0:オトメゲェムの世界
別に深い意味はないよ。ただの気まぐれさ。
魂をなくした器と、器をなくした魂。
その二つが偶然にも目の前にあったから、合わせてみただけのこと。
だってちょっと興味あるだろう?本来とは違う運命を背負わされたニンゲンがどんな人生を送るのか。
――――神はきっとこう言って、逆境に立たされた私を見て、嘲笑うのだ。
***
それは大陸の東に位置する大国、ロメリア王国の第一王子ハインツが、彼の派閥の筆頭であるヘッセンバイツ公爵家の長女アンネリーゼと婚約して2年ほど経った頃のこと。
春の陽気に包まれた王宮のバラ園で発せられた、彼女の突拍子のないひと言がすべての始まりだった。
曰く、この世界はオトメゲェムの世界である。
曰く、自分たちが15才になり魔法学園に入学すると、ハインツはその年で唯一の庶民の新入生エルーシア・ヘルツと恋に落ちる。
曰く、ハインツやその側近たちは、エルーシア・ヘルツと共に様々な苦難を乗り越えながら愛を育み、最終的にはハインツの婚約者である悪役令嬢アンネリーゼを断罪する。
12歳になったばかりアンネリーゼはその紫水晶の瞳を潤ませ、『そんな未来が来ることが恐ろしいのだ』と切実に訴えた。
もちろん、一国の王子がいっときの感情に身を任せて、自分の支援者の娘を断罪するなどあり得ない。
だからハインツは、来るはずのない未来に怯えるアンネリーゼの、その緩やかに波打つ白銀の髪を一房取り、毛先に軽く口付けてこう言った。
『そんな事はありえないよ、アンネ。何も心配することはないよ。だって、私はこんなにも君を愛しているのに』
と。
しかし、どれだけ大丈夫だと諭しても、アンネリーゼは決してその言葉を信じようとはしなかった。
あり得ない未来に怯える姿はどこか不自然で、彼女らしくない。ハインツは違和感を覚えた。
果たして淑女の鏡のような彼女が、なんの根拠もないただの妄想にここまで怯えるだろうか。
答えは否だ。
アンネリーゼ・ヘッセンバイツはただの妄想話に囚われるほど愚かではない。つまり、これは単なる妄想ではないこと。きっと彼女にしか知り得ない何かがあるのだろう。ハインツはそう確信した。
だからあの日。14歳で魔力測定検査を受けたあとのこと。無事に規定量以上の魔力を保有していることが認められ、魔法学園への入学が確定した彼はその足で公爵邸へと向かい、アンネリーゼに誓いを立てた。
『何があっても、君を一生愛し続ける。君を不安にさせる材料は全て自分が排除する』
と。
だからどうか自分を、そして、義兄のリシャールや幼馴染のレオン、ライカのことを信じて欲しいと言った。
真剣にそう訴えるハインツに、アンネリーゼは不安げな表情を浮かべながらも、最後には涙ながらに『はい』と返事をした。
あれから1年。
明日の魔法学園の入学式を前に執務室の出窓に腰掛けて代表挨拶の文面を見直していたハインツは、部屋を訪れたリシャールから新入生名簿を受け取った。
リシャールは気合いを入れるためか、肩くらいまであるくすんだ銀髪を紫色のリボンで束ねると神妙な面持ちで『ここを見てほしい』と、とある生徒の名を指差す。
彼の人差し指が示す場所にはあったのはエルーシアの名前だった。
「エルーシア・ヘルツ……」
「やはり本当に入学してくるようです」
誓いを立ててもまだ半信半疑だったハインツだが、エルーシアの名前を見てサアッと血の気が引いた。やはりアンネリーゼの言っていたことは本当らしい。
「調べたところ、エルーシア・ヘルツは西部のローレンツ辺境伯領にあるノイス村の孤児院の出であることがわかりました」
「……あの国境沿いの村?」
「はい。もっとも、どこで生まれたのかは定かではありません。どうやら彼女は10才の頃、孤児院の前で行き倒れていたところを神父に拾われたらしいので」
「なんか怪しいなぁ。他国の間者かな?」
「それはなんとも……。ただ、今までいくら調べてもをその存在がつかめなかったのは姓がないためだと思われます。聞くところによると、拾われるより前の記憶が曖昧で自分がどこの誰なのか、わからないそうです」
「じゃあ、ヘルツは誰の姓なんだ?」
「魔法学園への入学に際し、孤児院の神父であるヴィクター・ヘルツからもらったようです。流石に、身元が保証されないと学園には通えませんから」
「なるほどねぇ」
ハインツは口元を右手で抑え、少し考える。
これはつまり、エルーシア・ヘルツという女はつい最近まで存在していなかったということだ。
何故アンネリーゼはまだ存在していなかったこの名前を事前に知ることができたのか。たまにこの世界の全てを客観視しているような言動をすることがあるが、あれは彼女が言うように本当にこの世界の人間ではないからなのだろうか。
いずれにせよ、
「……アンネの未来予知の能力は国の宝じゃないか?」
ハインツは大真面目にそう言った。
「アンネは美しいだけでなく、聡明で、そして優しくて……、まるで天使のような存在だ」
「そうですね」
「その上、予知能力という特別な力まで持っているなんて、こんな素晴らしい女性を聖女としなくてどうする!?うん。やはり一度大神官様に交渉してみよう!」
話が脱線していることにも気づかず、悦に浸りながら語るハインツは、偉大なる聖女の称号はアンネリーゼにこそふさわしいと豪語する。
しかしリシャールはそんな彼を半眼で見下ろした。
「アンネの予知は私たちに関わることだけです。それなのに、聖女にしろなんて言ったら、図々しいと鼻で笑われますよ。アンネの名誉を傷つけかねないようなことはやめてください」
