がおっと吠える⑦
『良いかい?ユールは今疲れ切っている。空の修復を延々と繰り返して、あの子の龍気はほとんど空に近い。それに体力だって限界だろう。まともに龍の姿にすらなれない筈だ。あの姿は相当疲れるからね。これだけの条件が整っているなら、未熟なアオイでも充分ユールを抑え込める。最初の条件はユールを大人しくさせる事だ。力を使い果たして話を聞く姿勢を取らせる事。君の役割は決まってるだろ?逃げ続ける事さ。ユールが全ての力を出しきるまで、逃げて逃げて逃げまくる。どうだい、簡単だろ?』
とかなんとかあのネズミ言ってたけど!
「ぜんっぜん簡単じゃないじゃないかあああぁ!!」
俺は牙岩の頂上を走り続ける。
足を止める事は死を意味し、たとえ腿がパーンしようと走り続けるしかない。
「があああああああああっ!」
視界の隅で大きな青い翼を広げた龍の姿が見える。
黒くて大きな角を持つ、綺麗な青い龍。
そう、それは最初の日に見たアオイの龍の姿。
「っちぃ!」
ユールは苦々しげに舌打ちをした。
アオイは黒い靄のような雷雲を纏ってユールに襲いかかる。
パリパリとした破裂音を連続で鳴らしながら、猛スピードで空を駆けてユールへと突撃を繰り返している。
美人モデルの姿のまま、翼を広げたユールはそれを紙一重で避け続けていた。
「っさすがアタシの娘だよアオイ! まだ未熟だとは言え、私の操雷と操嵐に干渉しながら戦えるなんてね! しかしまだまだだ! その程度じゃアタシの雷と風を掻き消す事は出来ないよ!」
「ぐぁあああああああ!!」
ユールの角と巨大な翼は青く発光し続けていて、そこから次々と細い雷が俺を狙い飛んでくる。
龍の姿のアオイの咆哮は、悔しそうに聞こえる。
俺に余裕があるわけじゃないが、それでもアオイは傍目にも本気を出してるようには見えない。
時折戸惑うように動きを止める事がある。
実の母親を、たとえ理由があろうと傷つける事はアオイには無理なのは分かってた。
だから俺たちの取った手段は逃げの一手であり、だからこそ消耗戦を選んでいるのだ。
かと言って、それが容易い訳ではない。
「うおっ! 耳痛え!」
背後やすぐ横に着弾する細い雷。
乾いた破裂音が幾度も俺の耳を貫通していく。
襲いかかるのは自然界では回避不可、一撃必殺。
ファンタジー界隈だと勇者の代名詞とも言われる雷の槍。
なぜそれをたかが人間である俺が避け続けてられるのかと言えば、多分ユールが疲れている事と、俺を本気で殺そうとしていない事。
更にアオイがユールを邪魔している事。
そして、着弾予測がつくからだ。
『空龍の操る雷って、実は四段階の工程に分けられているんだ』
胡散臭マウスであるアルバの説明だ。
『ユールは雷を操る事を得意としている。体内の龍気を練る第一工程。外部の精霊に助力されて増幅する第二工程。精霊を目標まで等間隔で並べて道を作る第三工程。そして発雷の第四工程。これね、注意してみれば第三工程はすぐ分かるんだ。目標の近くに精霊の発光現象が発生するからね。それを踏まえて今のユールの疲れ具合を加味すると、避ける事自体はとても容易い。問題は君のスタミナだね?』
だね? じゃ無えよ!
確かに分かる。
雷が落ちる2.3秒前ぐらいに地面が発光していて、それを見ながら、俺はジグザグに走り続けている。
あらかじめ用意していた耳栓なんて、気がつけばポロっと取れてどっかに行っていた。
だけど問題は連発性能だ!
本当に絶え間ない。
次々と発生する発光箇所を見落とせば、俺に落ちるのは電気マッサージですなんて冗談ですら言えない痺れる一撃。
俺の精神はジリジリと削られていく。
ていうか!
ユールの体力が限界を迎える目安がわからない!
「っく!」
余裕ぶって空中を飛んでいたユールが、ユラリと風に流された。
ん?もしかして、結構ゴールは近いのか?
