セカンド エンゲージメント
「お嬢様!大変です!これを見てください!」
久しぶりに家族との朝食を終え、ゆっくり食後のコーヒーを飲んでいると、あわてた数人の侍女達がテレーザの部屋に文字通り飛び込んできた。
差し出されたタブロイド新聞を腹心のマヌエラと覗き込むと、
『第一王子フアン殿下、婚約解消!!元婚約者アルボル公女は愛のキューピッド!!』
要約すると、フアンはテレーザとの婚約は解消したが、新しい相手ルイサとの仲をテレーザが取り持ったことになっている。。
「え?どういうこと?私、ベラスケス様とは昨日初めてお会いしたのよ?」
タブロイド新聞には、恋多き男フアンがある日、舞踏会で出会ったルイサと恋に落ちた。しかし身分の違いに悩んでいたところ、当時婚約者のテレーザが手を貸し、二人を近づけたとある。
「昨日フアン殿下は堂々と「婚約破棄だ」って言ってたけど。」
「まあ!どの口が!」
侍女達が憤った。
「これ、お父様達もご存知なのかしら?」
「はい。皆様に新聞をお見せしています。」
「そう。ありがとう。それならお父様達にお任せした方が良いわね。」
「かしこまりました。」
「テレーザ!」
テレーザの兄、ホセが例の新聞を握って部屋に駆け込んでくる。
「あらお兄様、ご一緒にお茶はいかがです?」
「何を呑気な!新聞は見たのか?!」
「ええ。拝見しましたわ。」
「まさかとは思うが、本当なのか?」
「いいえ。婚約解消を除いて事実無根ですわ。」
「そうなのか。それなら良いのだが。」
ホセは事実確認をしてホッとしたのか、脱力してテレーザの向かいに座り、出されたコーヒーをゆっくり味わった。。
「まあ、この記事に悪意は無いというより、テレーザに好意的、いや、称賛していると言って良いくらいだな。」
「ええ。私もそう思いました。」
「ただ、誰がどういう目的で書かせたのか気になる。」
「やはりお兄様もこの記事は作為的なものだと思われます?」
「ああ。それも昨日の今日でこんな記事が出るなんて、普通だったらあり得ないだろ。」
「そうですよね。」
「まあ、テレーザが気にすることは無い。ただ、今までより周囲に気をつけてくれ。少なくともどういう意図があるのかはっきりするまでは。」
「分かりましたわ。」
“ただのゴシップにしては、妙に実情に詳しかったり、何か変ですものね。”
そしてこの日を境に、アルボル家に大量の手紙が届き始める。
「これは、どういうことだ?!」
テレーザ宛の求婚の手紙や釣書が、毎日のように送られて来て、公爵の執務机に積まれてゆく。屋敷内には贈られた花束やプレゼントが溢れかえっている。
「それがどうもあの新聞記事のせいで、“テレーザ様と婚約すると良縁に恵まれる”などという間違った噂が流れているようです。」
執事が言いにくそうに公爵に告げた。
「なんてことだ!テレーザが当て馬のようでは無いか!」
憤慨するレオポルドをよそに、テレーザは自分のことのはずがなんだか他人事に思えて、送られてきた釣書をぼんやりと眺めた。
「お父様。せっかくですからこの中のどなたかと婚約を結びましょう。」
怒りながら開封していたレオポルドは、手を止めてテレーザを見る。
「お前、いいのか?しばらくゆっくりするのでは?」
「ええ。そう思っておりましたけれど、この状態がいつまでも続いては他に支障が出ますし、噂のせいで家まで押し掛けられては困ります。でしたら誰か適当な方と婚約してしまえば、この騒動も収まるのではないかと。」
「確かにそうだが、私はお前が犠牲になるようなことは気が進まん。」
「私も、テレーザに賛成ですわ。」
黙々と求婚の手紙を読んでいた公爵夫人レアンドラが顔を上げた。
「それに娘が犠牲にならない相手を選ぶのは、父親の仕事ですわ。」
「…うむ。それはそうだが…。」
“極端な話、あの第一王子に比べたらほとんどの人はまともなんじゃないかしらね。”
妻と娘の視線を集めて、公爵は「よし!」と腹を決める。
「わかった。テレーザの婚約者を選ぼう。」
「お願いいたします。」
そうして選ばれたのは、寡黙で不器用な青年、セグンド侯爵家の次男マウリシオだ。
7歳差とやや年上だが、浮ついた話も無く、法務官という職種柄か、真面目で実直を絵に描いたような人物だった。
“派手さはないけれど、落ち着いていて素敵な方だわ。フアン殿下の後だから、余計にそう思うのかも。”
何度か会ううちに、彼となら穏やかに生きていけるのではないかと思い始めていた。
