4人のメイド
時は四十三世紀――宇宙旅行さえも、まるで海外旅行のような手軽さで。星空を遊覧するように、ふわりふわりと丸い船が宇宙空間を漂っている。ただし、ヤシロたちの惑星の宇宙港に並んでいたスペースシャトルがジャンボジェットならば、こちらはヘリコプターほどにこぢんまりしている。その船内で、何か問題が発生したらしい。
「えええええっ!? 私が宇宙を……ッ!?」
内装は座席の数からして六人乗り。前にヤシロ、ユウ、シオリンが、後ろに、シレーを挟んでお付きのメイドがふたり座っている。重力もあるらしく、その雰囲気は二十一世紀の自動車と大差はないが、不思議なことに誰も操縦している様子がない。おそらくだが、ダッシュボード中央に乗った生首ロボことS.K.が運行を管理しているのだろう。
ゆえに、乗客たちは安心して談義に興じることができている。
「大丈夫なのー、シレーさん! 宇宙はでっかいメイドカフェなのー!」
「シレーさんならイケますって! ご奉仕できますって!」
プレッシャーのあまり魂の抜けかけているシレーを、例によって同僚のふたりが励ましている。が、生尻でシートに座っているわけではない。どうやらあの衣装は店だけのサービスらしく、いまは三人揃ってメイド服である。二千年以上経っても、メイド服の魅力は色褪せずにあるらしい。なお、シオリンはいつもの赤い和服、ユウは修道服、ヤシロは――聖衣から着替えてジャージである。この場において、勇者であるはずの彼女が最も一般人っぽいことは否めない。
シレーはよほどショックだったらしく、ふたりの激励虚しく屋根を仰いでグラグラと揺れている。その様子をユウはチラリと横目で覗くが、すぐに正面へと向き直った。
「貴女、さっきズーミア神に信仰を捧げるって誓ったわよね。だったら、司祭の指示には従いなさい」
それは独り言のようでもあり、反論は受け付けないという意思表示でもあるのだろう。それでも、シレーの弱々しい抗議は止まらない。
「私自身が神なんて聞いてないというか……そもそも、教徒になれば悪いツネークスから護ってくれるって言うから……!」
そのように訴えられると、シオリンはやや居心地が悪そうだ。
「おうよー、この“いい”ツネークスのウチがなー」
そう言って、耳をピクリと後ろに向ける。よくできているが、これは作り物だ。シレーにユウを止めることはできそうになく、同じように巻き込まれた組のヤシロは同情の半笑いで窓の外の星々を眺めるばかり。
ここで急にS.K.は目を見開き――瞳孔の代わりに小さな0と1の文字がぎっしりと整列されている。それがチカチカと並びを変え、そして瞬き。
「ようやく確認映像見つけたよー。間違いないって。お腹に出てるの、ズーミアの聖痕でしょー」
ピョンと跳ねてユウに後頭部を向けると、フロントガラスに相当する部分がモニタに変貌した。映し出されているのは、どうやらCM動画らしい。『惑星ミューズに全宇宙のアーティストが集結! レイナ・キノコ、トリアンタ・ニュートラム、そして期待の新人、ミトフル!』――ここではノリの良いBGMのみで歌声が流れないため、この――赤髪をポニーテールにまとめたへそ出しチアガールのような衣装を着た女性が本当にミトフルなのかはわからない。しかし、へそ出しだからこそ――お腹周りに薄っすらと浮かぶ丸い模様が目視できる。
「S.K. さっきのメール、事務所に送っといて」
「ほいほーい、メイド喫茶ライブのやつねー」
一瞬だけロボの目が01模様になったが、処理が終われば元の人っぽい瞳に戻された。それでシオリンも行き先を察する。
「ま、安心せぇ。ツネークスでなければ負けても構へん」
偽ツネークスの目的は、純正ツネークスの女神降臨を阻止するところにある。ミトフルの頭部にキツネ耳がないことで、すっかり安心できたようだ。ここでシレーが奪われれば、今度はミトフルに取り入るつもりなのだろう。とはいえ、このままシレーを媒体に集めた方が都合は良い。
「なぁ……ユウはん、自分で紹介しといてナンやけど……この勝負、シレーはんには荷が重いんちゃう?」
「ステージ上で唄って踊って、相手の心を折った方が聖痕を奪える……だったっけ」
