ファイナル エンゲージメント
長いです。
そんなこんなで、婚約はスピーディーに解消された現在。
「お嬢様って、結構淡白ですよね。」
「何が?」
「恋愛というか、人間関係が。」
カロリーナにそう言われてみれば、そうかも知れない。ずっと結婚すると思っていたフアンとは結局最後まで打ち解けられなかったし、その後にできた婚約者達も、あっさり婚約解消できるくらい、情が湧かなかった。理由を見つけて納得すれば結婚できる、そんなふうに思っていた。
ただ、今までの婚約者達は皆、テレーザと同じように考えていたのではなかった。婚約した時は同じだったかも知れない。けれど、解消した時には情愛を交わす相手を選んでいた。更にテレーザはその気配を感じると、全く執着せず綺麗さっぱり身を引くのだった。
「…そう見えるだけかも知れませんけどね。」
「え?どういうことですか?マヌエラさん!」
「ところでお嬢様、成人記念の祝宴にお召しになるドレスのことですが…」
「ちょっと、はぐらかさないでくださいよ!」
カロリーナを丸っと無視して、マヌエラはテレーザに話しかける。
もうすぐミゲルの成人記念式典とその祝宴が開かれる。式典には爵位を持った高位貴族のみが出席を許されるが、祝宴には王家より招待状が届いた者が出席できる。なので、実質ミゲルのお披露目は祝宴で行われる。当然テレーザは王家を支える公爵家の一員として、出席しなければならない。
この祝宴では、ミゲルの婚約者がお披露目されるとのもっぱらの噂だ。そのために貴族を始め国民はかなり盛り上がりを見せている。既に顔合わせは済んでいるとか、今打診している最中だとか、いやいや当日指名されるのだとか憶測が飛んでいる。ミゲルと同年代の貴族令嬢達は、万が一のための準備に余念が無い。
“さすがに王家に嫁ぐのだから、お相手には打診しているでしょうよ。”
これまで第一王子の婚約者として王族と関わってきたテレーザなので、その辺りの裏事情はおおよそ窺える。
国の重臣でもあるテレーザの父は、ほぼ連日王城に泊まりがけだ。兄も帰りが遅い。
しかしそのおかげで、テレーザに送られてきていた求婚や茶会などの誘いがめっきり減っている。世間の関心ごとがミゲルの方に移ったからだろう。
よって、今のテレーザには婚約者が決まっていない。束の間の平穏につい感謝してしまうテレーザだった。
「明日、装飾品を付けた状態での最後の調整を、とのことでございます。」
「わかったわ。ありがとう。」
ある意味今しかない、ということで、以前もらった金のネックレスに合わせた衣装デザインにしてもらった。森の深緑のような色の生地に、金糸で木や草花を模した刺繍が刺してある。ただ、それだけだと重厚過ぎるので、同系色のシフォン生地で全体が包まれている。色合い的には地味な気もするが、最近の噂のせいで悪目立ちしてしまうのを恐れた結果だ。
「それに、今日の主役はミゲル様だわ。」
祝宴当日、朝から家中総出で準備している。髪はいつもの縦ロールが一つに纏まるように大きく結ってもらう。
「ミゲル殿下もついに大人に…」
歳が一つしか変わらないのに、ミゲルを幼い頃から知っているテレーザにとっては、感慨深いものがある。
