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蕎麦を食べていた。わさびが効き過ぎていて、すすった時につんと鼻に辛みが突き抜けるだけでなく、刺激が顔中を焼いて、脳までピリピリし、やがて頭痛となって男を悩ませる。それでも男はわさびを食べることをやめられない。それどころか、またおつゆにぽちゃんと、箸で大きくすくった緑のつぶつぶをせかされたように足し続けている。それでもまだ足りない、満足することはない。頭痛は慢性化して、胃も重く、悩みはどんどん深刻化してくるが、やめることができない。
その蕎麦はわさびがなくとも十分おいしい。けれどもわさびがなくては、男は蕎麦を食べた気になれない。食事をした気になれない。口を動かすことが食事に必須の動作であるように、男にとってはわさびをつけることが食事に必須なのである。
とはいえ、男が最初からこれほどのわさびを常飲していたわけではない。いつごろからか、刺身に添えられていたのをちょっと舐める程度だったのが、拳大にすくってたべるようになり、添え物だったのが男の中心へと変わりつつあった。そしてわさびがもたらしてくる頭痛も、男にまとわりつくようになった。
どろどろになった蕎麦つゆを薄めずに最後の一滴まで飲み干して、ふうと溜息をつくと、食った食ったという気持ちになって、席を立った。しばらくすると、また渇望してくるのだろう。肝心なのは、タバスコや和からしでは駄目で、わさびであるということだ。これは何かの比喩ではなく、わさびの中毒者の話なのだから。