52:声だけで失神しそうになる
「クリス」と銀狼を見て名を呼ぶと……。
「なんだい、ニーナ」
マジパラにおいて、普段は凛と響く、テノールの力強い声が、とんでもない甘い囁き声になっている。
声だけで失神しそうになるという経験を、初めてした。
落ちそうになる意識を必死に保ちながら。
なぜか銀狼の代わりに返事をした大魔法使いの方を見る。
すると……。
切れ長のライラック色の瞳が、とろけるような甘さで私に向けられている。
その瞬間、全身から力が抜けた。
ゲームの中でも画質の良さが際立っていたが、実体化クオリティが半端ない。
しかもこんな……至近距離。
そうではなくても彼は、私の推しなのだ。
もう……無理。
さっき私は、クリスとファーストキスをしたばかりなのだ。オリエンタル美女に殺される前に、二人の愛を確かめるためにキスをした。それなのに突然現れた大魔法使いに、こんなに心を乱すなんて。
いくらクリストファーが推しであったとしても……。
私はなんて最低な女なのだろう。
「違う。惑わされてはいけない。私の心はクリスだけのもの」
自分自身に言い聞かせるために、小声で呟いた言葉だったのに。
「分かっているよ、ニーナ」
またも大魔法使いが甘い声で返事をしたのみならず、突然お姫様抱っこをやめ、地面に降ろされたと思ったら……。
ぎゅっと抱きしめられた。
お姫様抱っこされていた時から感じていたが。
腕にしっかりと筋肉があり、引き締まった体をしている。こんな相手に抱きしめられたら……。
その体からは、透明感のある清楚な香りもして、まるでお酒を飲んだかのように酔ってしまう。
さっき人生初のキスを経験した。それぐらい、リアル男性とのスキンシップ経験がない。それなのに、あの大魔法使いからの熱い抱擁……耐えられるわけがない!!
もうキュン死してもおかしくない。
意識を保っているのが奇跡だ。
それでなくても推しフィルターだって機能しているのだから。
それにしても。
どうして大魔法使いからこんなことをされるのか、さっぱり分からない。
だが、これは明らかに裏切り行為だ。
クリスはすぐ足元にいて、この様子を見ているのだから。
「や、やめてください。私にはクリスがいるのです」
無駄な抵抗と分かっていても、精悍な体を懸命に両手で押そうとすると。
「ニーナ、まだ分からないの? クリスは僕だよ」
大魔法使いの声が、すぐ耳元で聞こえる。
その声と息が直接耳に届き、ついに腰が砕けた。
はからずも大魔法使いに、全身を委ねる形になってしまう。
「あ、あなたは、大魔法使いで、ク、クリストファーですよね!?」
体が動かないので、必死に声で抵抗を試みる。
「大魔法使い……その予定だよ。そして僕のニックネームはクリス。……アンジェラ・ハヴィランド、すなわちギリス王国の気まぐれの魔女、またの名を『ギリス王国の奇跡の子』からの求婚を断るため、自身の守護霊獣・銀狼と同化魔法で一体化した。自力での解除を放棄し、唯一の解術方法として、ニーナからの真実の愛の口づけを設定していた。そしてさっき、ニーナのおかげで、再びこの姿を取り戻すことができた」
「え……」
既に力が抜けていた私は、今度は茫然とするしかない。
ニックネーム?
クリスという名前ではなかったの……?
でもその後に言ったことは……。
あの美女の正体は、やはり『奇跡の子』だった。
名前はアンジェラというのか……。
しかし、同化魔法!?
自分での解除を放棄……?
唯一の解術方法が私とのキス……!?
脳がフリーズする。
「ごめんよ、ニーナ。落ち着いたらゆっくり話すつもりだった。沢山の情報を与えてしまったから、混乱しているね。今はこれだけ理解して。黒い森の縦穴に、ニーナが来てから、僕は君のそばにずっといた。銀狼の姿になっていたけどね。人間の姿に戻るには、ニーナからの心のこもったキスが必要だった。そしてニーナは、地平線に太陽が没しようとしたまさにその時、僕にキスをしてくれた。『噛みついたりしないでね』そう言って」
「……!」
確かに私はそう言った。ウルフとキスをするなんて初めてのことだし、口が大きいから……。
「本当に、本当に、クリスで、銀狼なの……?」
そしてあなたは私の推しですよね!?
「うん。そうだよ、ニーナ。君のおかげで元の姿を取り戻せた。今日は午後からずっと、四聖獣を呼び出すために、よく頑張ったね。もう大丈夫。ニーナのことは僕が守るよ」
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