今日は両親と共に登城するため、兄のホセにエスコートしてもらう。母レアンドラのドレスは深い海の青で、黒のレースが縁を彩り、光が当たると夜空の星のように、縫い付けられた石のビーズがキラキラと光る。
父レオポルドはレアンドラと同じ青をアクセントに、銀糸を織り込んだ黒の上着を基調とした装い、ホセは水色をベースに花の刺繍が入った、ふわりとして少し華やかな装いだ。
「女王陛下、並びに王配殿下、第一王子殿下、第二王子殿下の御入場!」
天井が金で装飾された王城の大広間に、高らかにエスパン王国女王の入場が告げられる。場内の者は全て、低く首を垂れる。
「皆、面を上げよ。今日は我が国の第二王子、ミゲル・デ・エスパンネアの成人を祝う宴によくぞ参った。私からも礼を言う。」
会場から割れんばかりの拍手が巻き起こる。所々甲高い悲鳴のような声も上がっている。
“はあ、ミゲル様、後光がさしているようだわ。”
煌びやかな装いだけでなく、普段は感じることのなかった王者の風格も、まるで彼の自信の現れであるかのようだった。
「ミゲル、前へ。」
「はっ!」
ミゲルは女王の前に跪く。
「皆の前で宣言する。アレハンドラ二世の名に於いて、ここに、ミゲル・デ・エスパンネアをエスパン王国の王太子に任命する!」
「謹んでお受けいたします。」
ミゲルは女王の宣言を悠然と受け止めた。その悠然たる姿に、会場の人々は魅了される。特に年頃のご令嬢方は。
“ああ、やっぱり。”
ミゲルが立太子することは、テレーザがフアンとの婚約を解消された時点でほぼ確定だった。
これには王子二人の生まれに関係する。フアンは第一王子ではあったが、アレハンドラ女王の前夫との子。ミゲルは現夫フランリナ帝国皇帝の甥との子である。前夫はアレハンドラがまだ女王になる以前、婚姻を結んだ伯爵家の長男で、当初は臣籍降下するはずであった。しかし、アレハンドラの兄、当時の王太子が即位前に若くして亡くなったため後継がおらず、アレハンドラが王位を継ぐことになった。さらに流行病で前夫も亡くなり、アレハンドラは王位継承と共に、現夫と婚姻を結んだ。第一王子になったフアンは王位継承権第一位ではありながら、後ろ盾に乏しいため、有力な貴族の子女との婚姻を結ばなければならなかった。それが、アルボル公爵家のテレーザである。故にこの婚姻が成立しなければ、フアンは王位に着くことが難しかったのだ。
テレーザは複雑な思いで、女王の後方に立つフアンに目をやる。彼の表情からは何も読み取れない。もう覆すことは難しいだろうが、彼は納得しているのだろうか。
“今となっては関係ないことよね。”
テレーザはそう思って頭を振った。
「さあ!今日は皆、楽しんでいくが良い。」
王配殿下の合図で軽快な音楽が流れ出す。
跪いていたミゲルはスッと立ち上がり、振り返った。壇上からゆっくり階下を見渡し、ある一点に目を止め、そしてゆっくり降りてくる。そして目当ての人物の前でうやうやしく手を差し出した。
「テレーザ、私と踊ってください。」
ざわざわと会場が騒めく。
ファーストダンス。本日の主役はミゲルのため、ファーストダンスはミゲルとそのパートナーが踊る。しかし、今回ミゲルはパートナーを連れてはいなかった。それゆえ、会場から有数の令嬢が選ばれるだろうと誰しもが考えていたが、テレーザが選ばれるのは大方の予想外であった。
“第一王子の元婚約者を選ぶなんて、ありえなくない?”