「がぁっ!!」
アオイが空を大きく迂回して、全身の雷雲を濃くしながらユールに突撃した。
「舐めるな!」
ユールの右の翼が大きくはためく。
「がっ!!」
「アオイぃ!!」
分厚くなりすぎて白い層が視認できるほどの風の壁。
それが、上方からアオイに覆いかぶさった。
押しつぶされて、短い悲鳴を上げる青い龍。
「あぅ……」
淡い発光と共に、アオイの姿が人型に戻る。
体は多少傷ついているが、小さな赤い煙を出してその傷が消えていく。
「っく!」
ユールが突然、地面へと膝をついた。
飛ぶ事すら難しくなったのか、翼をたたみ苦しそうな表情をしている。
「アオイっ!」
その姿を確認した俺は、地面に横になるアオイへと駆け寄り体を起こした。
「だ、大丈夫です……ごめんなさい。やっぱり母さんは、強い」
悔しそうな表情で俺を見上げるアオイ。
どういう心境なのか、俺にはわからない。
「いや、良くやった。ユール……さんも、どうやら限界のようだ」
アオイの頭と肩を支えながら、ユールを見る。
憎らしげに俺とアオイを睨み、口をキッと結んだままだ。
その肩は上下に激しく揺れていて、荒い鼻息すら聞こえてくる。
「母さん……お願い、話を聞いて」
ユールが暴れ始めてから、十分も経ってない。
なのにあれだけの疲れ方をしているのは、やっぱり通常の状態では無かったからなのだろう。
「……お前らには、アタシの気持ちがわからないのか」
ユールはひねり出すように、苦しそうな顔で声を出した。
「まだ子供だと思っていた娘が、何も知らない娘が!子供を産んだと聞かされたアタシの気持ちが! アオイ!あんたはまだ全然子供なんだ! 一千年を生きた龍ですら、子供を持つ者は少ない!ああ、そうさ!アタシだって悪いだろう!アンタにはまだ早いと、何も教えなかったアタシもね!」
「か、母さん」
アオイも同じように、苦しそうな顔をしている。
「だから帰って来たんだ! 十分な経験を積んでないアンタが心配で!独り立ちさせたのに、みっともなくアタシは戻って来た! そしたら何だよ! 人間と暮らしてる!? 信じられるかい!? 人間が龍の父親になるなんて、誰に想像がついた!」
「ユール……さん」
ユールは、泣いている。
多分自分でも気がついていないのか、その目から大粒の涙を流しながら、地面に膝をつけて俺とアオイを睨んでいる。
「アリッサの一件があっても、アタシ達龍は他の種族を憎んだ事は無い! でも恐れてはいるんだ! 龍の子供は産まれ辛いから、アタシ達は子供を深く深く愛して生きて来たんだ!だから子供が奪われる事が何よりも恐ろしくて! そんな!そんな……アタシ達のっ『宝石』をっ……」
ぐっと堪えて、ユールは地面に顔を伏せた。
震える肩が、全てを物語っている。
溢れる涙が、牙岩の乾いた岩肌に染みていく。
「お前らは……っ! 奪っていくじゃ無いかぁああああ!!」
「母さん!?駄目ぇっ!!」
ユールが、天に向かって吠えた。
「なっ!」
「薫平っ!逃げろ!」
遠くから親父の叫び声がする。
ジャジャとナナを抱いた親父は、巣の入り口で俺たちを見ている筈だ。
強風が、逆巻く。
雷鳴が、轟く。
色濃い黒雲が空を満たし、日の光が完全に遮られた。
ユールに向かって、風が集まる。
その巨大な翼が限界まで広がり、ユールはゆっくりと浮き上がった。
「ああああああああああっ!!!」
天に向かい、絶叫が木霊する。
「母さんっ!落ち着いて!お願いだから!」
「うおっ!アオイっ!これは一体!?」
無秩序に暴れながらユールへと集まる強風、それに強く体を揺さぶられながら、俺はアオイの肩を抱く。
「かっ、母さんっ! 精霊を抑えきれてないんですっ!精霊達が、苦しんでるっ!」
ユールへと目を向ける。
顔は天を仰いだまま、絶叫が止まらない。
その頭上に、見覚えのあるモノを見つけた。
「あ、あれは」
アオイと初めてあった時、誘拐犯へとぶつけた光の玉。
それと同じモノが、あれよりも遥かな大きさで天に浮かんでいる。
