姫騎士の出会い(2)
案の定野宿を提案すると、騎士達はマグナにローナ関係の事であーだこーだと文句を言い、彼らへの説教でそれなりに時間がかかってしまった。まあ、実際は可愛らしく怒るローナを見て、騎士達は内心癒されていたのだが。
すっかり辺りは暗くなり、窓の外に目を向ければ、気持ち良さそうに爆睡している部下達の姿が目に映る。姫を護衛するという重大な任務を与えられ、常に気を張っていたのだろう。
今はしっかり休んでくださいと彼らを気遣いながら、ローナはマグナが住む家の中を1人歩いていた。
(どうしてマグナさんは、こんな場所に家を建てたんだろう)
それは、ここに来た時からずっと疑問に思っていた事だ。しかし、何度聞いても最後までマグナは教えてくれなかった。
(あら、マグナさんったら·········)
何故か今夜は眠れない。バレると嫌がられるかもしれないが、のんびりと歩きながらリビングに入ると、ソファの上に寝転がって眠っているマグナが居た。
「風邪ひいちゃいますよ?」
「ん〜、お前それ俺の晩飯じゃねえかぁ〜········」
「ふふ、可愛い」
夢の中では誰と会話しているのだろう。つい可愛いと言ってしまったが、ローナはまるで弟を見ているような気持ちになる。
と、そこでとある事に気付いた。向こうに見える扉の隙間から、僅かだが光が漏れている。電気を消し忘れたのだろうか。そう思い、ローナはその扉に近付き開けてみる。
中は小さな部屋になっていた。電気は付いているが他の部屋よりも薄暗く、壁中に何かが書かれた紙が貼り付けられている。
「これは、魔術語········?」
それだけではない。魔術陣が描かれた紙や、分厚い魔道書と思わしき本も大量に存在する部屋。机の上にも紙やペンが散らばっており、ここでマグナは魔術の研究でもしていたのだろうかとローナは思った。
この世界に住む者なら、誰でも最低一つは習得する事になるのが魔術という力。魔術起動に必要な魔術文を詠唱する事で魔術陣が展開され、様々な現象を引き起こす。それが魔術である。
ローナも、まだ習得した数は少ないものの、数個だけなら魔術を使用する事は可能だった。
「あまり、見ない方がいいかな」
電気を消し、扉をそっと閉める。そこで、ローナは勢いよく振り返った。僅かだが、外から金属音が聴こえたのだ。
嫌な予感がしたので聖剣を手に取り、そのまま外へと駆け出すローナ。そんな彼女が見たのは、酷い傷を負って地面に倒れている部下達と────
「ふん、つまらん。これでは勇者を狩る前の準備運動にすらならんではないか」
全身を漆黒の鎧で覆った、禍々しい見た目の騎士。背は高く、手には巨大なハルバードが握られており、兜で顔は見えないが、声で男性だというのは分かった。
「あ、貴方は········」
「貴様が勇者ローナだな?我はゴリアテ、魔王様の配下である七魔柱の一人であり、黒教騎士団を率いる者」
「っ、魔王の········!」
「ここに聖剣がある事は我々も把握していたのでな。貴様が現れるのを待っていたのだよ」
咄嗟に聖剣を鞘から抜き、構える。
「ふはははは!選ばれし者しか触れる事すら出来ぬというが、その剣からも貴様からも、大した力は感じぬな」
「くっ········!」
「まあいい、貴様を殺せばこの世界は我が主である魔王様のものとなる。あの世で部下達に会わせてやろう」
次の瞬間、ゴリアテの姿が消えた。重装備だというのに、ローナの目ではとても追えない速度での移動。気が付けば、ゴリアテはローナの背後に立っていた。
「魔王様唯一の脅威である聖剣も、優れた者に使われなければ意味が無い。勇者ローナよ、貴様では七魔柱である我には勝てん」
「このッ!!」
振り向きざまに聖剣を振るうが、振り下ろされたハルバードと衝突した瞬間にローナは吹っ飛んだ。そもそも彼女は聖剣が使えるようになったばかりで、どうすれば聖剣の力を引き出せるのかが分かっていない。
