2人のアイドル
暗い空――それを背にしてなお暗く。
暗い短髪の女が担ぐ、儚い女の長い束ね髪が夜風になびく。
雑居ビルに囲まれた暗い空き地のその端で、キツネ耳が悠々と見下ろしている。ユウたちが乗ってきた宇宙船の上で。ツネークスに焦る様子はない。むしろ、悔しさを滲ませているのは地上の方。
「……ッ」
目の前で聖痕が持ち去られそうになってなお、ユウには手を出すことができない。彼女自身の戦闘術も起因としてあった。が――根本的なレベルが違いすぎる。
正面から戦って勝てる相手ではない。
だが、搦め手を練る猶予もない。
ゆえに。
「クジャ、聖痕持ち捕まえタ。帰ル」
――ダンッ
それはまるで星空に吸い込まれるように。
この段になって、ユウは入れ替わるように宇宙船の屋根に飛び乗る。ヤシロも続いて。だが、クジャが降下してくることはない。真っ直ぐ上に飛び立ったように見えたのだが。
不安と屈辱に奥歯を噛み、空を見上げるユウの隣で、屈んで足下を見つめながらヤシロが呟く。
「宇宙迷彩の船で回収したんだと思うよ」
「……そうね」
考えなしに大ジャンプなどするはずがない。おそらく、視認できないほど上空にツネークスの船が待機していたのだろう。
こうして――ヤシロたちは聖痕のすべてを失ってしまった。
***
星の海に漂う小さな宇宙船――そこに賑やかな様子はなく、涙声だけが静かに響く。
「シレーさん……一体どうして……」
どうやら、お付きのメイドふたりは無事らしい。その中央の席を空けたまま、しくしくとハンカチで涙を拭っている。そして、前方左席――シオリンの場所にも誰もいない。唐突にふたりの欠員を出してしまった。ユウの修道服はともかく、ヤシロの普段着ジャージはいささか締まらない。が、外を眺めている眼差しはいつになく引き締められている。
そこに、S.K.が空気を読まない楽しげな報告を持ってきた。
「スペースライブネットから着信ー、撮影については落ち着いてから改めてだけど、とりあえずオツヒノは無事救出、命に別状はないってー」
それを聞き、窓に向けて微笑むヤシロ。一方、ユウは興味がなさそうだ。
「……そう」
いま考えるべきは、これからのこと。そのために必要な情報はこれまでのこと。
「で、一体何があったの」
それは、正面のS.K.に向けられたものかもしれない。だが、背後のメイドたちも、とにかく不安だったのだろう。
「シオリンさまが戻ってこられて! ここにいろと!」
「私たち、三人で待っていたはずなのに!」
「シキ、ずっと見てたんだけど、急にシレーが消えちゃってねー」
S.K.だけでなくメイドふたりまで喋りだしてはさすがにユウとて聞き取れない。
「一旦うしろのふたりは黙って。S.K.、船内の録画を」
「ほーい」
口頭では要領を得ないので、自分の目で確認することにしたようだ。いつものように、S.K.はぴょんぴょんと前を向き、フロントガラスがモニタとなる。映し出されたのは、メイドがひとり、スマホをいじりながら寛いでいる図だ。
「盗撮してたのー!?」
どうやら、メイド自身にも知らされてなかったらしい。
「失礼ね。自分の船の室内を撮って何が悪いの。治安悪いって言ったじゃない」
それを同乗者に伝えていないのはどうかと思うが。おそらくユウは惑星の治安どころか、同乗者たちさえも信用していないのだろう。
一応防犯カメラということで、画面左上に日付と時刻のような表示はある。だが数字自体は読めないし、表示も変わらない。と思ったが、最後の一桁が変わった。が、また止まった。おそらく、秒ではなく、分刻み以上の単位なのだろう。
映像中のメイドの挙動は小刻みに慌ただしい。どうやら録画データは倍速で再生されているようだ。が、登場人物はスマホを見ているばかりで、それ以外の変化は特にない。少しして、買い出しに出ていた――ルナ、とシレーに呼ばれていたメイドが帰ってきたため、留守番メイドはスマホいじりをやめた。ふたりでとりとめのない雑談に興じている。
「このあと、誰か来た?」
状況が変わらないことに飽き飽きしてきたのか、ユウが後部座席に問いかける。
「私たち、怖かったからずっとここにいたんですけど……」
「かなり遅い時間になった頃、シオリンさんが……」
「S.K.、その十秒前まで飛ばして」
ユウは、相変わらずメイドたちの事情に興味を示さない。これまで以上の超高速で、代わり映えのないメイドたちの雑談が流れていく。
そして。
『こういう役はミナトさんの方が良かったと思うのー』
『仕方ないですー。今回はこういう企画ってこともありますし』
一倍速に戻されたことで、ふたりの会話が聞き取れるようになった。が、そこに意味はない。重要なのは、この十秒後――
ガチャリ、と扉が開かれたのはシオリンの席ではなく後部座席の方。さすがにメイドたちも驚き振り向いた。
『……っし、まだあるな、ソレ』
強引に身体をねじ込んできたシオリンはメイドのルナの膝の上を跨ぎ、手を伸ばした先にあるのは――
「神殺しの剣っ!?」
ユウはいまさら気づいて背後に振り向く。後部座席の裏側――そこに置いてあったはずの黄金の鞘が確かにない。録画されているとおり、シオリンが持ち出したのだろう。
