ミゲル’s エンゲージメント その2
続きです。
見返しが不十分なので、後で修正するかもしれません。
「はあ〜。次の相手を考えておかないとなあ。」
ミゲルは独り言ちる。このところため息ばかりついている気がする。最愛の人を手に入れるためだけなのに、こんなに手間がかかるとは思わなかった。しかし面倒であろうと、今後のことを考えると短絡的に行動に移すわけにはいかないのだ。
物心つく頃からミゲルの関心事は、5つ上の兄の婚約者、アルボル公爵家の長女、テレーザであった。
ミゲルにとって初めての年の近い異性であり、姉のように近しい間柄である。
その後出会う年の近い異性は、王子であり天使のように美しいミゲルに対し、関心を惹こうと躍起になるのが仕方が無いとはいえ、煩わしく思えど嬉しいものではなかった。
その点、テレーザはミゲルに対し、弟のように可愛がるので、存分に甘えることもできた。それがいつの間にか恋心が芽生えたとしても自然なものであった。
フアンとの婚約が解消されても、ミゲルに対する態度は変わりが無かった。尤も直接会う機会が大幅に減ってしまったが。
『ミゲル殿下には、お好きな方か気になる御令嬢がいらっしゃるのですか?』
テレーザの言葉にそこにいた全員 -彼女を除いた- が凍りついた。
それはまだ、テレーザが社交デビューしたばかりでフアンの婚約者だった頃。
ミゲルは気分転換に中庭のガゼボでホセやアントニオとお茶をしながら話をしていた。そこへ偶々ホセに用事があって来たテレーザを、お茶に招いた時のことだった。
『…テレーザ姉様。どうしてそんなことを僕に聞くの?誰かに何か頼まれた?』
『いえ、誰にも何も。ただ殿下は先日の舞踏会でも私と踊って頂いた以外にどなたとも踊らないで、すぐにお帰りになられたようでしたので。』
“そりゃあ、貴女としか踊りたくないからだよ。”
にっこりと微笑んでミゲルはコーヒーで口を湿らせる。
『いや、踊ったよ。アントニオの妹君と。』
『クワドラダ夫人ですわね。そうでしたか。』
『テレーザはどうして殿下に思い人がいると?』
ミゲルの不穏な空気を感じ取り、ホセが口を挟んだ。
テレーザは小首を傾げて兄の顔を見る。
『ええ、他の皆様方が、ミゲル殿下と踊りたいのに踊ってもらえないのは、どなたか心に決めた方がいらっしゃるのでは、と悲しんでおられたのです。もし本当にいらっしゃるのなら、私なにかお手伝いできないかと思いまして。』
ピシリと何かがひび割れたような音が、ホセには聞こえた気がした。
『うん。まあ、今は何も言えないけれど、時が来たらそういう話をするかもしれないね。』
肯定とも否定とも取れない返答を笑顔で言うミゲルの顔は、見る人によって違う印象を与えた。
『そうですわね。出過ぎたことを申しました。申し訳ございません。』
『いや、良いんだけどね。』
少し寂しそうに笑うテレーザに、ミゲルは少し意外に思った。義姉として義弟に相談してもらえない寂しさなのか、あるいは…?
“気付いてくれたかなあ…”
少し前のことを思い出し、そういえばあの時も彼女の気持ちが分からなかったなと思った。
ミゲルは無事帰国し、やっとテレーザに念願の自分色のネックレスを渡せたのだが、果たしてその意図に気づいているかどうか。少なくとも渡した直後の反応を見る限りは、気づいていなかったように思う。実は少し期待していたのだが、残念ながら見事に打ち破られてしまい、流石にあの時は落胆してしまった。
以前テレーザに、フアンから贈られた装飾品の類には色彩に拘ったものは無かった、と記憶している。なので、そういった深い意味があるかもしれないと、テレーザがほんの少しでも気にしてくれるだろうか。
「しないだろうなあ。」
「何をですか?」
考えていたところ、口に出ていたのを丁度ホセに聞かれた。
「いや、テレーザは貰ったものの意味を深読みしなさそうだと思って。」
「…まあ、我が妹ながら、少々無機質というか事務的な部分も否めません。」
ホセは微妙な顔つきで肯定する。
「ああ、そういえば、」
確認していた調書の束から顔をあげて、ミゲルの方を向いた。
「妹に訊かれたんですが、殿下のお好きなものや欲しいものは何かございますか?」
「テレーザが欲しい。」
「…それは妹に言ってもいいんですか。」
「…自分で言う。」
