兄ちゃんといっしょ②
「ここか?」
「うん。『インテイラの守り人の灯台』って言うんだって」
カヨーネが用意してくれたガイドブックを片手に、翔平と灯台を見上げる。
インテイラの街を一望できる山の上に、そびえ立つ様に建てられている灯台。
インテイラは港街だ。
お世辞にも大きいとは言い難いが、しっかりとした漁港を併せ持つ。
俺達が居るこの山の麓には、領主であるインテイラ家とアトルの屋敷があり、そこから海へ広がるように街が形作られていた。
「下から見ても大きかったけど、近くで見てもすごい大きいね」
「日本じゃあんまり見ないよな。こういう灯台」
赤レンガを大量に積み上げて造られた頑丈そうな灯台。
シンプルな造りながらどこか厳かな気風が感じられるのは、海風に当てられたそのボロボロな外壁がしっかりと補修されてるからだろうか。
なるほど。
この山の上なら、多少遠くても灯台の灯りが良く目立つ。
「えっとね? 天辺にある灯りは魔法の炎の灯りで、数百年前から代々の灯台守が絶やさず魔力を送り続けてるんだって」
「へぇ。じゃあ昔から同じ灯りを目印に船を動かしてんだな」
なんかそれロマンチックだな。
決して消えず、ずっとインテイラの街を見守り続ける魔法の炎。
守り人の名前の由来はそこからかな?
「昇れるのか?」
「海龍祭の決勝前しか一般開放されてないみたいよ? 今入れるのは灯台守の人だけなんだって」
海龍祭って、例のバトルジャンキー祭の事か。
アトルが優勝したとか言う奴。
「中も見て見たかったね」
日本語で書かれたガイドブックを読みながら、翔平は登山で流した汗をフェイスタオルで拭いた。
麓から中腹まではバスで来て、そこから頂上まで徒歩だったからな。
体力の無い翔平にとっては結構辛かったんだろう。
さっきからペットボトルのお茶ばっかり飲んでたし。
登山道って言ったって、ちゃんと整備されてる上に安全柵もしっかりとした物が用意されていたから、まぁちょっと急な坂道みたいなモンなんだけどな。
我が弟最大の欠点は体力的な面が心許ないって事だ。
運動ができないって訳じゃなくて、体力が続かない。
こればっかりはしょうがない。
元より翔平は身体の弱い奴だった。
風邪をひいたら一週間は寝込んでたし、慢性的な頭痛や腹痛も持っていた。
気管支も弱くてすぐに咳き込んでいたし、運動してる暇なんかないほどいつも病気がちだったからな。
高学年に上がって多少マシになったとはいえ、今でも雨が降れば頭痛を訴えるし、冬になると決まって体調を崩す。
風待家の次男さんは、その線の細い見た目通りの病弱な子なんです。
「兄ちゃん、あっち行こうあっち。ほら、街が全部見えるよ!」
そんな病弱さんが瞳をキラキラさせながら灯台の下にある展望スペースへと走っていく。
「おう。わかったから走んなって。転ぶぞ?」
登山で体力を消耗してる癖にヤケに元気だな。
そんなに見たかったのか。この灯台。
目立つもんな。
折角初めて海外に来たんだ。
その土地の有名な観光地は回んないと損ってなもんだ。
風待家の懐具合じゃもう二度と日本から出れない可能性もあるし、満喫して貰おう。
「兄ちゃん早く! 海まで見えるよ! 王子様のお屋敷もほらあそこに!」
「すぐ行くから焦んなって」
他の観光客がカメラを灯台を見上げたり、カメラを構えたりして騒がしい中を掻き分けて進む。
スマホのカメラ機能をオンにして、歩きながら翔平へとファインダーを向けた。
楽しそうに景色を見て居る後ろ姿を一枚撮る。
そういや大きくなったなぁアイツ。
ほんの少し前までは俺の胸ぐらいだったのに、気がつけばもう首ぐらいまで背が伸びてる。
ジャジャもナナもそうだけど、翔平も一日一日毎に成長して居る。
もう少し大きなったら、あんまり甘えてくれなくなっちまうのかな。
他所の兄弟についてはよく知らないけれど、俺と翔平に限って言えばかなり仲が良いと思う。
俺が翔平から怒られる事は良くあるけど、つまんない事で喧嘩なんてここ最近は滅多に無いし、あんまりワガママも言ってこない。
不甲斐ない兄貴としてはもう少し甘えさせてやりたいんだが、まぁ翔平は聞き分けのいい奴だし、俺より賢い。
どっちかっていうと俺の方が翔平の色んな面に甘えてる気がしてならないが、気にしたらダメな気がする。
うん、深く考えるのはやめよう。
「天気良くて良かったな」
「そうだね。ジャジャやナナにも見せてあげたいなぁ」
転落防止用の柵にしがみついて景色を見る翔平。
その隣に立ち、翔平の横顔と景色を併せて眺める。
母さん譲りの栗色の髪が風に揺られてサラサラと流れている。
「ナナが元気になったらもう一度来ようか」
「うん。見ないともったいないもんね」
しばらく二人で景色を眺める。
なんとなく翔平の頭を撫でた。
細い髪の毛の手触りが良いから、いつも無意識に撫でてしまう。ちょっとした俺の癖見たいなもんだ。
「兄ちゃん何?」
少し嫌そうな顔をして、翔平が抗議の目を向けて来た。
「んー? なにも?」
それでも撫でるのはやめられない。
良いじゃん。もう少ししたら撫でさせてくれなくなっちゃうかも知れないんだから、今の内に思う存分撫でまくってやるんだ。
兄ちゃん特権ですよ。
「……別に良いけどさ」
周りの観光客の目を気にしてるのか、こいつ恥ずかしがってやがる。
耳が真っ赤ですよ翔平くん?
