たまごが顔を出すくらいで
「やあ、マット嬢」
ウールは礼儀正しくお辞儀した。自分でも驚くくらいに自制できている。
ウールは石鹸卿に会いたくなかった。その白い肌も、完璧に洗濯された服も、見たくなかった。自分が汚れていることがみじめになるからだ。
石鹸卿は、お情けで洗ってくれるとまで云ってくれた。だがその結果はどうなるか、ウールにはわかっている。
ちぢむのだ。
ウールは洗濯に弱い。簡単に洗濯してはいけない。幼い頃に散々、石鹸で洗うとフェルトになる、と云われて、ウールは石鹸というものがこわくなった。未だにその恐怖は消えていない。
それなのに……ウールは石鹸卿に庇われ、優しい言葉をかけられた時に、このかたに洗われるのなら縮んでしまってもいいと思った。そう考えた自分がこわくなって、思いを断ち切るように大声で拒み、逃げたのだ。
しかし、石鹸卿は優しいかただ。わたしが縮んだら、気に病んで仕舞われる。そんな石鹸卿は見たくない。彼に罪を背負わせたくない。気に病んで本当にわたしに結婚を申し込んでくれるかもしれないけれど、そんな愛のない結婚は考えられない。石鹸卿を不当に縛ることになってしまう。
けれど、彼に「ウールをフェルトにした」罪を背負わせることはなかったが、その代償に醜聞をつくってしまった。謝罪するべきなのだろうが、そのことを云われるのもいやかもしれないし……。
「君は、洗濯は苦手なのか? 好きではない?」
石鹸卿は興味深げにウールを見ている。ウールは戸惑いながら、頭を振った。言葉が編み目にひっかかってしまっている。
「いえ……本当はもっと、綺麗にしていたいんですけれど……うまくいかなくて……」
「それはよかった」
石鹸卿は満足げに頷いた。それから、ひざまずく。「ウール・マット。わたしの妻になってほしい」
周囲がざわめいた。ウールは呆然としている。このかたはなにを云っているの……?
石鹸卿はたまごを模した指環をさしだしていた。「卿?」
「君が洗濯をいやがっているのなら諦めた。だが、洗濯そのものはいやでないのなら、わたしが綺麗に洗ってあげたい。だめだろうか」
「でも……でも、わたし、石鹸で縮んでしまいます」
声が震えた。
ウールの必死の言葉に、石鹸卿はきょとんとした。ウールは今にも石鹸卿が立ち上がり、求婚をとりけすものだと思っていた。だが、石鹸卿は小首を傾げる。
「そのようなことはない。洗いかたに工夫がある。きちんとした手順ときちんとした温度を心がければ、縮むようなことはありえない。それにわたしは名前の通り、ラノリンからできている。君との相性は抜群の筈だ」
「え……?」
すっと、石鹸卿が立ち上がった。険しい表情になっている。石鹸に対する侮辱だと、怒ってしまわれたのだろうか。
ウールは心配していたが、石鹸卿はウール以外に腹をたてていた。彼女に余計なことを云った連中に。
「君にそんな嘘を吹き込んだのは誰だ?」
「え……?」
「石鹸で洗ったらフェルトになるとでも脅されたのでは?」
「あ……あの……レインの両親に……」
石鹸卿は鼻を鳴らした。「成程」そうとしか云いようがない。あのばか者ども。
石鹸卿の声にかぶさって、かすかに悲鳴が聴こえてきた。はっとしてウールが振り返ると、レインが床へ這いつくばっている。その傍には、儀仗兵が居て、レインの両親が拘束されていた。