『緊急事態や。ウチが何とかするさかい、あんさんらはこっから動くんやないで』
『はっ』
『はいっ』
強張ったまま、メイドたちは応える。神しか斬れない剣で何をするつもりか――シオリンは詳しく告げず、そのまま出ていってしまった。
『な……何があったのー……?』
『シレーさんは、大丈夫でしょうか……』
メイドのルナは外の様子が気になるらしい。ずっと見ていたため、“彼女”の接近にはすぐ気が付いた。
『シレーさん、こっちです!』
扉を開け、外に向けて叫んでいるのだから、彼女はまだ捕まっていない。お付きのメイドたちも聖痕持ちが危うい立場にあることは承知していた。なので、ルナは席を詰めることなく――シオリンのようにシレーも自分の上を跨がせる。そして、両サイドから守るようにシレーを中央に座らせた。さらに、シートベルトも締めて。にも関わらず、結果として彼女は攫われた。
ユウは、後ろのふたりの方へと振り向くも――結局何も言わずに姿勢を戻す。おそらく、聞いても無駄だと断じたのだろう。
「S.K.、シレーがいなくなる十秒前まで飛ばして」
「うんー、シキもビックリしたよー、ホントに」
そこからは大した猶予もなかったようだ。おそらくシレーは、現場で何があったかをふたりに軽く説明し、恐ろしさのあまり揃って沈黙。窓側のメイドたちは外に警戒を向け、シレーはカメラ目線――おそらく正面を監視しているのだろう。
だが、次の瞬間。
『シ、シレーさんっ!?』
『何で!? 何でなのーっ!?』
「何があったのよ!?」
モニタの中のメイドふたりと一緒になって観ていたユウも思わず叫ぶ。
「ビックリでしょ! シキにも何が何やら」
撮影した本人すら何が起きたのかわかっていない。だが、メイドふたりはむしろ訝しむ。
「い……いえ、“違います”」
「違う?」
ユウはもう一度振り向いた。今度は、メイドたちの話を聞くために。
「違うのー。このあと、急に“目の前が真っ暗”になって……」
画面上では、急に目潰しを受けたようには見えない。ゆえに、ユウはメイドたちに懐疑の視線を向けている。だが、ヤシロにはわかったようだ。
「真っ暗になったので、五秒くらいでしょ」
「はっ、はい!」
「よく覚えてないけど、数秒だったのー」
ユウが意外そうに振り向くと、ヤシロは少し腰を上げて――天井の隅に触れて何かを確認していた。
「宇宙煙幕。揮発性の」
「そんなもの持ち込んだら、船のセキュリティに反応が――」
「この狭い空間に五秒くらいの超微量なら、センサーにもかからないよ」
ユウは反論するが、どうやら限定することですり抜ける方法はあるようだ。
「それに……んー……シキ、一九時五八分……“五五秒しかない”んじゃない?」
「S.K.ッ!」
どうやら、宇宙文字でそのように書かれていたようだ。S.K.ならば画像認識も容易い。あっという間に表示内容を基に解析してくれた。
「わっ、すごい。一九時五八分から五九分まで、“五七秒しかない”よ!」
S.K.は嬉しそうにピョンピョン跳ねている。そこに悲壮感はないのはロボットだからか。
「どういうこと……?」
混乱しているユウを横目に、ヤシロは深く座り直して天井を仰ぐ。
「飛ぶ前に確認したけど、屋根の上にワープ装置もあった。よーするに……電波ジャックで記録を止め、その一瞬に船内の視界を奪って、ワープ装置でシレーだけ船の外に抜き取ったんだよ。ま、拉致誘拐の基本的な手口だね」
平然と言ってのけるヤシロに、ユウは――一周回って感心したのか、半笑いになっている。
「ずいぶん詳しいじゃない」
その視線を無視するように、ヤシロは窓の外に視線を反らした。少々失礼な言葉を残して。
「ユウのが得意分野だと思ってたけどね、そういうのは」
「何を言っているの。私は善良なズーミア司教よ」
「ただ――」
ユウの軽口に応じることなく、ヤシロは淡々とひとりごちる。
「――変わっちゃったんだね、ツネークスも」
「ヤシロ、貴女――」
「惑星アブソリュー、到着五分前ー! みんな、ちゃんとシートベルト締めてねー!」
安全にかかわる警告であるため、S.K.はふたりの会話を堂々と遮る。それで、ユウは出かけた嫌疑を引っ込めた。視線だけに、その想いを残して。
***
今度の惑星の空は青い。しかし――その建物はなぜか白塗りの壁に瓦葺きである。まるで江戸の城下町のような敷地に停まっているのは様々な惑星で見かけたスペースシャトル。おそらく、時代劇風味なのはあくまで外装だけなのだろう。
「シレーさんのことわかったらすぐに連絡するのー!」
「では、皆さんもお気をつけて」
そこはおそらくターミナルの内部のようだ。広々としたフロアにはヒューマンタイプからタコやイカのような形状の生物が行き交い――和服のような形状が多く見られるので、やはりそれがこの惑星の文化なのだろう。もちろん、宇宙ターミナルだけにボディスーツから宇宙服のような装いまで様々だが、ユウのような修道服は他になく、ヤシロのようなラフな部屋着でうろついている者はさすがに皆無だ。
中空には宇宙文字で書かれた案内板がふわふわと浮いているが、荷物運びのドローンたちはぶつかることなくすり抜けていく。どうやら看板に実体はないようだ。
