龍のお嬢さん②
「こんにちわー」
「あっ、どうもこんにちわ」
猫耳のオバさんに頭を下げられた。
俺も慌てて頭を下げる。前の町じゃ少しだけ有名人だったから、こんな風に挨拶されるのは久しぶりだ。
「……獣人が多いな」
猫族と鳥族の姿がチラホラ見られる。
この町は『向こう側』が残った方の土地なのかな。
日本だと関東から西はだいぶ地形が変わってるから、『あっち』の人達が多いとは聞いた事がある。
元々住んでたところにも少なからず居たし。
俺はすでに10分ほど歩いていた。
緩やかな坂道を登り、一度立ち止まり、家の方角を見る。ここからなら周囲が大分見渡せた。
巨大な逆三角の大岩が、地面に突き刺さっている。
わかりやすい。あの大岩の麓に、新しい家がある。
半年前、親父が家を買いたいと言い出した時はビックリした。
翔平は小学六年に上がる前だし、俺も高校に入学したばかりだったしな。
当然俺たち兄弟は反対した。
だが珍しい事に、親父が引かなかった。
我が風待家は民主主義だ。多数決で決まった案は絶対だし、否決されたら諦めてもらうしかない。
そのルールを整えたのは親父だ。
その親父が、多数決を無視した。初めての事だ。
きっと理由があると踏んで、翔平と二人でしつこく問い詰めたら、中年になって久しい親父が、顔を真っ赤にして自白した。
この町は、母さんとの新婚旅行で訪れた町だそうだ。
中規模の温泉街と、隠れた観光スポットのある田舎町。
母さんは大層喜んだらしい。
テンションの上がりきった母さんは親父に言った。
『いつかこの町に住みたいね』と。
隠しきれない嫁馬鹿の親父は、それをずっと覚えていた。
その日からネットなどで毎日、土地の売り出しがないかをチェックしていたそうだ。
去年の夏頃、親父は歓喜した。
親父の収入と貯金、俺たちの学費や生活費を鑑みても、ギリギリのラインで手が出せる中古物件が土地の権利付きで競売にかけられていたのだ。
それからはもう早い早い。
建築系の職に就く親父の全力のコネクションで先ずは競売を抑え、俺たちに報告。
勢いで動き出した手前、退くに退けない状況になった親父は、結果として強引に俺らを説得する手段に出た訳だ。
俺ら兄弟は、素直に言うと死んだ母さんが大好きだ。
母さんが関与してるであるならば、先ず却下する事は無い。
前の学校の面々には申し訳ないが、優先されるべきは母さんである。
あ、俺は別に前の学校に未練などない。なにせ友達なんて居なかったし。いや、友達を自称するうっとおしい奴らはいっぱい居たな。
話しかけた事すら無いけど。
まあ、そういう事で。
母さんの希望した町に住む事に、一点の反意は俺や翔平には無かった。
「空気も綺麗だし、景色もすげぇしな」
俺は思い出しながら一人ごちる。
緑豊かな田園風景と、近代的な住宅街。
見える範囲にあるのは立派な山脈。
近くに流れる大きな河川。
のびのび生活するにはもってこいの環境だ。
それを象徴するのは、家の裏手にある深い森とそこに突き刺さる逆三角の大岩。
何が凄いって、目算で100メートル近いんだ。あの大岩。
ちょうど家から北側だから、日照が遮られるって事もない。
よし、休憩終了。
さっさと買い物して帰ろう。
男三人の我が風待家は、引っ越し荷物は結構少ない。
とは言え、翔平は自分の支配地域であるキッチンとダイニングを優先してたから、自分の部屋の片付けをまだ終わらせてない筈だ。
チャッチャと終わらせてやろう。
俺は再び坂道を歩く。
大岩の上から、巨大な影が飛び立つのを、見逃してしまっていた。