アールス・ブランブルーム①
まずは暗めのお話から。
『もしもーし! 聞こえてますぅ? ってか、言葉通じてますぅ? ……あれー、おっかしーなー。転送もうまくいったし、翻訳機能にも問題ないし、通じてるはずなんだけどなぁー。もーしもーし!!』
聞こえてはいた。
言葉も通じていた。
だが、アールスは応えられなかった。
突然ベッドの中に四角く薄い板が現れただけでも驚いたのに、それが眩しく発光し、更にそこから人の声が聞こえたのだ。
理解を超える出来事に、アールスの思考は停止し身体は完全に固まっていた。
『もしもーし! うーん、困ったなぁ。あのー、できればうんとかすんとか言ってほしいんですけどー!』
「…………ウントカスントカ……?」
聞いたこともない言葉を不思議に思い、思わず口に出してから「しまった」と後悔する。
もしもこれが呪いの言葉であったならば――そう考え、アールスの青白い顔が更に青くなった。
『あははははっ! なんですかそれー。取り敢えず通じてるみたいですねー。いやー、良かった良かった。あ、早速なんですけど、お名前教えてもらってもいいですか?』
得体の知れないものに名を教えるなどとんでもない。
これ以上の失態を犯してなるものかと、アールスは口を引き結び、喋る板を睨みつけた。
『あれー、また返答なしですかぁ? あ、そっか、警戒してるんですね! そりゃそっかぁ。んー、マニュアルマニュアル……どこだったかなぁ……あ、あったあった! ええと、【僕は箱の精霊です。あなたの人生について聞かせてください】』
「精霊……だと?」
『そーですそーです、精霊です。僕はこのスマホ……じゃなかった。この箱に宿った精霊で、イプスといいます』
アールスは、再び驚きで言葉を失った。
このような箱に宿るとは聞いたことがないが、気まぐれと言われる精霊ならばそれも有り得るのかもしれない。
だが、まさか自分の元に精霊が現れるとは。
ぱかりと開きっぱなしになっていた口をゆっくり閉じながら、アールスは何度も瞬きをして精霊の姿をじっと見つめていた。
精霊は、精霊界という人の理とは違う世界に生きている。
だが、時折こうして人間の世界に遊びに来ることがあるのだ。
精霊界から人間界を覗き、気に入った人間がいるとその者の元へ現れる。
そして、好奇心が満たされるとお礼をして精霊界に還っていくのだと言われている。
お礼の種類は様々だ。
不思議な精霊道具だったり、画期的な知恵だったり、未来に起こる予知だったり。
いずれにしても、精霊からのお礼を手にした者は、必ず幸せになることが約束されている。
故に、精霊は“幸運の使者”とも呼ばれるのだ。
今、アールスの目の前にいる精霊は、自身を箱の精霊だと言っていた。
文献では、精霊は主に火、水、風、土の四大元素に関連のあるものに宿るようだ。
それは、人間の使う魔法の多くが、四大元素を通じて精霊の力を借りるものだということと関わりがあるのかもしれない。
しかし過去には、手鏡や宝飾品、燭台などに宿る精霊もいたようなので、一概にそうとも言い切れないのだが。
それを考えれば、この精霊のように用途不明の薄い“箱”に宿る精霊がいてもおかしくはない。
何より、この光こそ“箱”が精霊であるという確たる証拠であろう。
闇夜を照らす蝋燭の炎よりも尚明るく、人の手では到底作り出すことができぬ眩しさが、精霊の放つ溢れんばかりの霊力でないとしたら、何だというのだろうか。
始めは、呪いの魔術具や悪魔の類を警戒していたアールスだったが、精霊であると聞いて納得し、警戒を緩めていた。
それどころか、精霊に出逢えた僥倖――しかも、自分が選ばれたということに、感動すら覚えている。
と同時に、首を傾げざるを得ない。
何故、自分のような者のところに精霊は現れたのか。甚だ疑問であった。
「これは失礼した、イプス殿。俺の名はアールス・ブランブルーム。ブランブルーム侯爵家の……一応、まあ、当主だ。父が早逝したために早くから侯爵位を継いだが、俺もまた病のために長く床に臥せっているので、侯爵といってもお飾りのようなものだな。イプス殿には、このような格好で話す無礼を許していただきたい」
『ほうほう。貴族! いいですね、なかなか良いサンプルが取れそうです。生い立ちとか、日常生活とか、できれば家族や思春期の話なんかが聞けると嬉しいですねぇ』
先程から、精霊の話す言葉は意味のわからないことが多い。
人間とは異なる世界の住人だ。それは仕方のないことだろう。
聞いたところで人ごときには理解できないだろうと思い、アールスはあまり深く考えないことにした。
「屋敷の者や家族は懸命に世話をしてくれているが、俺は自身の命がもう長くないと感じている。一日の殆どをこのベッドで過ごし、目覚めないかもしれない明日を待つだけの身だ。イプス殿は、俺の何に興味を惹かれてここへ来たのだろうか」
『うーん、興味と言われましてもねぇ。アールスさんはAIが演算処理した候補者の中からランダムで抽出されたサンプルなので、僕もはっきりした理由まではわからないんですよ』
やはり言っていることはさっぱり理解できないが、精霊自身なぜアールスを選んだのかわからないということは読み取れた。
精霊の勘のようなものかもしれない。
アールスは、わからないなりにそう結論付けることにした。
「そうか。あまり面白みは無いと思うが、それでも良ければ俺の話などいくらでも聞かせて差し上げよう。さて、何を話そうか……」
そうしてアールスは、今まであまり振り返ることのなかった自身の人生をゆっくりと思い出していた。