噛むからね?③
「ううぇっ!びゃああああああああっ!!」
「あー、はいはい今ミルク冷ましてるからちょっと待っててくれよっ」
「あぅ」
「はい、どこ行くんですかお姫様。戻ってらっしゃい」
なーにが優雅なお昼だ。
そんな暇あるわけないだろ。
知ってた。
知ってたし覚悟してた。
そのために午前中でやれる事を事前に全部したんだから俺は。
「びぃいいいいい!ばぁああああっ!」
「ナナー?もうちょい待ってなー?」
「んー!んー!」
「はいだめー。大人しくしてなさいジャジャ」
お腹が減ったと泣きわめくナナを片手に抱きながら、フワフワと風に流されるジャジャの服を哺乳瓶を持った手の中指で引き寄せる。
ここ最近は飛べる時間も長くなって来てる上に、ある程度自由に動く事を覚えたようだ。
ハイハイより早く移動手段を手に入れたジャジャの好奇心は、家のありとあらゆる場所に向けられている。
「ほら、もう良いぞ?」
「ふぇ、ふぇええ……んく」
「ママのおっぱいより美味しくないかも知れないけど我慢してくれぃ」
ソファに座り、ナナの口に哺乳瓶を当てる。
結構前に作ったから、大分冷めてるはずだ。
人肌温度ってのが難しいんだコレが。
「んく、んく」
「あー!んー!」
「もうちょい待ってなー?ナナのご飯終わったら次はジャジャだから」
両腿にもがくジャジャを優しく挟んでロックする。
双子のご飯のタイミング、合わせないと後々俺たちが苦労する。
お昼寝なんかも、あんまりズレないように気をつけている。
こちらの都合で悪い気もするけど、今のところジャジャとナナは仲良く同じタイミングで寝るしミルクを飲む。
粉ミルクを飲むようになって大分アオイが楽をできるようになった。
授乳だとどっちか、または二人とも抱き続けなければならず、その間アオイは身動き取れなかったからな。
哺乳瓶ならアオイじゃなくてもミルクを飲ませる事ができるから、アオイへの負担がより軽くなるわけだ。
「こんにちわー」
「あ、ユリーさん。こんにちわ」
ダイニングの窓の外、庭にユリーさんが現れた。
玄関だと双子の面倒に追われて対応できない事があるから、ユリーさんみたいに良く顔を出してくれる人は庭から家に入る。
金色長毛犬族のユリーさんは、娘のドギーさんに当たり前だが似ている。
六十を超えてるとはとても思えないスタイルの良さで、スラッとしていてカッコいい。
種族特有の金髪に、サラサラな毛に覆われた長く垂れた耳も相待って、不思議な柔らかい空気を持った人だ。
ドギーさんを含めた四人の娘をしっかり育てた人で、とても頼りになるベテランお母さんだ。
「お邪魔するわね。ナナちゃんお昼中なの?」
「ははは。大泣きでした」
元々この時間に来るのは分かっていたから、窓の鍵はかけてない。
引き戸タイプの窓を開けて、靴を脱いでダイニングに上がるユリーさん。
手には大きな買い物袋をぶら下げていて、何やら野菜などが上から顔を出していた。
「ジャジャちゃんはまだ?」
「はい、これからです」
「見た感じ、薫平くんもお昼まだでしょ。ジャジャちゃんおいで、オバさんとご飯食べましょ」
「あー!」
ロックしていた腿を開くと、ゆっくりとジャジャが飛んでいく。
両手を広げたユリーさんの胸に到着し、受け止められた。
「はい、お上手。本当に飛ぶの上手くなったわね?」
「ええ、最近は目を離したらとんでもないところに向かってて、みんな大慌てです」
「んー。なんとなくだけど、先にハイハイの練習させないと駄目な気がするの。飛んでばかりだと、ハイハイしないでしょ?」
「はい。ナナも、ジャジャ程じゃないけど飛んでばかりなんですよね」
「何か考えなくちゃね。鳥族の赤ちゃんは飛ぶまでに時間がかかるから、ハイハイや立っちをする方が早いんだけど」
この近辺に二件しかない、獣人の子供も見てくれる保育所。