当然テレーザにとっても予想外で、あまりのことに戸惑ったが、ここで断ったらミゲルに恥をかかせることになる。隣にいた兄にそっと背を押されてテレーザは腹を括り、差し出された手に自分の手を預けた。
「喜んでお受けいたします。」
二人は広間の中央に進み出て、ワルツの音楽と共に滑らかに踊り出す。テレーザもファーストダンスを踊るのがこれが初めてではないので、緊張感はあるものの、安定した滑り出しである。
「今日も綺麗だね。思った通りネックレスもよく似合っている。ドレスもそれに合わせてくれたんだね。」
「はい、ありがとうございます。やっとお見せすることができましたわ。殿下も今日はいつにも増して凛々しくて神々しさに見惚れてしまいましたわ。」
「それは嬉しいね。」
余裕の笑みで会話する二人だが、テレーザはまだ困惑していた。
“周りの視線が痛いわ。”
第一王子との婚約を解消し、ゴシップで世間を賑わせた女に、彼らはどんな心持ちでいるのだろうか。
「何考えてるの?今は僕のことだけ見て欲しいな。」
周りに気を取られていると、ミゲルはテレーザの腰を支える手に力を込め、耳元に顔を寄せてそっと囁いた。突然近くなった息遣いに、テレーザは周囲へ配っていた意識が吹っ飛んだ。
「あ、も、申し訳ございません。」
やっとのことで冷静さを取り戻したが、その後のミゲルとの距離は変わらなかった。やがて長いような短いような曲が終わりを迎えた。向かい合って礼をすると大きな拍手が湧き起こる。そしてすぐに皆が中央に出てダンスに加わった。
「ついて来て。」
テレーザをエスコートして、ホセの元に戻ると思いきや、ミゲルは人混みの中に紛れる。王太子のミゲルと踊ってもらおうと視線を向ける貴族達の間をすり抜け、言われるがままについて行くと、盛り上がっている会場の外に出た。外はまだ明るい。今日の青空は、空がずっと高く見えた。
「殿下、主役が会場を離れていいのですか?」
「大丈夫。すぐ戻るから。」
振り向きもせず先を歩くミゲルの背を見ながら、いつもより早い歩調になんとか合わせる。しっかり握られた手がなければ転んでしまいそうだ。
回廊を通り抜ける間も、ミゲルは終始無言だった。
“どうなさったのかしら?”
ここまで余裕の無いミゲルを見るのは初めてだと感じ、なんとなく話かけてはいけない気がして、テレーザも何も言わずについて行く。
人気のない中庭の噴水の前でようやく立ち止まった。サーッと水の落ちる音が随分大きく聞こえた。
“ここが何かあるのかしら?”
テレーザが息を整えて辺りを見回していると、やっと繋いだ手を離し振り向いたミゲルは、いきなり目の前に跪き、手を差し出した。
「テレーザ、貴女がずっと好きでした。私と結婚してください。」
突然の申し出に、テレーザは頭が真っ白になり何が起こっているのか理解できない。テレーザを見上げる深い緑の双眸は、先程までの威風な態度とは対照的に、緊張と不安で揺れていた。
「…なぜ…」
やっと声を絞り出し、困惑したままミゲルを見る。
「私では嫌ですか?」
ミゲルが体をこわばらせたのが分かった。
「いえ、決してそういうわけでは…」
テレーザもなんて言っていいのか、どう言えば正解なのかわからずに混乱する。
“どうしよう!どうしたら良いの?!どうすべき?”
『今一度、ご自身の胸の内をお確かめになった方がよろしいかと存じます。』
急に、以前自分が言った言葉が脳裏をよぎる。
“私の胸の内…”
そういえば自分のことはよく考えたことは無い。人のことは見ていればなんとなく察せられるが、自分のこととなると皆目見当がつかない。
吸い込まれそうなミゲルの瞳にじっと見つめられていると、気恥ずかしさに目を逸らしたくなる。しかし今それは失礼なことだと理性が言う。
風に吹かれてほつれた金色の髪が、不安そうに揺れる深緑の瞳に影を落とす。ついその髪を直そうと、無意識に手を伸ばしかけてテレーザは気づいた。
“私、いつもミゲル様に触れたいと思ってた。”
あの日、彼の柔らかそうな髪に触れてみたいと思った。あの日、彼の香りと熱に包まれたいと思った。
胸の奥、鳩尾のあたりから、ジワジワと甘やかな痺れが喉のあたりまで迫り上がってくる。
『テレーザ、貴女がずっと好きでした。』
次の瞬間、先程のミゲルの言葉に嬉しさで胸がいっぱいになって思わず目が潤む。
「…わた、くし…」
「…テレーザ?」
「…私っ、も、ミゲル様をお慕い申し上げております。」
「…では!」
「はい。喜んでお申し出をお受けいたします。」
「!!!」
テレーザがミゲルの手を取ると、ミゲルはその手を掴み、立ち上がってテレーザを引き寄せ抱きしめた。
「…よかった…!」
テレーザの肩に顔を埋めるようにしながら、ミゲルが掠れた声で呟いた。
しばらく無言のまま相手を確かめるように二人は抱き合って、それからゆっくり体を離す。
「…僕は絶対!婚約解消しないからね。」
「ふふっ」
再び目を合わせて第一声がこれで、思わずテレーザは笑ってしまった。笑っているテレーザの顔に影がかかり、ミゲルの顔が近付いてきた。唇に触れる寸前、テレーザは我に返る。
「で、殿下、戻りませんと!」
ぐいっとミゲルの体を押しやり、すんでのところで体を離す。
不服そうなミゲルをよそに、照れ隠しも相まって元来た道を歩き出した。
“口紅がとれちゃうわ!”