テレーザにも直接訊かれたのだが、特に何も思いつかなかった。基本、ミゲルは好きなものも欲しいものも自分で手に入れたい質だ。テレーザだって誰かに充てがわれるのではなく、自分でアプローチして好きになってもらいたい。
先日ネックレスを渡してすぐ、ミゲルの好きなものを訊かれたので、大方お返しに何かくれるつもりでいるのだろう。兄のホセにまで訊くのだから、間違いない。本当はテレーザがミゲルのためだけに選んでくれたのなら何でも嬉しい、とは今はまだ言えない。
「では殿下、妹の手作りの品などどうでしょう?」
「いる!欲しい!」
ミゲルは食い気味に答えた。
「妹はたまにですが趣味で料理をします。一流料理人のようなことはできませんが、こう、ホッとするような素朴な料理で、時々私も食べたくなるのです。味も家族や屋敷のものに好評で、一時期は菓子作りにも嵌まって、友人との茶会にも出していました。」
「なんだそれ!私はもらったことないんだけど。」
「流石に王家の皆様にお出しすることはできませんよ。」
ということは、兄のフアンも食べたことが無い筈だ。ミゲルは少しだけ安堵する。
「殿下はアーモンドケーキが好きじゃなかったっけ?」
先ほどからソファーに寝転がって黙って聞いていたアントニオが、不意に口をついた。
「ああ、子どもの頃は好きでよく食べてた。」
「そうでしたか。でしたら妹にそう言ってみます。」
「頼んだよ。」
アーモンドケーキはエスパン王国の伝統菓子で、使う材料も少なく素朴でシンプルな焼菓子なので、庶民の家庭でもよく作られる。それだけ馴染みの深い菓子だ。
ミゲルはその手作りケーキをテレーザの手で口に運んでもらうことを想像して、ついにやける。
「殿下、気持ち悪いぞ。」
アントニオが気味が悪いものを見たように顔を歪ませる。ホセは自分の話は終わったとばかりに自分の作業に戻っていた。
「放っておいてよ。もう仕事に戻れば。」
3人はアントニオの休憩時間に合わせて打ち合わせをすることが多いので、アントニオは空き時間の大体をミゲルの執務室で寛いでいる。
アントニオはう〜ん!と伸びをして立ち上がった。
「兄上とベラスケス嬢の婚約が内定しそうだ。」
この日ミゲルは執務室にホセとアントニオを呼び寄せ、開口一番そう伝えた。
「へえ。よくやったな。」
「味方は一人でも多い方が良いからね。」
件のフアンの恋人ルイサ・ベラスケスは、元は平民の男爵家の子女であるため、王家に嫁ぐには身分差がネックであった。
「それでベラスケス嬢のことなんだが。」
「ああ、うちでもいいぞ。」
「いや、クワルト侯爵家かミレズ伯爵家が良いと思っている。」
その為、ルイサを高位の貴族の養女とし、そこから王家に嫁がせるという体裁を取ることにした。ただし、ルイサにそこまでの価値があるか女王を始め国の重鎮達に知らしめる必要があった。ミゲルはそのために珍しくフアンと共に奔走したのである。
「どっちも中立だな。」
「ああ。アルボルやプリメローは言ってしまえば第二王子派になるから、また同じ派閥の家から王子妃がというよりは他からの反発が少ない筈だ。どちらの家も変に兄上を祭り上げることも無いだろうし。」
「恐らくベラスケス家の金銭的支援を視野に入れると、ミレズ伯爵家が受けるだろう。」
「なるほど。」
「兄上には国の芸術文化支援に一役買ってもらおうと思っている。」
この国は芸術や文化に対し、まだ支援を行ってはいない。先日訪れたベルグム公国や隣のフランリナ帝国では既に芸術文化には積極的に支援し、さらに成果を上げている為、エスパン王国でも着手する方向に進めている。
その責任者にフアンが適任だとミゲルは奏上した。絵画に造詣の深いフアンのことだ、喜んでその任を負ってくれるだろう。
「それはいいな。」
「何より、ベラスケス嬢がテレーザを裏切るようなことは絶対しないと踏んでいる。」
「本当に黒いな。」
「なんとでも。」
ミゲルは執務机の上で手を組んで、アントニオに黒い笑顔を向けた。
「ああ、殿下。テレーザは明日、モンテ伯爵の夜会に出ますよ。」
ホセが思い出したようにミゲルに伝える。
「そうか。では、出席の手配を。」
「既に送ってあります。まあ、妹はテルセロ卿と一緒ですけど。」
「そのくらい、わかってる。」
珍しくニヤつくホセをジロリと睨むと、口を尖らせて不貞腐れたようにミゲルは言う。