その一つについ最近まで勤めていたユリーさんは、大体の獣人の赤ん坊を見てきたそうだ。
人魚族から鳥族という、特殊な生育方法の赤ん坊なんかも慣れているらしい。
さすがにというか、当たり前というか、龍種の赤ん坊は面倒を見た事がない。
日々悩みながら双子を育てている俺たちには、一緒に考えてくれるユリーさんはとてもありがたい人だ。
龍に詳しい筈のあのネズ公、アルバ・ジェルマンは、意外な事に育児には参加しやがらない。そもそも飯時にしか家に現れない。
ていうか、あの体のサイズだとジャジャやナナに近づくとぬいぐるみと勘違いされて鷲掴みにされるからな。参加できないっていうのが正しい。
痒いところに手が届かないネズミだ。
「ジャジャちゃんのご飯はどーこーかーなー」
「あー、だぁ!」
慣れた足取りでダイニングを横切り、キッチンのカウンターに置いてある哺乳瓶の保温機に向かうユリーさん。
リズム良く言葉を発しながらジャジャを楽しませるところなんか熟練の技だ。
ジャジャも嬉しそうに両手を上げて笑っている。
「はい!見つけたー!」
「だぁ、だぁー!」
差し込むタイプの保温機から哺乳瓶を取り、頬に当てて温度を確かめるユリーさん。
「ちょっと冷ましましょうねー」
「難しいんですよね。それ」
温度調節を行なってくれるタイプの保温機だが、実際は少し熱かったりする。
「私たちの頃に比べたら大分楽よ?何度もお湯を沸かすの大変だったんだから。世界がくっついて良かった部分よね。文明の利器ってやつ」
あ、そうか。
ユリーさんは世界衝突が起こるより前の世代だ。
獣人世界は大分文明が遅れてたみたいだからな。
「初めて車を見た時の感動といったらなかったわね。私たちの村は運良く日本とくっついたから幸運だったわ」
世界衝突当時、世界中で種族間の大小様々な争いがあったらしいが、日本はといえば比較的穏やかだったそうだ。
お国柄と言うべきか、混乱した時世を平定する事に尽力した当時の政府は、当時は何かと批難されていたそうだが、現在だと概ね賞賛されていたりする。
「滅多に見ることのなかったガラスがこんなに安価になるなんて私が小さい頃は思いもよらなかったし、母乳の代わりが量産されて気軽に手に入るとも思ってなかったわ。村では母乳の出る母親が集まって賄ってなんとかしてたもの。次女以降の育児が楽になりすぎて肩透かしくらった程よ?」
うーん。苦労した時代の人の話は興味深いな。
「ドギー巡査の上のお姉さん方は、嫁いだんでしたっけ?」
「上の二人はね。三女は東京で一人を満喫してるみたい。少なくとも本人は電話でそう言ってるけど、あれは多分負け惜しみね。最近の子は結婚を急がないから、三十を超えてようやく焦ってるのよ」
頬で哺乳瓶を転がしながら、ユリーさんは少し唇を尖らせた。
なんだかんだ言っても、三女さんの事が心配なのだろう。
「あぅ」
「ジャジャちゃんもうちょっと待ってねー」
「あー」
ジャジャが右手の親指を咥えて不思議そうにユリーさんを見ている。
「私が結婚した時は村のしきたりが強い時でね?先だった旦那とは幼馴染で、小さい頃から結婚が決まってたのよ。多少不満はあったけど、良い人だったわ。私はあの人で充分幸せだった」
懐かしそうな顔をするユリーさん。
「ま、世界が変わったから、今の子の生き方も変わるのも当然ね。娘達には好きに生きてもらいましょう」
「あはは……」
うーむ。返答に困る。
「はいお待たせ」
「あー!……んく」
元気良く返事をしたジャジャが、ユリーさんの差し出した哺乳瓶を両手で掴み、口に咥えた。
「はいお利口さん」
ユリーさんは大きく体を上下して、ジャジャを横に抱え直す。
少し歩いてソファに座ると、母性溢れる表情でジャジャを見下ろしている。
母親って、なんか良いなぁ。