この日もマウリシオがアルボル邸を訪れた。
「マウリシオ様、ようこそお越しくださいました。それとお帰りなさいませ。ベルグム公国はいかがでしたか?」
マウリシオはここエスパン王国の使節団の一員として、道中含めて約2ヶ月ほど友好国のベルグム公国を訪れていた。使節団長は第二王子のミゲル。マウリシオは法務官として随行した。
なぜかミゲルからはベルグム公国のチョコレートがアルボル家に大量に届けられて、使用人達が大喜びだった。
マウリシオは滞在先から何度か手紙をよこし、テレーザに近況を伝えてくれていた。元婚約者のフアンなど個人的な手紙は絶対書かなかったので、これだけでも彼に好印象を持った。
サロンに案内すると、マウリシオはソファーに座る前に口を開いた。
「お話があります。」
「はい、なんでしょう。」
「誠に身勝手と存じますが、この婚約を白紙に戻していただきたいのです。」
カシャン!
今まさにお茶を淹れようとしていたメイドが、思わずポットの蓋を取り落とした。
「も、申し訳ございません!」
しかし、メイドの失態も意に介さず、マウリシオはテレーザに深々と頭を下げた。
「あ、あの、取り敢えず座ってください。」
「しかし!」
「座って、訳を聞かせていただいてもよろしいですか?」
「…はい。」
“なんだろう。驚きはしたけれど、二度目ともなると結構冷静に対応できるわ。”
テレーザがソファーに腰掛けると、マウリシオはおずおずとその向かいに座った。
「それで、お返事の前に、理由をお聞かせ願えますか?」
「…それが……実は……その…」
要領を得ない物言いにイラっとするが、経験上こういう時は急かして焦らせては返って時間がかかると知っているため、辛抱強く待つ。
メイドがお茶を出して良いのか戸惑っているので、テレーザは目で合図する。すぐに運ばれたお茶に口をつけて、気持ちを落ち着けた。
俯いたまましきりに手を擦り合わせて落ち着かない様子だったが、テレーザが1杯目のお茶を飲み終わる頃、やっとぽつりぽつりと話し始めた。
「…運命の出会いがあったのです。」
ベルグム公国での歓迎式典で、マウリシオは儚げな美少女に目を奪われた。公国に滞在する間、不思議なことに何度もその美少女を目にし、ある日の舞踏会でやっと言葉を交わすことができた。
そして実はその美少女も、マウリシオに惹かれていたことが分かる。それから示し合わせて何度も会ううちに、美少女は自分が先代大公の大公女であると明かした。現在の大公の歳の離れた妹にあたる。ただ母親の身分が低かったため、臣下に養女として出されたとのこと。そしてこの儚げな容貌のため少女に見えるが、既に成人は迎えているということ。今は嫁ぎ先選びの最中だとも。
しかし、マウリシオは婚約中の身。このままでは求婚できないし、その間に大公女の他の嫁ぎ先が決まってしまう。
そうして意を決してテレーザに婚約解消を願い出たのだ。
「まあ!それは喜ばしいこと!」
「…は?」
テレーザはまさかお堅いマウリシオがそんなロマンスに身を委ねるとは思っていなかったため、驚き以上になんだか嬉しくなった。
「それで、その大公女様、マウリシオ様の求婚を待っていらっしゃるの?」
「…あ、はい。出国する時に、きっと迎えに来るとお約束いたしました。」
「そうですか!それはさぞ待ち望んでいらっしゃるでしょうね。すぐにお迎えに行かなくてはなりませんわ!」
「え?!…あの、では…」
「ええ。婚約は解消しましょう。マヌエラ、急いでお父様にお知らせして!」
“元々こっちも都合が良かったから婚約しただけで、どうしても結婚したかった訳じゃないし、とは言えないわ。”
そばに控えていたマヌエラに父公爵への報告を頼むと、マウリシオは恐縮するように何度もお礼を言った。
「マウリシオ様、こんなことをしている場合ではありませんわ!すぐ大公女様にご連絡差し上げて。婚約は無事に解消されたと。」
「いえ、でも、まだ手続きが…」
「大丈夫よ、すぐ手配するから、あちらに連絡が行く頃にはちゃんと婚約解消されているわ。それともお父上、セグンド侯爵様が何か?必要ならアルボル家から口添えするわよ?」
「いえ、父は私の意思を尊重すると言ってくれたのですが、それでも、正式に解消してからの方が…」
「善は急げよ!」
それでも中々うんと言わないマウリシオをなんとか説き伏せて、すぐ連絡すると約束させた。
「ふう。法務官は融通が効かないわね。」
“そういえば、国の官職に就く方が他国の姫を娶っても大丈夫なのかしら?”