「……去年は海外旅行に来れるなんて、思いもしなかったね」
「ん?」
か細い声で翔平が呟いた。
山の頂上に吹く強い風のせいで少し聞き辛い。
「春に引っ越して来てからさ。なんか去年と全然違うじゃない? ウチって」
「そりゃあなぁ。まさか赤ん坊が生まれるなんて思わないもんなぁ」
春先にアオイと出会い、ジャジャとナナが生まれて、ルージュがやって来て、ウエラとアズイを迎え入れて。
この半年足らずで、我が家は大分賑やかになった。
家族以外でも、引っ越しと転校でもう会わないと思ってた三隈や佐伯姉弟とは前以上に仲良くなってるしな。
ユリーさんやドギー巡査とも知り合ったし、出会いは最悪だったけどガサラ達も今ではまぁ、ダチ……見たいな関係だ。
急激な変化に対応するのに一生懸命すぎて、俺や翔平だけじゃなくて、親父だって大忙しだった。
そう考えると、ジャジャとナナが生まれてから初めてなんじゃないか?
俺と翔平の二人だけで出歩くのなんて。
兄貴として情けないよなぁ。
弟の事、放っておくなんてさ。
「……最初はさ。ちょっと嫌だったんだ」
「……なにがだ?」
両腕を組んで柵に乗せ、その上に顎を置いた翔平がどこか遠い目で海を見る。
「アオイ姉ちゃんとか、チビ達のこと」
「……そうか」
そりゃあ、何もかもが急だったからな。
一番振り回されていたのは、俺じゃなくて翔平だったのかも知れない。
「兄ちゃんが何かしたって訳じゃないのに、急にパパなんて言ってさ。勝手だなぁって」
アオイ達と住み始めた初期は、翔平はアオイと若干距離を置いて接して居るのはなんとなく理解していた。
あの頃の俺と言えば、双子達の夜泣きや世話に没頭しすぎて色んな事を疎かにしていて、翔平からして見たら理不尽に見えたのかも知れない。
なんで兄ちゃんが、ってなったんだと思う。
「好きになった人の子供を勝手に産んじゃって、それで兄ちゃんにパパですって言うの。今考えてもめちゃくちゃだよね」
「アオイだって最初は遠慮してたじゃんか。双子達の責任取るって言い出したの俺なんだから、あんまり責めないでやれって」
「今は別になんとも思ってないよ? アオイ姉ちゃん良い人だし、頑張り屋さんだし。ジャジャもナナも可愛いし」
「そっか。ありがとな」
「ふふっ。なんで兄ちゃんがお礼言うのさ」
いや、なんとなくだな。
なんか最近、アオイが褒められたりすると嬉しがってる俺が居るんだ。
ちょっと自分でも不思議な感じ。
「今でも時々さ。ジャジャやナナが泣いたり暴れたりすると、『どうして僕が』って思っちゃう時があるんだよね……。でも笑ってくれたり、甘えて来たりしたら『まぁいっか』ってなるの。なんだろう。上手く言えないや」
「……疲れてたり、忙しかったりするとな。俺でもたまにある」
こればっかりは、俺達がまだまだ子供だって事なのかもな。
「でもアオイ姉ちゃんはいつも平気そうにしてるでしょ? 夜泣きもまだ全然するのに、本当凄いと思う」
「ああ、アイツは立派なママだよ」
なんだか誇らしくも思う。
どんなにナナがぐずったって、どんなにジャジャがわんぱくに暴れたって、アオイは笑って抱き上げる。
よくテレビや雑誌で見る子育てトラブル。
ウチの双子達も例外じゃなく、毎日色んな小さい事件を起こす。
癇癪を起こしたナナが哺乳瓶を嫌がって投げたり、ちょっと目を離したジャジャがダイニングの椅子によじ登ろうとして転んだり。そんな小さいトラブルを日に何度も何度も。
それに応対するアオイはいつもてんやわんやで、息つく暇もなさそうだ。
でもアイツは弱音や文句を一切吐かない。
間違いなくあるはずなんだ。
助けて欲しい時とか、一人になりたい時とか。
二五〇年を生きて居るけれど、他の龍達からしてたらアオイはまだまだ子供なんだ。
それでも立派に母親をしている。
そんなアイツを誇らしく思うのも、別に変じゃないだろ?
