文学少女と桃色引きこもりドラゴン⑨
◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「待って、ねぇ母さん待ってよ!」
「はっ、離せアオイっ」
「離したら母さん、逃げちゃうじゃない!」
「逃げない、逃げないからっ! ああもうっ、油断した……この島じゃ感知系の能力が鈍るのをすっかり忘れてた……カロリア姉、ハメやがったな……?」
部屋の入り口付近でやんややんや揉めているアオイとユールを、俺は廊下の壁に背を預けてぼんやりと見ている。
腕の中のジャジャも興味津々に『おーっ』と唸りながら、ママとお婆ちゃんのてんやわんやをキラキラと輝く瞳で見つめていた。
「悪い事しちまったかなぁ……」
「ん? なんのこと?」
隣で同じ様に壁にもたれかけている三隈が、俺の独り言に反応した。
「ああ、いや。アリスレイアって娘のこと。まさかあんなに取り乱すなんて思ってなかったから気にしちまってさ。事故とは言え殆ど全部……見ちまったからな」
「驚きだね」
眼鏡の奥の大きな瞳を見開いて、三隈はわざとらしく呆けた様な表情を作る。
「なんだよ」
「ううん。女の子の裸をまじまじと凝視しちゃったにしては、いつもよりいやらしい顔してないなって思って。それにちゃんとデリカシーにも配慮してるみたいだし?」
「え? もしかして俺って、そんなにスケベで節操なしで失礼な奴だって思われてた?」
「って言うより、女の子慣れしなさすぎて何も隠せない、ひどく不器用な人だって思ってた」
ぎゃふん。
ぐうの音も返せない。
ここ最近身近に女の子が増えて少し慣れ始めたとは言え、俺の対女子コミュニケーション能力は小学生高学年の頃とほぼ変わっていない。
何を言ったら不味いのか、どんな言葉で傷ついて、どんな言葉で気分を悪くするのかなんて、正直さっぱりわからないのだ。
「まぁ、あんな幼い容姿の娘に対して不埒な感情を抱かないでいてくれたのは少しほっとしたなぁ。アオイちゃんも見た目的には中学生くらいだから、安心ってまではいかないけどね?」
「おいおいおい、いくらなんでもあそこまでちっこい子をエロい目で見たりなんかしないって」
そこまでじゃないぞ俺は。
「ふふっ、その言葉を信じますよ?」
「ああ、任せとけ」
なんて、いまいち中身の無い話題をしながら、俺達はテセアラさんとアリスレイアって子の身支度が整うまでを廊下で過ごしている。
完全に取り乱して泣きじゃくるアリスレイアの姿は、事故とは言え全てを見ちまった俺に罪悪感を抱かせるには充分すぎる程可哀想だったからな。
短く無い時間を待つ羽目になったのもしょうがない事だろう。
「薫平さんもっ、母さんを止めてくださいよぅ!」
その綺麗な顔を真っ赤に染めたユールの腕を捕まえながら、アオイが俺に助けを求めた。
「おっ、おいアオイ! あの小僧は関係ないだろ!」
「関係無いなんて無いよ! 母さん、結局薫平さんにあの時の事を直接謝ってないじゃない! ほら、ここで今すぐ謝って!」
わちゃわちゃとどこか嬉しそうに、アオイはユールの事を至極全うな意見で嗜める。
「あー、えっと」
ダメだな俺は。
色々覚悟していたのに、直接こうやってこの女性の顔を見ちゃうとどうにも身体が竦んでしまう。自分で思ってた以上にトラウマは根深かったようだ。
「あ、あんたはこの島で……何してたんだ?」
とりあえずの会話のとっかかりとして、努めて自然な話題で突破口を見出す事にした。
うう、自分が情けねぇ。
完全にビビってんだよなぁ。
「……ふん」
怪訝な視線で一瞥をくれるユールは、まるで駄々っ子がする様に俺から顔を背ける。
「母さん!!」
「ああっ、もう! わかった! わかってるよ煩いな! この島は海の気と言えど龍気に満ちているから体を休めるのにぴったりだから、近くまで来たらできるだけ立ち寄る様にしてんだよ! ここ最近本当に忙しくなっちまったもんで、いくらアタシと言えども休まないとぶっ倒れちまうだろ!? 何か文句ある!?」
娘の一喝に頬を膨らませながら、母は捲し立てる。
「い、いや。文句は無いけどさ」
その勢いに気圧された俺は、思わずたじろぎながら返答を返す。
「だぅあっ! だぁ!」
そんな俺の腕の中で、ジャジャがユールに両手を向けて、ぶんぶんと上下に振っている。
「ん? ああごめんよジャジャ。ばぁばの大声にびっくりしちまったかい?」
「んばぁ! ばぁ!」
ニッコニコと嬉しそうにユールに返事を返し、ジャジャは背中の小さな翼をパタパタと動かしてふんわりと宙に浮き始めた。
「お?」
急に落ちたりしない様にゆっくりと、俺はジャジャの身体から手を離す。
すっかり飛ぶのが上手くなった双子達だが、そうは言ってもやっぱり見ていて危なっかしく心配が勝ってしまう。
不安定な身体をぎこちなく水平にして、進行方向────ユールに向かって両手をピンと伸ばしたジャジャが、滑らかに移動を始めた。
「あぅ、だっ、だぅ」
なんの掛け声なのか俺にはさっぱりだけど頑張っている事だけは確かな可愛い声を出しながら、やがてジャジャはユールの胸に自ら飛び込んで行った。
