エンジンブロー
先行するランチア・ストラトスHFは、走りながら苦しんでいた。
『ううっ! 横っ腹が痛い……。それに胃の中でラーメンが暴れて、今にも逆流してきそうです。塩気が強すぎたので、水で流し込んだのがいけなかったかしら……』
その顔は、みるみるうちに蒼白化し、沿道で観戦する人々が心配してしまうほどにペースが乱れていた。
「これは……もうダメかも……」
高潔な彼女にとって、衆人環視の中で吐いてしまう事は、決して許される失態ではなかったのである。
頭の中にリタイアの文字が浮かんでは消え、誰もが目を覆うような恥ずべき姿を、全校生徒にライブ配信されてしまう恐怖が全身を駆け巡る。
「うッ! オエ…………」
ついにストラトスはスローダウンして走れなくなってしまった。
これは一大事だと、周囲に待機していた救護班がガードレールを乗り越えようとした瞬間、彼女の右手が真っ直ぐこれを制止した。その左手は口の周りを押さえたままだ。
「ま……まだです。まだレースを諦めた訳ではありませんから!」
その涙目の鬼気迫る表情に、誰もが目を見張り、ただの親善試合ではない事を悟る。
「嘘だろ……どうしてそこまで……」
「もういいよ。体を大事にしなよ、ねーちゃん!」
「何が何だか、よく分かんねーが、やるじゃねーか!」
この試合に掛ける伊太利屋女学院の本気度に、老若男女で引く者もいれば、ガッツを讃える者もいる。
「おおっとおおお! ランチア・ストラトスにトラブル発生か~? コースを歩いております。かなり苦しそうです。無理もない、あのコッテリを食べた後に全力で走るのは、生徒の健康面に配慮していない、と学園長が猛批判を浴びているほどなのですから!」
どうも場を盛り上げるだけに聞こえる、松田コスモスポーツのナレーションに辟易したストラトスは、給水所にあるミネラルウオーターのペットボトルを掴んだ。
そして一口飲んだ後……頭のてっぺんから冷水をシャワーのように浴びてニヤリと笑った。
これには観客の反応も、シンプルそのもの。
「おお~?」
金色の髪から水滴が流れ落ちると、撥水加工が施されたアリタリアカラーのレーシングスーツは、玉のように水を弾く。
「粗相すると思ったでしょう? 残念でした! そんな無様なシーンは、シナリオになくってよ!」
再び走り出したストラトスは、確実に背後から迫ってくるクルマ娘の気配を感じた。次は最後の全力アタックとなるスペシャル・ステージだ。
何とかペースを守り湖岸の道まで到達すると、タイムコントロールゲートが見えてくる。
そこでは美しく陽の光を反射する雄大な湖面と、ある種の威圧感まで覚えさせる巨大な橋脚を並べた琵琶湖大橋が出迎えてくれたのである。
「さあ! お先にアタックさせて貰いますから!」
カウントダウンの後、橋をハイペースで渡り始め、はるか対岸を目指す。緩やかに放物線を描く橋は先が見えず、正に直線勝負。一時的に通行が遮断された橋は、天国へと昇る階段にも思えた。




