フォース エンゲージメント
またもや長いです。
※ 侍女の名前を間違えていたので、修正しました。「正)カロリーナ 誤)カトリーナ」 (2021.11.8)
「は〜〜〜!つっかれた〜〜!!」
「お行儀が悪いですよ。」
家に着くなり父の仕事場に連絡し、取り急ぎ破談の旨を伝える。公爵は帰宅するなりテレーザから詳しく事情を聞き、溜息を吐きながら婚約解消の手続きを始めた。
明日には辺境伯家に正式な申請書が届くだろう。
「あ〜!クッキーが食べたい!素朴な味の!」
手足を伸ばしてソファーにもたれかかる。
「お持ちしますから、ちゃんとお座りになってください。」
なんだかんだ言っても、マヌエラはテレーザに甘い。すぐにコーヒーとクッキーを用意した。
「私、今回は初めて本当のキューピッド役をやってしまったわ。」
「よろしかったんですか?」
「むしろこれで良かったと思っているの。」
今までとは違い、ちゃんと自分の知っている人同士を本当に取り持ったのだ。恐らく、今回だけはもやもや感がないはず。
クッキーを口に放り込み、コーヒーを啜りながら、そんなふうに考えていた。
「それでしたら次の方は…」
「え?!もう、次の婚約が決まっているの?!」
テレーザはマヌエラの寝耳に水な言葉に、驚いて体を起こす。
「いえ、消去法です。」
「消去法?」
「これまでの御当主様がお選びになるお嬢様のお相手を鑑みまして、それに該当しない殿方を除外していった結果、あと数名を残すのみとなっております。」
「いやいや、いくらなんでも消去法って相手に失礼じゃない?」
「御当主様が消去法でお選びになっているわけではありませんので。」
「まあ、そう思うけど。」
「それによりますと、次のお相手は、クワルト侯爵の御次男あたりかと。」
「テレーザ、クワルト侯爵家のセバスティアンはどうかな。」
“珍しいわ、お父様が私に意見を訊くなんて。”
もう疲労の色を隠そうともせず、父アルボル公爵がテレーザに訊ねた。
「ええ、お父様、問題ありませんわ。」
セバスティアン・クワルトは、線の細い優しげな印象の人だ。歳はテレーザと同じで今年成人したばかり。まだ婚約していなかったのかと少し驚く。確か学校では‘白皙の美少年’と呼ばれて女子に人気があったはず。逆にそれでなかなか一人を選べなかったのかもしれない。
「…ティアン様!セバスティアン様!!」
「え?あ!はい!」
「また考えに没頭していらしたのですね。」
セバスティアンの一つにまとめた長い髪がほつれて、顔にかかっている。
「…申し訳ありません。」
我に返ってまたやらかしたと気づき項垂れるセバスティアンを、テレーザはテーブルの向かい側からコーヒーを飲みながら微笑ましげに眺めた。
“なんとなくわかったわ。”
今まで縁談が成立しなかった理由が窺い知れた。話をしている最中にこう頻繁に上の空になられては、令嬢方も困ってしまうだろう。
「セバスティアン様、何を考えていらしたのか、差し支えなければ教えていただけませんか?」
テレーザはつい興味本位で彼に訊いてみた。
「…実は私は研究を続けたいのです。」
彼の専門は文化史。各国の文化を比較検討したり、民族の文化が歴史に与えた影響など調査し研究している。
現在は芸術文化資料館に席を置き、研究員として細々と研究を続けている。
研究を続けるのにはどうしてもお金がいる。国立研究所であれば、国家が支援しているので、間違いないのだが、国が支援するのは、医療や国家に利益をもたらす農学、理工学に関してのみだ。芸術文化に関する研究は、余り重要視されておらず国からの支援が無い。
“各国の文化の研究は外交にも役に立ちそうなのに、国が協力しないなんて変ね。”
セバスティアンの話を聞いて、つい疑問に思った。
「私はそもそも結婚する気はなかったんです。」
「え?」
結婚する気は無かった。研究さえできれば良かった。けれど、心配した周りの家族が、いくつも縁談を持ってきた。と、セバスティアンは語る。
「それに、私はこんなですし。」
確かにこの国の大半の人に比べたら、セバスティアンは内気と言えるだろう。
結婚したら貴族として最低限の社交もあるし、生家が侯爵家である以上、生半可な付き合いでは終わらず、政治的な側面も生まれるだろう。しかしセバスティアンは、そんな世界を渡り歩けるような気質では無かった。
“彼に必要なのはパトロンじゃないかしら。確かに公爵家はそれなりに財産も収益もあるけれど。”
きっとそういう理由で求婚してきたのかも、と考えたらテレーザは気が楽になった。まあ、パトロンとして生きていくのもいいかも知れない。
「お嬢様、今日もこれだけ招待状が届いています。」
