39:凄惨な場にふさわしくない鳴き声
「ク、クリス……よね? お、覚えている……かしら? わ、わた、私、ニ、ニーナよ。む、昔に、ネ、ネモ、ネ……」
恐怖で言葉をうまく話せない。
私は上半身を起こし、一度深呼吸して、再度、言葉を絞り出す。
「ネモフィラの花畑で……あなたに会った。約束を……した、ニーナよ」
言葉を発する度に、空気を足りないと感じ、苦しくなる。
「あなたと、けっ」
目の前の闇が動いた。
ひゅうっと喉が鳴り、咄嗟に頭部を庇い、伏せた。
そんなことしても無駄と分かっていたが、本能がそうさせていた。
ヒタヒタと足音がして、もうダメだと覚悟する。
頼むから、一撃で仕留めて欲しいと願う。
「ひっ……」
首筋に温かい息がかかった。
嫌だ、怖い、助けて、死にたくない!
思考が停止した。
「くうん……」
体全体に生暖かい何かが押し付けられていると感じる。
それになんだかこれから起きるであろう凄惨な場に、ふさわしくない鳴き声が聞こえた。もちろん恐怖で震える私が出した声ではない。
「きゅうん」
再び甘えるような声がする。
恐る恐る顔を上げると……。
「きゃあああああああ」
四つん這いで壁際に後退した。
心臓が再びバクバクいいだした。
目の前にウルフがいる。
しかも大きい。
馬ぐらいの大きさ。
毛が輝いているように見える。
ぎ、銀色をしている。
瞳は……む、紫?
淡い紫色。ライラック色だ。
そんな瞳のウルフ、野生にいるの!?
間違いない。
魔獣の銀色のウルフ。
銀色のウルフ……?
――「黒い森、知っているわ。数年前から怖い噂がある森よね。恐ろしい銀狼がいて、その大きさは馬ぐらいで、あの森に入ったら生きて戻れないって」
ジェシカに私が話した言葉だ。
つまり、銀狼の正体がク、クリスということ!?
そしてここは……黒い森!
自分がどこにいるか分かった瞬間。
少し気持ちが落ち着いた。
「くぅん」
再び銀狼が鳴いた。
そこで私は悟った。
オリエンタル美女の言葉に完全に惑わされていたと。
でも自分が変身していた時のことを考えれば、分かることだ。
ネモフィラの花に変身していても、中身は私だった。
銀狼の姿をしているが、中身はクリス。人間だ。
理性が吹き飛んでいるわけではない。
だから、私を襲って喰らうことはないはず。
だからこそ甘えるような声を出しているのでは?
それを確認するため、声をかける。
「ク、クリス、私はニーナ。ニーナだって、理解した?」
「くうん」
返事をした! ちゃんと理性もある。良かった!
「ごめんなさい。あのオリエンタル美女とあなたの見た目につい、その……。喰われると思ってしまったの。……念のための確認だけど、私のことを喰わないよね?」
今度は頷いた。
な、なんか。
素直に頷く銀狼って可愛いかも。
「良かった……。オリエンタル美女に、私はあなたに喰われるって散々言われたから」
その瞬間、低い唸り声が聞こえ、私は「ひいっ」と縮みあがる。
すると銀狼はすぐに鳴くのをやめ、しゅんとして首を垂れる。
「あ、なるほど。今はあのオリエンタル美女に対して怒ったのね」
私の言葉に銀狼が顔を上げた。
「ねえ、人の言葉は話せないの?」
銀狼は頷く。
「オリエンタル美女の魔法で、人の言葉を奪われたのね」
「くぅん……」
悲しそうな鳴き声。
『奇跡の子』と言われる最強の魔力の持ち主なのに。
私はそうっと手を伸ばしてみた。
銀狼は驚いたように、私をじっと見た。
お行儀よく座っていたが、ゆっくり私の方に歩み寄る。
危険はないと分かっていても、本能的に恐怖を感じるが、懸命に「大丈夫、大丈夫」と脳内で念じる。
銀狼の鼻が私の手に近づいた。
手の平を向けると、匂いを確かめるように鼻をこすりつけた。
私は一歩、二歩と銀狼に近づき、その頬に触れた。
あ、顔回りはしっかり筋肉がついている。
そのままさらに近づき、首の方に今度は左手で触れると……。
ああ、ふわふわだ。まだ冬毛だからなおのことふわふわしている。
抱きつきたくなる衝動に駆られ、チラリと目を見る。
さっきこの目を見た時には、恐怖しか感じなかったのに。
ウルフでは珍しいライラック色のこの瞳を見ても、もう恐怖を覚えることはない。
むしろその瞳からは……。
なぜだろう。無性に懐かしさを感じる。
この瞳を知っている……不思議とそう思えてしまう。
そして何より。
その瞳から溢れてくれる想いを感じてしまう。
多分、クリスはずっと、この3年間。
私に会いたいと思っていてくれた。
その想いが伝わってくる……。
クリスのことは、夢で見るほんのわずかな記憶でしか覚えていない。
それがもどかしかった。
思い出せたらいいのに。クリスのことを。
そんな気持ちから、そのふかふかの首元に抱きつくと。
「!?」
銀狼が、しきりに鼻で私の背中を押す。
「何? 何、どうしたの?」
今度は鼻先で、お尻をグイグイ押す。
「!? あ、もしかして」
背中に乗れ、ということ?
私が身振りで示すと、銀狼は頷いた。
なぜ乗る必要があるのか?
その理由を聞きだすのは……言葉を話せないので難しいと思い、とりあえず背中に乗った。
すると銀狼が立ち上がった。
本日もお読みいただき、ありがとうございます!
ハラハラ展開はひと段落ですが……。
次回は「切ない声に涙が出そうになる」を公開します。
明日もよろしくお願いいたします。
新たにブックマーク登録いただいた読者様。
いいね!をくださった読者様。
ありがとうございます(*^^*)

























