追いついてきたミゲルがピッタリと体を寄せ腕を差し出す。恐る恐る腕を取ると、テレーザのこめかみに軽くキスをされた。
「今は、これで我慢しておく。」
腕に添えられた手の上にミゲルは反対の手を乗せると、また歩き出した。
会場に着くと、ダンスを楽しむ人達と、グラスを片手に歓談する人達の楽しそうな雰囲気に包まれる。ミゲルはテレーザを連れ人々の間を縫って、女王の玉座の前に進み出で跪いた。テレーザはミゲルの一歩後ろでそれに倣う。
「それで、首尾は。」
「はい、陛下。私はこちらのテレーザ・デ・アルボルを生涯の伴侶に望みます。」
「そうか。レディ・アルボル、良いのだな。」
「はい、身に余る栄誉でございます。殿下をお支えできるよう、微力ではございますが精一杯尽くします。」
「よくやった。重畳、重畳。」
いつの間にか静まりかえっていた場内に歓声が上がる。
「王太子のお相手は、愛の女神だ!」
「愛の女神が、王太子に祝福を与えた!」
“え、ちょ、ここでそれ?!”
テレーザは微妙な気持ちになったが顔には出せず、満足そうなミゲルに手を取られ体を起こすと、アレハンドラ女王が立ち上がり二人の肩に手を置いた。すると、また歓声が上がる。
両親と兄のいるところに目を移すと、三人とも顔を綻ばせていた。レオポルドなど目に涙を浮かべている。
「皆様、ありがとうございます。」
拍手と歓声にかき消されて、テレーザの声は届かなかったが、気持ちは十分に伝わっていたことだろう。
『エスパン王国に愛の女神の祝福!!』
翌日の新聞各紙の一面には、エスパン王国の王太子が決定したことと、婚約者が愛の女神と呼ばれるテレーザに決まったことが載せられていた。
「ついに、国民的女神として認知されましたね。」
今まではタブロイド新聞で言われていただけの「愛の女神」という呼び名が、他の全ての新聞でもテレーザの呼称として使われていた。
カロリーナと初め侍女たちは、未だ興奮が冷めやらない様子で、口々に昨日の成人記念式典の話題に花を咲かす。
「何よ、国民的女神って。」
「神聖さのかけらも無い神ですね。」
マヌエラの返しにムッとする。分かってはいても、人に言われるのは面白くない。
「まあ、その誤解のおかげで、すんなり認められて良かったじゃないですか。」
昨日のことを思い出して、恥ずかしくなる。
婚約解消ばかり繰り返していたテレーザが、再び王家と、しかも王太子と婚約するなんて、反発が起こっても仕方がないはずだと思っていたのだが、拍子抜けするくらいすんなり認められた。
しかもあれからミゲルがべったりで、家にも帰さない勢いだったのが、父と兄のおかげで帰宅することができた。
“あのミゲル様があそこまで豹変するなんて。”
ちなみに母レアンドラは「泊まるくらい、いいんじゃない〜?」と気にしていなかった。それだけじゃない、後でこっそり耳打ちしたのは、
「既成事実を作ってしまえば、婚約解消できないわよ。」
と、めちゃくちゃ打算的だった。
「テレーザ、良いかい?」
珍しく、兄にお茶に誘われる。
テーブルにつくと、おもむろに話し始めた。
「テレーザ、改めて、婚約おめでとう。」
「ありがとうございます。お兄様。」
「‘今回は’もう婚約解消は無いと思う。」
「?そう思いたいですわ。」
「いや、無いだろうね。」
「?どうなさったの?お兄様」
奥歯に物の詰まったような物言いの兄に、疑問が湧く。
「…怒らないで聞いて欲しいんだけど…いや、怒っても仕方がないと思うんだけど…」
「本当にどうなさったの?」
ホセは俯いて頭をかきむしった。
「あ〜!ごめん!テレーザ!君を嫌な目に合わせるつもりは無かったんだ!」
