ルイサ’s エンゲージメント その3
湖畔の一件からなんとなくギクシャクしていた二人だったが、ノエの計らいもあってか、なんとか普通に会話できるようになってきた。
“はあ、なさけない。私ったら何やってんのよ。”
本来の目的を考えたら望むべき展開なのだが、男女間の経験に乏しいルイサには、中々手に余るのが現状だった。それは恐らくフアンも同じで、時折これまで見せたようなチャラい言動をしては、自己嫌悪で撃沈するということを繰り返していた。
「はあああ〜、テレーザ様にお会いしたい…」
最近はテレーザの追っかけも以前の半分くらいしかできず、物足りなさを感じる。今日も王城へ商品の納入に来て帰るところだが、テレーザには会えそうにない。会うといっても偶然を期待して、ただ物陰から見つめるだけだが。
「え?!」
不意に通路の影から何かが飛び出してきた。バシャッ!と音がして、ルイサの着ているドレスの前面が水に濡れる。心なしか雑巾臭い。
“あらまあ。なんと古典的な。”
姿は見えないが、複数の女の笑い声とパタパタという足音が遠ざかっていった。
ルイサは自分の侍女に何か拭くものを取りに行かせようとすると、前方から人影が現れた。
「おや、ベラスケス様。どうなさいました?」
「ドゥーセ様。」
「…これはひどいですね。」
フアンの近侍、ノエ・ドゥーセはルイサを見咎めるなり状況を理解し、城の使用人を呼び止め通路の片付けを頼むと、すぐさま近くの空き部屋に案内してくれた。
「ベラスケス様、着替えをご用意いたしましょうか?」
「いえ、もう帰るだけですから、拭くだけで十分ですわ。ありがとうございます。」
幸い、水はそれほど染み込んでおらず、多少臭いは残るものの、布で水気を取ったらあまり目立たなくなった。
「それにしても、未だにこんな幼稚なことする人がいるんですね。」
「ショボすぎて怒る気にもなれないところが、ある意味すごいワザと言うべきでしょうか。」
「ルイサ!!大丈夫か?!」
大きな音を立てて部屋のドアが開くなり、血相を変えたフアンが飛び込んできた。
「殿下。」
「フアン様。」
「怪我は無いか?!ルイサが令嬢達にひどい目に遭わされたと聞いた!」
なんだか大袈裟に伝わっているな、と、この時ルイサは呑気に思った。
「大丈夫です。怪我はありません。」
「本当か?!ずぶ濡れではないか!まさか誰かを庇っているのではないか?」
「別に誰も。」
「ノエ!お前は何をしていたのだ!」
部屋にいたノエに気づいて、フアンは責めるように問いかけた。
「未然に防げず申し訳ございません。」
「フアン様!ドゥーセ様は私を助けてくださったのです。」
超然と頭を下げるノエと、あわてて庇うルイサを見て、フアンははたと気付いた。
「…まさか、テレーザが…?」
「は?!」
「え?どういう?」
何事か納得して、フアンはルイサの肩に両手を置きじっと顔をのぞいた。。
「よし。私に任せろ。ノエ、あとは頼む。」
“フアン様、まさかテレーザ様がやったと誤解してる?!”
「フアン様!どうなさったのですか?!」
「安心しろ、ルイサ。もうこのようなことはさせない。テレーザに引導を渡す。」
“やっぱり!!”
「フアン様?!お待ちください!そうではありません!」
「ルイサ、そんなに心根が優しくてはこれから苦労するだろう。大丈夫、私がついている。」
“ああっ!もうどうして肝心な時に人の話を聞かないの?!”
どうやらフアンの中で、テレーザは黒幕に認定されてしまった。ルイサの言葉の意味が全く伝わらない。
フアンは踵を返し、大股に部屋を出ていく。ルイサとノエには引き止めることができず、誤解したままのフアンを見送ってしまった。
“ていうか、誰なの?!フアン様にテレーザ様の悪口を吹き込んだのは!”