ヤシロもシオリンに同意見のようだ。というより、スキルはともかく心の折れやすさという意味では誰の目にも明らかである。それはもちろん、ユウにも。
「……ここまで打たれ弱いのは予想外だったけど、真っ向から戦わせるつもりはないわよ、最初からね」
「うーわ、またまたアコギなこと考えとるんか」
言いながら、シオリンはどこか楽しそうに歯を剥き笑う。どうやら他人事であれば権謀術数を楽しめるタイプらしい。逆にユウは、策略こそ巡らせても、それを楽しむ趣味はないようだ。
「ナンのためにそこの穀潰し連れてきたと思ってんのよ」
ヤシロはキョロキョロとメンバーを見回し――消去法でユウの言いたいことを理解する。
「あたしのことかー」
「他に誰がいるのよ」
「いてほしかったんだけどなー。あーあ」
この勇者は見た動きを見たままに再現する天才である。ここでも、その能力を遺憾なく発揮することだろう。
***
惑星ミューズ――地球に似た青く丸い星――文明も発達しているようで、高層ビルがいくつも乱立している。その中のひとつで、会談が行われていた。
そこはオフィスフロアであり、ガラス張りのミーティングスペースの外はスーツ姿の男女が忙しそうに通話したり、キーを叩き続けている。そんな堅苦しく忙しない空気をあざ笑うように――豪快にメイド服のスカートを捲りあげ、パンツを下ろしてペロンと剥き出しのお尻を突きつけているのは、メイド喫茶の超新星・シレー――に扮した勇者・ヤシロ。右尻の丸い模様を始めとして、全身丸ごと忠実に再現されていた。
白銀の頭髪は鮮やかな紫色に染め直し、襟首で束ねていた長い髪は頭頂の方まで移されている。片目を隠す長い前髪はどうやらエクステらしく、付けている本人がすでに鬱陶しそうだ。それでも相手に訝しがる様子はない。それどころか――スーツ姿の女性は偽メイドの右のお尻に顔を近づけ、じーっと睨みつけている。その様子を察して、ヤシロはヒョコヒョコと距離を取った。加えて、ユウの左手によってスイと遮られる。
「聖痕持ちには、いかなる理由があってもお触れになりませんように、ミズリーさん」
ミズリーと呼ばれた女性は不満げに目元を歪めるが、それ以上異議を唱えることはない。
「承知しております。アイドルバトルはあくまで格を競い合い、優劣をつけるためのもの。それはステージ上に限りませんから」
これにユウは舌打ち混じりで答える。
「よくご存知で」
その様子に気づいているのかいないのか、ミズリーは先に着席している赤髪の女性に向けて振り向き尋ねた。
「ミトフルさん、どう見ます? 同じ聖痕持ちとして」
それは、先程宇宙船で確認した新人アイドル・ミトフルで間違いない。座ったままなので腰から下は見えないが、ショートタンクトップから健康なお腹がチラ見えしている。おそらく、先に聖痕は確認済みなのだろう。ミトフルはミズリーのように露骨な近づき方はしなかったが、ちゃんと見るべきものは見ているらしい。
「ん、間違いないよ。その人、聖痕持ち」
それを聞いて、ミズリーは長くふわふわした金髪を翻す。大きな瞳はどことなく幼い雰囲気を受けるが胸もお尻もしっかり張り出しており、大人の雰囲気だ。もしこの場にシオリンがいれば、これ見よがしに体格差を見せつけられていたことだろう。
席に戻るため、ヤシロはいそいそとお尻をしまう。そして、ユウの隣を通り過ぎながら。
「騙し打ち断念?」
「その方が貴女だって楽だったでしょ」
ヤシロの呟きにユウは短く答える。そして、ふたりもまたミズリーに続いて自分の席に着いた。この場でビジネスルックなのはミズリーのみ。ユウの修道服は宗教的な都合によるものだが、ミトフルはトレーニングウェアのようだし、ヤシロはメイド服な上、相変わらず寝癖を直していない。他の社員たちからはさぞアウトローに見えることだろう。
それでも、ミズリーにとっては蔑ろにできる相手ではない。
「ミトフルさんを宇宙一のアイドルにすることは、我々の悲願でもありますので……」
どうやらミズリーは、ミトフルの仕事を管理する立場にあるようだ。スッと胸元から手帳を開くと、パラパラと中をめくり始める。そして、すぐにパタンと閉じた。あまり外に出しておきたくないらしい。
