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マイ・マザー・ユール(エピソードEP)

 

 結局アタシの心配なんて、あの子達にとっては大きなお世話だったんだろうか。


 それでも、アタシにとっては焦燥感に駆られて我を見失う程の事だったんだ。


 屋根の上から、月を見上げる。

 今日は半月か。

 確かアイを産んだあの日も、半月だった記憶がある。


 三百年前、先代空龍王ネルケが亡くなり、一族の総意によって最も力の強かったアタシが空龍王を継ぐ事になった。


 正直、今でも重荷に思う事がある。


 アタシは昔から巣を持たず、方々(ほうぼう)に流れた数少ない一族の者を頼りに各地を廻って居た。


 異なる世界が衝突するなんて微塵も考えたことも無い。

 あの頃の文明レベルなんて今から見ればお粗末も良いところで、原始的な獣人と、少しだけ利口な魔族が居たぐらいだ。

 色んな種族、色んな組織、色んな国を影から観察して暇を潰しながら、世界を旅して居た。


 地龍族の森や、海龍族の島なんかも廻ったっけ。


 二千歳なんて龍にとってはまだ全然若くて、人間風に言うなら20代後半に差し掛かった頃と同じ年齢だ。


 まだまだ遊びたい盛りのアタシは、空龍王を継ぐ事が嫌で嫌でたまらなかった。

 だけどアタシより強く、アタシより若い龍なんて居なかったから、拒否して押し付けるなんて事も出来ずに不貞腐れたまま空の龍王となった。


 これが、大変だった。


 龍王とは調停者だ。

 アタシ達の愛する空は、時に表情を一変させて地を荒らす事がある。

 地面を風でえぐり、雨を散らし、雷で森を焼く。

 そんな気まぐれな空の機嫌を取りながら、歪な箇所を修正するのが龍王であるアタシの役目だ。


 それからのアタシに、心休まる時間なんて無かった。

 西へ東へ、北へ南へ。

 次から次に機嫌を悪くする空を宥めながら、毎日毎日一人で忙しく旅をする。


 アイを産んだのは、そんな時だ。

 多分、心の拠り所を欲したのだと思う。

 手頃な所に巣を構え、心細い日々を送っていた。

 産卵期を迎えて力が衰えて来ると、一人が怖くてたまらなかったから。

 それまでも数回卵を産んだ事があったが、あの時の痛みは今でも忘れられない。

 己の身を引き裂くような感覚。

 涙を流しながら、悲鳴をあげながら産んだ卵に命が宿ってると知った時は、卵を抱きしめて震えて眠った。


 しばらくして元気な産声を上げたアイに逢う。

 クリクリの瞳に、プニプニのほっぺ。

 甘えん坊で、寂しがり屋。

 すぐ泣くし、すぐ笑う。


 私の世界は、綺麗な光を放ち始めた。

 一緒にいると楽しい。

 一緒に寝ると落ち着く。

 一緒に遊ぶと笑顔になる。


 アリッサの事を思い出したのはその時だ。

 アタシより若かった筈のアリッサは、本当にいつの間にか姿を見なくなっていた。

 大人達が怖い顔で騒いでいた事は憶えていた。

 まだ子供だったから、アリッサに一体何があったのか聞いても誰も教えてくれなかった。

 気になったアタシは小さなアイを抱えて、アリッサの母のサティを訪ねた。


 他の生物が近寄れない大雪山の頂上に、サティとアリッサは暮らしていた。

 その姿を見たアタシは言葉を失う。


 記憶の中ではいつも笑っていて、アタシの後ろをついて歩いていた小さなアリッサ。

 明るくて、お転婆で、少しだけ我儘で、でもとても愛くるしい子。

 そんなアリッサが、まるで彫刻のような冷たい表情で、痛々しい姿で目の前に居た。

 困惑するアタシに、サティが説明してくれた。


 獣人と魔族の商隊に囚われてしまった事。

 なんとか見つけて助け出した頃には、体の至る所が奪われて居た事。

 それ以降、アリッサは笑う事も、怒る事もしなくなった事。

 それどころか、サティが口を開けなければ、エサすら食べない事。


 龍の身体は、龍以外にとっては喉から手が出る程の宝だ。

 長命を与える、とか。

 無双の力を授ける、とか。

 そういう与太話を信じて龍を狙うヤツは大勢いる。

 でも大抵の龍は負けないから、ヤツらが宝を手にする事は無いと、この時までは思っていた。


 サティは自嘲気味にアタシに告げた。


『ユーリエル、その子が本当に大事なら、絶対に守ってあげてね?』


 頷く事しかできなかった。


 それ以降、時折悪い夢を見る。


 アタシが目を離した瞬間、遊んで居たアイの姿が消え、遠くから泣き声が聞こえてくる。


 そんな夢だ。


 目覚めた後は必死にアイの姿を探し、見つけては安堵する。

 それはアイが大きくなっても、長い間続いて居た。


 アタシは過保護になった。

 ずっと他の種族の事を見てたから、アイツらにも優しいヤツがいる事は知っている。