どうにかして、そんなアイツを労ってやりたいと思ってはいる。
思ってはいるんだけど、どうしたもんだろうか。
「お前やユリーさんが居て、本当助かってるよ」
「たいした事してないよ」
頭を撫で回す手を少し強めると、翔平はくすぐったそうに笑った。
翔平に限らず、ウチは色んな人に助けて貰ってる。
他所のママさん達に比べたら大分楽してる方なんだと思う。
普通の子持ちの夫婦だったら夫は稼ぐために働かないといけないから、ママさんは一日の半分近くを一人で子育てしないといけない。
その点、我が家はユリーさんっていう母親の大ベテランさんがフォローしてくれてるし、子守りが大好きなルージュが嬉々として手伝ってくれる。最近だとウエラとアズイも参加してくれるから、人手的には十分だ。
家事の半分は翔平がやってるし、仕事に出てるのは親父だけ。
……つまり役立たずは俺な訳だ。
俺だけが何もしていない。
学校に行ってる時間は双子達はアオイに任せてるし、金銭面での戦力にもなっていない。
家事を手伝ってはいるが、全体から見て本当に少しだ。
風呂場の掃除とか皿洗い程度。
学生じゃなかったらヒモと言われても文句言えない。
「なんとかしないとなぁ」
「何が?」
不思議そうに俺を見上げる翔平。
額の汗に引っ付いた髪を払ってやると目を細めた。
「金だよ。さすがに9人家族の生活を親父一人に負担させるのは厳しくなって来ただろ?」
そう、もう風待家の財政はレッドラインギリギリにまで追い込まれているのだ。
双子達がどんなに可愛かろうが、金に関しては綺麗事だけじゃ片付けられない。
現実的に稼ぎに出ないと、一生入ってこない物。
それがマネー。
イッツマネー。
「なんか考えてるって言ってなかった?」
「ああ、少しはな。ガサラにも相談してる」
あの町でバイトをするってなると、どうしても駅前まで行かないと見つからない。
実は夏休み前からバイトを探してはいたのだが、田舎ってのはみんな稼ぎ口を探してるもんだから、募集をかけてもすぐに埋まってしまうらしくなかなかいい返事を貰えてない。
ていうかアトルの件やこの旅行の事でバタバタしてたからな。
「ガサラ兄ちゃんに?」
「ああ、トレジャーハンターってさ。どうやったらなれるんだろうって思って」
そう、これに関しては結構上手くいくんじゃないかと思っている。
我が家のすぐ近くには最近拡大した牙岩ダンジョンがある。
ガサラやセイジツさんに聞いたところ、あのダンジョンは典型的な『採取型ダンジョン』と呼ばれるダンジョンで、ダンジョン産の薬草や霊草や稀少鉱物が採れるタイプのダンジョンなんだとか。
物によっては高値で取引されるそれらを採取するには、ダンジョンに入れる資格であるトレジャーハンターライセンスが必要不可欠だ。
ライセンスが無い奴は採取品を市場に卸す事ができない。
牙岩内部ならともかくその周辺の森エリアにいるダンジョンモンスターなら、装備さえ整えれば俺でもなんとかなるのはガサラやセイジツさんのお墨付きを頂いてる。
という事は、ライセンスさえ取得しちゃえばあの森だけで生計を立てる事も可能なんじゃ無いだろうか。
安易な考えかもしれないけれど、可能性に賭けるなら全然実現可能な気がするんだ。
日本に戻ったらそこらへんをガサラと詰めようと思っている。
「……トレジャーハンターになるの?」
「同い年のガサラがなれてんだから、俺でもワンチャンある気がすんだよ」
ぶっちゃけ、素手で殴り合うんだったらガサラに負ける気しないしな! 俺!
「危ない事なんじゃ無いの?」
「リスクに見合った収入が入るし、まだ本当になれるってわけでも無いよ。心配すんな」
「心配するなって言われてもさぁ。父さん、多分ダメって言うよ?」
そこなんだよなぁ。
最大の難関は親父を説得する事なんだよ。
ああ見えて親父、結構過保護な部分もあるからな。
「そこらへんはこれからって事で」
「僕は反対だなぁ」
口をとんがらせている翔平の頭をもう一度撫でる。
「まだ先のことだろ? さぁ、他にはどこ行くんだ?」
「あ、えっとね。お昼食べに行こうと思ってさ。ほらこのお店」
ガイドブックの折り目を入れた箇所を開いて、翔平が嬉しそうに店の写真を見せてくる。
「へぇ、良いじゃん」
「でしょ? ここ持ち帰りもできるから、みんなの分も買って帰ろうよ」
「屋敷で食うのか?」
「お昼はみんなで食べないと」
そうか?
まぁその方が賑やかで良いしな。
「じゃあ、行こうか」
「うん!」
元気よく振り向いた翔平がバス乗り場へと駆け足で急ぐ。
「おいおい、別にお店は逃げないんだから落ち着けって」
「混んじゃうらしいから、早く行こうよ!」
しょうがねぇなぁ。
いつも大人びて見えるけれど、やっぱりアイツまだ子供なんだよな。
そんな弟の姿になんだか安心感を覚えて、俺は後を追って歩き出した。