ルイサの被害から即座にテレーザを連想するとは、何かきっかけがあった筈だ。
この件に関しては、早くミゲルに報告した方が良いかもしれない。
ミゲルとの伝達は近衛騎士団を通して行う。近衛騎士団の団長室に呼ばれて行くと、ミゲルとホセが待っていた。
「久しぶりだね。昨日は大変だったんだって?」
「大変と言いますか…」
昨日のフアンの一件と近況を報告する。
「…以上でございます。」
ルイサの報告を聞き、ミゲルは考えるように言った。
「それは災難だったね。でさ、君は兄上のことどう思う?」
「殿下。」
ホセが咎めるように呼んだが、ミゲルはそれを丸っと無視してルイサを促した。
「そうですね、芸術家肌だと思います。感情が豊かで、失礼ですが、ちょっと子どもっぽいかと。」
「ああ、まあそうなんだけど…そういう意味じゃなくてさ、兄上を男性として好きとか嫌いとか。」
ああ、まあそう言うことを訊きたいんだろうなとは思ったが、ルイサは敢えて、人物評を述べたのだ。
「嫌いではないですね。」
“少し情が移っちゃったところはあるけどね。”
「それなら良かった。嫌なものを無理にやらせているのも心苦しくてね。」
“本当にそう思っていますか?殿下”
不審な目つきで見たのだが、それは正しく相手に伝わったようだ。ミゲルは微妙な笑顔で受け応えた。
「まあ、兄上と別れたいなら言ってよ。お陰様でテレーザとの婚約は今日、解消になるようだし。」
「は?!今日?!」
ルイサは仰天して、素が出た。
「あれ?聞いてない?さっきテレーザが呼び出されて登城してたよ。」
「嘘でしょ!?」
慌ててテレーザの、フアンの元に駆けつけようとすると、ホセが案内を手配してくれた。ミゲルはニヤニヤと笑ってルイサを見送る。ルイザはふと、フアンにテレーザの悪口を吹き込んだのは、ミゲルの差金かも知れない、そう頭を過った。
テレーザが呼ばれたという部屋の前に案内され、ルイサは、はしたないとは思いつつ扉に耳をつけて中の会話を聞く。
「其方、この私の交友に口を出し、剰えあろうことか私の友人らに圧力をかけ、私を孤立させようとしているそうだな。」
“え?フアン様?”
「王を支えるべき伴侶になる身としてその行いは下劣極まりない!従って其方との婚約を今日限り破棄する!」
“下劣って!?今、テレーザ様に下劣って言った?!”
「殿下は何やら著しく誤解されていらっしゃるようですが、婚約を解消する件に関しましては、御意のままに。」
“ああ…さすがテレーザ様、全く動じていらっしゃらない。”
テレーザが退出する気配を感じて、ルイサは勢いよく扉を開ける。
「フアン様!!」
「ルイサ!よく来た。」
“えっ?ちょ!”
フアンがルイサの肩に手を回して強引に引き寄せたので、ルイサはバランスを崩してフアンに抱きついた。
「ちょうど良い。其方に言っておこう。」
フアンはテレーザに向き直って告げた。
「私はこの身も心も美しいルイサ・ベラスケスとの間に真実の愛を見つけた。よってルイサを新たに婚約者に迎え、生涯の伴侶とする。」
“真実の愛って…芸術家の感覚ってすごいわ…”
しかし、悪い気はしない。ルイサはこんな状況にも拘わらず、思わず口がにやけてしまった。
「それはおめでとうございます。末長くお幸せに。」
「あ、あの!テレーザ様は、その、よろしいんですの?!」
ルイサはハッとして、テレーザを見る。そしてずっと気になっていた本人の意志を、直接確認しておきたいと考えた。
「よろしい、とは、婚約破棄のことですか?それともベラスケス様が殿下のお隣に治まるということですか?」
「え、ええ。そのどちらもです。」
“ああ!苛立たせてごめんなさい!”
ルイサは心で詫びながら、何も分かっていない風を装う。
「何も問題ございませんわ。」
「え!?」
「そもそも殿下と私との婚約は、まだ殿下と私が幼い頃に王家とアルボル公爵家で結ばれたこと。ただし、成人してお互いに結婚の意思が無い場合、望めば婚約を解消できるという取決めがございます。」
“え?!ちょ、聞いてないわよ!ミゲル殿下!!”
確かに国の法的には成人した当人の意志を優先できるが、王家の婚姻の場合、それを超える強制的な政治力が働くことも否定はできなかった。しかし婚約当初から取決めがされているなら別だ。
そうまでしてこの茶番をする意味があったのか。困惑の表情を思わずフアンに向けてしまった。
「…な、ルイサ、大丈夫だっただろう?」
「フアン様…」
“わかってない!わかってないよこの人!”