「え?」
「実は、君の今までの婚約は、殿下の計画だったんだよ。」
「婚約が殿下の計画?意味がわかりませんわ?殿下とは、王太子殿下のことですの?」
「そう、ミゲル王太子殿下だ。」
フアンとの婚約解消に手を貸す。その代わり自分が求婚したいが、まだ成人では無い故に本人の意志だけでは婚約はできない。自分が成人するまでの間、繋ぎで別の人をあてがう。しかし、その相手がテレーザを気に入っては困る。だから上手く違う女性を見つけて、テレーザから意識を逸らせたい。
その婚約相手は毎回父とミゲルで決めていたようだ。
話を聞いて怒るというよりは、完全に呆れていた。始めから口約束で良いから求婚してくれれば良かったのでは無いかと。
「それだとフアン殿下に対してとか、兄から弟に乗り換えると思われるのを気にして、テレーザが承諾してくれないかもと。」
確かにそう思ったに違いないと自分でも思う。やはりフアンとの婚約がそうだったから、政略結婚だと思っていただろう。
「それにしても、あんなに何回も婚約しなくても…」
「それはテレーザのせいでもあるんだ。」
「え、私が何かしましたか?」
「相手に好きな人がいると分かると、さっさとそっちをまとめちゃっただろ?」
それは心当たりがある。でも、相手にも偽装婚約状態は迷惑だろうしと思う。
「でも、そんなに大したことは…」
「まあ、テレーザはそうだろうね。」
ホセは喉が渇いたのか、冷めかけのお茶を一気に飲み干す。
「途中から本物になっちゃうしなあ。」
「???本物?」
「愛のキューピッドの話。」
「え!あれも仕組まれていたんですの?!」
「うん。初めのうちはね。」
確かに初めのうちはテレーザが会ったことない相手を婚約者と取り持ったことになっていた。単なるゴシップのネタにしては、妙に詳しいことが書かれていた。
「殿下!」
ミゲルを訪ねると、執務室に招かれた。中に通され開口一番呼びかけてしまう。
少し驚いたように顔をあげ、次の瞬間、幸せそうな笑顔を向けた。
「やあ、テレーザ、来てくれて嬉しいよ。みんなは休憩して。」
執務室にいた補佐官達は、サラサラと静かに出てゆく。
「…殿下だったんですね。」
「もうバラしちゃったのか。」
部屋の脇のソファーに座るように促すと、ミゲルはお茶を用意させて、テレーザの隣に座った。
「さて、どこから説明すれば良い?」
「で、殿下、お仕事中ですよね。」
ミゲルが近くに座ったことで、急にソワソワして落ち着かなくなった。
「うん。でもこれも大事なことだからね。」
そう言って、テレーザの背中の後ろお尻の近くに手をつく。腰を抱かれているわけでは無いのだが、微妙な距離感に緊張してしまう。
「…そうだな。兄上以降の君の婚約者を僕が選んだのは本当。その婚約者が別の女性に目移りするように仕組んだのが僕というのは半分本当。もう半分はわざと他に思い人がいる人を選んだからね。」
それは結局、黒幕がミゲルなことには変わりない。
「フアン殿下のお相手も?」
「兄上は偶然ご自分で見つけたんだ。そのおかげでこの方法を思いついたんだけど。」
「では、新聞記事も…?」
そう、あの不自然な記事。
「あれは婚約解消でテレーザが悪く言われないように、ある程度指定して書かせた。」
にっこり笑ってテレーザを見つめる。
「ただ、愛の女神は、君の友達が言い出したことだけど。結果として良い具合に収まったよね。」
本来婚約解消など、年頃の貴族令嬢にとっては醜聞にしかなり得ないのに、テレーザには名声になってしまった。
「どうしてこんな回りくどいことを…」
「母上との約束だったんだ。」
テレーザの問いに、少し間が空いてミゲルが答えた。