その下で、メイドふたりがヤシロたちと向き合っている。
「あたしたちも何かわかったら連絡するからー」
「先ずは、ミューズでミトフルたちを張ってなさい。聖痕を持っている以上、狙われる可能性は高いだろうから」
メイドたちは最後に深く一礼して、改札の方へと向かっていった。ユウが名残惜しさをまったく感じさせない冷淡さで踵を返したので、ヤシロも慌ててそれに続く。ユウの所作は、修道女というよりビジネスマンのようだ。
「S.K.」
雑踏に磨り潰されそうなその呟きひとつで、透ける案内板を貫通して楽しんでいたピンクの生首は、呼び出しに応じてひゅるりと下りてきた。
「ほーいほいほい、どーしたん?」
「確認よ。ちゃんと先方にはアポ取ってるんでしょーね?」
不躾な言い分だが、どうやらS.K.は自信満々らしく、楽しげにふたりの周りをぐるりと廻る。
「そりゃーもー、同じシリーズだもん。バッチリだってー」
「もしかして、教会でゆってたコネがあるってヤツ?」
ヤシロが尋ねると、S.K.はスーっと飛び寄り――歩行中の視界を塞がないよう、頭の上に着陸した。伸びたままのケーブルはテロリと垂れるが、前が見えないほどではない。
「M.2.……モモ、ってゆーんだけど、いつでも来ていいよー、ってゆってたからね。早速遊びに来たってわけ」
「遊びじゃないっての」
ユウはピシャリと嗜めるが、だからこそ、ヤシロには気になることがある。
「こんな簡単に接触できるなら、真っ先に来とけば良かったのに」
それをしなかったことにはユウなりの理由があった。
「聖痕が確認できなかったからよ」
ユウにとって、教義が広まるのはできる限り避けたいらしい。そして、そんな主の意向を生首ロボは把握している。
「ちなみに、モモの方は聖痕も女神も興味ないんだか知らないんだか、全然話題に挙がんなかったんだよねー。もし無関係だったら、ただ遊びに来ただけってことで誤魔化すよー」
そこまでユウの指示か。それとも方針を汲んでのことか。
「ということで、先ずはS.K.に探り入れさせるから。私たちは離れて待機」
「細かいことはユウに任すよー」
さて、宇宙港の建物は、“ガワ”は和風でも設備はハイテクである。重厚な木造風味の扉だが、人の接近を感知すると観音開きではなく左右にスッと分かれて開く。そして外は――牛のいない牛車や、担ぐ人はいないのに中に浮いた駕籠――おそらくドローンだろう。その一つひとつが漆塗りのようにツヤツヤしているが、中身はきっと宇宙物質であり、すべてがテクノロジーの賜だ。
とはいえ、どんなにテクノロジーが進化しても、その場所に必要な機能は変わらない。ヤシロは周囲をキョロキョロと窺うと――どうやら行き先を見つけたらしい。
「あ、ユウ。言ってた乗り場アレだよね」
歩き出そうとするヤシロだったが、ユウはその背に呼びかける。
「さっき、聞きそびれたんだけど」
その声色の芯に強さが込められていたからか――ヤシロは足を止めるが、振り向くことはない。そして、ユウも目を合わせろと求めることはない。
「貴女、ツネークスの手口に詳しいようだったけど――」
何らかの関係があるのか――その問いに、勇者が答えることはない。
「ツネークスはプロの犯罪集団。盗みから殺しまで何でもするけど――」
ヤシロは表情を見せずに、ため息をつく。
「あくまで闇の住人。ああやって堂々と人前で暴れることはなかったんだ」
それは、宇宙煙幕で犯行の瞬間さえも隠蔽するほど。それに納得したからこそ、ユウは問う。
「ならば何故――」
今回はエキストラを巻き込んでカメラの前で凶行に及んでいた。ゆえに。
「これまではね」
ヤシロはツネークスの現状を例外として否定する。
「カスガ参謀……だっけ。ちょっと信じ難いんだけど……何者なんだろ」
シオリンから話を聞いてもさして動じることはなかったヤシロだが――オツヒノの一件を目の当たりにして認識を改めたらしい。ツネークスは、以前のツネークスではないと。だが。
「……シオリンなら知ってるかもしれないけど」
その背から、ユウは何を感じ取ったようだ。自分はそれ以上知らない――もし知っていたとしても話すつもりはない――ただ、軽く振り向いた勇者はいつもの笑みで。
「ま、しゃーないね。あたし、勇者だから」
だから、ユウもまたいつものように素っ気なく応える。
「よく言うわ。ひとりじゃ何もできないクセに」
ヤレヤレ、とヤシロは肩を竦めて歩き出した。己の成すべき場所へと向けて。
観覧車のゴンドラは一つひとつが離れの小さな茶室のようだ。透き通ったチューブの中を、大蛇のような龍が高速で駆け抜けていく。華やかな敷地にはファンシーな小物や和菓子が露店に並び――それでもやはり白塗りの壁で囲まれたその内側はいわゆる遊園地のようだ。その入口で、場違いな修道女が揉めている。
「ハァ? 関係者だって言ってるでしょ! 中でヒーローショーやってる……えーと、何だっけ? S.K.!」
「モモの事務所? そっちは宇宙にゃんにゃんだけど、外部企画への協力で、そっちは聞いてないなー」