「雷球……っ! あんな大きい!?」
アオイが口を開けて驚愕している。
「卵の殻を使いなさいっ!」
俺の頭の上で、アルバ・ジェルマンの声がした。
ずしりと感じる重さで、そこにネズミがいる事を感じる。
「はぁ!?」
「龍ならともかくただの人間があんなモノを喰らったら、ひとたまりもないぞ!君の父親や双子達は僕が守るから!君はあの殻を食べろ!」
「で、でもな!」
「時間が無い!急いで!」
俺の疑問に答える事なく、アルバの声が急に消えた。
軽くなる頭上に困惑しながら、急いでズボンのポケットに入れていた、二つのカケラを取り出す。
ジャジャとナナの卵の殻。
食べれば人間を少しだけ辞めれる、その出涸らし。
「に、逃げて薫平さん!私ならなんとかなるけど、あんなの人間が受けたら、塵も残らない!」
いや、多分逃げられない。
急激に大きくなる光の玉は、さっきより二倍近いデカさになっている。
例え今から巣へ走っても、間に合う保証はどこにもない。
「ええいっ! 頼むぞ!」
勢いよく、二つのカケラを口に放り込んだ。
噛まずに飲み込む。
「薫平さん!?それ何ですか!?」
「チビ達の卵の殻! 食べたら強くなっ……ぐぅっ!!」
頭痛が!
頭が、割れる!
「ぐっ、ぐあっ!」
「薫平さんっ!? どうしたんですか!?薫平さん!!」
頭を押さえる。
脳の中心から真っ二つに引き裂かれる様な痛み。
目の奥から熱した油を流さている感覚。
背中から何かが飛び出そうとしている。
「ぎっ!ぐぅっううううっ!」
痛い。
死にそうなくらいに痛い。
心臓から送り出される血液が、暴れながら血管を突き破ろうと全身に流れている。
口から吐く息が、鉄すら溶けそうな温度に感じられる。
「薫平さん!!しっかりしてください!薫平さんっ!おじさまっ!薫平さんに何をさせたの!?」
「ぐうっ!ああぁああああああああああああああああああああ!」
頭が、跳ね上がった。
まるでそうしないと、首から上が強引に引きちぎられるかと思ったからだ。
目の前がホワイトアウトして、何も見えない。
何処にいるか、何をしているか、わからない。
『風待 薫平は風を待つ……』
この声は、誰だ。
『風の薫りを嗅ぎ取って……』
この優しい声は、誰のだっけ。
『何時だって、何処だって、飛びたい時に……』
この、心から身を委ねたいと思わせる声は。
『ビュンと、飛ぶ』
ああ、そうだ。
『……ツライ事があったら、この呪文を思い出しなさい』
忘れるわけ、ないじゃないか。
『薫平は、負けない子だもんね?』
逢いたかった。
『母さんの、自慢の子だもの』
かあさん。
「ああぁああああああああああああああああああああ!!」
肺の息が、力が、身体から全て抜けていく。
「ああぁああ……………………………………」
抜け切った力が、深い呼吸とともに戻ってくる。
「く、くんぺい……さん……」
頭を下げた。
白かった視界が、急に晴れていく。
「そ、それ、なんですか……?」
心臓が、ゆっくりと元の鼓動を刻み始めた。
不思議と、心が落ち着いていく。
「………かあさん」
「え、え?」
アオイの不思議そうな声が、耳に届いた。
顔をあげて、アオイを見る。
大きく開かれた瞳には、驚きの色しか映されてない。
「……ん?あれ?」
今、何があった?
あの物凄い痛み、頭痛は何処に行った?
「あ、アオイ……俺、どうした?」
「え、薫平さん。わかってないんですか?」
何が?
「そ、それ」
アオイが恐る恐る、俺の頭を指差す。
その軌道を追って、頭へと右手を上げた。
耳の上、頭の横。
そこに、違和感。
「な、何これ……」
硬い、スベスベとした『何か』が、俺の頭にある。
「多分、それは」
俺の頭を指す指を震わせて、アオイが口を開いた。
「つ、角です」
「へ?」
「しかも、立派な」
「え?」
左手を上げて、反対側も確認する。
ある。
硬くて、スベスベしたモノ。
「それは、龍の角、です」
「は?」
言ってる意味が、わからない。





