エピローグ
婚約式は結婚の制約を交わすものだが、通常、結婚式の1年ほど前に教会で行われる。
「では、こちらの誓約書にお二人のサインを。」
ミゲルは黒が基調の正装、テレーザは翡翠色のドレスをまとう。王城の中にある聖堂には、女王を始めとした国の重鎮が揃い、厳かな雰囲気を醸し出している。
「誓いの指輪を交換してください。」
誓いの指輪は必ずしも必要ではないのだが、ミゲルのたっての希望で、この婚約式でお互いに指輪を交換することになった。おそらく今後流行るだろう。
ミゲルが先ず、手袋を外したテレーザの指にはめる。次にミゲルは自分の手袋を外し、テレーザはミゲルの指に指輪をはめた。
そして、ミゲルはテレーザを引き寄せ、額にキスをする。
すると、大きな歓声が上がった。からかい半分の声もあるが、祝福されているのは間違いない。
「お二人の未来に幸あらんことを。」
微笑みを交わす二人に司祭が寿ぐ。
ミゲルは手に乗せられたテレーザの手にキスをして、テレーザを上目遣いに見た。
「結婚が待ちきれないよ。」
「…私もです。」
テレーザも照れながら正直な気持ちを伝えた。
“未来が楽しみに思えたのは初めてかもしれないわ。”
王太子の立場であるミゲルと、共に歩む未来には色々なことがあるだろう。けれど、ミゲルとならたとえ乗り越えられなくとも大丈夫、という安心感がなぜだかあるのだ。
「何度も言うけど、僕は絶対に婚約を解消しないよ。」
「ふふ。私もずっとミゲル様のお側にいたいです。」
「くっ…テレーザ!」
繋いでいた手を腰に回し、テレーザを引き寄せる。
「ミゲル様、ミゲル様、ここは皆様の前です。」
「はあ、もう、僕の部屋に連れ帰ってもいいんじゃないかな。」
「それはまだダメです。」
正式に王太子付き行政官に就任したホセが、間髪入れずに反応する。
「うるさいな。既成事実があれば婚約解消できなくて良いじゃないか。」
「別に殿下と婚約解消になってもうちは特に問題ないので、お気遣いは無用にございます。」
「まあ、結婚したとしても諸々の事情で別れることはあるからな。」
「陛下!」
いつの間にか背後にいたアレハンドラ女王が、ニカッと笑顔で揶揄う。
「アルが言うと笑えないから。」
アレハンドラの後ろから腰に手を回している王配殿下が、そう言って女王の頭頂にキスをする。
「…素敵。」
二人の仲睦まじい様子に思わず見惚れてしまう。
「僕らもあんな風に生きていこうね。」
ミゲルがテレーザの耳元で、そう囁く。甘い痺れを感じ、テレーザはくらりとめまいを覚えた。
「テレーザ。」
ミゲルと共に退場して部屋に戻る途中、話しかけられるとは思わなかった人物に声をかけられる。
「兄上」
「フアン殿下…」
婚約解消してからずっと、姿を見かけることはあっても話をすることは無かったからだ。
テレーザの背に緊張が走る。
「私は其方に謝らなければならない。ミゲルもそのままで聞いてくれ。」
「…殿下。」
「わかりました。」
ミゲルも一緒とわかって、テレーザの緊張が少し緩んだ。
「テレーザ、いや、テレーザ嬢、今まですまなかった。其方や公爵家の皆には本当にすまないことをした。」
「…え」
「其方との婚約が解消になり、母上に叱責され、ルイサに諭され、自分の愚かさにやっと気付いた。」
「…私こそ、至りませんで、殿下のお気持ちにも気付かず、」
「はは…其方ならそういうだろうとルイサが言っていたよ。」
テレーザが言い終わらないうちに、フアンが自嘲気味に笑って言った。
「…ベラスケス様が?」
テレーザは思わず訝しんだ。ルイサとはあの婚約破棄騒動で会ったのが初めてだ。それ以降も会ったことも話をしたこともないはずだ。
「ああ、ずっと以前、其方に助けられたことがあると言っていた。」
「私が?お人違いでは?」
テレーザにはそんな覚えはない。というか、ルイサに会った記憶もないのだ。
「子どもの頃に、王城で茶会があっただろう。」
毎年10歳前後の貴族子女が招かれ、王城で茶会がある。その当時ルイサはそこで仲間外れにされていたところ、テレーザに助けてもらったのだと言う。
“そんなことした記憶はないけれど…”
「申し訳ないのですが、あまり記憶が…」
「きっと其方のことだから、何気なくやったことなのだろう、とルイサも言っていた。私も今ならそれがわかる。」
そう言うと、フアンは少し遠くを見るような目つきで微笑んだ。
“こんな穏やかなお顔、初めて見たかもしれないわ。”
なんだか憑き物が落ちたみたいだとテレーザは感じた。
「よかったね。テレーザ。」
フアンが去って控えの部屋に戻ると、ミゲルはテレーザを引き寄せて言った。
「ええ、フアン殿下はとても落ち着かれましたね。これからミゲル様のお兄様としてどういう態度でいたら良いのか、少し悩んでおりましたもので、私も気が楽になりました。」
「…ありがと。」
ミゲルの手に力がこもり、愛おし気にテレーザを抱きしめる。
「僕のために気にしてくれたんだね。」
「え、いえ、そう言うわけでは…」
…ない、と言おうとして、でも結局はミゲルと自分が一緒にいるためか、と思い直す。それが分かっているのか、ミゲルは嬉しさを隠しきれず、すりすりとテレーザに頬擦りした。
「それにしても、結局、テレーザは兄上とベラスケス嬢との仲も、間接的にだけど取り持っていたんだねえ。」
「は?」
驚いて身を起こすと、悪戯っぽく笑みを浮かべたミゲルが目を細めていた。
「だって、君が彼女を助けなければ、兄上と彼女が近づくこともなかったじゃない。」
「…そうかもしれませんが…」
本当に助けたかも記憶にないのに、自分の手柄みたいに褒められてもなんだか腑に落ちない。
「さすが僕の愛の女神。」
「でも、」とミゲルは続ける。
「これからは僕だけの女神でいてね。」
熱を帯びた言葉に、共鳴するようにテレーザの心が震えた。散々言われた「愛の女神」という呼称だが、ミゲルに言われると何か特別な意味を持っている気がする。
ミゲルはテレーザの耳の後ろに手を添え、ゆっくりと確かめるように口付ける。テレーザはそれに応えるように、ミゲルの背中に手を回した。
二人の時間はこれからも続く。
…取り敢えず、着替えのために侍女達がテレーザを呼びに来るまでは。
【了】
お読みいただきありがとうございました。
本編はこれにて 完結 でございます。
この後少し日数を空けて、“テレーザ推し(笑)”の方々による番外編をアップする予定です。
よろしければもう少し、お付き合いくださいませ。