このような時代なので、当然入場は全自動である。ゆえに、並ぶゲートの隅の方で――係員の熊人がユウの怒声を一身に受け止めていた。
「いま、ステージに連絡を入れておりますので……もう少々お待ちいただければと」
真摯に対応しているため、この二足歩行の熊は着ぐるみということはなく、そういう生物なのだろう。体長は二メートルを超えるが瞳はつぶらで、肩をすぼめて恐縮している。これにはヤシロの方も申し訳なくなってきているようだ。
「ユウー……別に入らなくてもいいんじゃないー?」
先にS.K.によって探りを入れるのだから、その保護者まで入場する必要はない。が、ユウにはユウの事情がある。ただし、大っぴらにはできないので、ヤシロの襟首を掴んで顔を近づけ小声で。
「外じゃ何かあったら対応できないじゃない。S.K.のコネなんだからタダで当然でしょ」
「けど、必要ならお金くらい払ったら……」
「何・故・?」
ユウの笑顔は力強い。どうやら、断固たる意思で無料入場したいようだ。教会の改修も進んでいなかったし、彼女は色んなところでケチ臭いのだろう。
そこに――ふわーりふわーり――風船のようだが指向性を持ち――駆け足のような速やかさで――
「お待たー。どしたのどしたのー?」
初めて見る生首の女のコが飛んできた。S.K.が触手のようにもみあげを伸ばしているのに対して、遊園地の生首はツインテールにまとめ上げている。そういえば、ちょんまげを結っている人も見当たらないし、どうやら和風なのは服飾だけらしい。飛んできた生首はS.K.の髪が白く見えるほど華やかなピンク色で、束ねた根本には赤い藤の花を吊るしたかんざしがあしらわれている。生首といえど華やかであり、行楽地ということもあって、怖がられることなく馴染んでいるようだ。それに対して、コードが収まりきっていないS.K.はいささかアウトローな印象を拭えない。
そんなふたりは仲睦まじく。
「わー、モモ~」
S.K.が飛んで迎えると、ふたつの生首はペアダンスのようにクルクル廻る。
「遊びに来てくれて嬉しいよ~」
と、喜ぶM.2.。しかし。
「早速だけど、タダで入れて~」
「え」
S.K.の一言で、M.2.の旋回がピタリと止まった。そこで、ユウに睨みつけられていることに気づいたらしい。
「う、うーん……今日のあたしら、むしろゲストでー……主催さんに迷惑かけるわけにもいかないしー」
ユウとは目を合わせないよう明後日の方を向きながら、熊の係員の肩にフワリと下りる。
「この人たちはうちのスタッフってことで見逃してよー。関係者入り口に回ってる時間がなかったからーってことで……ね? ね?」
もふんもふん、と熊の毛の中で甘えられては――熊とて頭を掻きながら了承するしかない。
「うー……公演中につき急を要した……ってことにしとくかなぁ……。ということで、せめて駆け足で向かってくれる? 寄り道せずに」
「しないわよ」
本人もそう言っているし――時間がないという設定は熊自身が決めたことだ。ゆえに、客相手のようにもてなすことはない。
「それでは……お疲れ様。本日はよろしくお願いします」
「やれやれー、んじゃ行こっかー」
フワーリ――来たときと同じような速度でM.2.は飛び立つ。だが、ピンポロポンポロと楽しい警笛を鳴らしているのは下を走る者たちのための配慮か。
「すいませーん、急いでまーす」
ただし、大人はともかく子供は何かと反応が鈍い。チビッコたちを躱しながらユウは舌打ちしつつ、それをヤシロが宥めつつ――一行は人混みの奥へと潜り込んでいった。
熊人やイカタコ人が跋扈するこの世の中で、まさかのヒーローショー――ゆえに様々な種族に配慮した結果か、敵対しているのはネコ耳の付いたクラゲの頭にアルパカの身体、そしてカニの四肢にワニの尻尾の生えた合成獣である。それに従うのはネコ耳とネコ手袋を着けた頭のみクラゲな白全身タイツの――体型から見て女性がふたり。作りの雑さからも、おそらく下っ端だろう。
「受けなさいっ! レインボービーーームッ!」
そう叫んでヒロインは発射ポーズを決めているが――右手は相手にかざしているものの、左手は真上に、左膝も高々と上げているので、あまり力が籠もっているようには見えない。だが、ともかくカラフルな光線が放たれて、三体いる怪物のうちの一体が両手を挙げて受け止める。
「ぎゃーーーーーっ」
悶え苦しむ下っ端は、粉塵を巻き上げ大爆発。煙幕が晴れたときには、その姿は消えていた。これには子どもたちも拍手喝采。だが――客席最後尾の最上段に立ち、ユウは冷めた目で眺めている。ヤシロも、やや懐疑的のようだ。
「……ん~? 前に見たコってあんなだったっけ?」
正義の味方は赤から紫までのカラフルな着物柄のピッチリしたボディスーツに身を包み、サワサラのツインテールを虹色に輝かせながらなびかせている。顔立ちについても、資料映像では着ぐるみの口から顔を覗かせていただけだったが、もっと幼い雰囲気に見えた。
「どう見ても別人でしょ」
ユウははっきりと断じ、S.K.の方を睨む。その訴えから逃げるように、もみあげ生首はツインテ生首の裏へとフワリと逃げた。それで、何となく事情は察したらしい。