既に文書箱いっぱいになった手紙の上に、カロリーナが追加の手紙を重ねる。テレーザはマヌエラに手伝ってもらって手紙を開封し、返事を書いている。
「もう!断っても断っても!」
そろそろ腱鞘炎になるのではないかと思えるほど書き続けだ。
「テレーザ、ちょっといいかしら。」
「ええ。お母様。」
手紙の束を抱える侍女を従えた公爵夫人が、テレーザの部屋を訪れた。
「私宛のお茶会の招待状に、是非貴女も一緒に、とたくさん来ているんだけど。」
「お断りしてください!」
「そうよねえ。」
テレーザが半ベソをかきながら訴えると、公爵夫人はあっさりと受け入れた。
この原因はまたもあのタブロイド新聞だ。先日ドミンゴ・テルセロとの婚約を解消した後、早速出た新聞には、
『愛の女神降臨!テルセロ卿、センティッシマ嬢とご婚約!』
という見出しが踊っていた。
「キューピッドから女神に昇格ですね。」
相変わらずの無表情でマヌエラは読み上げた。
「マルーチャぁぁぁぁ!」
テレーザが頭を抱える原因は、この新聞記事の内容だ。今回はなんと、このタブロイド新聞にマルーチャとドミンゴのインタビューを載せているからだ。
二人はいかにテレーザが二人を取り持ったかを説明し、「彼女はキューピッドどころか愛の女神だ!」と力説したところから、愛の女神に昇格したようだ。
そしてその新聞記事の影響で、ご婦人方が娘の縁談のためにテレーザと繋がりを作ろうと、頻繁にお茶会や夜会に招くようになった。
テレーザと公爵夫人はソファーに座り、それぞれの手紙の山を見てため息を吐いた。マヌエラが淹れたコーヒーで一息つく。
「当分お茶会はいいわ。」
公爵夫人、レアンドラはぼそりとつぶやく。
「私もです。ご苦労をおかけします、お母様。」
ぼんやりとコーヒーの表面を見つめながら、テレーザもつぶやいた。
「いいのよ。貴女が悪いわけではないし。」
一時は二人で領地の本邸へ逃げようと計画していた。しかし本邸から、テレーザはいつ戻るのか、いつ会えるのかと屋敷に押しかけんばかりの勢いで内外から問い合わせがくるとの連絡があり、領地にも戻れなくなってしまった。
田舎の遠慮なさに比べれば、王都の方が幾らかマシだからだ。
二人はこの日何度目かのため息を盛大に吐いた。
「お嬢様、王室からお手紙が届いております。」
そこへ執事がうやうやしく手紙を持ってきた。
「ありがとう。」
手紙の封蝋にはミゲルの紋章が押されていた。
「ミゲル殿下からだわ。」
『急で悪いけど、明日、時間が空いたので王城に来てほしい。』
しょぼしょぼした目を擦って、なんとか手紙を読むと、以前から頼んでいた登城の件だった。あの夜会以来借りっ放しのミゲルの上着を返さなければならない。
“正直王城に行くのは気まずいけれど、やっと1つ懸念材料が消えるわ。”
安堵する娘の様子に、レアンドラは何も聞かず、ただ黙ってコーヒーカップを傾けた。
翌日、テレーザはミゲルに借りた上着を返しに登城していた。ミゲルの時間が中々取れなくて、のびのびになっていたのだ。
部屋に通されると、まもなく殿下がいらっしゃいますと案内の侍女に言われ、その場に残される。
大きく開いた窓から回廊が見渡せる位置に部屋はあり、回廊に囲まれた庭園には季節の花々が所狭しと植えられていた。回廊には一定間隔にベンチが据えられていて、庭園の花々を鑑賞できるようになっている。
「…生き生きとして綺麗ね。」
ミゲルはこの景色を見せようと、ここに案内したのだろう、と気付いて嬉しくなる。
遠くを眺めていた視点をふと近くに移した時、近くのベンチに人がいるのが目の端に映った。
「あら?」
ベンチで隣り合って話に花が咲く二人。よく見ると片方は婚約者のセバスティアンではないか。テレーザは窓際に寄って本当に本人かどうか確かめずにいられなかった。なぜなら、
“あんなに雄弁な彼は初めて見たわ。”
テレーザのいる所からは距離があり、会話の内容は聞こえないが、それでも楽しそうに話をしている様子は伺える。
その話に相槌を打ち、同じように楽しげに話す令嬢は、紺色の飾り気がないドレスをまとい、一見非常に地味だが知的で清楚な雰囲気がある。
彼女の目の前にいるセバスティアンは、嬉しくて尻尾を振る犬を彷彿とさせた。
「はあ、なんだか甘酸っぱいわね。」
「本当だね。」
突然背後からの声に、ビクッとして危うく悲鳴をあげそうになる。
「で、ミゲル様!」
「シー!」
ミゲルは人差し指を口元にあて、静かにするようジェスチャーをする。
「彼女は王城の図書館で司書を務めている令嬢だ。確か君より2つほど年上だね。非常に聡明だと噂に聞く。ちょっと男勝りで仕事に生きると公言していて、独身主義を貫くらしいよ。彼女の家は芸術や文化の支援をしているミレズ伯爵家だ。」