そんな状態で、魔王が率いる幹部クラスの化物が襲ってきたのだ。立ち上がろうとするが膝は震え、先程の衝撃で腕が痺れて力が入らない。
「ひ、光よ、白き矢は魔を討つ杭となれ!」
「むっ───」
しかし、怯えながらも紡いだ言葉が魔術を起動させ、光の矢を放つ初級白魔術【ホーリーアロー】が発動。ゆっくりとローナに迫っていたゴリアテの頭部に直撃した。
「───驚いたな。まだ若い身でありながら、まさか白魔術を習得しているとは」
「あ、うぅ········」
「だが、我には効かぬ。この鎧は上級魔術ですら弾く特殊な装備、その程度の魔術では傷一つ付かん」
完全に戦意を喪失してしまったローナを見下ろしながら、ゴリアテはハルバードを振り上げる。
「遺言はあるか?魔王様に我が伝えてやろう」
「し········」
「し?」
「死にたく、ない、です········」
勇者に選ばれた特別な存在だとしても。姫騎士として皆から慕われていた実力者だとしても。彼女はこれまで平和な土地で暮らしてきた王女であり、実際にその目で惨殺された死体など見た事が無かったのだ。
今から自分も彼らと同じように葬られる。そう思うと、ローナは最早指一本さえ動かす事が出来なかった。
「所詮子供か。まあいい、一瞬で楽にしてやろう。あの世の存在を信じて逝くがいい」
「い、いや──────」
どれだけ願っても、もう助からない。迫るゴリアテの得物が妙にゆっくりと見える中、ローナは自分程度が人々の力になると言った事を後悔し─────
「夜にギャーギャーうるせえなぁ。ったく、寝れないだろうが」
ガチャりと、玄関の扉が開いた。
「何してんだローナ。こんな時間に、まさか部下達と········って誰だそいつ」
「ま、マグナ、さん········」
呑気に欠伸をしながら歩み寄ってくる彼は、先程まで爆睡していたマグナだった。彼を見て暫く放心していたローナだったが、やがて何故か目から涙が流れ落ちる。
「き、危険です。お願い、逃げて········」
「おいおい、誰だか知らんがその子は王族だぞ?やめとけ、一生牢から出れなくなるぜ」
「何者だ、貴様。我が黒教騎士団長ゴリアテと知っての発言か?」
「黒教騎士団?知らねーなぁ」
ローナよりも、この男が気に食わない。自分を見てまだ眠そうに頭を搔いているマグナの前に立ち、ゴリアテは体内に巡る魔力をハルバードに流し込んだ。
「相手の実力も見極められんとは。今ならまだ見逃してやる。立ち去れ、雑魚が」
「ここ、俺ん家だけど?お前がどっか行けよゴリゴリ野郎」
「ゴリアテだ」
直後、地面が砕け散った。砂埃が舞い上がり、ゴリアテとマグナの姿が見えなくなる。
ローナは見た、見てしまった。ゴリアテの振り下ろしたハルバードがマグナに直撃。そして衝撃で地面が砕けたのを。
死んだ。間違いなく死んだ。自分のせいで無関係な人を死なせてしまった事にローナは絶望し、やがて舞い上がった砂は風で流され────
「ば、馬鹿な········」
激しく動揺するゴリアテの前で、マグナは不敵な笑みを浮かべて立っていた。ゴリアテだけではない、ローナも同じだ。あの巨大なハルバードを、マグナはただのナイフで受け止めていたのだ。
「········で?」
「あ、有り得ん!ただの人間が、この我の一撃を受け止めただと!?貴様、一体何をした!」
マグナから距離を取り、ゴリアテが叫ぶ。それを聞いたマグナは呆れたような表情を浮かべ、そしてナイフの切っ先をゴリアテに向けた。
「ナイフで受け止めた、以上」
「知っておるわッ!!」
「じゃあ聞くなよ」
猛スピードで振るわれたハルバードを、再度ナイフで受け止めてみせたマグナ。それから何度も突きや斬撃をゴリアテは繰り出すものの、その全てをマグナは受け止める。
「な、何故だ!?」
「お前もやってるだろう?これはただのナイフだが、俺は魔力を流し込んで耐久力を底上げしてるんだ」
「だからといって、我の一撃を受け止められる筈がない!」
「お前なぁ、流石に理解しろよ」
ドズンッ!!
