はなれてもずっとおともだち⑤
「く、くま?」
佐伯が口元をヒクヒクと痙攣させて呟いた。
「う、うん。子熊……かな?」
三隈がその問いに疑問で返事を返した。
草むらから現れたのは、真っ黒な毛に覆われた小さな熊の子供だ。
俺達を警戒してるのか、ジリジリと後退していく。
やがて顔だけを草むらから出した状態で、こっちをじっと見ている。
「ん。まだ幼い子供。なのにみんな大げさに騒ぎすぎ」
レジャーチェアに置かれていたおにぎりを一つ手に取って、ルージュは川へと向かって行った。
「お、おいルージュ」
俺の静止を聞かずに、ルージュは軽々と川幅を飛び越えた。
子熊を怯えさせない様にしているのか音を立てずに着地すると、目線を合わせる様に膝を抱えて座った。
「おいで。怖いもの無いよ。ご飯もあるよ」
「きゅう?」
首を傾げてルージュを見る子熊。
「大丈夫。誰も貴女を傷つけない。お腹空いてるの? おにぎりの匂いに釣られて来たんでしょう?」
少しだけ優しく微笑んで、ルージュは子熊に語り続ける。
「熊……かぁ。この場合は警察と、猟友会かなぁ」
親父が井上巡査に問いかける。
「そうですね。役場にも連絡しておきましょう。人里に近いこの付近に熊が出たとしたら大事ですから」
「一応ここの管轄の警察署に連絡を入れておきましょうか。もしかしなくても親熊が近くにいるだろうしね。俊夫君、知り合い居る?」
猟友会ってちょっと。
親熊、殺してしまうのか? それは幾ら何でも……。
「ちょっと待ってください。あの……あの子、獣人じゃないですか?」
「え?」
三隈の言葉にみんな揃ってもう一度子熊を見た。
そういや熊にしてはなんか動きが……あれ?
「首に何か掛けてるな。ルージュ、その首のやつ分かるか?」
「ん。何か黒い宝石みたいなキラキラした石のネックレス。木の蔓で紐が作られていて、三角で先が尖ってる」
黒くて、先が尖ってて三角形?
「鏃……かな?」
三隈が顎に手を当てて何かを考え始めた。
「鏃って、矢の先っぽの?」
「うん。石器なんだと思うんだけど……」
佐伯の質問に答えながら、三隈は子熊をじっと観察して居る。
なんだろう。何か気になる事でもあるんだろうか。
「……ドギー巡査、私何かで見た事があるんですけど、近くに特別保護区とかってありましたよね?」
「あ!」
三隈に話を振られたドギー巡査が何かを思い出したかの様に手を叩いた。
「あるある! そうか、この県だっけ。思い出したわ」
「ああそういえば、確かこことその隣の県を跨いだ山岳地帯に部族指定の特別保護区があったね。隣の県とはいえ、僕ら二人して忘れてたのはまずいなぁ」
なんだなんだ? 知らない言葉だぞ。
また俺の知識不足が露呈するパターンか?
「佐伯、特別保護区ってなんだ?」
「アタシが知ってるわけないでしょ。翔平知ってる?」
「ううん? こうちゃんは?」
「にゃいにゃい」
良かった。知らないの俺だけじゃなかったか。
「おお、そんなのあったなそういえば。隣の県にあったとは思わなかったぜ」
あれ? 親父は知ってるの?
「仕事柄な。えっと、人間社会に馴染めない獣人部族のために保護された、限定的不可侵区画の事だ。無理やり住んでた場所から引っ張り出す訳にもいかないから、政府と部族側の協議の元で決められてんだよ」
おいおい。
「ごめんな親父、お前の長男……馬鹿なんだぁ」
そんな専門用語で説明されてもわかる訳ないだろ? 何年一緒に暮らしてるんだよ。そろそろ学習して欲しいなぁ。
「……勉強に関しては煩く言わない様にしていた俺が間違っていたみたいだな」
「本当に申し訳ないと思って居る」
いやマジで。これでも最近は授業を寝ずに聞く努力をして居るんだ。
せめてもと思ってさ。
「夕乃ちゃん、お願いできる?」
「えっとね」
親父に説明役を投げ渡された三隈が即座に解説モードに入った。
いやほんと、苦労をかけます先生。
「世界衝突で色んな種族が人間社会に進出したけれど、中にはどうしても住んでる場所を捨てられないっていう部族も幾つかあったの。しきたりとか生活様式とかに違いもあるけど、ほとんどが肉体的な違いが原因なんだけどね?」
肉体的たって、ガサラやセイジツさんやナナイロさんなんかも人間とは全然違うみためしてるけど、ちゃんと生活できてるじゃん。
「そんなに違うのか?」
佐伯や浩二、ドギー巡査にユリーさん達は比較的人間に近い容姿をして居るが、見た目まんま二足歩行する動物な獣人なんていっぱい居るだろうに。
「一番違ってて一番困るのが、身体能力だよ」
「身体能力?」
人間以上の力や反射神経なんかを持つ獣人なんて、そんなの殆どだと思うんだけど。