「仕方ありません。今日のライブは、ミトフルさんの枠内の調整で対バンを組み込ませていただきます。ただし――」
ミズリーは少し前のめりになって机に肘を着く。その眼光の鋭さは、決して友好的なものではない。
「弊社は御社の願いを聞き入れる立場にある……ですから、御社には多少の不利を受け入れていただくことになりますが」
「聖痕を求めるのはお互い様でしょう? それに今回は御社が主催のライブです。その時点で充分すぎるほど有利では?」
先方からの威圧に、ユウはまったく怯むことはない。しかし、その空気に水を差したのは当事者であるミトフルだった。
「マネージャー、ちょっといい?」
これを、ミズリーは目を合わすことなく突き放す。
「聖痕を確認できたのですから、ミトフルさんにはもう退席していただいて構いませんが」
どうやらこれが普段の温度感らしく、ミトフルに気にしている様子はない。そして、言いたいことだけを言う。
「さっき見せてもらった動画、三人で組んでたみたいだから……シレーさんには三人一緒に出てもらいたいんだけど」
おそらく、メイド喫茶でのミニライブの映像をサンプルとして送ったのだろう。
「はぁ!? ナニ言ってるんです?」
「あぁ、アタシの方はソロでいいからブッキングの追加は要らないよ」
「そういう問題じゃありません!」
不利益になる条件だからこそ、ミズリーには看過することができない。
「タイマンにすれば、ミトフルさんが圧倒的に有利で……」
「それに、相手が裸エプロンメイドなのに、アタシだけガッチリ固めるのもバランス悪いし……だから、アタシも同じ衣装に合わせるよ」
「まさか、あのエプロンを……?」
ミズリーが絶句する理由をユウたちも把握している。宇宙船内で確認したとおりミトフルの聖痕は腹部にあり、同じエプロンで覆い隠せば神の力を発揮することはできない。言いたい放題のミトフルに、ミズリーは一周回って落ち着いたらしく、面倒くさそうにため息をつく。
「一応お尋ねしますが……聖痕の恩恵を自ら手放し、ユニット編成を許し、相手の土俵に合わせることに、我々にとってどのようなメリットが?」
「その方が面白いでしょ?」
「許可できません」
ノータイムでミズリーはピシャリと断言する。
「ミトフルさん、貴女は一刻も早く宇宙一のアイドルにならなくてはならないのですよ。その立場をわかっておられますか?」
ミズリーは来客の手前、どうにか怒りを堪らえようとしているように見える。が、ミトフルからしても、これはいつものやり取りなのだろう。
「アタシなら、神の力になんて頼らなくてもトップに立てる」
ついにミズリーの堪忍袋の緒が切れたのか、ガタリと勢いよく立ち上がる。
「ハッ、ナマイキ言わないでもらえますか? 私がスカウトするまで宇宙の片隅で乞食みたいな弾き語りしかできなかった田舎者の分際で!」
売り言葉に買い言葉か。ミトフルも堪らず席を蹴る。
「文句あるなら自分でステージに立ちなよ! 聖痕に“選んですらもらえなかった”クセにっ!」
それを聞き、ミズリーの顔がみるみる歪む。言い過ぎを自覚したのか――ミトフルはそっぽを向いて座り直した。
「……とにかく、この条件でなきゃ対バンは受けない。予定通りのライブをやらせてもらうけど」
そもそも、ユウたちの乱入自体がイレギュラーであり、どちらかといえば、ミズリーたちの事務所の都合にも等しい。歯を食いしばり、震える拳を握り締めながら――ミズリーは力尽きるように腰を下ろした。その様子を見ながら、ニヤニヤと口元の笑みを隠しきれないユウを、直視しないようヤシロは壁に向けて苦笑いを浮かべていた。
***
ところ変わって――
スマホのような携帯端末にはシレーたちによるの裸エプロンステージが映し出されている。振り向きながら揺れるお尻に刻まれた聖痕までしっかりと収められていた。三人分のお尻の中でついシレーに目がいってしまうのは、センターだから――というだけの理由ではなさそうだ。
「ミトフルさんのお腹は見てましたけど……本当にお尻にも現れるんですねー……」
