ルイサ’s エンゲージメント その2
長めです。
※誤字修正しました。(2021.11.20)
※言い回しを少しだけ修正しました。(2021.12.9)
「けど、王子と仲良くなるってどうしたら良いのよ。」
正直、商人としてお客の信用を得ることならまだなんとかなるが、恋愛に関しては全く自信がない。
「おや、君は確か、ルイサ。久しぶりだね。」
ルイサはミゲルの指示で、茶会に出席している。到着早々フアンに声を掛けられた。
「第一王子殿下。覚えていただき、光栄に存じます。」
「フアンで良いよ。こんな可愛い子、ひと目見たら忘れないから。」
「もったいないお言葉です。」
「堅苦しいな、もっと普通にできないかい?」
「滅相もございません。私には分不相応でございます。」
「またそれだ。」
呆れたようにフアンは言うが、どこか楽しそうだ。
“周りの方々の視線が刺さるわ。こんなナンパな人の何が良いのかしら。”
落とすべき相手なのに、全く気が乗らない。しかしテレーザのため、やらないという選択肢は無い。
「ちょっと貴女。」
「はい。」
フアンが離れると、早速派手目な衣装の令嬢方に声をかけられる。
“来たわね。”
確か伯爵家辺りの令嬢方で、ルイサより高位の貴族だ。
「フアン殿下に付きまとうのはやめなさい。平民風情が。」
「本当、恥知らずね。身の程を知りなさい。」
「殿下だって御迷惑だわ。」
やいやい言ってくる令嬢らを俯いたままやり過ごす。
“どうしてこういう人たちって同じことしか言わないのかしら?”
それも皆育ちが良いせいで、罵倒もお上品だ。下町の喧嘩言葉を知っているルイサには、室内犬がキャンキャン吠えているように見えて、なんだか微笑ましい。
「あら、皆様楽しそうですね。」
別の方向から声がした。
誰が来たのだろうかと顔を上げると、ブラッドオレンジのような赤い髪が美しい、キリッとした背の高い女の人がこっちに向かって来る。
「クワドラダ夫人!」
この茶会の主催者、アデリナ・クワドラダ辺境伯爵夫人だった。
「私も交ぜてくださらない?」
「い、いえ、もうお話はすみましたから…。」
「そう、そうですわ。ですから失礼いたしますわ。行きましょう皆さん。」
「ええ、はい。」
そそくさと室内犬、もとい、伯爵令嬢方が退散する。アデリナは呆れた様子で瞬きする。
「たわいもないわね。」
「あの、ありがとうございました。」
「お安い御用よ。」
おどけたように答えてから、アデリナは扇を広げて口元を隠し、ルイサに顔を寄せた。
「プリメロー近衛騎士団長は私の兄よ。」
そうこっそりルイサに耳打ちする。
「ミゲル殿下から貴女をフォローするように頼まれているの。」
『君が動きやすいように、助っ人を頼んである。』
ミゲルが言っていたのは、彼女のことだったのかと納得した。さっぱりとした気性のアデリナは、あの豪胆な兄の妹だけあって、存在感といい威圧感のコントロールといい申し分無い。
「あら、フアン殿下。」
「どうした、何があった?大勢で話をしていたようだが。」
“見てたんだ。タイミングを見計らってたんじゃ無いでしょうね。”
離れていたフアンが戻ってきて、ルイサ達に話しかけた。
「いいえ。何も。楽しくおしゃべりさせていただいただけですわ。」
「そうか。また僕のことで女の子達がいざこざでも起こしているのかと。」
“ええ、当たりですけどね。”
「あら、お珍しい。」
アデリナは大袈裟に驚いてみせる。
「殿下が女性の諍いをお気になさるなんて、初めて知りましたわ!」
“確かに。”
そう、フアンはいつも彼を巡った女の闘いには我関せずで、常に婚約者のテレーザが諌めてきたのだ。
「まあ、そんな気分だったんだ。」
少しバツが悪そうな顔つきで、視線を逸らした。その視線がルイサと合う。
「ちょうど良いクワドラダ夫人、夫人を探していたんだ。この子、借りても良いか?」
“ゲッ!この状況でそういうこと言う?!”
