龍のお嬢さん①
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「いやー。中古だけどいい買い物したなぁ」
親父が上機嫌でダンボールを開けている。
休日だというのに髪型をピッタリとキめ、分厚い眼鏡をクイッと右手の中指で押し上げた。
入っているのは親父の仕事道具や書類とか。
壊滅的に不器用な親父には、食器類なんかの割れ物は触らせたくない。弟の翔平による信頼の役割分担だ。
「内見の時も思ったけどさ。三人だとデカくないか?」
すでに自分の部屋を整えた俺は、作業が遅れがちな親父を手伝っている訳だ。
「いいんだよ。翔が嫁さん連れてきたり、翔の家族が増えたりしたらいい感じなんだから」
「おい、俺は」
「翔はモテるからなぁ」
「だから俺は!?」
奇跡が起きたら俺だって結婚できるかも知れないだろうが!
それにしたって、まだ小学生の弟の結婚を考えるなんて幾ら何でも気が早すぎる。
「まあ、翔は確かにモテるな」
前の家から引っ越す時も、アイドルのコンサート並に女の子が押し寄せてきて大変だった。それと同じ数の男の子も来てたもんだから、なぜか俺がお別れの挨拶の列整理をする羽目になったんだ。
「それに引き換え、長男ときたら……」
親父が最近広がってきた額に手を当てて、わざとらしく溜息をついた。
「……悪かったな」
一人しか来なかった。ていうか、先生が来た。
「喧嘩ばっかりしてるから嫌われるんだ。次の学校じゃ大人しくしとけよ」
好きで喧嘩してる訳じゃない。
カツアゲとか強引なナンパとか、そういう場面に出くわすのが多いだけだ。
俺から売った喧嘩なんて一個もないぞ。
「兄ちゃん」
部屋の外から声がする。
弟の翔平が扉から顔を出した。見慣れた黄色いエプロン姿だ。
「なんだ」
空のダンボールを畳んで、作業を中断した俺は翔平の声に応えた。
「キッチンとダイニング終わったから、蕎麦作りたいんだけど」
「お、いいな。引っ越し蕎麦か」
「うん。ご近所さんの分とかも作った方がいい?」
ご近所さんって言っても、周り森じゃないか。
「あれって、家で作るもんなのか?」
親父を見る。あ、これ知らない顔だ。
「んなの父さんに言われてもな。アレじゃないか?蕎麦のような長い付き合いをお願いしますって意味合いだと思うんだよ。店のもんだろうが家のもんだろうが一緒だろ。翔が作った方が確実に美味いんだから作っちまえ。安上がりだ」
適当な事言いやがって。
しかし翔平が作った方が確実に美味い。それだけは事実だ。
「んじゃ、僕が作るよ」
そう言って翔平はメモを取り出した。
扉横のチェストにメモを置き、エプロンのポケットからペンを取り出す。
我が弟ながら、薄幸の美少年だなぁ。
俺の癖の強い跳ねがちな頭と違って、翔平の髪は細くサラサラだ。
昔から少しだけ病弱だから、色白で細い。
モテるなぁコレ。
「兄ちゃん、コレ買って来て」
メモを俺に渡した。
結構な量の食材が書かれている。
「おう。……随分たくさん作るんだな。あれ、蕎麦は良いのか?」
「どうせ作ると思って、一昨日から準備してあるんだ。父さんが踏んだからイメージ悪いけど、平気でしょ?」
「さっすが……親父の足で作った蕎麦は確かにイメージ悪いが、弟の出来が良すぎて兄貴はグウの音も出ねぇよ」
「グウ以外の言葉が喋れるなら買い物できるよ。ご近所さんどれだけいるかわかんないから、多めに作ろうと思って。兄ちゃんなら余っても食べれるでしょ?」
「ナチュラルに父さんをdisったなお前ら」
俺は財布を確認した。
万札が一枚。家計から出た食費だ。買い物担当は俺だからな。
「んじゃ行ってくる」
「行ってらっしゃい。迷子になるなよ」
ならねぇよ。
「行ってらっしゃい。真っ直ぐ帰って来てね」
帰るよ!
家族からの微妙な見送りを済ませ、玄関でスニーカーに履き替えた。
大きな作りの玄関を出て、一度振り向く。
「……やっぱデカイなぁ」
親父が頑張ってくれたおかげだ。中古とはいえ立派な一軒家。
ローンは俺の代まで続くが、そりゃそうだろうし別に嫌じゃない。
母さんだって、生きてたらきっと喜んだ。
「さて、商店街……もしくはスーパーを探さねば」
初めての土地だ。流石に迷ったりはしないが、時間がかかる気がする。翔平の料理は美味い。腹が減って来たので、急ぐ事にしよう。
不意に空を見上げた。雲ひとつ無い晴天。
「良い日だ。なんか良い事ありますようにっと」
三月のまだ肌寒い中、太陽の陽気を浴びて少しだけ眠くなる。
俺はジャケットの両ポケットに手を突っ込み、機嫌よく歩き出した。