「わかってるよ。言ってみただけじゃないか」
「半分くらい本気だったでしょうに」
「まあね」
「本当、勝手なことはやめてくださいね!?」
「わかってるってば。それより、ほら。今はエルーシア・ヘルツのことだろう?結局彼女は何者なんだい?」
「はあ、殿下が話をそらしたんでしょうが……。まあいいです」
大きなため息をつきつつも、リシャールはコホンと咳払いをして空気を変えた。
「実はこの間、久しぶりにライカと話したのですが……」
「おお、珍しい」
「その、ライカ曰く、呪術には他人の心を操る術もあるそうでして……」
「呪術といえば確か、悪魔と契約した一族のみが使えるという……あの?」
「はい」
「生贄として人間の心臓を捧げるとかいう……あの?」
「はい、その呪術です」
「…………ふむ、呪術か。なるほど。にわかには信じがたいが、確かにそれなら私が平民の女を好きになるのも頷ける」
呪術の使い手ならば、アンネリーゼしか見ていないハインツたちがエルーシアに夢中になる未来もあり得る。ハインツはふむふむと納得したように二度頷いた。
「……と、とはいえ、ライカの言うことですから信用なりませんけどね。呪術師と通じるのは容易ではありませんし、平民に彼らを雇うだけの金とコネがあるとも思えませんし?」
「だが可能性が全くないというわけでもないのだろう?」
「……まあ、そうですね」
「呪術を使う可能性が少しでもあるならば警戒しておいて損はない。……よし、ではリシャール。申し訳ないが至急私とお前、あとレオンの分の対呪術用の宝具を準備してくれないかい?」
「……は?」
「ん?どうした?」
「いやいや。簡単におっしゃいますけど、呪術となると聖教会の管轄ですよね?」
「うん。そうだね?」
「……私は聖教会とのパイプなんて持ってないんですけど」
魔法は国の機関である魔法省の管轄だが、呪術となるとその管轄は国教として王家からの承認を受けているバーティミア聖教会へと移る。そして聖教会が持つ貴重な宝具を借りるとなると教会本部にコンタクトを取らねばならないのだが、そこは王侯貴族の権力が及ばない場所。
「宝具を借りるとなるとどうしても正式なルートでの手続きが必要となりますが、どうやって貸して欲しい理由を説明すれば良いのですか?馬鹿正直に説明しても、アンネリーゼの妄言だと笑われて終わりですよ?」
現時点でハインツやリシャールの身には何も起きていない上に、アンネリーゼが見ている未来が起こる可能性を客観的に証明する証拠などどこにもない。
そんな状態で大事な宝具を貸して欲しいと頼んだところで、はいどうぞと貸してくれるわけがない。
下手をすればアンネリーゼの評価を下げかねない。リシャールは困ったようにため息をこぼした。
しかし、対するハインツは難しい顔をする彼にキョトンと首を傾げた。
「そこはライカに頼めばいいのでは?」
先程から名前が出てからライカ・ヴァインライヒは魔法省長官の息子でハインツたちの幼馴染のうちの一人だ。
ハインツやアンネリーゼよりひとつ年上のライカは、学生の身でありながら魔法具の開発を中心に様々な成果を上げている魔法の天才で、学生だけでなく正式な魔法師たちからも一目を置かれている存在である。
「ライカは最近呪術と魔法の関連性について研究しているようだし、彼なら聖教会とのパイプを持つんじゃないか?」
「し、しかし……、あいつはアンネリーゼの話を信じていないではないですか」
「信じていないとしても、ライカはなんだかんだでアンネのことを大事にしている。だからお前に呪術の話をしてくれたんだろう?」
「それは……、そうかもしれませんが……」
リシャールはライカに頼るなんて屈辱だと言わんばかりに顔を歪めた。
ハインツはそんな彼の表情に、呆れてしまう。
「ほんと、嫌いだよな」
「そんなことは……」
「あるだろう。……ったく、魔力量では勝っているはずなのに実力ではライカより劣るからといって、そう毛嫌いしてやるなよ」
「別に毛嫌いしているわけではありません!」
「では話をつけてきてくれたまえ」
「うっ……」
「ライカは偏屈なところはあるが、トータルで見ると良いやつだぞ?面倒見いいし。というか、そもそもだ。二人とも将来は私の側近になるのだからもう少し歩み寄る努力をしなさい」
「………ああもう!わかりました!わかりましたよ!!至急、手配します!はあ……ったく!」
リシャールは不服そうにため息をこぼしつつも、渋々ライカの元へと向かった。
ハインツは出ていく彼の背中を眺めながら頬杖をつき、小さく息を吐いた。
「昔は5人で仲良くしてたのになぁ」
いつからだろうか、こんなにギスギスした関係になってしまったのは。
全員、ハインツとは友好的な関係を維持しているが、他の幼馴染同士の関係は微妙だ。
ライカはアンネリーゼを避けるようになったし、リシャールは一方的にライカを敵視している。ここにはいないもう一人の幼馴染である騎士団長子息のレオンも、アンネリーゼとは今も仲良くしているものの、リシャールやライカとは積極的に関わろうとしない。
「これも、例のヒロインのせいなのか」
ハインツはいつかまた、陽だまりのバラ園で5人で仲良くお茶会ができる日が来ればいいのにと願う。
「やはり、厄介だな。エルーシア・ヘルツ」
早急に潰しておくべきだろう。
ハインツは名簿にある彼女の名前を指でなぞり、覚悟を決めたように顔を上げた。