第5章~段々と分かってきた事
ここの現場では、和田さんが現場長なのですが、外部からヘッドハンティングされて来たので社歴は9年でした。
和田さんは、事務仕事と本社との折衝しかやらないので、実働部隊の指揮は遠藤さんが執っていました。
遠藤さんは、工業高校から新卒でうちの会社に入ってから、27年間ずっと変わらずここの現場にいました。
なので、現場に関しては生き字引と言っていい存在でした。
その間、何十回と改装工事がありましたが、ありとあらゆる設備を熟知していたので、現場の皆さんは分からない事があると必ずと言っていいほど遠藤さんに聞きに行っていました。
自分も、遠藤さんから黒っぽい作業着の業者について、何とか聞き出そうと思っていました。
しかし、遠藤さんは豊富な知識を少しでも得ようとする人達によって、どこに行っても囲まれる事が多かったのです。
そこで、次に遠藤さんと一緒の日勤になった時に、さりげなく過去の業者の事を聞き出そうと思っていました。
ただ、遠藤さんは日勤の時によく休むので、ちゃんと出勤してくるかどうかが気掛かりでした。
そこで、自分は、
「今度一緒の日勤の時に教わりたい事があるので休まないで下さいね」
と、前以って遠藤さんに伝えておきました。
すると、少しいぶかしげな表情をしましたが、それならばと了承してくれました。
数日後、遠藤さんと空調機の点検をする時に、ロールフィルターの制御について教えてもらう事になりました。
ですが、それさえ終わってしまえばいつも通りの点検をして、頃合いを見計らって例の事を聞こうと思っていました。
そして、ようやく遠藤さんと一緒の日勤になると、前々から分からなかったロールフィルターの制御について質問しました。
今迄の空調機はロールフィルターがタイマー式だったのですが、数か月前更新された空調機が差圧式に変わったのでその制御だけは教わろうと思っていました。
新しい空調機の点検で、ロールフィルターを手動で巻取る事はすぐに理解出来ましたが、設定がよく分かりませんでした。
そこで、遠藤さんと一緒にシーケンス図面を刮目すると、その謎がやっと解けました。
今迄の空調機は、ロールフィルターが毎日4秒進むというのに対して、今度のは差圧が設定値以上に達したら約2メートル進むという設定でした。
それが分かったので、後は今迄通りに点検をする事になりました。
そして、小休止を入れようというタイミングで、いよいよもって本題に入る事にしました。
「あの~、遠藤さんは昔ここに来ていた業者の事って覚えていますか?」
「う~ん、印象に残っている業者なら分かるかも知れないけど」
「その中で黒っぽい作業着を着た業者って知りませんか?」
「そうだな~、多分昔ここにいた配管工事の人達かもなぁ」
「それはどこの会社か分かりますか?」
「15年以上前の事だからよく覚えてないけど、確か黒っぽい作業着は1社だけだったな…」
「じゃあ、かつて黒っぽい作業着の業者は出入りしていたんですね」
「それは間違いないよ、あれだろあれあれ!」
と、遠藤さんが早口で言うと、こっちに来てという合図をしながら歩き出しました。
そして、機械室北側の照明を全点灯すると、工具棚右側に置かれたネジ切り旋盤を指差しました。
それにはオーナー側の社名がどこにも書かれていなかったので、業者の忘れ物だという事が分かりました。
ネジ切り旋盤とは、配管を切る→ネジを切る→バリ取りするという流れで使用する電動工具で、配管工事の業者はこれを扱えないと仕事になりません。
配管工事の作業後には、ネジ切り旋盤の下に散らかった切り粉(鉄管を加工する際に生じる金属の削り屑)を綺麗に掃除するのが鉄則なのですが、何故か大量に残ったままでした。
「これがさっき言ってた業者が置き去りにしてった物だよ」
「そうなんですね、そこの会社名は分かりますか?」
「あれ?何て会社だったかなぁ、社名の最後は工業とか工務店だったと思うけど…」
「確か、その業者は配管のネジ切りを深めに切っているから、施工後に漏れやすいとか怒鳴り散らされて、長期の工事後に急に解約になったんだよね」
「まあ、実際のところどんな施工をしていたかは知らないけどね」
「他にも、ここに出入りしていた業者は泣かされた人がいっぱいいたからね」
「泣かされたってどんな事をされたんですか?」
「それはねぇ…、他の人には言わないでって事で話すけど、以前は度を越したダンピングが横行していたからなんだよ」
「どんな風にですか?」
「業者は見積もりを出してから仕事をもらうと、経費を含めて持ち出しで工事をやるだろう」
「ええ、そうですね」
「それで、いざ仕事が終わって工事代を請求する時に、業者はえげつない事を言われるんだよ」
ここのオーナー側が、渋ちん(お金を出し惜しむ事)なのを業者は知っているので、
「不景気で大変だろうから、事前に出した見積もり金額から2割引きしますよ」
と言って、支払いを渋らないように機嫌を取ってくるんだよ。
すると、オーナー側の課長から、
「ちょっと、金の話は別室でやろうか」
って、言われるんだよ。
それで、別室で何を言ってくるのかと思えば、
「えっ?半値でいいって?」
と、お決まりのセリフを言うんだよ。
「マジか…、それは酷いな」
「それだけじゃないんだよ」
「いやいや半値はちょっと無理ですって言うと、えっ?半値の半値でいいって?と返してくるんだよ」
「それを拒否するとどうなるんですか?」
「半値の半値の半値の…って、ずっと続くんだよ」
「そんなんじゃ商売にならないじゃないですか!」
「そうだろ、そうだろう」
「あっ!思い出した、ダンピングされていた中でも一番揉めていたのが黒っぽい作業着の工事屋だったよ!」
「あの時は本当大騒ぎになったんだよなぁ」
「どんな事があったんですか?」
「オーナー側がいつものように半値からダンピングしていったら、半値の半値って事になっちゃったんだよ」
「その工事屋は激昂して、それじゃあ職人に給料が払えない!って、相当噛み付いたんだけど何を言っても覆らなかったんだよね」
「何より、週払いの職人の給料が途中から振り込まれなくなったんだよ」
「それに気が付いた職人が、誰彼構わず証拠の通帳を見せて回っていたから、気の毒で心が締め付けられる思いだったよ」
「そんな事があったんですか…、だったらその工事屋はオーナー側の人間を相当恨んでるんじゃないですか?」
「恨んでいるなんてもんじゃないよ!それで工事屋は潰れたんだから!」
「じゃあ、機械室中央の流しで洗顔している時に、後ろから姿なき人に話し掛けられるのって、泣かされた工事屋連中の怨念から生まれた物なんですかね?」
そう言うと、遠藤さんは目を見開いたまま仰け反りました。
「えっ?お前は見たの?」
「俺でも見た事ないのに」
実のところ、遠藤さんも霊感があるのですが、現場の責任者クラスなので実作業からは遠ざかっていました。
ですが、遠藤さんも例の件には興味があって、独自に調べていたのでした。
そこで、今度は自分にいろいろと質問してきました。
「もう点検はいいから、その事を教えてくれないか?」
「ええ、それは構いませんが…」
「それで、どんなのが見えたんだよ」
どうやら、今度は自分が答える番でした。