「あー、うちのマコットはキメラの方だよー」
言われてユウたちは改めてステージに注目する。
「逃さないっ! レインボーレーザーーーーーッ!」
さっきと技名は異なるが、エフェクトは一緒だ。もう一体の怪物も同じように煙幕に紛れて退場していく。こうして残されたのは、マコット扮するボスだけとなったようだ。
しかし。
「……注目のされ方、間違ってない?」
言って、ユウは空飛ぶS.K.の方を見上げる。当の生首ロボは、ステージそっちのけで生首友達と雑談に興じているようだ。とはいえ、ロボはロボである。聞こえていながら、指示ではないとして無視しているのだろう。なので、代わりにヤシロが応じる。
「でも実際、あの動きは大したもんだよ」
怪物の着ぐるみは、至極動きづらいはずだ。にも関わらず、飛んだり跳ねたり側転やらバク宙やら、軽やかな動きで――むしろ、正義のヒロインより目立っている。
「あんなの、映画みたく重力制御やエフェクトでどうとでもなるでしょ」
ユウは興味なさげだが。
「そう、“映画みたいなことをリアルのステージ”でやってのけてるんだよ、あのコ」
ヤシロに言われて、ユウは改めて舞台の方を注視する。
「……確かに、急に浮き上がるような不自然さはない……?」
その瞳は、もはやトリックを見破ろうとする手品の観客のようだ。が、ここでM.2.が正解を提示する。
「何も使ってないんだよー、マジで」
「そんなわけないでしょ!」
ユウは驚愕してM.2.に怒鳴るが、むしろ慣れたものなのだろう。
「ビックリでしょー? 最近急に動きが良くなってねー。お客さんも大喜び!」
「良くなったってレベルじゃないわ!」
ヤシロはステージから視線を動かさずに首肯だけで応じる。オツヒノが見せた超滞空――人の限界を超えているという意味では、怪物の方が圧倒的だ。しかも、聖痕を露出せずに。だからこそ。
「文字通り、怪物かもしれないよ。それもミトフル級の」
エプロンでお腹を隠した上で会場全体を魅了する歌唱力を発揮した天才アイドル――方向性は違えども、相当の器なのかもしれない。
着ぐるみショーは正念場を迎えている。レインボーな光線を掴んで抵抗するマコット入りボス怪獣。当然、映像エフェクトであればやりようはあるが、実際に掴んでいるというのだから物理現象を超越しているとしか言いようがない。
そんな力比べの最中だというのに――ヤシロは何かに気づいて空を見上げた。ライブハウスでもそうだったが、彼女はその手の勘に優れているらしい。
何かが一直線に落下してきて――
ドゴォォォォン……ッ!
ステージ中央で巻き起こる突然の爆発と、客席まで轟く激しい地鳴り――これにはさすがに悲鳴が上がる――が、混乱はない。幸が不幸か、観客たちはステージ演出だと思っているらしい。何しろ――
「ねぇ、あの瓦礫ってどこが崩れたの?」
ヤシロの疑問はもっともだ。ステージはあくまでステージである。演劇に不要なものは置かれていない。にも関わらず――どこから現れたのかわざとらしいコンクリート片の山が突如現れ、そこからピクピクとカニの片足がはみ出ている。
だからこそ、おそらくこの事故による怪我はないのだろう。いまのところは。だが、ここから先はその限りではない。何故ならば――ユウの瞳に映っているのは、圧倒的な驚異。
「アイツは……クジャ……ッ!」
ダラダラと溢れ続けるスモークの中、ステージ中央に陣取っているのは、ライブハウスを破壊し、シレーを拉致していったツネークス――クジャ。その手にかかれば、聖痕持ちであっても太刀打ちできるとは限らない。
それでも、一先ずこの場に混乱が見られないからこそ。
「モモ、レインボーガールにはこっそり退場してもらっていい?」
「え~、せっかく盛り上がってきたのに~? それに、あのコは版元の事務所所属で、うちの管轄外なんだよー」
M.2.は舞台関係者として、様々なしがらみがあるようだ。ヤシロとて、ステージを蔑ろにするつもりはない。だからこその、最大限の譲歩。
「いま降ってきたの、本物のツネークスだから」
「ゲ、マジで?」
ここまで超常現象の連続だったため、M.2.はあのツネークスの出現もその類だと処理していたらしい。
「うーん、わかったー。怪我させたらマジヤバイし。あと、観客も誘導しなきゃかなぁ」
「それはあとでいいと思う。逆に混乱させちゃうかもだし。先ずは関係者だけ」
聖痕の力でステージが作られているので、そのままステージとしてまとめてしまいたいようだ。
「オッケー、うちのスタッフ最小限だけ残して避難してもらいつつ、何とかごまかしごまかしやってみるー」
言うと、M.2.の目は01の羅列模様となる。飛行能力も疎かになるため、ポスンとヤシロの両腕に収まった。
「ユウ、何かあったら聖痕持ちだけでも守りたいんだけど」
この勇者に戦闘能力はない。ゆえに、このようなことは人任せになってしまう。
「ナメないでよね。私はズーミアの司祭よ」
とユウは笑みを作ろうとしているものの、口元には余裕がない。やはり、直に拳を交えた際に感じた力量差は如何ともし難いのだろう。だとしても、その意志は強い。
「それじゃM.2.、舞台袖に案内してくれる?」