フアンが戻ってきたおかげで、また令嬢方の視線が集まってしまっている。
一瞬目を見開いたアデリナは、すぐに柔和な笑みを浮かべた。
「ええ。ベラスケス嬢御自身が良いと言うのでしたら。」
「そう、ありがとう。ルイサ、行こう!」
差し出された手に、思わずアデリナに問うように見上げると、扇で口元を隠したまま小さく頷いた。
「はい、喜んでお供いたします。」
“普通。断れないしね。”
ルイサはアデリナから意味有り気な眼差しと、他の客達の視線を浴びながら、フアンにエスコートされて茶会を抜け出した。そして、フアンの馬車に乗せられると馬車はすぐに走り出す。どこかへ連れて行かれるようだ。
“え、これは大丈夫なの?”
途端に不安が押し寄せる。しかも馬車の中に2人きりだというのに、フアンは急に黙ったまま、ただぼんやりと窓の外を眺めている。先程までの気安さは鳴りを潜め、話しかけづらいオーラをまとっていた。
“行き先を訊いていいものなのかしら?”
幸い迷っている内に、馬車が止まった。ルイサが連れてこられたのは、王城から少し離れた民家の二階だ。
“だ、大丈夫よね?”
目立たないようにしてはいるが一応近衛騎士も付いているし、あのミゲルが何も知らないわけがない筈だ。
部屋の扉を開けると中にはテーブルとソファー、そしてベッドが置いてあったが、それ以上に、
「ようこそ。僕のアトリエへ。」
乾きかけの絵の具の匂いと、幾つものキャンバスを立てかけたイーゼルが所狭しと並べられていた。
「…すごい!…これ全部殿下が?」
「そうだよ。」
部屋は開放的で、いくつかの部屋が続いており、その全てに絵の道具やモチーフが積まれていた。
「君を描かせてくれない?」
「え?私!…を…ですか?」
思わず素に戻ってしまうが、すぐ取り繕う。
「うん。初めて見た時からずっと描いてみたいと思っていたんだよね。」
ルイサは納得した。フアンの数々の浮名のほとんどは、モデルとなる女性を探しているからだったんだろう。ただそれにしては派手に女性を連れて歩いているので、それだけではない気もするけれど。
「あの、殿下。お伺いしてもよろしいですか?」
「うん。何?」
「なぜ、私なんですか?」
「う〜ん…なんとなく?」
“あ、これ、特に意味がないやつだ。”
「それともう一つ、テレーザ様は…御婚約者のアルボル様はお描きになった事がございますか?」
楽しそうだった雰囲気にふっと影が差す。フアンは少し寂しげな表情を浮かべて視線を落とした。
“まずかったかしら?”
フアンの変わりようにルイサはたじろいだ。
「…小さい頃に一度だけ…」
描きかけのキャンバスの縁をなぞりながら、当時を懐かしむような目でフアンが言った。
その時はテレーザも非常に喜んでくれたという。しかしその後、勉強が疎かになる、と、周りから絵を描くのを止められた。そして為政者になるための教育が始まり、絵のことは一切話せなくなった。教師らは絵を描くより勉強しろとフアンを叱責したのだ。
「でも彼女は…彼女が求めているのは、為政者としての婚約者だ。」
フアンは傷ついたような目でそう言った。
“そっか。フアン殿下はテレーザ様のことがお好きだったのね…”
恐らくフアンはテレーザに好意を持っていたに違いない。しかし自分はテレーザの望むような人間にはなれないと分かって、更に周囲の評価が高いテレーザに嫉妬心も芽生え、結果、彼女のことが嫌になったのだろう。好きと嫌いは表裏一体だ。
なぜかジクジクと胸が痛み出した。だがルイサはそんなことに構っていられない。
“フアン殿下は内面が子どもなのね。芸術家らしいわ。”
しかしモデルをする上で一つ懸念があるとしたら、芸術家は感性が豊かでその奔放さゆえに、他者とすぐに深い仲になる…つまり体の関係を持つことが多いことだ。特に画家とモデルの親密な関係はよく聞く話だ。
「…ああ、もしかして、僕のこと警戒してる?」
「…いえ、そんな…」
思考を読まれたような気がしてギクリとする。
「大丈夫。君に手を出したりしないと誓うよ。仮にも私は王族だからね。」
思い掛けずあっさり否定されて、拍子抜けした。
「…過去に、それが目当てで近づいてきた子もいたし…」
“そうかそれでか。もしかしたら苦労してんのね、王子様”
チャラく見えていたのはある意味防衛本能の現れだったのかと。本能的に誰も特別な間柄にはならないよう振る舞っていたのではと。フアンを落とそうとしている自分のことを棚上げして、つい同情する。
“殿下は謀には向かなそうだものね。”
ミゲルとは対照的だなとルイサは思った。
「ついでに言うと騎士達のような仲間的なノリも嫌いだ。」
団体行動なども苦手だという。確かにフアンはそうだろうと思った。他者との付き合い方や、ちょうど良い距離感を計るのが苦手なのだろう。婚約者のテレーザとの距離感をいまだに計りかねていると思えば、極端に無関心になったのもフアンらしいとルイサには思えた。
その日以来、ルイサはフアンのアトリエに何度か足を運ぶようになった。ルイサの家に迎えの馬車が来て、アトリエに通う。言った通り、フアンはルイサをただ描くだけで、時折気が向くと一緒にお茶をするのだが、大抵は絵のモデルをして終わったら帰るだけだ。
この日もいつものフアンの迎えの馬車に乗ると、アトリエを通り過ぎ、王城から近い森の中を進む。
“今日はアトリエに行かないのかしら?”