マウリシオを送り出して一息つくと、自室のソファーに体を投げ出した。
「お疲れ様でした。」
侍女のマヌエラが炭酸水を差し出した。お礼を言ってごくりと飲む。レモンの香り付けがしてあって、気分がさっぱりする。
「それにしてもあのマウリシオ様が、運命の出会いとは…」
「そうよね〜。ちょっと物語みたいで素敵じゃない?」
「そう…ですね。」
「ん?何か気になることでも?」
「え、いえ。大したことではございません。」
「…そう?まあ、お相手の方に間に合えばいいけど。」
「それは確かにそうですね。」
マウリシオのロマンスの話題は、アルボル公爵家の使用人達の間にあっという間に広がった。
「そうか。もう少し長く保つと思ったのだがな。」
二度目の婚約解消手続きを終え、公爵がため息をついた。
「しかし、セグンド卿のお相手が、養女に出たとはいえベルグム公国の大公女様となると、この縁談は両国にとっても悪くない話だ。」
「そうですわね。そういえばマウリシオ様は、無事大公女様とご婚約できたのでしょうか?」
「早々に公国に向かったとは聞いているが、恐らく大丈夫だろうと。」
「お父様が仰るなら安心です。」
そしてその朗報は、テレーザが知る前に国民が知ることになる。
「お嬢様!」
既視感にテレーザは眉を顰める。
「どうしたの?」
「…これを。」
侍女のカロリーナに渡された新聞にはマウリシオの婚約と
『セグンド卿、ベルグム大公女とご婚約!!またも愛のキューピッドが大活躍!』
テレーザを讃えるかのような文字が踊っている。
新聞記事には二人の出会いから逢瀬、マウリシオの婚約解消と求婚、そして再婚約に至るまで、実に詳細に書かれていた。
「マウリシオ様の話は良いわよ。事実だから。なのになんで?!」
そう。その二人を取り持ったのが、テレーザということになっている。
テレーザは何もしていない。なんなら大公女様に会ったことも見たこともない。頼まれて婚約解消を了承しただけだ。
「…さすがですね。お嬢様。」
マヌエラが表情を変えずに言った。
「落ち着いてるわね。…もしかして予想してた?」
「まあ、ある程度は。」
「まさかまたこんな…」
「またお嬢様に求婚が殺到しますね〜」
笑いながらカロリーナが言う。
「え〜嘘でしょう?!」
「嘘じゃないわ。」
「お母様。」
なんの前触れもなく例の新聞を持ったレアンドラがテレーザの部屋を訪れた。
「貴女の婚約解消が済むと同時に、お茶会でも皆様方から打診されたわ。」
“人生最大のモテ期!…嬉しくない!!”
「で、どうするの?」
夫人はテレーザの隣に座って新聞をテーブルに広げた。
「…相手を決めないと、止まりませんよね…。」
「…そうね。」
「…じゃあ、決めます。」
「それならお父様がお部屋に来るようにと。」
「わかりました。」
テレーザが父の執務室を訪ねると、意外な人物がいた。