そこは、オフィス街の緑地といったところか。色とりどりのドローンの中に混じって、S.K.もふわふわと漂っている。その下で、四人がけのベンチに三人の女性が集っていた。先程のオフィスで見たようなスーツ姿の女性がふたり並んで座り、正面に立って前屈みに携帯端末を覗き込んでいるのは見慣れた金髪・シオリンである。赤い頭巾をかぶっているのは作り物のキツネ耳を隠すためか。耳ごと取り外せば済む話だが、対外的にはあくまでツネークスとして振る舞いたいらしい。
金貨のようなストラップのついたスマホを持っているのはセミロングの女性。右側だけを軽く束ね、サイドテールを作っている。その隣りに座っているのは落ち着いた雰囲気の眼鏡の女性。大きなシニヨンが少しお茶目な印象を受ける。だが、その落ち着いた雰囲気とは裏腹に。
「それにしても……ミズリーマネージャーそん、“大根”集めに躍起になっとったからなぁ」
「“聖痕”です、ハナさん」
「んー、そだっけか」
このような時代にこのようにあからさまな地方出身者がいるのも不思議な話だが――そもそも、宇宙で日本語を発していること自体がおかしいし、これも何らかのSF的な演出なのかもしれない。
「村では、畑仕事もせんと弾き語りばっかしとったけンど……いやはや、げにすごいギターやったんなぁ」
ユウの惑星ですらドローンが労働していたというのに、ハナとミトフルの故郷では未だに手作業が行われていたようだ。
鑑賞中のステージはシオリンにとって見慣れたものだったこともありすぐに興味を失い、腰を伸ばした。そして、ビルを見上げる。打ち合わせに臨んでいるであろうユウたちに無言のエールを送るように。
「しっかし……こんな短期間にあんな急成長するもんかいな」
「ミトフルちゃん、お歌もギターも元々上手だったべ。けンど、畑仕事にゃなぁんの役にも立たんって叱られとったけど」
どうやら、最近まで不遇な音楽生活を送ってきたらしい。それでも、その実力は確かなものである。
「聖痕は、然るべき素質のある者に宿ると言われておりますから」
スマホを持っていた女性が顔を上げる。これにシオリンは気不味そうに目を逸らした。
「あんさんもズーミア教徒かい」
「はい、ヒューイと申します」
ストラップには金貨のような円盤がくっついているが、そこにも聖痕のようなものが刻まれている。普段遣いにもそのような小物を選ぶあたり、ユウと異なり、敬虔な信者らしい。そんな信者に、シオリンは小さく『やりづらっ』と呟く。そして、改めて座ったままのヒューイを見下ろした。
「あのマネージャーに吹き込んだんはあんさんか」
「吹き込んだって……。女神ズーミアの復活は、私たちズーミア教徒の悲願ですから」
だからやりづらいねん――やはり、独り言のように。そういうところでこだわられると、シオリンとしては困るのだろう。
「ミトフルはんはズーミア教徒なんか?」
そうならば良し。だが、もし異教徒ならば信仰させるためにまた宗教勧誘の真似事をしなくてはならないのだろう。シレーはあの調子なので難しくはなかったはずだ。しかし、ミトフルも同じように折れてくれるとは限らない。もしシオリンがミーティングルームでの一幕を目の当たりにしていれば、さらに懸念を深めたことだろう。
しかし、ヒューイの信仰心はユウよりもフレキシブルだった。
「いいえ。けれど、新たなズーミア神が目覚めれば、私はその新たな神を信奉いたします」
「ええんかそれで」
「はい」
自身にとって都合の良いはずの回答を聞き直すシオリンに、ヒューイは改めて即答した。それに対してヘラリと笑うシオリンは安心したのか、呆れているのか。真意は掴めないまま、少しだけ上目遣いで。
「おい、生首巨乳」
目の前の相手に呼びかけるような声量ではあったが、きちんと拾ってS.K.はスルリと降りてきた。
「もうオッパイないけどねー。で、ナニ?」
「残りのふたりについては一先ずええ。まだ見ぬ最後のひとつの聖痕探しとき」
ミーシャとマコット――このふたりが聖痕持ちであろうがなかろうが関係ない、というのがシオリンの意向らしい。だが、S.K.は渋る。
「と、言われてもねぇ。虱潰すには全宇宙に何人いると思ってんの」