呼びかけられたことで、ヤシロの手の内の生首の瞳が集中処理から復帰した。臨機応変に対応するため、外部接続用の最低限のリソースは残しているらしい。
「シキの持ち主ってことだからいいけどねー。けど、ステージには出ないでよ? ギリギリの調整をお願いしてるとこだから」
案内するため、M.2.はふわりと浮き上がり――観客たちの視線を遮らないよう大外回りに。ユウたちはそれに続いて駆けていく。その間も、M.2.によるアドリブ指示により、ステージショーは続いているようだ。
『おおっと、レインボーガール、ここでダーク・ツネークス・フォームに変身ー!』
そのアナウンスによって歓声が上がる。いつの間にか、ツインテールの姿はない。M.2.が指示したことで舞台外へ離脱し、クジャをツネークスを模したニューヒロインだと言い張ることにしたのだろう。
だが、本人にそのつもりはない。特に演技も台詞もなく、自然体ですたすたと瓦礫へ向けて無防備に歩いていく。とても、無防備に。ボディースーツどころか完全に全裸である。子供への刺激は強すぎるかもしれない、と保護者たちはどうしたものかとオロオロするばかり。だが、ここまで堂々と全裸で振る舞われると――肌が陽に焼けた褐色ということもあり、遠目ゆえにボディスーツのように見えてきているようだ。
そんなクジャは、淡々と瓦礫の山から足をズボっと引っこ抜く。そこから現れたのは――
「ケホ、ケホ……何なのよもー……」
ネコ耳クラゲの頭が取れていた。ゆえに、はっきりとわかる。やはり彼女こそ、宇宙船で見た力士ぐるみに叩き尽くされていたお笑いアイドル――マコットである。だが、その髪はチリチリのアフロになっており――突然の中の人の登場だったが、あまりにもわかり易すぎる変貌だけに、会場には爆笑の渦が巻き起こる。
そんな様子を、ツネークスはまったく意に介さない。
「オイ、オマエ、聖痕持ちカ?」
クジャがゴツンと頭を蹴ると――スポーンと頭が吹っ飛んでしまった。
「オォッ!?」
さすがのクジャも一瞬驚いたようだが――ポンポンポンポン、とステージ上を跳ね回り――外に出そうな際には見えない壁に弾き返され――
「きゅぅ……」
ころりと床に転がったところで、口周りをヒゲのように黒くしたアフロの生首が寂しそうなうめきを上げる。普通に生きているらしい。多少ブラックジョーク気味ではあるが、会場は大いに受けてくれたようだ。しかし、それを舞台袖から見ていたユウたちは戸惑っている。
「……アレ、私たちが守る必要あるの?」
「う、うーん……むしろ、どうやったら死ぬんだろうねぇ」
何しろ、頭が取れてなお健在である。もはや、怪我という概念すら疑わしい。
少しばかり目を回していたマコットだったが――
「ちょ、ちょっ! あたしの身体にナニしてんのよ!」
クジャは徹底的にマイペースである。アルパカのフワフワの毛を梱包材のようにむしり捨て、中の肌色をあっという間に顕にしてしまった。それに思わず食いつくユウ。だが、その動機は男子が女子の裸体を期待するのとはまったく異なる。ずっと気になっていた聖痕の有無――いまそれが明らかに――
「バ……カな……ッ!?」
ユウは目を見張る。同じようにヤシロもまた。
「画面加工じゃなかったんだねぇ、あのモザイク」
それは、収録時に編集されたものではなかった。どうやら、直に相対しているはずのユウたちさえ、ミコットの裸身はモゴモゴした肌色の四角模様に遮られているようだ。それは当然、観客たちも。少なからず品はないが、笑えるレベルの痴態で済んでいるらしい。
しかし、クジャからしてみれば、これは困る。
「ンンン~……聖痕……?」
おそらく、今回も聖痕持ちを攫うよう指示を受けているのだろう。しかしこれでは識別できない。とりあえず担いで高々と持ち上げて、軽く振ってみてから――
「おっトー」
瓦礫の山でバランスを崩したのか、そこから豪快にパイルドライバーをキメてしまった。
「むぎゃー!? あたしの身体に酷いことしないでー!」
痛覚が寸断されているのかマコットにダメージを受けている様子はない。ゆえに、これまた会場は大盛り上がり。クジャの足元をピョンピョン飛び回って抗議しているところまで含めて。傍目には滑稽だが、つきまとわれる方としては非常に鬱陶しい。だからか、クジャは身体の方を捨てると、代わりにそのサイドテールを掴み上げた。そして、顔と顔を付け合わせて素朴に尋ねる。
「オマエ、ロボだったのカ?」
その可能性に気付き――舞台袖で、ユウは空飛ぶツインテールに驚きの目を向ける。
「その発想はなかったなー」
機械といえど、ユウは怖いらしい。見れば、S.K.も一緒に逃げている。扱いの悪さについては二体の間ですっかり共有されているようだ。
ロボたちに生態調査を行うまでもなく、その疑惑は本人が否定する。
「ロボチャウワー!」
電子がかった合成音声で。しかも、自動車のウィンカーのような目にツギハギのブリキ――そんな二十世紀のようなロボなどこの時代にはなさそうだが――ともかく、ミコットの顔面はそんなあかさらまな機械人間に早変わり。顎が外れるほどカコンと口が開き、そこから――
ポピーーーーーッ!