何を勘違いしたのか、フアンはルイサの腰に両手を回す。そうしている間に、テレーザは呆れたように出て行った。
“くっ!良いんだけど、よく無い!!”
ルイサはこの後フアンに懇々と説教しようと決意し、ニッコリと微笑んだ。
ルイサは今、王城の中庭にあるガゼボでティータイムを楽しんでいる。一緒にいるのは、彼の人だ。
「ルイサ様、あ、ルイサ様とお呼びしてもよろしくて?私達義理の姉妹になるんですもの。」
「もちろんですわ!とても光栄です!私もテレーザ様とお呼びしたいのですが…」
「あら、ぜひそう呼んでくださいな!嬉しいわ!」
“!!…尊みが深海級!!”
ルイサは念願のテレーザとの対面を果たし、心が咽び泣く。フアンの婚約破棄劇に顔を合わせる結果になったのは、事故扱いだからノーカウントだ。
「本当にごめんなさいね。まさかルイサ様もミゲル様に頼まれて協力してくださっていたなんて…。」
「いえ!むしろテレーザ様のお役に立てて嬉しかったので。」
「ルイサ様…お優しいのね。」
「そんな、テレーザ様の方がずっとお優しいです!」
本人を前にしてなお、ぶれないルイサである。
「それに、あの、私、ずっとテレーザ様にお礼を言いたくて…」
「うん?フアン殿下がおっしゃっていたことかしら?ごめんなさいね。幼い頃のことだからあまり記憶になくて…」
「それでも!あの時テレーザ様に助けていただいたおかげで今の私があるんです!感謝してもし足りません!」
テレーザの頬が中庭の薔薇と同じ色に染まり、にっこりと微笑む。
「そう思ってくれてありがとう。」
ルイサもつられて頬を染め、上目遣いにテレーザを見つめる。
「二人とも、見つめ合ってどうしたの?」
「ミゲル様。」
「フアン様。」
二人の王子がそれぞれの婚約者に寄り添う。
「ルイサ、テレーザ嬢、二人にお願いがあるんだけど。」
「なんでしょう。」
「今度、二人が一緒のところを描かせてくれないかな?場所は中庭が良い。」
「え?テレーザ様と一緒に?!嬉しいです!…テレーザ様はご迷惑ではないですか?」
降って湧いた幸運に、ルイサは目を輝かせる。テレーザはそんなルイサを見、それから問うようにミゲルと目を合わせてからフアンに応えた。
「ええ、私でよろしければ是非。」
「やった!嬉しい!!」
はしゃぐルイサを微笑ましげに見つめ、フアンはルイサの手を取った。
「悔しいけど、ルイサはテレーザ嬢の話をする時が一番楽しそうだ。でも、その内私が一番だと言わせてやる。」
そう言って、指先に唇で触れる。
「さ、テレーザ、僕たちはお邪魔みたいだから行こう。」
「ええ。ミゲル様。」
「え!?テレーザ様!」
人前でキスをされて恥じらうルイサと、したり顔のフアンをガゼボに残し、テレーザとミゲルは仲睦まじく部屋に戻っていった。
「…が一番……です。」
「え?」
「フアン様が一番好きです!」
二人きりになって俯いたルイサがつぶやいた言葉は、フアンには届かず、顔を上げて今度はしっかりと相手の目を見てもう一度言い直す。フアンの目は見開かれ、そして弧を描いた。
「…ああ!ルイサ!私も君が一番…いや、君だけが好きだ!」
「わ、私も、フアン様が、(男性の中では)フアン様だけが好きです!」
「本当?」
「はい!」
フアンは顔を寄せ、じっとルイサの目を覗き込み、ふっと笑みを漏らす。
「うん。そういうことにしておいてあげるよ。今は。」
“…フアン様って、たまに鋭いわね。”
それから何年か後、王城のとある廊下に、二人の王子と二人の王子妃が中庭で寛ぐ様子を描いた、一枚の絵が飾られていた。
その絵の中で一人の王子妃の視線が、もう一人の王子妃に向いていることに、気付く人はほとんどいなかった。
【了】
お読みいただきありがとうございました。
これにてルイザ視点のエピソード終了です。
(そういえば、ルイサ、婚約してないな…)
次回、テレーザ推しの最大手による話になる予定ですが、またちょっとお時間いただきます。
(同時進行は無理でした…)