 だけど、目を逸らしたくなるほどに邪悪なヤツも、この目でちゃんと見てきた。


 恐ろしくて堪らなかった。

 なんであんな酷い事が出来るのだろうと思う場面もあった。


 アイは、アタシの『宝石』だ。

 眩く輝いて、綺麗で、儚い。


 独り立ちをするまでに、強い子に育てようと決意した。

 どうしたって他種族は龍を欲しがる。

 知らないで襲われるよりは、知っていて襲われる方が対処のしようがあると考えた。

 巣を起点にして、二人で色んな所に行った。

 豊かな国、貧しい国、閉鎖的な集落、滅びゆく種族。

 それをアイに見せながら、戦い方を教えていく。


 アイは、正直戦いには向いていない。

 臆病で、泣き虫で、すぐにアタシに甘えてくる。

 それが可愛くて、厳しい態度を取れなかったアタシの所為でもある。


 それでもなんとか一人でも戦えるまでに成長したのは、空龍の掟によって定められた独り立ちの歳より、十年ほど過ぎたあたりだ。

 アオイノウンと言う、古い女神の名前を贈ってやった。

 月の女神だ。

蒼穹そうきゅう』と言う称号は、今住んでいるこの国だと青空を意味しているらしい。

 澄み渡る青空に、薄く浮かぶ綺麗な月。

 そんなイメージを込めて、『蒼穹』のアオイノウン・ドラゴラインは独り立ちをした。


 アイは別れたく無いと泣いて騒いだけど、アタシだって同じだった。

 でも、強く生きていくには独り立ちはしなければならない。

 龍が集まれば、龍を求めて争いが起きるから。


 後ろ髪を惹かれる想いでアイを引き離し、アタシは思い出深い巣を後にした。


 世界衝突が起きた事も関係している。

 空の至る所に傷があり、その全てを治すのに何百年かかるかわからない。

 アタシは空龍王。

 この空の守り手だから。


 アイと離れていても、忘れた事なんて一秒も無い。

 忙しくても、心身ともに疲れ果てていても、アイを思えば苦じゃなかった。

 あの子が生きる世界を守っている事が、アタシの誇りだったから。


 アイが子供を産んだと知ったのは、グランドキャニオンとか言うところで、歪んだ嵐を消す作業をしていた時だ。

 遠くの空から流れてくる風がアタシを祝福していた。

 まさかと思った。

 早すぎると思った。

 龍の産卵、そして誕生は本当に稀にしか起きない。

 教えてない事が、多すぎると気づいた。


 急いで作業を終わらせて、日本へと戻る。

 最短を行こうと思ったら空の歪みに邪魔されて、人間達が使うルートしか通れなかった。

 見つからないようにしながら、ついでに見かけた歪みを直しながら、れにれた上にとても疲れた空の旅を終えて巣に戻ると、アイはどこにもいなかった。

 近くにいるのはわかってた。

 昔からアイがどこに隠れてもすぐに感じ取れたから。


 迎えに行こうと巣から出ると、鼠の賢者がいた。


 アタシの生まれる遥か昔から生きてる、胡散臭い龍の医者。

 コイツを好いてるヤツは一人も居ないが、その確かな腕だけは信用されている。

 龍が一匹も病死して居ないのは、コイツのお陰なのは間違いないから。


 ヘラヘラと笑う鼠の賢者は、アタシに信じられない事を話した。


『アオイがね?人間との間に子供を設けたのさ。今はその人間達と暮らしているよ』


 目の前が、真っ暗になった。

 思い出すのは、アリッサの痛々しい姿。

 アイと、まだ見ぬアタシの孫の泣き叫ぶ姿。


 頭の中の冷静なアタシは、落ち着けと言っている。

 でも大部分を占める興奮したアタシは、助けに行かなければと叫んでいる。


 すぐに巣を降り、アオイの存在を頼りにその家を探す。

 身体は疲れ果てていて、時々目眩めまいがしたけれど、居ても立っても居られなかったからだ。


 家を見つけて、深呼吸をした。

 まずはアイと孫達の姿を確認しよう。それから全てを聞き出そう。

 そう思って玄関のチャイムを鳴らす。

 アタシだって、少しは人間の事を知っていたから。


 何度鳴らしても、誰も出てこなかった。

 逸る気持ちが、扉を壊そうとアタシの手を操ろうとするが、なんとか制してチャイムを押し続ける。


 ようやく扉が開き、男が出て来た。


 出て来たのは目つきの悪い、身長の高い男だった。


 とてもじゃないが、善人には見えなかった。


 それからアタシの思考は乱れに乱れ、暴走し、アイを傷つけ、自分のしでかした事すら治める事もできずに、無様にも敵に回した男の家で目が覚めた。


 部屋の窓を開けて、屋根の上に飛び、月を見上げている。


 ただただ、情けなさしか出てこない。


「やあ、目が覚めたようだね」


 声に振り向くと、屋根の淵に鼠の賢者が立っていた。


「……ああ、なんだお前。ヤケに上機嫌じゃないか」