相手が本来の所有者でないからか、ロボットは二つ返事で従うことなく不服を述べる。だが、この時代の機械とはそういうものなのかもしれない。それとも、ワーニングメッセージの一種と受け取っているか。
「ナニも赤子からニートまで掘り起こせぇ言わんて。ズーミアはんの紋章が出ると、何かと目立つんやろ?」
ミトフルが急デビューしたことからも、シオリンはその宿命に利用価値を感じたらしい。
「せやったら、アイドルだけに限らへん。なんかこー……演劇から合唱まで幅広げてみぃ」
「ほーい」
返事をすると、S.K.の瞳はまた01になった。すべての処理を検索に当てているのか飛行能力が失われ、下で待ち構えていたシオリンの腕にスポンと収まる。シオリンはS.K.をあまり良く思ってはいないはずだが、衝撃で演算を誤っては困る、ということなのだろう。
「ほんじゃ、ウチは船に帰るで。メイドはんのお付きが待っとるからな」
おそらく本物のシレーも一緒に違いない。シオリンは踵を返すが、踏み出す前に何かを思い出したように振り返る。
「……んで、あんさんたちはこの先どーする?」
ユウたちと同じように打って出るのか、他の聖痕持ちが現れるの待ち構えるのか。
しかし、ただの社員である彼女たちにその決定権はないらしい。
「私は神のお導きに従うまでです」
どのような形になるかは分からないが、ヒューイにそのすべてを受け入れる心積もりはできているらしい。一方、ハナは。
「ミズリーそんの見る目を信じるべ。なんせあの人は、元芸歴二〇年の大ベテランだべからな」
「ふーん、そか。んじゃな」
大した情報は得られなさそうなので、シオリンは改めて広場の外へと歩き始めた。そして、残念そうに呟く。
「ウチくらいは信じたるか。ミトフルはんのアイドルの素質ってやつを」
どうやら、全力で鞍替えするつもりらしい。
***
陽は落ちて――ビル群に遮られた星空が、そこだけポッカリと開けている。その地上にはドーム状の施設。中から割れんばかりの歓声が溢れている。
『トリィさん、ありがとうございましたー!』
ドレスの女性が手を振りながらステージから去っていく。それを取り囲むのは万を超える観衆たち。ステージのライトが落ちると、そんな彼らも期待に静まり返る。
『それでは、続いて……なんとこの大舞台での初ライブ! 期待の新人ミト――』
『待ってくださいッ!』
シレーによる突然の割り込みに会場がざわつき始めた。どうやらこの趣向は事前に告知されていなかったらしい。そんな観客たちに対して、押し付けるようにステージは再点灯。そこに現れたのは――
『我々、メイドシスターズを差し置いて、デビューなんて認めませんよ!』
舞台に立つのは四人の裸エプロンメイドであった。上手で迎え討つのは赤髪ポニーテールのミトフル。一方、下手にてふたりの同僚を従え、プロレスのように指を差しているのはシレー――ではなく――
――モニタの並ぶ調整室。何人ものスタッフがお揃いのジャケットを羽織り、モニタを静観している。誰ひとり動じる様子はないので、やはり内部的には予定通りらしい。そこに混じって、似たような装いのシレーが両手を組んで祈っている。
「何も起こりませんように何も起こりませんように何も起こりませんように――」
そんな彼女に寄り添うのもまたスタッフジャケットとジーンズ。ただ、その背丈の低さと、襟首で縛った長い金髪はシオリンだろう。和服でないため頭巾は目立つからか、大きなハンチング帽をかぶっている。それは、頭頂不明の急上昇中アイドル、ミーシャのように。
「しっかりせぇや。決着の後はご本人のアドリブやで」
どうやらいま流れているセリフは台本通りの録音で、ヤシロがリップシンクしているようだ。しかし、舞台にアクシデントはつきものだし、一応勝負の結果に脚本はない。そのため、ここで待機しているのだろう。
同じくミズリーマネージャーも真剣な――そして、少しの苛立ちを含ませてモニタを凝視している。どうやら、シオリンの呟きには気づいていないらしい。
「勘弁してよ……? 私のキャリア、貴女に全プッシュしたんだから……ッ!」
元芸歴二〇年のベテランアイドルがそのキャリアを捨てるに至ったその実力とは――
ワァァァァァァァァッ!!