馬車も御者もいつもと変わったところは無い。小1時間走って降ろされた場所は、見知らぬ場所だった。
「うわあ!綺麗!」
木々に囲まれた湖畔に天幕が張られ、フアンが手を振っていた。
「今日はここで描こう。」
準備は既にされていて、モデルを待つばかりだったようだ。
「…殿下、それならそうと予め教えていただきたかったです…」
「今日思い付いたんだ。森の中の湖を眺める君を描いてみたいって。」
“そういうとこだよ!そういうとこ。”
ルイサはつい、ため息を吐いてしまった。
「殿下、女性には前もって準備が必要なんです。」
ルイサの支度は、自然の中を歩ける格好ではない。日除けの帽子もパラソルも無い。そう説明すると、フアンはしょぼんと項垂れた。
「すまん。良い案だと思ったんだが…」
「ええ、案はとても素晴らしいと思います。ただ少し性急過ぎて、その案を十分活かすための準備が足りなかったのでございます。」
「む。それは私が悪いのか?」
「近侍の方やご準備くださる方とご相談なさいましたか?」
「む。…してない。思い付いてすぐ行きたかったんだ。」
どうやらアトリエに着いてからすぐ森へ出発したらしい。そのためルイサの迎えの馬車に連絡が行ったのは、ルイサがアトリエに向かう最中だったようだ。
「少しでも早くお話しくだされば、もっとスムーズに行きましたのに。惜しかったですね。」
「…そうか。次はそうする。」
殊更愁傷にわかりやすく意気消沈してしまった。しかしそれも一瞬のことで、フアンはすぐに持ち直した。
「では私は今日はこの景色を描こうと思う。すまぬがルイサ、ゆっくり茶でも飲んでいてくれ。」
「はい、お気遣いありがとうございます。」
そういえばフアンが描いている最中の絵を見るのは初めてだ。いつもは描かれる側なので、描かれている絵は見えない。お茶用のテーブルは天幕の下で、ちょうどフアンの描いている様子が後ろから見える。フアンは描き始めると集中してしまい、会話はできないが、ただ後ろから眺めているのも悪くないと思った。
ルイサは気持ちの良い風を浴びながら、のんびりと風景とお茶を楽しんだ。
「お茶のおかわりはいかがですか?」
「はい、お願いします。」
フアンの近侍がルイサの世話を焼いてくれる。近侍といっても、ルイサの家より爵位の高い家の子息だ。何度もアトリエで見かけている。直接話をするのは初めてかもしれない。
「ベラスケス様がいらっしゃるようになってから、殿下が大分落ち着かれていらして、私共も安堵しております。これもベラスケス様のお蔭と思っております。皆を代表しまして私から感謝申し上げます。」
いきなりペコリと頭を下げられて、ルイサは焦った。
「いえ、そんな、お礼を言っていただくようなことは私は何も…」
‘だいぶ落ち着かれた’というのは主に女性関係だろうとルイサは推測した。確かに、ここ最近はフアンの奔放ぶりは見かけない。口調も今までの軽薄さが無い。
ただしルイサのお蔭といってもこちらには思惑があるのだから、少し後ろめたかった。
「そうやって謙虚でいらっしゃるところが、殿下にとって居心地が良いのかもしれませんね。」
「…いえ、その…」
“そんなふうに良い感じに受け取られてしまうと、本当に気まずいわ。”
ニコニコと微笑む近侍から、つい目を逸らしてしまう。
「…楽しそうだな。」
「殿下。」
いつの間にか描くのを止めて、フアンが近くに来ていた。
「私にも茶をくれ。」
「はい。ただ今。」
ルイサの向かいの席にどっかりと座ったフアンは、なんとなく機嫌が悪そうである。
「失礼いたします。」
