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がおっと吠える⑨

 

「お……お前……なんのつもりだ!」


 生まれて初めて、土下座なんてしている。

 作法もへったくれも知らないからこれで正しいのかも分からない。

 無駄にへりくだった態度など、もしかしたらユールの自尊心を煽るかもと今更思い浮かんだけど、これ以上の懇願の姿勢が分からなかった。


 頭を下げているからユールの姿は見えないけれど、その狼狽うろたえた声は聞こえて来た。


 不意に、背中に手を置かれた。翼と翼の間にだ。

 細くて、小さな手。

 間違いなくアオイの手だ。

 片膝を地面につけて、俺の隣にアオイは居た。


「薫平さん……顔を上げてください」


 その声は、震えている。

 その声に従い、ゆっくりと顔を上げた。

 ユールと視線が合う。

 右手で額を抑え、定まらない視点で俺とアオイを交互に見ている。


「母さん。私達にはどうしても薫平さんが必要なの。薫平さんだけじゃない。お義父とう様も、翔平さんも、今助けてもらってる人達も。そうじゃなきゃ、私達は生きていけない。それは」


 アオイはゆっくりと立ち上がる。

 プルプルと震えるその両足は、未だ癒えないダメージを物語って居た。

 こいつもまた、無理をしている。


 弱々しい、だけど確かな強さを持って、アオイは一歩を踏み出した。

 疲れ果て、正気を失って居た母を怯えさせないように、ゆっくりと向かっていく。


 ふと気づくと、隣に親父が立って居た。

 顔を向けると優しく微笑んでくれる。

 どこか満足気なその顔を見た途端、身体から緩やかに力が抜けていくのを感じた。


「んー」


「あー、あー」


 親父に抱かれた双子が、大きな瞳に涙を溜めたまま俺を呼ぶ。

 ジャジャは右手の親指を咥えて、ナナは両手を広げて俺を求めている。


「ほら」


 親父が静かな動作で腰を曲げる。

 俺は手を咄嗟とっさに広げて待った。

 右腕にはナナ。

 力の入らない腕で気をつけて抱くと、胸元に頭をグリグリと押し付けてくる。

 左腕にはジャジャ。

 大きく俺の首に手を回すと、肩に頭を横に乗せてフワリと笑い、甘えてきた。


 乳児の柔らかい匂いが、鼻腔をくすぐる。

 たまらなくなって、少しだけ力を込めてキツく抱きしめ、両頬を寄せて大きく息を吸った。


 肩と胸の重みが、心地良い。


「ア、アイ……」


 アオイが一歩を進める毎に、ユールは少しだけ後ずさる。

 それを逃すまいと、アオイは歩幅を大きくし、やがて二人の距離は人一人分も無い。


「それは、それはね? 母さんだって一緒なんだよ?」


 震える声で、アオイは真っ直ぐな言葉をユールに投げかける。


「……アイ」


「母さん!」


 狼狽えたユールの隙をついて、アオイはその胸元に飛びつき、キツく抱きしめた。


「おっ、お願いします……お母さん……私達を……ひっ……信じてください……っ!」


「あ……」


 脇の下に腕を差し入れられ、戸惑うその両手をゆらゆらと揺らすユール。


 抱きしめ返せばいいのに、と思った。


「何をしているみんな!早く逃げるんだ!」


 突然、アルバ・ジェルマンの怒声が響いた。

 声を追って首を回すと、親父の肩に息を切らせて座って居る。


「行き場を無くした精霊達が勝手に集まっている! さっきのなんか比じゃないぞ!」


「え?」


 そういえば、あれだけ居た光の蝶達が、今は少ししか周りに居ない。


 未だ頭上に広がる分厚い黒雲を見上げる。

 一瞬で、ヤバイと認識した。

 それは、雲の中に存在していた。


 太陽かと錯覚する程の巨大さだった。

 帯電しながら、放電しながら、空を千切る様な音を立てて膨れ続ける巨大な雷球。


「…っ!?」


 息を飲んだ。

 雲の周りにおびただしい数の光の蝶達が飛び回り、右に左にフラフラ揺れながらやがて搔き消えるように雷球に吸い込まれていく。


 すぐに立ち上がろうと脚に力を込めた。

 だけどピクリとも動かない。


「親父! チビ達を連れて逃げろ!」


 役に立たない自身の両脚を早々に見切りをつけて、親父を急かす。


「馬鹿野郎! 早く立て!」


 俺の身体が疲れ果てている事を知っていたのか、親父は両脇に腕を差し込み強引に引っ張りあげる。


 完全に脱力した身体は、親父に身を委ねないと立つ事すらできない。


「母さんっ!?」


 アオイの驚きの声が聞こえた。

 見ると、ユールがその巨大な翼をぎこちなく広げて地面から飛び上ろうとしている。


「母さんっ! 何をする気!?」


「……アタシの不始末だ」


「精霊達は混乱して身を寄せ合ってるんだよ! 今の母さんじゃ制御できない! そんな身体であんなのに近づいたら、母さんですらどうなるか!!」


 力の入らない腕を無理やり伸ばして、アオイはユールに追いすがる。

 背中の翼は力なく羽ばたいていて、きっと浮く事すら出来ないのだろう。


 ユールはその姿を見ると、ゆっくりとアオイの頭を撫でた。

 優しく、慈しみながら、細くて白い指でそのサラサラな髪をく。


「母さん待って!嫌ぁ!」


 すがり付く娘の両腕をそっと振りほどき、ユールはフワリと地面から両足を離した。

 ゆっくりと低空を旋回し、俺達の目の前に立つ。


「……可愛いな」


 両腕を上げて、アオイと同じように双子の頭を撫でた。