それは会場を突き抜けるほどの高出力――真横ではなく少し空に向けられていたのは偶然か、それともステージマスターとしての配慮か。吐き出された波動砲はクジャのすべてを飲み込んで――
「ウ……ソだ……ゾ……」
――そこに残されたのは――生々しく焦げたツネークスの片腕だけ。支えを失い自由落下した頭は着地とともにボカンと爆発。それによりキツネの腕は燃え尽き、ステージ上は何とか誤魔化すことができたようだ。しかし――
「レインボーガール、いなくなっちゃた……」
「負けちゃったの……?」
会場の子どもたちがざわつき始めている。
そして、舞台裏もざわつき始めている。
「ガールをすぐに再登板させて!」
M.2.は叫ぶがスタッフたちは首を振る。
「すぐには無理ですよ。呼び戻しますか?」
安全第一と遠ざけたのが仇となった。
「このままヒロインは帰っていった、じゃダメなの?」
ユウは作品を知らないから安直なことを口にする。
「ダメなのーっ! 最後にガールがエンディングテーマを唄いながら踊る……それをカットしたら先方からもめっちゃ怒られるし、大きなお友達も許さないよっ!」
M.2.はクルクル回りながら全力否定。その締め括りはいわゆる御隠居様の印籠のようなものなのだろう。
ともかく敵は倒したので、一先ず安全だ。なのに、肝心の主人公がいない。そんなとき、“彼女”は役に立つ。
「ヤシロ、貴女、コピーできる?」
ユウに問われて物真似勇者は苦笑い。
「ダンスはできるけど、歌は無理だよー」
幸運にも番組を観ていたため、踊れることは踊れるようだ。とはいえ、声真似はできない。が、ここではそれで充分だ。
「歌はバックで流すから、早くスーツに着替えて!」
M.2.は現場責任者として、とにかく場をつなぐことだけ考えている。
「ひえー」
囲いも疎かに全裸にひん剥かれるヤシロ。だが、ここで会場に異変が起きる。
「~~~~♪」
誰が唄っているのか、メロディが聴こえてくるのは客席の方から。おそらく、レインボーガールのエンディングテーマである。
「え? どーなってんの?」
M.2.だけでなく、ミキサー前のスタッフたちも首を傾げているので、音響を通してのものではないらしい。
音響を通すことなく、客席中に届く声量で――
「~~~~♪」
「ちょっ……こんなところで……!」
深くかぶったニット帽にサングラス――素性の明かさず謳う少女の隣で、スーツ姿の女性が慌てふためいている。袖を引いて再着席するよう促しているが聞き入れられる様子はない。だが――その歌声に誰もが聴き入っている。大人から子供まで。そして、舞台唯一の生存者までも。
「みっ、みみみ……ミトフルさんっ!?」
モザイクのまま瓦礫と一緒に放置されていた首無し裸体が勢いよく立ち上がり、頭がニョキリと生えてきた。呼びかけたその名は、先日の大音楽祭でデビューを果たした超新星のもの――
周囲も確信を持ち始めており、誤魔化せないと腹を括ったのだろう。サングラスを外し、ニット帽を取ると、長い赤髪がふわさと現れる。そして――手持ちのヘアゴムで大雑把なツインテールに。その姿は――即席レインボーガールか。
「あー……もう、いつも勝手に……!」
隣のスーツ姿の女性はマネージャーのミズリーである。どうやらふたりはお忍びで来ていたらしい。
中央階段ならまだ客席通路よりはスペースがある。マネージャーの抑止を振り切り、ミトフルはそこへと辿り着くと――何とかサビには間に合った。空気を察して、伴奏も流れ始めている。
「~~~~♪」
装いは即席かもしれない。だが、歌は――そしてダンスも――そのクオリティは本物以上の上位互換。
TVサイズの一分半――唄いきったところで、拍手喝采が巻き起こる。会場が、彼女をレインボーガールだと認めた証だ。
それは、敵役の怪物さえ認めるほど。もう着ぐるみは着ていないが。
「みっ……ミトフル……さん……あたし……会えて、光栄すぎる……というか……!」
階段を上ってきたマコットは、モザイクの裏側でモジモジしている。それを不思議そうに見つめる子どもたち。どの角度から見ても修正が入っているのが面白いようだ。
そんな中での、感動の対面である。
「アタシ、モニタの向こうで身体張って活躍してるマコットさんのこと、ずっと尊敬してました」
おそらく、ミトフルは多忙な毎日を送っているはずだ。その寸暇を惜しんで観劇に来たのである。彼女の言葉に偽りはないのだろう。
そして、マコットの想いにも。
「そ、そんな……あたし……ミトフルさんの弾き語り動画の頃からずっとファンでした!」
「うわ、恥ずかしいな……」
「いえ! あの頃から……ミトフルさんなら絶対宇宙一のアイドルになれるって信じてて――」
感極まってミトフルの両手を取るマコット。しかしその瞬間――
カ――ッ!!
ふたりを、そして会場を閃光が包み込み――
白さが引いて、誰もが目を開けると、そこには全裸の女子が立っていた。そこにモザイク処理はない。ゆえに今度こそ確信できる。前にも、後ろにも、もう彼女に聖痕はない。
「え、え……あーっ、そーいやあたし素っ裸だったわーっ!」
みんな何となく察していたので、驚きよりも笑いが起こる。その姿は本人さえも忘れていたようだ。しかし、思い出しては居たたまれず――マコットは慌てて会場から去っていく。服を探すのならスタッフたちの方へと向かうべきだが――何故か、会場の外へ。そこには遊園地の来場者たちが往来しているはずなのだが――あまり考えていないらしい。
こうして、主人公・レインボーガール(即席)だけが残された。
「レインちゃーん!」
「レインちゃーん!」
子どもたちからのコールを受けて、ミトフルは嬉しそうに手を振り応える。だが。
「待ちなっ!」
歓声を掻き消す一声は、階段を登りきったその上から。
「オレを差し置いてレインボーガールを名乗るたぁ、聞き捨てならねぇ」
そのシルエットは真っ黒な全身スーツ。揺れるツインテールも本物に近い。
だが――舞台裏に緊張が走る。
「あ、アイツは……!」
ユウにもヤシロにも見覚えがあった。もっとも、そのときは大きなハンチング帽をかぶっていたが、いまはそれを取り――大きな三角耳を顕にしている。
そして、彼女は名乗った。
「オレこそがダーク・ツネークス・フォーム……真のレインボーガールだ!」
先刻の舞台の件があったため、これも演出として受け入れられているらしい。しかし、裏方たちは本当の事情を知っている。
「マズイよ、止めなきゃ」
ヤシロは逸るが、ユウに動く気配はない。
「ここで待機よ」
「何で」
この勇者はひとりで立ち向かったところで無力だと自覚があるのだろう。焦りながらも、無鉄砲に飛び出すことはない。
そんなヤシロに、ユウは十全に諭す。
「ふたりはこれからステージでアイドルバトルに挑むはずよ」
その言葉を裏付けるように。
「どっちが本物のレインボーガールか……歌と踊りで勝負しろ!」
実質、聖痕を賭けたアイドルバトルである。とはいえ、もし負けそうになれば、オツヒノのような目に合わすつもりだろう。横槍を入れるのならそのときで良いし、その方が客席の只中で暴れられるより避難誘導もしやすい。
だが。
「ヤだよ」
盛り上がっていた会場の空気がシンと静まる。ミトフルはそのままミーシャに対して踵を返し、ひとりステージに向かっていく。
呆気に取られたミーシャは、震えながら改めて問直す。
「な、んだ……聞き間違えか? オレの挑戦から逃げる気かよ」
これに――ミトフルは空を見上げてポツンとつぶやく。
「アナタじゃ、相手にならないから」
ミーシャの耳がピクリと動き、表情が強張った。殺気を漲らせたことで、その毒が届いてしまったことを察したのだろう。
だが、ミトフルは逃げない。今度は振り向き睨みつけながら。
「局を脅してゴリ押しするだけの三流アイドルに興味はないの」
ざわ……空気が変わった。ミーシャの拳の震えは足先まで伝搬し――
ドン――ッ!