「だぁっ」
黒いナイトドレスの薄い生地を小さな両手でしっかりと握り、にっこりと笑ってユールを見上げるジャジャ。
「凄いじゃないか! もうこんなに上手に飛べる様になったのかい!? 流石アタシの孫だ! ナナは? ナナも同じ様に飛べたりするのかアオイ?」
「うん、ジャジャの方が早かったけれど、もうナナも上手に飛べる様になったよ。褒めてあげて?」
「もちろんさ! 凄いぞジャジャ! 長い空龍の歴史の中でも、これだけ早く上手に飛べる様になった子は、アンタらが初めてかも知れないね!」
目に見えてぱぁっと、ユールの頬に分かりやすい赤みが差した。
本当に、本当に心の底から嬉しそうに喜びながら。
ジャジャのお尻に優しく手を添えて身体をしっかりと保持し、その顔に頬擦りをしたり額と額を合わせたり、ジャジャの顔とアオイの顔を見比べたり。
そんな姿はまさしく慈愛に満ち満ちていて、そういえば前回は色々有り過ぎて双子とユールがどう接していたかなんて見る事も無かったな──なんて、俺はぼんやり考えていた。
「おば様」
喜色を浮かべて騒ぐユールの背中から、ナナを抱えたルージュが近づく。
「うん? アンタは……確かルビー姉の」
「ん、ひさしぶり。覚えていてくれて嬉しい」
心なしか、ルージュが薄い笑みを浮かべた様に見える。
最近になってようやく分かり始めてきた、伝わりにくい表情の変化だ。
「ルゥ……いや、もう独り立ちしたんだっけか」
ジャジャを抱えていない方の手で、ユールはルージュの髪をくしゃりと撫でる。
「そう、今はルージュリヒテー。ルージュで良いよ」
どこか心地良さそうに、ルージュはユールの手を小首を少し傾げて受け入れた。
何だろう。少しルージュが幼く見える。
ルージュはユールとほぼ同じ身長をしているのに、どうしてこんなにも大人と子供を連想させられるのだろうか。
「ルージュリヒテー……か。ルビー姉にしては中々良い名を付けたじゃないか。大きくなったなルージュ。見違えたよ」
「ん。そう? 自分ではよくわからない」
「ははっ、アンタが今のジャジャやナナよりも小さな頃から知っているんだ。立派になったな。身体も、力も」
アオイや双子たちに見せる様な穏やかさで、ユールはルージュの頭をくしゃくしゃと乱暴に撫で回す。
その光景がいつかの俺の母さんの姿とダブって見えたのは、やはり俺が少しマザコンの気があるからなのか。
さっきからずっと静かにしている翔平をチラリと横目で見る。
扉のすぐ横の壁にもたれかかり、膝を抱えてユールを見るその目に、俺と同じ様な思いを感じ取ってしまった。
困った様な表情で。
羨ましそうな表情で。
大人に対してあまり人見知りをしないアイツが、ユールに対してどう関わっていけば良いのか分からず、結果としてただ黙ってその姿を遠目に見ている。
やっぱりアイツも、母さんの事が恋しいんだろうな。
「ん、おば様。ナナも抱っこしてあげて」
ルージュの腕の中で右手の親指をちゅぱちゅぱと咥えながら、ナナはユールの顔をまじまじと見つめていた。
「ああ、もちろん。ほらナナ、ばぁばが抱っこしてやる」
「……う?」
ルージュに促されて、ナナがユールに引き渡される。
久しぶりに見るおばあちゃんの顔を認識しているのかどうか、今のナナの顔からは読み取れない。
そもそも初対面のアレをちゃんと覚えているのだろうか。
いや、赤ん坊の記憶力は馬鹿にできないからな。
ジャジャもナナも、ユールの事をしっかりと覚えているに違いない。
「あぅだ」
ペチペチと確かめる様にナナがユールの顔を叩く。
力加減は絶妙だ。
双子が遠慮なく人の顔をぶん殴るのは、俺か親父かくらいだもんな。
ほら、叩かれると喜んじゃうもんだから。俺らって。
「お前も大きくなったなぁ。ああ、良い匂いだ。アタシらが大好きな空と太陽の匂いがする。うん、元気そうでなによりだよ」
ナナのつむじに鼻先を埋めて、ユールが浅く深呼吸をする。
「最近はどうだ? 双子に変わった事とかはあるか?」
ユールはナナの頭に鼻を埋めたまま体の向きと視線だけを動かして、アオイに問いかける。
「うん、ちょっと相談に乗って欲しい事が幾つかあるの。まだこの島にはいるんでしょう?」
ジャジャとナナを両方の手で抱えるユールの姿を見つめていたアオイは、満足そうに笑って頷いた。
「……ああ、まぁ。本当はすぐに出ようかと思っていたんだがな。仕方ないから、もう少しだけお前らの側に居てやるよ」
「そうだね。仕方ないもんね?」
「ああ、仕方ないな」
俺らには分からない、親子特有のコミュニケーション。
アオイとユールはしばらく見つめ合ったまま笑う。
『皆様、お待たせして申し訳ございません』
テセアラさんの声と同時に部屋の扉がゆっくりと開く。
「とてもお見苦しい物まで見せてしまって、平にご容赦を。アリスレイア様の準備が整いましたので、どうぞ中へお入りくださいませ」
静々深々と頭を下げて、テセアラさんが右手の平で室内へと俺たちを誘う。
示されたその手の先には、どうにも準備が整った様には見えないアリスレイアが、涙目で顔を真っ赤にして俺を睨んでいた。