「フアン殿下とベラスケス嬢のことが決まりそうで良かったよな。これで二人だけで話をする口実ができた。」
「まあそうだけど、貴方に言われたくはない。」
アントニオにも揶揄われて、更に不貞腐れる。
ミゲルはこの中で一番年下なので、3人揃うとどうしても可愛がられる位置になってしまう。ただそれはミゲルにとって彼らといることが息抜きにもなり、国の重責を担う一人として、またこれから国を背負って立つ身として、心強いものであった。
「これでテレーザが結婚してくれたら、ものすごく頑張れるのに…。」
「結婚しなくても頑張ってください。」
「そうだな。」
「貴方達、本当に酷すぎる。」
ふとこぼした愚痴でさえ年上二人に容赦なく拾われる。
「成人するまではプロポーズさえできないんだけどさ。」
それがアレハンドラの出した求婚の条件であった。
『ミゲルです。』
『入れ。』
数ヶ月前、ミゲルは大事な話をしたいと、国王と王配に謁見を申し出ていた。
ミゲルが国王の執務室へ行くと、既にアレハンドラ女王と王配のトマスが揃っていた。
ミゲルの入室と同時に女王の秘書官らが退室する。
『どうした。ミゲルが私達に話とは、珍しいな。』
『陛下に折り入ってお願いがございます。』
『ほう、何だ。』
『陛下のお耳にも届いていると思いますが、近々兄上とテレーザ嬢の婚約が解消されるようでございます。』
そう言ってからミゲルは二人の顔を伺った。
『続けて。』
促す言葉に軽く会釈して、本題に入る。
『その婚約が解消の暁には、私ミゲルに、テレーザ嬢への求婚の許可を願いたく存じます。』
『何?』
アレハンドラはピクリと眉を上げた。
『トマス、知っていたのか?』
『何をですか?陛下。』
『白々しい。驚かないのが何よりの証拠ではないか。』
『驚いていますよ。これでも。』
トマスは、ミゲルの様子からテレーザに気持ちが向いているのは知っていた。しかしフアンの婚約者であるため、当然その思いは封印することになるだろうと考えていたのだ。
『ミゲル。』
『はい。陛下。』
『念の為訊く。テレーザ嬢でなければ駄目なのか?』
『はい。彼女でなければなりません。テレーザ嬢が良いのです。』
『そうか。』
アレハンドラは額に手を当て目を閉じ、しばらく考えた後、口を開いた。
『すぐには駄目だ。』
『陛下!』
『しかし、其方もすぐに成人を迎える。成人したら婚姻は個人の意志が尊重される。それは王族においても例外は無い。』
『では!』
『ただし、一つ条件、いや、願いがある。』
『願い、ですか。』
アレハンドラはやや声音を和らげて言った。
『これは女王としてではなく、其方の母として、そしてただのアレハンドラとしての願いなのだが。』
『はい。』
『フアンのことは私も聞いている。テレーザ嬢やアルボル公にも多大な迷惑をかけていることも。だからこの婚約が解消されることに異論は無い。彼らには本当に迷惑をかけた。その上今度はミゲルもとなると…。』
アレハンドラはそこで言葉を切る。
『ミゲル。テレーザ嬢に一切の不利益が無いよう、慎重にことを運んで欲しい。それが母の願いだ。』
『…承知致しました。』
ミゲルは胸に手を当て、深く頭を下げると、決心したように顔を上げた。
『私はテレーザ嬢を娶る際には不利益が無いだけでなく、周囲が私達の結婚を心から祝福してくれるよう、尽力致します。そして、当然、彼女が幸せでいられることの努力も惜しみません。それが私の幸せでもありますから。』
そうキッパリと言い切った。
『頼んだぞ。』
『はい。』
『いつの間にかミゲルも頼もしくなったのだな。』
『そうですね。以前は自分から積極的に何かをしようとする気力がありませんでしたから。』
『そうだな。』
日が暮れようとしている空を眺めながら、アレハンドラとトマスは久しぶりの親子の会話を思い出していた。
『ですが正直なところ、テレーザ嬢を逃すのは痛いと思っておりましたので、少々助かりました。』
『ははは。それは私とて同じだ。まあ、彼女が申し出を受ければ、の話だが。』
『それはきっと大丈夫でしょう。』
『いやに自信があるな。』
『私達の息子ですよ?』
『はは、違いない。』
暮れ行く空には星が瞬き始め、二人はそっと寄り添い合った。
お読みいただきありがとうございました。