がおっと吠える⑧
両手で頭の両側に生えた硬くてスベスベしたモノを何度も何度も確かめる。
「つ、角……だ」
角だ。
「なんで……え?」
クエスチョンマークが思考を埋める。
「せ、背中に翼も生えてます……」
「嘘ぉ!?」
振り向いて、首の可動域の限界を攻める。
視界の端ギリギリに写る、白い物体。
アオイやジャジャやナナのとは違う、真っ白い翼。
鱗に覆われた骨格に、薄い皮が張られた、それはまさに翼。
背中から少し上向きに生えていて、アオイの翼に比べたら大分小さい。
見え辛いと身体をよじると、それは俺の意思に答えてバサリと動いた。
マジか。
「尻尾も、ある……」
戸惑いを隠さないアオイの言葉に、視線を少し下げてみる。
言葉通り、尻尾がある。
俺の背中の下辺りから続く、ぺたんと地面についた白い鱗に覆われた尻尾。
試しに、動かしてみる。
俺の思う通りに尻尾が動いた。
「はあ? はああああああああぁ!?」
ちょっ、ちょっと待て!!
落ち着け薫平!
確か俺は、ユールの雷球になんとか対抗できないかと思い、アルバ・ジェルマンに言われるがままにジャジャ達の卵の殻を食べた。
突如襲った猛烈な頭痛まではしっかりと覚えている。
そこからが、思い出せない。
なんかとても懐かしい声を聞いたような。
「これは、間違いなく龍種の尻尾と翼と角……です」
呆気にとられたアオイが、俺の頭へと手を伸ばして右角を触った。
「一体、何が……」
「わ、わかんない」
アオイに疑問を投げかけられても、俺にもさっぱりわからない。
「うああああああああああああっ!!」
「っ!? 母さん!!」
ユールの悲痛な絶叫が、俺たちを現実に呼び覚ます。
すでに雷球はあり得ない大きさまで膨れ上がり、縦に横にと膨張と収縮を繰り返していて、見ただけで限界を迎えた事がわかる。
「と、とりあえず! 薫平さんは私の後ろに!」
アオイが立ち上がり、発光と共に龍へと変身する。
全てが真っ青な綺麗な身体。
俺の身長の三倍ほどあるアオイの龍の姿。
それを見上げながら、俺はさらなる異変に気付いた。
「な、なんだこれ」
それは、オーロラのような光の帯。
ユールを中心として、不規則な放射線を描きながら周囲に流れる小さな光の粒子。
俺の視界に、見た事もない光景が映し出されていた。
光の粒子を注意深く見ると、それは蝶々のような形で、目一杯広げた羽をバタバタと閉じたり開いたりを繰り返している。
「もしかして……これが、精霊……?」
数百、数千、いや下手したら数億匹もの極小の光の蝶が、幾本もの歪んだ列をなしてユールへと集まっている。
ユールの身体にまとわりついたその光は一つの発光体に変わり、まるで逃げ出そうとしているかのようにグニグニと歪んでいる。
逃げ切らない光の塊は、ユールの頭上から天の雷球までを繋げ、蝶同士がぶつかり合って飛沫のような残滓で空を埋めていた。
「がぁあああああっ!!」
アオイの咆哮が地面を揺らす。
「あああああっ!!うああっ!!」
ユールは絶叫を一度止め、顔を下げて俺たち、いや俺を見据えて腕を振り下ろした。
同時に、雷球が動き出す。
それは速いわけではなかった。
人の歩く速さと同じような速度で、俺たちへと真っ直ぐに落ちてくる。
だが雷球の大きさよりも広い範囲が、その余波で破壊されて行く。
ユールの足元の岩が焦げ付いた。
牙岩の頂上がビリビリと震えている。
吹き荒れる暴風が刺すかのようにぶつかり、俺たちの身体を揺らす。
「ううぅうううううっ!がぁぁああああああああ!!」
アオイが吠えた。
その身体の周りに薄い黒雲が発生し、渦を巻いてアオイの正面に集まって行く。
どう見ても、先程までアオイが操っていた黒雲よりも量が少ない。
極小の蝶がその雲の周りで一生懸命羽ばたいているが、雷球の余波で次々と吹き飛ばされている。
そうか。
あの蝶を操る事で、アオイやユールは風や雷を生み出しているんだ。
暴走しているユールの方が圧倒的に蝶を集めているから、アオイは雲を作りきれていないのか。
「アオイっ!」
その大きな足元にしがみつき、僅かでも身体を支えてやろうと思った。
「え?」
そこで気づく。
俺が移動する事で、ほんの少しではあるが後をついてくる蝶がいる事を。
「……もしかして」
俺は思い出す。
アオイ達が雷を操る時、大きく反応していたのは淡く発光する角だ
試しに、俺に生えている角に意識を集中してみた。
不思議な感覚を覚える。
それは指を動かすように、曲がれと意識した時にはすでに指が曲がっているかのような。
蝶達が、俺の意思に従ってアオイの操る黒雲へと飛んで行った。
感じたのは、緩やかに流れる風。
木々を揺らすささやかで、それでも存在感を持った確かな風。
「もっと……もっとだろ……頼むっ!もっと集まれっ!!」
無意識に口を出た言葉が蝶達に届いたのか、黒雲へ向かう蝶の量が微かに増えた。
たけど、足りない。
全然足りない。
無慈悲にも、雷球は俺たちの目の前にまで来ている。
アオイの操る黒雲と、ユールの制御下を離れた雷球が接触する。
眩い光に包まれた。
「っぐぅ!!」
「がぁあああああっ!!」
全身に走る痛み。
血液が沸騰するかのような熱さ。
皮膚が炭化して、内側の肉すら焼けただれる。
アオイの咆哮が空気を裂いて、俺の頭の中で反響した。
それは一瞬の地獄。
刹那の拷問。
乖離する肉体と意識を繋ぎ止めるのは、死への恐怖。
失いたくない物と、失わせたくない存在。
そんな大袈裟なイメージが一瞬で脳裏を駆け巡った。
どれくらい経ったか、はっきりとは分からない。
気づいた時には、地面に伏していた。
いつの間にか人の姿に戻っていたアオイに覆い被さり、数瞬だけ気を失っていたのだと思う。
「ぐっ、ああ……?」
身体を起こした。
焼き爛れた箇所が硬直していて、物理的に動き辛い。
身に降りかかった事を思い出すのに、数秒を要した。
「うっ……くんぺ……さ…」
弱々しい声で、アオイが呻いた。
身体中に黒い火傷の跡を残していて、とても痛々しい。
体から赤い煙を出しながら、その傷がゆっくりと治って行く。
「い、生きてる?」
嘘だろ。
もう駄目かと思ったのに。
なぜ生きてるんだ俺は。
両手を開いてジッと見る。
掌についた無数の傷が、ゆっくりと癒えていく。
アオイの身体から出ていたと思っていた赤い煙は、どうやら俺の分も混ざっているようだ。
これは、俺が龍になったからか?