「アレハンドラ陛下の?」
「うん。ホセから、君がフアン兄上との婚約を解消したいから手伝って欲しいと頼まれた時に、それなら僕がテレーザに求婚しても良いか聞いたんだ。最初は渋ったけど、陛下が良いと言ったら従うということになった。」
兄がミゲルに頼んだり、求婚が条件とは聞いたが、陛下が絡むとは思っていなかった。
「それで、近々兄上と君が破談になりそうだから、そうしたら君に求婚するって陛下に奏上したら、すぐには駄目だと。成人まで待てと。」
ミゲルはテレーザの肩に軽く頭をもたせ掛けた。
「君の外聞も悪いし、よっぽどの事がない限り、成人になってからの方が本人達の意志が尊重されるから、僕の意志を通したいならそうしろと。」
そして視線を落とし、テレーザの片方の手に指を絡ませる。
「陛下は兄上とのことを既に色々聞いていたみたいでね。君にもアルボル公爵にも悪いと思っていたみたいなんだ。だから君にこれ以上迷惑かけたくなかったみたいで。」
「…陛下が…」
「それなら僕がテレーザを娶る際には、皆が喜んで祝福してくれるようにしますって約束したんだ。」
「…」
ミゲルも女王もそこまで考えてくれていたとは思わず、テレーザは胸がいっぱいになり、涙ぐんだ。
「ありがとうございます。」
「僕こそ、選んでくれてありがとう。」
…二人の視線が絡み合い静かに唇が重なる。そして相手の温もりを確かめるように、何度も重ね合った。
「…テレーザ」
「殿下、失礼します!」
大きなノックと共に、近衛騎士団長が入室した。
「…入室許可してないんだけど。」
「ホセに頼まれていますので。」
ホセは予め、一定時間が過ぎたらミゲルの部屋に入るようにプリメロー団長に頼んでいた。
「…ホセめ…」
良いところを邪魔しやがってと舌打ちするミゲル。テレーザは顔が火照るのを隠すようにお茶を飲んだ。
「殿下、お時間いただきありがとうございました。これで失礼しますわ。」
「あ、テレーザ!」
切り上げ口上でそそくさと逃げるように執務室を出ると、ミゲルの補佐官達が入れ替わりに入ってくる。
「殿下、お口元を。」
騎士団長に出されたハンカチーフを引ったくるように受け取り、グイッと口元を拭う。テレーザのつけていた朱の口紅が移り、夢でないのだとミゲルはほんの少し気が晴れた。
「まあ、大体そんなところだろうと思っておりました。」
家に帰ってマヌエラにだけ今日聞いたことの話をすると、そんな答えが返ってきた。
「いつからそう思っていたの?」
「始めは新聞記事から、ですかね。」
「はや!」
「そして決め手は、お嬢様に贈られたネックレスでした。」
「え。でもあれは、一年も前にたのんであったものよ?そんなに前から計画されていたのかしら?」
「始めからなのか、途中で変更したのかは分かりませんが、金と深い緑の石のデザイン、あれはまさに王太子殿下のお色味でした。第一王子殿下ですと、金と黄緑に近い薄い緑の石を使うはずです。おそらく注文当時はまだ、第一王子殿下とご結婚の予定でしたから今のお色味では無かったと思いますが。」
「…そういえば…!」
あまり深く考えなかったけれど、確かにそれはそういう意味に取れる。
「そのネックレスに合わせてお作りになったお嬢様のドレス、殿下はそれをご覧になって、喜ばれたのでは?」
「…あ!」
それはそういう意味だったのか!と気付いて羞恥で顔が火照る。
ミゲルの色を身につけた令嬢が、ミゲルに請われてファーストダンスを踊る。周りから見れば、テレーザは完全にミゲルのものだ。あの時の周囲の視線の意味を、今初めて理解した。
お読みいただきありがとうございます。
次の話で 本編完結 となります。