何も見えなかった。瞬く間に距離を詰め、振り抜かれた右腕が真っ赤に染まる。
だが――
「……ッチ、邪魔が入ったぜ」
押しのけられて倒れているミトフル。その代わりに血を噴き上げているのは――
「良かった……ミトフルさん……」
きゃあああああああ!?
これはもう演出の域を超えている。演出だとしても度が過ぎている。子供は泣き出し、大人は我が子を抱え、我先にと出口へ詰めかけた。落ち着いてください――そんなアナウンスは誰の耳にも届かず、混乱の中、ミーシャは拳を引き抜く。膝を突き倒れるミズリー。そんなマネージャーにミトフルは駆け寄る。
「どうして……」
悲しそうに、ミトフルは呟く。そんなアイドルに、ミズリーは最後の力を振り絞ろうとしていた。
「貴女は、私の夢……だから……必ず……」
それが彼女の精一杯だったのだろう。眠るように息を引き取ったマネージャー――その心からの想いを受け止めて、ミトフルの瞳から――
「どうして……」
涙が溢れて――くることはない。
ただ、どこまでも残念そうに。
「どうして……聖痕が現れるまで、アタシを見つけてくれなかったの……」
立ち上がるミトフルの瞳は冷たい。
「聖痕があってもなくても、アタシの唄は変わらない。なのに……どうして……」
そして、立ち上がった。ツネークスを前に、怖気づくことなく向き合っている。
「そんなに勝負したければしてあげてもいいよ。無駄だと思うけど」
ようやく要求を受け入れられて、ミーシャは満足そうだ。
「おっ、亡きマネージャーの意志を継ごうってか?」
軽い挑発――だが、それが“彼女”の命運を定めた。
「女神もミズリーさんも関係ないよ。だって、そもそもアナタ――」
――“聖痕持ってない”じゃない。
「え――」
ミーシャを驚愕させたのは、目の前のアイドルの言葉ではない。その背後に――もう、観客たちはあらかた逃げ終えている。にも関わらず、こんなところに残っているのは――フードで顔を隠し、ローブで身体を隠し、前身頃の合わせの隙間からそっと細い腕が伸び、ミーシャの肩にそっと置かれた。
そして、別れの言葉を。
「貴女のアイドルごっこは、もうおしまい」
すると――
「うっ、わあああああああッ!?」
ミーシャの身体が燃え上がり、足下からボロボロと崩れていく。
「そ、そんな……ま……ク……クリ……ス……」
炎が掻き消えると共に、ミーシャの姿は跡形もなく燃え尽きていた。そして、代わりに立つのは――頭頂にはキツネ耳を掲げた全裸の女性。暗い髪は長く、くるぶしまで届きそうだ。そして、左胸と――ぶわっ、と闘気が迸ると、覆われていた背中が明らかになる。左のお尻には聖痕――それはかつて、オツヒノの身体に刻まれていた――!
彼女こそ、真に聖痕を持つ者――そんな彼女が――獲物を逃さぬ蛇のような瞳を突きつける。
「奇しくも――お互い、ふたつずつの聖痕を持っている」
それを、ミトフルも認めた。
「いいわ。アナタはアタシと共にステージに立つ器よ」
パッと両上を広げると――ミトフルの身体が輝き始めた。その中で影として浮かんでいるのはふたつの聖痕――右の胸と、お腹と――
どこからともなくリボンが差し込まれ、腕に足に、お尻に、胸にと巻き付いていく。そして、その白い光は真っ赤な生地へと姿を変えて――
それは、アイドルとして戦うための舞台装束――!
「アタシはミトフル! 宇宙一のアイドルになる女よ!」
***
ちょ、ちょ、ちょ、ちょ……ッ! どーなってんのよ! 着ぐるみアクロバットさせられたかと思ったら首が取れたり口からビーム吐いたり……それに引き換え、ナニよあの変身シーン!? 同じ超常現象だってのに、ちょっとエコ贔屓がすぎるんじゃない! ……え? え? 警察? いや、このカッコには深い事情があって……ちょ、お願いあたしの話を聞いてー!
次回ーっ、無気力勇者と5人のアイドルーっ、第5話『1人の女神』ーーーっ!
って最後なのにあたし名乗ってないじゃん! 未来のスペーストップアイドル、マコット・アマギでしたーっ!