第六話 人と魔族が分かり合える日
「オーガストは誕生祭以前から
私にヴィンセシアへ来るように言っていたけれどそれは弟を探すためだったの?」
「いいえ、私ごとに魔王様を使うなど
とても出来ません。
ただエレノア様が人と魔族の関係に目を向けてくれた事が嬉しかったのです。
ですからここにきて欲しかった。
確かにヴァンパイアにとって人は食料です。
でもヴァンパイアはその食料を眷属として側に置きます。
それは我が身の孤独を紛らわすためだと一説には言われているのですよ。
エレノア様、私は
私が弟に友愛の情を持つように
ここにいる両親が人と魔族ながら愛してあっているようにそして貴方のご両親もまた、
人と魔族が共に生きられる可能性を
この場所で見て欲しかった。
人間国は魔王を斃す愚かな人間ばかりではないと、私は思いたいだけなのかもしれません。
それでも魔族と人間の血を持つエレノア様なら新たな常識を作ってくださる気がしたのです。」
オーガストはそう言うと
穏やかに微笑んだ。
エレノアはその言葉に瞠目した。
それと同時に喉の奥がじんわりと熱くなるのを感じた。
魔族は人間を軽蔑していると思っていた。
そしてそれは概ね正解だろう。
だがそれが全てではなかったのだ。
父が人間の母を愛したように
魔族は人と分かり合える。
勇者達人間国を許す事は出来ないが
全ての人間を敵だと思えない
なぜなら私の心は人間のままなのだ。
そしてそれを心の奥でどこか望んでいた。
勇者を憎む反面
人を信じていたかった。
私の半身が胸の虚空から鈍く囁いていた事を
魔王という立場が押し込めていたのかもしれない。
「嬉しいわ、オーガスト...
私もいつか、分かり合える日が来ると
信じたいと..思っているわ」
そう言葉を発するが
胸の奥がずきりと痛んで
うまく笑顔が作れなかった。
この言葉は本心だ。
だがフィリルを密かに疑うエレノアにとって
気持ちよく発せられる言葉では無かった。
辿々しいエレノアの言葉に
オーガストは僅かに眉を下げて微笑む
「えぇ、弟を...よろしくお願いしますね」
小さな声で零すように出たオーガストの言葉はエレノアには届かなかった。
それから暫く談笑した後
エレノアのために用意された寝室へ通された。
分厚いカーテンを少し開けると
外は僅かに白んでいる。
そのまま部屋の電気を消すと
幽けき光が窓から差した。
はぁ......
気が抜けたのか
深いため息を零す。
『オーガスト様を憐れんでる?』
ニュクスが影から話しかける。
「いいえ、ただ複雑なのよ
きっとフィリルは呪印が絡んでいるわ
そして恐らく」
『呪印持ちだ』
ニュクスはなぜか愉快げに答える。
「貴方そんなキャラだったの?
仮にも宮中の同僚なのに他人事なのね」
エレノアは眉を潜めてニュクスを咎める。
『俺はこんな仕事だ。
同僚だなんて思っているのは
カタストロフ様くらいさ。
それでどうするんだ?
手っ取り早く透過魔法をかけてしまうか?』
「いいえ、相手が変身魔法を使っていたら意味ないし、その魔法は城内の限られた術者しか使えないの。
悪用される危険があるから
...それくらい知ってるでしょうに」
ニュクスは暗に捉えればいいと言っているのだ。使役した後、城に連れて行き
ライリーの魔術無効化結界内で変身魔法を解かせ
透過魔法で検査する。これが一番確実な方法だ。
だがまだフィリルが術者だと確定しているわけではない。
しかし現状呪印の気配がした領域で
エレノアの知りたい事、つまり呪印を知る人物という時点で疑いざるおえない。
捉えるという事は
すなわち、フィリルを危険に晒すという事だ。別の仲間がフィリルを殺すか、自害する可能性もある。場合によってはそれなりの処罰が下される。
オーガストの話を聞いた手前、
複雑な気持ちだが
これ以上の犠牲者を出すわけにはいかない。
それに彼が契約による呪印持ちなら
私は許す事は出来ない
「ごめんなさい、オーガスト...」
エレノアは赤みを帯びた空を見上げて
誰に聞かせるでもなくポツリと呟いた。
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太陽が真上に登るころ、エレノアは屋敷の窓からひっそりと抜け出した。
魔法で空気のクッションを作りながらふわふわと降りていく。
街へ出ると夜の賑わいとは打って変わって
閑散と静まり返っていた。
夜見た景色とはやはり雰囲気が違う。
ヴァンパイアは日中は寝静まっている為
人一人いない。
昨日散策した中央通りに一際目立つ時計台が見えた。その下はだだ広く見晴らしがいい。
「どうしてこんな
目立つ場所に呼んだのかしら..」
エレノアが警戒しながら辺りを見回した。
「ここだよ、お嬢さん」
はっと後ろを振り向くと背後の時計台の影からひょっこりと金髪の青年が現れた。
「約束通り一人で来てくれたんだ?
嬉しいよ」
フィリルはニコッと屈託無く微笑んだ。
「約束通り話を聞かせて貰えるかしら」
エレノアは真っ直ぐにフィリルを見つめる。
頭上に広がる青空を映したような大きな瞳が
エレノアを捉えると静かに細めた。
「良いよ?君が見たいものはこれだろ?」
フィリルは着ていたふわりとした形の白いYシャツの左腕を捲る。天色の瞳がギラリと光る。
そこには太陽の呪印があった。
「ニュクス!」
エレノアの声に一瞬にしてフィリルは影から出てきたニュクスに羽交い締めにされた。
フィリルは瞠目して
ニュクスに視線を運ぶ
「約束...守ってくれなかったんだ?
良いけどね、兄さんがこの場にいなければ
あとはなんでも良いんだ」
フィリルは小さく溜息をつくと
再びエレノアを見つめた。
あの時のような光のない闇に曇った瞳だった。
「愚かで哀れなお嬢さん。
僕はね、兄さんさえ助かれば
それで良いんだ。
兄さんは僕を庇って姿を消すだろうけど
それで良い、あんな場所に兄さんを置くよりずっとマシさ。」
「庇うってどういう事...?
あなたはオーガストを
裏切るような事をしたのよ
それなのに...どの口が言うのかしら」
エレノアは眉を潜めて鋭い眼光で睨みつけるもフィリルはそんな事は歯牙にもかけないように瞳に闇を映したまま笑みを浮かべた。
「裏切る?....っはははは!
ごめんっ君にだけは言われたく無い言葉を言われたもんだから、
つい憎しみで笑いが込み上げて来たよ。
いいよ?君は約束を破ったけど
僕は優しいから君の願いを叶えてあげる。
全ての真実を、教えてあげるね」