「……あぁー、あー!」


「うばぁ!だぁ!」


 俺の腕の中で、ジャジャとナナが暴れ始める。

 手足をワタワタと動かし、ユールに向かって呼びかける。


「……嫌われちゃったか?」


「ち、違う! 行くなって言ってるんだ!」


 悲しそうに笑うユールが、見てられなくて、思わず声を張り上げてしまった。


「そうなら、嬉しいな」


 ユールは目を細めて、双子から手を離した。

 そのまま再び空へと昇っていく。


「ま、待てよ!おい!」


「薫平!急げ!」


 身を乗り出そうとした俺を、親父が制した。


「母さん!お母さんっ!」


 ヨタヨタと足を動かしながら、アオイは俺達の目の前まで必死にユールを追って来ていた。


「っアオイちゃん!こっちに!」


 親父は左腕を伸ばして、その肩を引き寄せる。

 俺とアオイ、そして俺が抱くジャジャとナナを親父は必死に巣へと逃がそうともがく。


「駄目だ……駄目だ! こんなの、誰も望んでない!」


「おかあさんっ!!」


 俺達の顔を見つめたまま、ユールは高く高く上昇していく。

 やがて雷球にたどり着いたユールは、俺達見て優しく微笑み、その中へと姿を消した。


「アルバァ! なんとかしろよ!!」


 親父の肩に座るアルバ・ジェルマンは、首を横に振った。


「さっきの一撃を防ぐのに、僕は力を使い果たしてしまった……逃げる事しか手段がないし、あれだけの雷球なんだ……この岩の半分は抉れる威力なんだよ! ユールは多分、破裂する雷球の破壊力を自身の身体を同化させる事で誘導するつもりなんだ!」


 そんなの、あるかよ!


「お前っ! 龍の味方とか言ってたじゃないか!」


「僕に出来ることならなんだってやるさ!でも出来ない事も沢山あるんだ!」


 ……嘘だろ?

 まだ何か手があるはずだろ?


 だってあの人は、必死だっただけだ!

 確かに悪態もついたし、俺を傷つける事で人を拒絶したけど、必死に娘や孫達を守ろうとしただけじゃないか!


『兄ちゃん!? どうしたの兄ちゃん!?』


『薫平くん!返事をして!』


『風待! 何があったんだよ!』


 親父の胸元にかけられたスマホから、翔平や三隈達の心配そうな声が聞こえる。


 落ち着け。

 冷静クレバーだ薫平。


 馬鹿なら馬鹿なりに頭を働かせろ。

 でも、あんな物相手に、俺が出来る事ってなんだ。

 それが分かってれば、ここまで傷つく事も無かっただろうが。


「お母さぁんっ!嫌だ!お母さんっ!」


 アオイの悲痛な声が、俺の脳を揺らす。


「ぐうぅぅぅぅぅぅ」


 悔しさが、唸り声となって俺の喉を鳴らす。


「二人とも! 急げ!」


 普段とは違う親父の焦りの声が、更に拍車をかける。


「ぅぅぅぅぅぅぅぅっ!」


「あー!あぁー!」


「だぁ!だぁー!」


 ジャジャとナナがユールを呼び続ける。


「うううううぅううっ!!うおおおおおおおおおっ!!」


 吠えた。


 どうにもならない事態に処理しきれなかった思いが、咆哮となって天を貫く。


 その瞬間。


 視界が真っ白に染まり。


 俺の中の『小さな光』が。


 強く輝いた。


「なっ!」


 アルバの驚愕の声が上がる。


「薫平!?」


 親父の戸惑いの声が聞こえる。


「おぉおおおぉぉぉぉぁ!!うああああああああああ!!」


 極小の光の蝶が、俺の身体の内側から次々と現れた。

 それは他の蝶達とは違う強い緑色の光を放ちながら、俺達の周囲を満たしていく。


「は、ははっ!あはははははっ!僕はっ!!僕は賭けに勝ったぞセラフィ!!」


 アルバの声がするが、理解が出来ない。

 蝶達は俺の叫びに呼応して、俺の『内側』から無限に現れ続ける。


 その勢いは凄まじく、親父は耐えきれずに俺から手を離した。


「これは! 君が望んだ、君の夢だ! ようやくっ!ようやく現れてくれたっ!」


 何かを言っているのはわかるのに、言葉として処理しきれない。


「アオイ! この精霊達を操れるかいっ!?」


「えっ!ええっ!?」


「呆けるなっ!ユールを死なせるつもりかっ!」


 アオイの戸惑いの声が聞こえる。

 アルバの強い叫びも。


「うわぁああああああああああああああっ!!あああああああああああ!!」


 すでにこの声は、俺の声じゃない。

 勝手に、身体の内側から飛び出した、誰かの叫び。

 蝶達は、すでに周囲を埋め尽くしているのを感じる。


「糞ネズミっ!テメェ!俺の息子に何をしたっ!!」


「ははっ!風待かざまち 晃平こうへいっ! 君だって薄々感じてただろうに!白々しいなっ!」


 親父の声と、アルバの声が聞き分けられない。


「うぅー!」


「だぁあー!」


 今俺が分かるのは、ジャジャとナナが、腕の中で俺を助けてくれている事。


「薫平…さん?ジャジャ……?ナナ……?」


 誰かが、俺達を呼んでいる。


「た、助けて……」


いや、それは俺達を『願って』いる。


「お願いっ!!お母さんを助けてぇっ!!」


 でも、大丈夫だ。


「ぐぅああああああああああっ!!」


泣かないでいいんだ。


「うぅー!!」


その願いはきっと。


「あぅー!!」


 お前の宝物達が叶えてくれる。


『がおっ!』


 ジャジャとナナが、力強く吠えた。



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