「例えば、狼族の獣人さん達はとても足が速かったり、跳躍力が凄かったりするよね? 獣人さん達って人間に比べてかなりのポテンシャルというか、基本となるステータスというかフィジカルが強いんだけど。それって車や道具を使えれば人間でもできる事じゃない? だけど、人間には到底及ぶ事のできない能力を持った獣人さん達だってもちろん居るんだ」
ああ、なるほど。
つまりは、『強すぎてどうにもならない』獣人って事か。
「軽く肩を叩いただけで腕が取れちゃったり、ハグしたつもりで二つ折りしちゃったりとか。そういう事件ってひと昔前は結構あったんだ。今でももう少し軽めの種族間トラブルはあるけれどね」
やんわり表現しているようでえげつないからな? その例え。
「まぁそれだけが理由では無いんだけれど、あんまり社会とは関わりを持ちたく無いって部族が少数存在していてね。えーっと」
三隈の説明に補助しながら、井上巡査がスマホを弄りだした。
「ここからだと……ドク、ここで良かった?」
「えっと、多分そうよ。ここが県境で……ここが山脈地帯で……ここがあの街だから……今はここね」
ああ、スマホで地図を見てるのか。
巡査ペアが仲良く顔を突き合わせてスマホ画面を見て居る。
うーん。事情を理解してるからいちゃついてるようにしか見えんな。
「ほら、おいでおいで」
ふとルージュを見ると、未だに子熊を呼び寄せようと奮闘していた。
でもさっきまでに比べると大分距離が近い。
「ルゥ姉様ぁ、ジャジャとナナも連れていって良いですかー?」
レジャーチェアに座りながらジャジャとナナを抱えて居るアオイがルージュに問いかけた。
「ん。まだ怯えてるから、少しだけ離れてね?」
「わかりました。ほらジャジャ、ナナ。お友達さんだよ?」
「あぅ?」
「だぁ?」
なんだか良く分かっていない双子達を抱えたまま立ち上がり、背中に翼を出現させるアオイ。
今は水着を着けているからいいけれど、普通の服だと翼を出す度に背中部分が破けちゃうんだよね。
だからアオイは飛ぶ時はいつも薄手の服だったりする。
「よいしょっと」
一度大きく羽ばたいて、アオイは川面ギリギリをふわふわと飛行して行く。
「あ、私も見たい。こっちからなら行けるかな?」
「夕乃ってば。あんた運動音痴なんだから一人で行かないでよ危ないなぁ。アタシも行くからちょっと待って」
「こうちゃん僕たちも行こう?」
「に、にぃ!」
好奇心旺盛な若者達がゾロゾロと川を渡っていく。
あいつら元気だなぁ。
「うーん。どう考えても遠いなぁ」
「あの子熊ちゃん、まさか一人で来たなんて事無いわよね?」
スマホとにらめっこしている巡査ペアがウンウンと唸っている。
「親父。なんで親父は特別保護区なんて知ってんの? 仕事になんの関係があんの?」
建築関係なら別に関係無くね?
「バーカ。土地の売買も関わってくる話だろこれは。保護区近くの土地だと色々と建築条件とか変わるんだよ。地価も当然違うし、商用施設なんかも建てられないしな。知っとかないと要らんトラブルを招く恐れがあるんだ」
へー。大変だなぁ。
お仕事ご苦労様です。
「しかし怖いな」
「何が?」
親父が神妙な顔つきで腕を組む。
「ほら、あの子が獣人だって気づいたの夕乃ちゃんだけだったろ? まだ子熊だから警戒してなかったけど、あれであの子と同じ種族の大人が出て来たら普通に熊と間違えちまうだろ。獣人社会の怖いとこだよな。野生動物と見分ける方法が衣服か言語しか無いってのは問題だよな」
ああ、そういや。
服を身につけない部族とかいたら、もし俺達が猟師だったら間違えて撃ってしまうかも知れないもんな。
「こりゃ困ったなぁ」
「何がです?」
ボリボリと頭を掻く井上巡査に問いかける。
「特別保護区の部族居住地なんだけど、ここから一番近くて20キロぐらい離れてるんだよね。見たところあの子一人だけみたいだし、どうしたもんかと思ってさ」
「いやいや、まだ子供みたいだし。さすがに親が一緒でしょうに」
20キロも一人で移動できるようには到底見えないよあの子。
「うーん。とりあえず今日の所は私達で保護しましょう。ちょっと連絡してくるわ」
「お願いします」
あの子のご両親、今頃血眼になって探してるだろうなぁ。
川の対岸のルージュ達を見る。
ルージュの手にあるおにぎりの匂いをスンスンと嗅ぐ子熊。
もうあの距離まで近づいてたのか。
人懐っこい子だなぁ。
「よし、俺もユリーさんにお願いして何か用意して貰ってくるわ」
「おう」
親父に告げてコテージへと向かう。
早くご両親が来ると良いんだけどな。