「そうだったんですか…。」
ミレズ伯爵家なら聞いたことがある。たくさんの芸術家や知識人のパトロンとしても有名だ。歌劇、演劇、音楽会などの興行や、学術研究、本の出版などの文化事業など、手広くやっている。
“これはむしろ、彼にとってはいいご縁なんじゃないの?”
「あんなに仲が良いのに、なぜあの二人はご結婚なさらないのかしら?」
「どうしてだろうねえ。」
耳元で言われてテレーザは体をこわばらせ、やんわりとミゲルを押しやる。
「ん?」
「ミゲル様、近いです!」
ミゲルはテレーザを囲い込むように窓枠に手をついている。
一切体に触れてはいないが、隙間が紙一枚分あるかくらいに体を寄せているので、体温が伝わってくる。
「こんなところ誰かに見られたら!」
「…見られなければ良いの?」
悪戯っぽく笑いながら、さらに顔を寄せた。面と向かって顔を合わせてはいないが、息づかいがすぐそこに聞こえる。テレーザは彼の上着をかけられた時よりも、強烈にミゲルの香りと体温を感じて体がこわばる。
そのミゲルの唇が一瞬テレーザの耳に触れそうになって止まる。しかしそのまま触れずに離れていった。
「ごめんごめん、いたずらが過ぎたようだね。」
くるりと背を向けて、さっさとソファーに座ると、メイドに新しいお茶を用意させた。
テレーザは窓の方を向いたまま、高鳴る鼓動を両手で抑えるように胸に手を当てた。じわじわと全身が火照っているのがわかる。落ち着くように何回か深呼吸して、顔を上げた。
窓の外の二人を眺め、少しの間考えた後、意を決する。
「ミゲル様、大変申し訳ございませんが、しばらく中座させてくださいませ。」
本来なら上の身分の人間を待たせるとは有り得ないとわかってはいたが、いてもたってもいられず、ミゲルに中座を申し出る。
「何かあったんだね。いいよ。その代わり後で僕の願い事を聞いてね。」
「ありがとうございます。私にできることでしたらなんなりと。では失礼します。」
優雅にお茶を飲むミゲルをおいて、急いで部屋を出る。
テレーザを見送った後、ミゲルは侍従に何事か伝えると、侍従は部屋を出て行った。
「あら、セバスティアン様、このような所でお会いするなんて。」
テレーザは今気づいたかのように、セバスティアンに声を掛ける。ベンチに座っていた二人は驚いて立ち上がった。
「テレーザ様、偶然にもお会いできるなんて嬉しく存じます。今日はこちらにいらしていたんですね。」
セバスティアンは気不味いためか、いつもより早口で挨拶する。
「こちらの素敵なお方はどなた?私にご紹介くださいます?」
聞き様によっては完璧な嫌味だが、社交界に疎いセバスティアンにきちんと通じるかどうか。少なくともミレズ嬢には嫌味として伝わっていることを願う。
“ここは彼らのために、私が悪役にならねば。”
「ご紹介が遅れました。こちらはミレズ伯爵家の御息女、アナ嬢です。」
「ご紹介に預かりました、アナ・ミレズです。公女様には初めてお目にかかり、光栄にございます。この度はご婚約おめでとうございます。」
「あら、私をご存知でしたのね。」
「はい、私は王城の図書館司書の任を預かっておりますので、公女様を城内でお見かけしたことが幾度かございます。大変御高名な方だと伺っております。」
“それはどんな高名なのか気になる所だけど、今は私のことはどうでもいいわ。”
たぶん、ろくでもない高名加減だろうけれど、とタブロイド新聞を思い出してつい自虐する。
「そう。それで、セバスティアン様。セバスティアン様はどういうおつもりなのですか?」
「どういう?とは?」
“ふふ。言葉の裏を読めないのは織り込み済みよ。”
アナはすぐに理解したらしく、顔が曇る。
「往来でこのように二人きりでいるなんて、お相手のお嬢様の醜聞になりかねないのですよ。」
「…それは…」
言わんとすることを理解して、セバスティアンの顔がさっと青ざめる。
「申し訳ございません!私の不調法にございます!セバスティアン様には時々仕事の相談に乗って頂いておりまして、決して他意はございません!」
「え、仕事でお世話になるのはむしろ、僕…」
「セバスティアンは黙ってて!」
さすがセバスティアンは空気が読めない。うっかり笑いそうになって、テレーザは扇で口元を隠した。
「’セバスティアン’、そう。随分と仲がよろしいのね。」
「め、滅相もございません。たまたま今日は二人で話しておりましただけで、普段は職場で仕事上の会話をするだけにございます。」
“ちょっと、セバスティアン様、アナ様ばかりに言い訳させといていいの?”