「あ、アイ……?」
悲痛な、声がした。
顔を上げると、ユールが呆然と立ち尽くしている。
「あ、あれ? アタシは何を……した……?」
気を失って倒れているアオイを見るユールの瞳から、光が失われていた。
俺は離れている巣の様子を見るために首を無理矢理回した。
顔を青くして双子達を抱える、親父の姿を見つけて安堵する。
アルバの野郎、ちゃんと守ってくれたか。
泣き声が聞こえる。
二つ分の耳をつんざく声が、遠く反響して俺の耳に入る。
ジャジャとナナが、泣いている。
これは、駄目だ。
きっとこのままじゃ、俺たちはみんな不幸になる。
あの声は、恐れている声だ。
いつもの腹を空かせた声じゃない。
温もりを求める声じゃない。
あれは、失う事を恐れて、小さな心が恐れて泣く声だ。
考えろ。
俺は、何をすればいい。
俺は、何をしていない。
あんな声が聞きたくなくて、ここまで来たんじゃないか。
そうだ。
俺はまだユールに何も伝えてないじゃないか。
俺の本心を、伝えてはいないじゃないか。
痛む身体を無理矢理動かして立ち上がり、俺はヨロヨロとユールに向かって歩き出す。
「……なんてこと……アイ…」
見開かれた目から頬を伝って一筋の涙が流れた。
自分のした事を受け止めきれず、『母親』が泣いている。
きっとこの人は、想いすぎた。
空龍王。
空の調停者。
それがなんなのだろう。
この人は、『母親』なんだ。
どんな肩書きだろうと、たとえどんな長い時を生きていようと、生物を超越した力の持ち主だろうと、子を想う『母親』でしかなかった。
「ユール……さん」
ゆっくりと俺を見つめる。
「……あ、アタシはただ、アイとあの子達を……守りたかった……だけなのに」
弱々しいその姿に、空の王の威厳は何処にも無い。
「なんで……こんな事に……」
「かあさん……」
俺の背後で、アオイの声がした。
「かあさん……私は大丈夫だから……お願い。そんな顔をしないで」
足を止めて、振り返る。
アオイが身体を押さえて立ち上がった。
身体の傷は、ほとんど治っている。
俺の傷はまだ癒えていないから、あれが本来の龍の回復力なのだろう。
「ちゃんと、落ち着いて話を聞いて」
強い光を灯す瞳で、アオイはユールを見る。
「アイ……」
狼狽えるユールは、一歩だけ後退した。
「……アンタじゃなければ終わってた」
「っ!!」
俺の言葉に、ユールが無言で慄いた。
「アンタ以外の奴にここまで追い詰められてたら、俺やアオイだけじゃなくて、ジャジャもナナも終わりだ」
そう。
この光景を恐れているのは、それだけは俺達とユールの共通点だ。
「俺達さ、弱かったろ。正常な判断すらできない程に満身創痍なアンタにすら、俺達は勝てない。アンタが心配に思うのも、当たり前だよな」
「っだから!」
「だから!!」
反論しようとするユールを遮って、言葉を続ける。
力の無い俺に今出来るのは、伝える事しかないから。
「……助けて、貰うんだよ。足りない事とか至らない事とか一杯あるから、すぐにはそれを埋められないから、助けてもらわないと俺達、駄目なんだ。だから幾らでも頭を下げる。出来る事ならなんだってしよう。無様だと笑ってくれていい。あいつらと一緒に居たいから、その為になら笑われても構わない」
ゆっくりと、両膝を地面につけた。
「アンタから見たら、凄くちっぽけで、頼りなく映るよな。分かってる。自覚してる。だから」
両手を、地面につけた。
「助けてください」
そして、頭を地面につけた。
「お、お前……」
「薫平さん……」
戸惑うユールの声と、震えるアオイの声が聞こえる。
「俺達が間違って、どうしようもなくて、困り果てて前にも後ろにも進め無くなった時。その時はどうか助けてください」
頭を下げ続ける。
足音が聞こえる。
泣き声が聞こえる。
親父が、チビ達を連れて来たようだ。
「アンタの娘を、アンタの孫を助けてください。俺は見捨てても構わない。アンタの『宝石』達を、どうか守ってあげてください」
この姿は果たして双子に誇れる姿なのか、俺には分からない。





