
クラスメイトは皆、心の中で自分に言い聞かせた。
しかし、わかっていても美しい花には触れたくなるのが男の性らしい。
アンネリーゼの取り巻きで、よく彼女の周りに出没しては彼女を褒め称えている残念な男の中の一人、ロレンツェン侯爵家の次男クロードは自信ありげにエルーシアに近づいた。
「おい、エルーシア・ヘルツ」
「……」
「何を読んでいるんだ?」
「……」
声をかけられたエルーシアは本から目を離すことなく、平然とクロードを無視する。
しかしクロードはその反応をただを照れ隠しととったのか、彼女の正面に回り込み、机に手をついて本を覗き込む。
「治癒魔法についての考察……?治癒魔法なんて、随分と無駄な勉強をするんだな」
「……私にとっては無駄じゃない」
「なあ。学園の近くに新しいカフェテリアができたみたいなんだ。このあと一緒に行かないか?」
「……は?」
ちょっと返事をしただけで、何を調子に乗っているのか。エルーシアは顔を上げた。
するとクロードはどこぞの王子と同じような微笑みを浮かべ、エルーシアの髪を一束取って毛先に顔を近づけた。おそらく口づけでもしたかったのだろう。
だが、エルーシアは真顔でこう返した。
「触らないで、気持ち悪い」
唖然とするクロードの手から髪の毛を救出すると、エルーシアは心底嫌そうに顔を歪めながら触れられた毛先をハンカチで拭く。
まさか拒否されると思っていなかったクロードはみるみると顔を赤くした。
「なっ!何を!?」
「それはこっちのセリフです。勝手に触らないで」
「貴様!こちらがちょっと下手に出れば調子に乗りやがって!この俺が遊んでやるって言ってるんだぞ!?」
「誰も遊んでくれなんて頼んでませんけど?」
「てめ……、ふざけんなよ!」
恥をかかされ激昂したクロードはエルーシアの胸ぐらをつかみ、立ち上がらせた。そして右手を大きく振り上げる。
殴るつもりなのか。紳士にあるまじき行動だ。後ろからは「きゃあ」と叫ぶ女性との声が聞こえた。
「あのさ。言っとくけど、これは正当防衛だから」
エルーシアは小さくつぶやくと、クロードの手を捻り上げ彼の顔面を机に叩きつけた。
教室はざわめきたつ。エルーシアが辺りを見合わすと、やはり野蛮だと蔑みの視線を向ける者もいれば、なぜか頬を染める女子生徒の姿も見える。
エルーシアはそんな周囲の反応を鼻で笑いつつ、血が滴る鼻を押さえて恨めしそうにこちらを見上げるクロードに冷たい視線を送った。
「貴方が誘うべき相手はマチルダ・ベルマン伯爵令嬢では?」
「……は?」
「私は道理に反することをしたくありませんので、婚約者のいる方からのお誘いは受けられません」
「……なっ!!」
「早めに医務室に行くことをお勧めしますわ。では、失礼?」
エルーシアはクロードに触れてしまった手をハンカチで拭くと、カバンを持って席を立つ。
教室の中から貴族にあるまじき低俗な罵倒が飛ぶが、そんなものは無視だ。勝手に喚いていればいい。不道徳な浮気者が発する言葉などで傷つくエルーシアではないのだ。
「滅びろ、クソ野郎!」
エルーシアは教室の入り口でくるりと振り返ると、クロードに向かっ中指を立てながら、そう吐き捨てた。やはり口が悪い。
*
教室を出るとすぐに、ハインツと愉快な取り巻きたちを引き連れたアンネリーゼと鉢合わせた。隣のクラスが騒がしかったからと様子を見にきたらしい。
エルーシアは軽く会釈をして通り過ぎようとしたが、アンネリーゼはそれを許さなかった。
「エルーシアさん。お待ちになって?」
「……何か御用でしょうか」
「事情はみんなに聞きましたわ」
「はあ、そうですか。毎度毎度、隣のクラスの揉め事に首を突っ込みにきてくださってありがとうございます」
「エルーシアさん、あのね?確かに、誰を好きになるのもエルーシアさんの自由です。けれど、婚約者のいる殿方に近づくのはおよしになって?貴女の軽率な行動で傷つく女性がいることを忘れてはいけませんわ」
わざわざ人通りの多いところで引き留めた挙句、まるでエルーシアがクロードを誑かしたかのように言うアンネリーゼ。胸の前で手を組み、神に慈悲を乞うシスターのように訴える彼女の姿に、エルーシアは吐き気がした。
自分は大勢の男を誑かしているくせに。ダブルスタンダードもいいところだ。
「それ、自己紹介のつもりですか?」
「………………はい?」
「確か、その右の彼の婚約者は一つ年上のリーフェンシュタール家のご令嬢でしたよね?そして左の彼の婚約者は……、私のクラスのイリナ嬢じゃありませんでした?」
エルーシアはアンネリーゼの周りに侍る男どもを見渡し、フッと鼻で笑う。そしてこう言ってやった。
「婚約者のいる殿方に近づくのはおよしになって?アンネリーゼ様」
「なっ!?」
投げた言葉が見事なブーメランとなって返ってきたアンネリーゼは顔を真っ赤にした。
こんなにわかりやすく感情を露わにする彼女はじめて見たかもしれない。
「うふふっ。では、失礼しますわ。聖女サマ?」
気分の良いエルーシアは覚えたての下手くそなカーテシーを披露して、呆然とするギャラリーの間をすり抜け、颯爽とその場を後にした。
「な、何なのよ……!!」
恥をかかされたアンネリーゼは俯き、強く拳を握り締めて肩を震わせた。
(ムカつくムカつくムカつく!)
どうしてあんなことを言われなければならないのか。
どこからか聞こえる嘲笑も、自分が侮辱されているのに何も言わないハインツやレオンにも腹が立って仕方がない。
(ああ、腹が立つ。でも、ダメよ。ここで声を荒げてはダメ)
アンネリーゼは内圧を下げるように大きく息を吐き、か弱い乙女の顔を作ってから、ハインツの方を見上げた。
「殿下……」
「アンネ……」
「わたくしはただ、エルーシアさんが貴族の決まりを知らないのだと思って、教えて差し上げようとしただけですのに。まさか、みんなとの友情を馬鹿にされるだなんて思いませんでしたわ。うぅ……」
「アンネ、どうか泣かないでくれ」
「どうしてエルーシアさんはこうも、わたくしを敵視なさるのかしら」
およよ、としなを作り、目尻に涙を浮かべながらハインツにもたれかかるアンネリーゼ。ハインツは少し戸惑いながらも、愛しい婚約者をそっと抱きしめた。
「殿下。殿下はヒロインに誑かされることなく、ずっと、わたくしを愛してくださいますか?」
「……ああ、もちろんだよ。アンネ」
「本当に?」
「本当だよ。信用ならないかい?」
「いいえ。信じておりますわ」
本当は庇って欲しかったとか、なぜ何も言い返さないのか、とか。色々と文句を言いたいところだが、弱い女が好きなハインツに怒りをぶつけるわけにもいかない。アンネリーゼは、言いたいことを全て呑み込み、ただ彼に身を委ねた。




