ウールのダンス
「ウール、あなた調子にのってるんじゃないの?」
ウールは身をすくませた。編み目にすきまがなくなるくらいに。
「なに云ってるの、レイン」
「どうしてあんたまで招かれているのかがわからないわ。ああ、汚れてる連中が最近人気よね。それでかしら? あんたはとびきり汚いものねえ」
レインは新調したリボンで頭を飾り、あたらしい天然ゴム製のドレスを身にまとっているくせに、やけに不機嫌だった。隣にウールが居ることが気にくわないのだ。どうして陛下へ謁見する機会にこの子まで一緒なの? という言葉が彼女の口から飛びだしてこないことが、ウールには反対に意外だった。
ウールは肩をすくめた。ミセス・ステープルファイバーが、マット家の遠縁だという未亡人が贈ってくれたと持ってきた、上質な毛糸で編んだドレスを着ている。毛糸が充分あったので、裾はきちんと足を隠す丈になっていた。それどころか、髪飾りをつくる余裕もあった。
アンブレラ嬢とサンシェード嬢がやってくる。それぞれ、額縁卿の子息と腕を組んでいた。フレーム家のご一族は、向こうが見えてしまうから、ウールは少々こわく感じている。「レイン」
「またその子のお守り?」
「そうなの。やんなっちゃう」
レインは完璧に微笑んだが、靴底が抜けそうに腹をたてているのはわかった。レインは誰からも踊りに誘われていない。
ウールはぎゅっとドレスを握りしめる。どういう訳だか、この〈化学宮〉でのパーティへ来るようにいわれたが、理由がわからない。
ウール自身はここに来たくはなかった。最近、是非にと呼ばれて何度かパーティに参加していたが、帰るとレインはかならずかんしゃくを起こし、ウールは泥まみれにされたり踏みつけられたり、ろくな目にあっていなかった。レインはわざわざぬかるみを歩いてきて、それでウールにぶつかってくるのだ。おかげで、最近ますます汚れてしまっている。
パーティに出ることでファブリック家の娘のドスキンやトロピカル、テキスタイル家の娘のコットンなどと顔見知りになり、それは嬉しいのだが(なにせ織物と編み物で気が合う)、毎度レインに汚されるのはいい加減いやになっていた。誰も彼も、わたしを放っておいてくれたらいいのに。
ざわざわと声が波のように室内を走る。「いらっした」
大きなアーチの下を、執政皇太子が歩いてくる。儀仗兵のほかに、侯爵の化粧水卿と、子爵の乳化卿がその傍に居た。
殿下はどんどんと、ウールに近付いてきた。いいえ、きっと、わたしに近付いているんじゃない。レインか、アンブレラ嬢か、サンシェード嬢、それとも額縁卿の……。
しかし、殿下はウールの前で足を停めた。「マット嬢、一曲踊って戴けませんか?」
ウールはぎちぎちに目を詰まらせ、かたくなっていた。殿下はリーダーとして申し分なく、ウールはまともに踊りを教えてもらってもいないのになんとなく踊っているような格好はできている。
「ウールと云うの? 名前は」
「はい……」
か細い声が出る。殿下は頷いたが、納得した感じではない。
化粧水卿と乳化卿は自分を見ているのを、ウールはひしひしと感じていた。殿下はどうして自分を踊りに誘ったのか、そしてどうしてあのふたりは自分を見ているのか。
「ウール・マット」
「はい、殿下」
「シューズ家にはよくしてもらっているかい?」
「はい、勿論です殿下」
反射のように言葉が出てきた。シューズ家に恥をかかせるな、シューズ家が変に思われるようなことは云うな、と、物心つく頃には命じられていた。そもそもウールはとじこめられるようにして育っていたので、外部の者と話すことなど皆無に等しかったのだが、まさか殿下からこれを訊かれるとは。
殿下はにっこりして頷いた。今度は満足そうだし、納得したようだ。ウールはほっとした。解放してもらえたら、気分が悪いと云って控え室へ戻ろう。それからこの――忌々しい、呪われた、恥ずべき催しが終わるまで、じっとしていよう。そうしたらシューズ家の邸へ戻って、空騒ぎが終わるまで息を潜めているのだ。この空騒ぎ、ばかみたいに自分を放っておいてくれない世間から隠れるのだ。
そう考えていたのに、殿下との踊りが終わると、石鹸卿が待っていた。