 嬉しそうに尻尾なんて降りやがって。


「そりゃあね。長い間、本当に長い時間乞い願ってやまなかった探し物を見つけたんだ。今日ぐらい浮かれ立って、構わないだろう?」


「なんの話だよ」


「秘密さ」


「そうかい」


 興味は無い。

 どうせ話を聞いたって、コイツの事だ。信用なんてできないしな。


「……あれは、なんだ」


「あれ?」


 覚えている事で、一番不思議に思った事がある。


「……小僧が、龍に変わった事だ。お前の仕業なんだろ?」


 そもそもコイツはアタシを煽ったり、アイ達を助けたりと、滅茶苦茶に動いていたのは知っている。

 多分今も、アタシ達龍はこの偉大なる鼠の賢者の掌の上で転がされている。


「あれは、龍ではないよ。人間が龍に変わる事、ある訳ないでしょ?」


「いや、あれは龍だ。天の精霊がアイツに従った事がその証拠になる」


 そうだ。

 空龍の力の源、大いなる精霊の眷属はアイツの角に間違いなく従っていた。

 そんなの、龍以外にできる訳が無い。


「龍では無いと何遍でも言うさ。卵の殻を食べたぐらいで龍になるなら、世界は今頃龍で溢れている」


 杖を腰に回して、鼠の賢者は月を見る。

 まあ、はぐらかされているんだろうな。


「……アイツが龍なら、まだマシだったんだけどな」


 そうだ。

 同じ龍なら、人間や獣人、魔族に比べて遥かに信用できる。

 マシって程度ではあるが、アイと双子達を任せても心配ないだろう。

 男の龍なんて、見た事も無いが。


「それについては安心したまえ。さっきルビーの所に行って来てね。話をしておいたんだ」


「あ?」


 何言ってるんだコイツ。

 地龍王の所になんの用事があったんだよ。


「ルビーの娘、知ってるだろ?アオイとも仲が良かった娘さ。あの子、地龍の掟に従うと、もう森から出る時期なんだ。だからついでに、双子が大きくなるまで守ってもらうよう頼んで来たんだよ」


「……それは」


 ありがたい。

 龍種の中でも戦闘能力と言う点に於いては、地龍が最強だからな。


「なら、良いか」


「アオイ達も、この事を伝えようとしてたんだけどね」


 ……アタシが、聞かなかったからか。


「……良し」


 不安も、心残りも沢山ある。

 だけど。


「……もう行くのかい?」


 そうだ。

 今回の様な事をしでかしたアタシが、あの子達の側に居るのは、良い事では無い。


「ああ、無様にも負けて逃げるのさ」


「君が万全だったなら、あの子達なんて軽めのブレス一発だったんだけどね」


 なんでアタシが娘にブレスなんて打たなきゃいけないんだ。

 軽めでも大陸を抉る威力があるんだぞ。


「……小僧に伝えてくれ。お前を信用した訳じゃないって」


 今回の事があろうと、他種族の事が解決した訳じゃない。

 むしろ心配事は増える一方だ。


「アオイと双子に何かあったら、アタシは今度こそ殺しに来るぞってな」


「わかった、伝えておくよ。アオイ達には?」


 何を、言えば良いのだろうか。

 でも、伝えたい事はいっぱいある。


「……いつだって、母さんはお前を愛してる……と」


 堪らなくなって、翼を広げて上昇を始める。


「……泣くぐらいなら、顔を見せてやりなよ」


「……その顔が合わせられないんだよ」


 告げて、高く飛ぶ。

 鼠の返事なんて聞きたくないし、もう涙が止まらないから。


 半月に向かって、真っ直ぐに飛ぶ。

 この空は雲が少ないから、どこまでもくっきりと空に浮かんで居る月。


「あぁ、うぁ、ああ」


 喉がヒリつき、目頭が熱い。


 小さなアタシの『宝石』。

 可愛いアタシのアイ。


 立派になっていた。

 母親になっていた。


 馬鹿だったのはアタシだったよ。

 母さんを許してくれ。


 真っ直ぐ、真っ直ぐに飛びながら消えて無くなりたいほど惨めな思いを涙に変える。


「母さんっ!」


 声がした。


 聞きたくて聞きたくてたまらない声が。


 翼を止めて遥か地面を見る。


 そこには、息を切らせて頭上を見上げるアイの姿があった。


「わ、わだじも!!母ざんがだいずぎだがら!!」


 涙でボロボロの顔で、アイは、いや、アオイノウンは声を張り上げて叫んでいた。


「いづが! があざんがおぢづいだら!!ジャジャどナナを!みにぎでぐだざい!!」


 は、ははっ!

 何言ってるか、わかんないよ。


「……ああ、気が向いたら、顔を見に来るさ」


 多分聞こえないだろう声で呟き、アタシは振り返り翼を広げた。


 あの半月を目指して、どこまでも飛ぼう。


 この世界で生きる、あの子達の幸せを願って。


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