「まあいいわ。ミレズ様にどうこうしていただきたいわけではないの。セバスティアン様、貴方様はどうなさりたいの?」
アナは困惑した表情でセバスティアンを見上げた。セバスティアンは俯いたまま、なかなか言葉を発せない。
見かねたアナが口を開く。
「公女様のご不興を招いてしまいましたこと、誠に申し訳ございません。以後二人きりで会うようなことは決してありませんので、今回だけはどうか御目溢しくださいますよう、」
「嫌です!」
突然顔を上げ、セバスティアンはアナにすがるように言う。
「…セバスティアン!」
「嫌です!アナと二人で話ができなくなるのは嫌なんです!」
“よし!行け!セバスティアン様!”
テレーザは思わず扇を持つ手に力がこもり、プルプルと小さく震えた。
「何言ってるの!?貴方は婚約者のいる身でしょ?」
「そんなのどうだっていい!!」
セバスティアンはアナの両手を掴み、胸の前でギュッと握りしめる。
「僕の研究も君がいなければ、一歩も進むことができないんだ…」
“やっと認めたわね。”
「…でも、私は…」
「あら、アナ様はセバスティアン様がいなくてもいいの?」
「いえ、そんなことは!」
“はいはい、両片思い両片思い。”
「仕事も研究もいいけれど、身近な人を慈しむことも大事だと思うわ。」
やっと存在に気づいたように、セバスティアンがテレーザを見た。
「…テレーザ様、僕は…」
テレーザは扇越しににっこり笑って
「’本当のお気持ち’にお気づきになられて、ようございました。ではお邪魔虫はこれにて退散致しますわ。」
「え?テレーザ様!?」
あっけに取られる二人を残して、さっさと来た道を戻る。すると、前方に影に隠れるようにしてミゲルの姿があった。
「お疲れ様。」
壁にもたれるようにして立ったまま、ミゲルは含み笑いを隠さずに言った。
「ミゲル殿下、大変お待たせいたしまして申し訳ございません。」
「いや、退屈しなかったよ。」
ミゲルとその護衛騎士に一部始終見られていたことを悟る。そしてミゲルに差し出された腕に手を掛けた。
「人払いをしてくださったんですね。」
「わかっちゃった?」
テレーザがセバスティアン達と話している間、誰も回廊を通らなかった。さっき窓から庭を見ていた時には人の行き来があったのに。大方ミゲルが3人の醜聞を気づかって人払いしたのだろうと思っていた。
「お気遣いありがとうございます。」
「うん。お役に立てて何より。」
初めに通された部屋に戻ると、新しくティーセッティングがなされていた。
「改めまして、ミゲル様、大変遅くなりましたが夜会ではありがとうございました。」
ソファーに座り落ち着いてから、借りていた上着をミゲル付きの侍女に渡す。
「そっかあ、あれから随分経ったような気がしていたけど、それほど経ってなかったね。忙しすぎて忘れていたよ。」
“そう、その間に私は2回も婚約解消を…”
自分から申し出たとはいえ、全く褒められたことではないので暗澹たる気持ちになる。
「それでなんですが…」
「ああ、殿下はアーモンドケーキが好きらしいよ?」
結局ミゲルにお礼をするのに王城で働く兄のホセに相談すると、意外な答えが返ってきた。アーモンドケーキはエスパン王国の伝統的なお菓子だ。素朴で作り方も難しくないので、庶民も好んで食べる。
「では、アーモンドケーキの有名なパティスリーに注文して…」
「いや、テレーザが作ったら?」
「え?でも殿下に差し上げられるようなものはとても…」
「だって有名店や有名パティシエのケーキなんて食べ慣れてるでしょ。」
「でも、素人が作るようなものを殿下に召し上がっていただくのはいくらなんでも。」
「大丈夫だよ。味はうちの家族も保証するって。」