そんな、嫌な音が響いた。
「か、あがぁ········!?」
「弱いよ、お前」
鎧にめり込む、握りしめられた拳。兜の隙間から飛び出した赤い血を浴びながら、マグナはそのまま腕を振ってゴリアテを吹き飛ばす。
「す、凄い········!」
魔王の配下である七魔柱の存在は父から聞いていた。それぞれが恐るべき力を持っており、勇者にとって最も脅威となる相手と言っていた。しかし、そんな敵をナイフと素手で圧倒しているこのマグナという男性は、一体何者だというのか。
「あ、そういえば········」
不意に思い出す、ここを訪れた時の光景。
『い、いや〜、包丁が折れたもんでね』
『せ、せ、聖剣ヴァルキュリアを、大根を切る為に使用したのですか!?』
『ま、使う人も居ないし、役に立ててこの剣も嬉しいだろ。耳をすましてごらん。ほら、感謝の言葉が聞こえるじゃないか········アリガトウ!ボク、ダイコンノカットにシヨウサレテ、スッゴクウレシイヨ!』
『酷い茶番ですね!?』
聖剣ヴァルキュリアは、勇者であるローナ以外には触れる事すら出来ない武具。それを普通に触り、大根を切る為に使用したというマグナ。そこで気付くべきだった。彼は勇者ではないものの、普通の人間ではないのだと。
「アアアアアッ!!おのれええええッ!!」
手のひらを上に向け、ゴリアテが魔術文を詠唱する。
「燃えよ闇、黒き炎は我の牙!」
「っ、この詠唱は········!」
それを聞き、ローナは目を見開いた。確かにマグナは強いが、これから放たれるのは通常の魔術よりも遥かに威力が高い魔術。
「黒魔術········!」
炎魔術・水魔術・風魔術・地魔術・雷魔術が基本の五魔術。白魔術は攻撃以外にも回復や補助魔術なども含まれる上位魔術で、黒魔術は敵を破壊する事に特化した上位魔術である。
上位魔術である白魔術と黒魔術は使い手が少なく、特に黒魔術を扱えるのは世界中を探しても数人程度だろう。しかし、彼ら魔族は違う。七魔柱の中で黒魔術を使えない者など一人も居ないのだ。
「マグナさん、駄目です!それは黒魔術の中でも下級の【ダークフレア】という魔術ですが、破壊力は他の魔術とは桁違いなんです!」
「もう遅いわ!跡形も無く散るがいい!」
放たれた黒い炎が、一瞬でマグナとの距離を詰める。そして、その魔術が派手に炸裂する寸前。
「ああ、知ってる」
ダークフレアを、マグナは真上に蹴り上げた。数秒後、上空で派手に爆ぜた黒魔術。それを呆然と見上げているのは、ローナだけではなくゴリアテもだった。
「全然魔術の扱いがなってないね。まず、魔術の大きさの割に込められている魔力量が少なすぎる。大きい火球を作り出すのに魔力を無駄遣いして、威力がしょぼくなってるんだよ。それに、魔法陣の魔術語も所々省いてるな?」
「う、うぅ········!?」
「どれ、手本を見せてやる」
そう言って、人差し指をマグナは立てる。
「燃えよ闇、黒き炎は我の牙」
詠唱と共に展開された魔法陣を構成する魔術語の数は、ゴリアテの倍以上。指の上に出現した黒い火球はゴリアテの放った火球よりも小さいが、感じる魔力は桁違いだ。
「ま、マグナさんも黒魔術を!?」
「さーて、ゴリアテ········だっけか?受け止める自信があるんだったら別にいいけど、逃げる事をおすすめするぜ。これは自惚れじゃない、警告だ」
「ぬ、ぐうう········!」
嫌という程思い知らされた、マグナと自分の差。プライドが激しく傷付いたゴリアテだが、ここで無謀な戦いを挑む程馬鹿ではない。
「覚えておれ、人間ッ········!」
駆け出し、突如向こうから駆け寄ってきた黒い馬の上に飛び乗ったゴリアテ。そのまま坂を駆け下り猛スピードで森の中へと逃げ込んだゴリアテに、マグナは容赦なく黒魔術を放つ。
「うおおおッ!?」
その直後、夜の森が爆ぜた。