楽曲はメイド喫茶でシレーがヤシロと対峙していた際に流れていたもの。ミトフルはどこまでも相手の土俵に合わせたようだ。しかし――
『~~~~♪』
『~~~~♪』
その歌声はユニゾン。ダンスも似ているが――もちろん、シレーもメイド喫茶でご主人さまたちを魅了するだけの実力の持ち主である。ヤシロはその動きを完璧に模しているはずだが、ミトフルのキレはそのさらに上を行っていた。お腹の聖痕をエプロンで覆い隠した上で。
『~~~~♪』
『~~~~♪』
ふたりのバックダンサーを従えて奮闘するも、そのシレー(ヤシロ)さえもバックダンサーに押し込むような圧倒的な存在感。もしシレー本人であったら、一周保たずに膝を折られていたことだろう。
一応、メイドとしての楽曲は歌い終えた。観客たちはただ素晴らしき楽曲、そして、素晴らしき新人に出会えたことに拍手喝采を送っている。
『デビューを賭けたこの一曲、勝者は――』
アナウンスに煽られるように、掲げられたペンライトは――ところどころ残っていた青も消えて真っ赤に。ミトフルのカラーである。
『――ミトフルッッッ!!_!』
ワァァァァァァァァッ!!
このレスポンスを見せられては、どんなアイドルでも格の違いを認めざるをえないだろう。しかし、ここに立っているシレーの中身はヤシロなので、悔しそうな様子はない。ただ、いつもの半笑いで――ここまでの完敗に笑うしかない、という様相ともいえる。そんな対戦相手と、ミトフルは舞台中央で向き合った。
『いいステージだったね』
そう言って、ミトフルが手を差し出すのは自然な段取り。だが、ここで触れられても――彼女は偽シレー。替え玉だとバレてしまう。ゆえに、ヤシロはモジモジしながら腰が引けている。同僚メイドふたりも構えているので、何だかんだで有耶無耶にするつもりらしい。
しかし。
「今度は、“本当のアナタ”と唄いたいわ」
マイクを外しての小声。そして、ミトフルは相手の手に触れることなく自ら引いた。そして、そのまま天井に向けて右腕を伸ばすと――
フワ……ッ
床から噴水のように立ち上る光の壁がミトフルの身体を包み込む。このエフェクトによって演目が進行したことを確認したらしく、ヤシロたちは小さく手を振りながら逃げるように引っ込んでいった。それにも惜しみない拍手が送られているところから見ても――録音とはいえその唄はシレーのものだし、ダンスもシレーのコピーである。それには一定の評価は得られたようだ。
そして、光の壁が弾けると――裸エプロンから真っ赤な衣装に――それは、船内で観たCMで着ていたもの――ここからがミトフルの本領発揮、ということなのだろう。これには観衆たちの熱も留まるところを知らない。
だが――
「何を考えているのあの小娘ッッッ!!」
調整室でミズリーが咆える。その剣幕に、スタッフたちは震えることしかできない。そんな張り詰めた空気の中、シレーとシオリンはこっそり撤退していく。怒り心頭のマネージャーが、それに気づくことはない。
そして、会場のミトフルもその怒りに気づくことは――いや、怒るであろうことは容易に予想できるはずだ。だからこそ、唄の合間のダンス中に、カメラに向けて高らかに宣言する。
『聖痕なんてなくったって、アタシは宇宙一のアイドルになるッ』
ワァァァァァァァァッ!!