確かにテレーザは時々お手製のお菓子を振る舞うことがあるが、せいぜい家族や使用人、そして仲の良い友達までである。
結局、どんなものでも手に入るが特別物欲の無いミゲルには、テレーザの手作りしかないとホセに押し切られて作ることにした。
それだけではあんまりだと考え、急遽ハンカチーフに刺繍を施した。
「ミゲル様、お礼と言ってはなんですが、こちらを。」
縁に伝統的な幾何学模様と、一隅にミゲルの紋章、獅子をかたどった刺繍を入れた、ハンカチーフを手渡す。
「これ、テレーザが刺したの?」
「はい。お見苦しいかと存じますが。」
「嬉しいよ!こういうの欲しかったんだ!」
“そっか、ミゲル様は高級品ばかりで、逆に手作りの品をもらうことがないのかも。”
素直に喜ぶミゲルを見て、今更ながら兄のアドバイスは的を得ていたと知る。
“私如きがすみません、って感じだけど。”
「それで、その箱は?」
箱を持って控えていた侍女を見て言う。
「こちらは、私が焼いて参りましたアーモンドケーキです。お口汚しではございますが。」
二人の間のテーブルに置いてもらい蓋を開けると、香ばしい香りが広がった。
「美味しそう!」
そう言って手を伸ばし一切れつかむ。
「あ、殿下、お毒見を!」
あわてて止めると、ミゲルはしばらくケーキとテレーザを見比べてからニコッと笑う。
「じゃあ、テレーザがしてよ。」
「あ、はい。承知しました。って、え?」
ミゲルが持っていたケーキをそのままテレーザの方に突き出してくる。
「あ、でもちょっと遠いか。」
そういうと立ち上がり、おもむろにテレーザの真横に座る。
「はい、アーン。」
「あ、あの、自分で食べられます!」
「良いから、はい。」
“ああ!もう!”
赤面しながらケーキをかじる。味も何もよくわからなくなっていると、ミゲルにそのケーキを押し付けられた。
「はい、今度はこっち。」
目の前に口を開けたミゲルが迫る。
「え?え?」
「僕にくれるんでしょ?だから食べさせて?」
“いや、ちょっと待って?!”
なぜ自分はミゲルと恋人同士のようなことをしているのか、それも侍女や護衛騎士のいる前で。
「さっき、僕の願い事、聞いてくれるって言ったよね?」
言った確かに言った。ミゲルに中座を申し入れる時にそのお詫びとして。
テレーザは覚悟を決めて内心羞恥に悶えながら、かけらが落ちないよう手を添え、恐る恐るミゲルの口にアーモンドケーキを運ぶ。
「…美味しい!」
ミゲルは満足そうに微笑み、ケーキを食べる。食べさせ、食べさせられ、ミゲルの気が済むまで何度も繰り返した。
“ミゲル様が「テレーザ姉様」と呼ばなくなってからなんだか態度が変だわ。”
前はこうではなかった気がする。急に距離を詰めて来られたような。そのせいか、これまであまり意識したことがなかったのだが、ミゲルの色気がすごい。子どもの頃から知っているのでずっと年下の子どものイメージだったが、成人が近いせいか男性として意識することが増えた。大人と少年との境のような瑞々しさも眩しい。
ミゲルの上着を借りた時、彼の移り香に安心し、ずっとこの香りに包まれていたいと心の隅で思っていた。
「翻弄するのはやめて欲しいわ。」
テレーザはベッドに横たわり、ここ最近のミゲルを思い出して悶えていた。
「口調は今までと変わらないのに。」
最近は仕事を任されることも増えたようだし、自信に溢れているように見える。それが余計にミゲルを強く印象づけているのかもしれない。
「成人されたらご婚約もされるだろうから、それまでの辛抱…か…も…」
フアンと婚約を解消して王城に上がる機会も減ったし、今回のように彼に会うこと自体が稀である。
テレーザは一抹の寂しさを感じながら、いつしか眠りに落ちていた。