「…ああ。」
それでもちゃんと返事をしてしまう辺り、育ちが良いのだなとルイサは思った。
「…なあ、ルイサ。君は…いや、退屈はしていないか?」
「ええ。こんなにのんびりするのは久しぶりで、心が洗われる気分です。それに、殿下の描かれる様子を間近で拝見できて、とても嬉しく存じます。」
「…そうか。」
フアンは照れたように顔を背けた。だいぶ機嫌が戻ったようだ。
「…やっぱり…」
「?何か?」
「いや、なんでもない。そろそろ帰ろうか。」
帰りは道具を置きにアトリエに戻るとのことで、ルイサはフアンの乗ってきた馬車に乗せられた。
“また無言の道中かしら。それはそれで気まずいのよね。こちらから話しかけづらいし。”
そう思っていたルイサだが、今回は違った。
「ルイサ。君はいつも怒らないで私に色々教えてくれるね。」
「そうでしたか?」
「だから君の話し方はなんだか聞こうって気になる。」
“それは他の人の話は聞かないってことなの?”
どうもフアンは、怒られたり、厳しくされると、それだけでテンパって頭が真っ白になってしまい、言われていることがわからなくなってしまうようだった。
これは王子としても、ゆくゆくは国王になるとしても厳しいかも知れない。ルイサは冷静に考えた。
“ミゲル殿下はそこまでご存知なのかも。ひょっとしたらフアン殿下ご本人も。”
テレーザはどうなんだろう。あの優しいテレーザのことだから、フアンのためにもなんとかしようと思っているかも知れない。もしかして、婚約解消したがっているのは、それも理由にあるのではないか。
「…ねえ。何考えているの?」
いつの間にかフアンの顔が近づいて、ルイサの顔を覗き込んでいた。
「!…申し訳ございません!」
「珍しいね。考え込むの。」
「殿下の御前ですのに、大変失礼いたしました。」
「…そう思うなら、手を握っていい?」
「!」
“ちょっと!チャラい殿下が復活してるんだけど!”
返事を待たずにルイサの隣に座り、手をそっと握った。ルイサは驚いて固まってしまう。
フアンはルイサの手を持ち上げ、指先に…
「…っ!はっ!…ごめん!ダメだ!!」
…キスをしようとして、急に頭のてっぺんまで赤くなった。そして、顔を背け、空いていた方の手で顔を覆った。
「…恥ずかしい…」
“いやいやいや、どういうこと?”
二人はそれ以上言葉を発せられないまま、馬車はアトリエに到着した。
「殿下、ベラスケス様、どうぞ。って、え?!」
馬車の扉が開けられると、無言のままフアンは降り、ルイサの手を繋いだままアトリエの建物に入った。そして、アトリエのソファーに座ると、俯いて両手で顔を覆った。
「あ〜、殿下、失敗しましたか。」
「うるさい!」
荷物を運び込みながら近侍がフアンに声を掛けた。ルイサは訳がわからず、立ち尽くしていると、その近侍に座るよう促された。
「あの、どういうことですか?」
ルイサは思わず近侍に尋ねた。
「いえ、先ほど湖畔で殿下が、ベラスケス様と私が話しているのに嫉妬されておいででしたので、それならちゃんと口説いてベラスケス様に意識してもらった方が良いとお話ししたんですよ。」
「ノエ!」
やれやれといった表情でルイサに話す近侍のノエに、フアンは真っ赤な顔をあげて抗議した。
“…え?嫉妬?口説く?”
ルイサもブワッと茹ったように顔が赤くなった。
そんな二人を見比べて、ノエは
「まあ、あとはお二人でどうぞ。」
と、仕事に戻った。
残された二人は顔を赤くしたまま、終始無言で俯いていたのだった。
お読みいただきありがとうございます。
次回でルイサ視点の話が終わります。