そんな会場の盛り上がりとは裏腹に――
「ミトフリャァァァァァァァッ!!_!」
その形相は――担当アイドルに向けられるものではなかった。
***
星空の下のビル群――その目下に押し込められているドームから熱を帯びた光と声援が漏れ出している。だが、その屋上まで届くことはない。
「……出撃しますか?」
真っ赤なキツネ耳がヒクヒクと動く。長い髪を夜風になびかせている長身の女性は、メイド喫茶に現れたカスガ参謀――真っ黒なスーツが空の色に溶け込んでいる。
その隣に立つ深い赤紫色のローブ姿の人物は頭半分くらい背が低い。だが、カスガ参謀自身が高いので、おそらく標準的な身長なのだろう。
しかし、そんな参謀にも物怖じしない。
「……ダメ。あのコに勝てる相手じゃない」
戦闘能力には秀でているツネークスでも、アイドル力ではミトフルには及ばないのだろう。
「ならば、プランβにて……」
その答えを予測していたように、参謀はすぐさま別案を提示する。が、フードの彼女もそれを予測していたようだ。
「それもダメ。あの会場には“三人”もいる」
しばしの沈黙――それが誰のことを示すかはわからない。そして、参謀に通じているのか、いないのか。
「その程度の数であれば、私ひとりで――」
「迂闊に手の内を見せるな」
暗いフードの中から鋭い眼光が差し、参謀はビクリと身を竦める。そして崩れ落ちるように膝を突いて頭を垂れた。
「……申し訳ありません」
カスガ参謀の右手の裾から刃物が引っ込む。一先ず、流血沙汰は避けられたようだ。
屋上の床に視線を落とし、静かに震えていた参謀であったが――何かに気づいて顔を上げる。そこは、すでに彼女ひとりになっていた。
ゆっくりと立ち上がり、軽く周囲を見渡す。そしてため息を吐いた。
「我々の手に、宇宙を――」
そう呟くと、カスガの後ろ髪がふわりと舞う。それが闇夜に流れるように、参謀の姿も消えていた。
***
その星空は大地から見上げたものではない。果てしない大銀河を漂っているのは、ユウたちの宇宙船のようだ。
「いや~、ミトフルはんのアイドルマンシップのおかげで助かったなー」
「何よ、アイドルマンシップって」
その座席順は指定席なのか、惑星ミューズに向かっていたのと同じ並びになっている。目下の肩の荷が下りたためか、船内の空気は少し穏やかになっていた。ユウを除いて。
「正攻法で勝てる相手じゃないわよ、アイツ。どうにかしなきゃ」
「まーた悪いこと考えてるー」
「神のためよ。悪いことなんて何もないわ」
ヤシロから冷やかされても、ユウがブレることはない。
ここで何やら、アラームのようにS.K.が飛び跳ね始めた。
「シオリンー、シオリンー、見つけたよー」
「S.K.、聖痕が確認できたの?」
朗報を期待して少し表情の明るくなったユウだったが、そこにシオリンが水を差す。
「すまんが指示は書き換えさせてもろたで」
「はぁ? ナニ勝手なことしてんのよ」
「……シレーはんに自信つけさせるためや。本場モンのアイドルと戦わせとっても勝てる気がせぇへん」
シオリンの表情はヘラヘラと嘘くさい。実際、ミトフルに乗り換えるつもりだったのだから、この言い訳は急造のものだろう。そんな裏事情は知らないが、ユウはいつの間にか自分の知らない指示が動いていたことが気に入らないらしい。
「だからこその替え玉でしょう!」
「ほーこく聞かないのー?」
ユウとシオリンが喧々囂々しているところにS.K.が平然と割り込んできた。が、聖痕集めに有益な報告ならユウにとっても有益なことには違いない。
「ま、いいわ。どーせ奪うなら、奪いやすい相手からのがいいでしょうし」
ピョンピョンとピンクの生首が跳ね、フロントガラスに向くと星空がS.K.モニタに切り替わった。しかし――
「ほらほら見て見てー。このコのお尻にあるの、聖痕でしょー?」
「うをっ、コレは……ッ!」
何故か楽しそうに食い入るシオリン、ドン引きのユウ、苦笑いのヤシロ。後部座席のメイド三人は真っ赤になって俯いている 。
「ちょ……何てこと……!」
ユウの眼鏡がずり落ちるほどに驚愕させたのは――確かに、左のお尻に描かれているのは聖痕の一つだろう。しかし、背中を反らせ、高々と右足を後ろ手で引き上げ――それを全裸で、かつ、全裸の男の腹の上で――この、とんでもなくアクロバティックなオトナの組体操のタイトルは――『軟体ダンサーの新四十八手』
***
ハイ! アタシ、ミトフル! アタシのステージ楽しんでもらえたかな? ようやくアタシの歌をみんなに聴いてもらえるようになったんだし、これからも楽しんでいくつもりだよ! ……そう、アタシには聖痕の力なんて必要ない……ッ
次回、無気力勇者と5人のアイドル、第3話『3匹のキツネ』
うーん……AVねぇ……そういうアプローチもアリだったかな?