家族旅行に行こうよ!①
トントンと小気味良いリズムで包丁の音が鳴る。
立ち込める香ばしい匂いに腹の虫が騒ぎ出すのをグッとこらえ、来るべき夕飯の光景に思いを馳せソファに腰掛け、キッチンに目をやった。
余裕たっぷりに鼻歌交じりの翔平と、真剣な顔で野菜とにらめっこしているアオイ。
頑張れ! 超頑張れ! お腹空いた!
「にゃにゃ丸にゃー」
「だぅ!」
俺の足元には、ベビーマットにペタンとお尻をつけてなんだかわきわきと動くジャジャと、ナナを膝の上に座らせて歌を歌うルージュが居る。
「ポン五郎も来ーたぞー」
「あだぁ! うだぁ!」
テレビに流れる子供番組に合わせてルージュが歌えば、ジャジャも釣られて楽しそうに歌う。
音楽に合わせて体を揺らすルージュの顔はいつもと同じ真顔である。
最近は何となくわかって来たが、ルージュの感情表現は顔よりも体に現れる。
今もジャジャとナナがいて嬉しいんだろう。固そうな尻尾がフリフリと床スレスレを揺れている。
よく見ると顔も少し赤みがさしている。
うん、楽しそうで何よりです。
今ジャジャ達が見ているのは、最近の風待家のマストである乳幼児向けの子供番組で、ジャジャもナナも大好きな着ぐるみ劇だ。
猫の着ぐるみのにゃにゃ丸と、たぬきの着ぐるみのポン五郎。どっからどう見ても半魚人のイルカの着ぐるみのオル子ちゃんと、人間の子供のタケル君。
その三匹と一人がワイワイガヤガヤと十分ぐらい繰り広げるその番組は、今じゃうちのレコーダーの容量の大部分を占めている。
ジャジャとナナが少しぐずり始めると、この番組を流して気を逸らせるというちょっと汚い方法の為である。
だって、二人とも夢中で見るんだもん。
三十分番組で、着ぐるみ劇は前半の十分。後の二十分は歌のお姉さんと歌のお兄さんが子供向けの童謡を歌ったり、ちょっとした寸劇を演じたりする。毎日やってるから、ジャジャもナナも飽きたりはしないみたいだ。
今ルージュが歌ってる歌はオープニングで、風待家全員が歌えたりする。もちろん俺もだ。
そりゃ何回も見てるからな。
「タケル君もオル子ちゃんもなーかよーしだー。ほらナナも」
「あぅ?」
ルージュに突然促されたナナが不思議そうにルージュを見返した。
おや、今日はノリ気じゃないの?
「だぁ! ばぁ! うだぁ!」
その点お姉ちゃんと来たら、今にも立ち上がりそうなぐらいノリノリじゃないか。
本当に立ち上がったらびっくりだけどさ。
「薫平、ナナはおねむみたい」
「ん?」
ああ、よく見たら目がもう閉じかけてるじゃないか。てことはこの番組が終わったらジャジャも寝るな。
「おーいアオイー。ナナが眠そうだー」
キッチンへと呼びかけると、髪の色と同じ青色に揃えたエプロン姿のアオイが顔を上げた。
「はーい。翔平さんちょっとおっぱいあげて来ますね?」
「うん。もうちょっとだから大丈夫だよ」
「ありがとう御座います。ナナ今行くからねー」
エプロンを脱いで畳みながら、アオイがソファへと駆け寄って来た。
「ほら、こっち座れよ。そろそろ親父も帰ってくるからな」
「はい、ありがとう御座います薫平さん。ナナお待たせーまんまだよー」
「だぃ」
ルージュの膝の上でアオイに手を伸ばすナナを抱き上げ、俺の隣に腰掛けた。
さて、夜寝る前の授乳は相変わらず俺達二人の共同作業だけど、それ以外は俺に出番は無い。
なので翔平を手伝ってやろう。
アオイと入れ替わりでソファから立ち上がり、キッチンに向かう。
「あとは何だ?」
「お皿ー」
「了解」
こちらを見ずにサラダボウルに野菜を持っている翔平の後ろを通り、コンロの前に立つ。火にかけられている鍋から芳しい匂い。
うひょー。今日はビーフシチューですかシェフ! たまらんですな!
「おう、皿はこれでいいのか?」
背後の食器棚から深さのある丸皿を5枚取り出した。
「うん。はいこれお玉」
「よし来た」
翔平から手渡されたお玉を受け取り、シンク横のスペースに皿を置いた。
鍋の蓋を開けてお玉でかき混ぜる。
うわぁ美味そう。
さすがウチのシェフとそのお弟子さんだぜ。
ぐるぐると鍋をお玉でかき混ぜて、皿を一枚取る。
掬い取ったシチューを皿に注いで、カウンターに置いた。
「ルージュ、悪いけどテーブルに並べてくれないか」
「ん。了解。ジャジャはこっち」
ソファの下に座っていたルージュは軽く頷くと、隣のジャジャを優しく抱き上げて、ソファに座るアオイの隣に腰掛けさせる。
ケラケラと笑うその目はテレビに釘付けである。
「ジャジャはポン五郎くんが大好きだねー」
「だぁ!」
ナナを抱えたままアオイがジャジャに話しかけると、ジャジャが元気良く返事を返す。
本当だよな。
ずんぐりむっくりした子ダヌキの獣人って設定のポン五郎に、ジャジャは骨抜きだ。
画面に出てくる度に嬉しそうに大はしゃぎをする。
ちょっと嫉妬しちゃう。アイツ、いっつもイタズラばっかりしてるんだぜ?
パパ、そんな子はちょっと認められないなぁ。
「薫平、これ?」
「あ、ああそれだ。今トレー出すから」
いつのまにかカウンターキッチンにやって来ていたルージュが、カウンター越しに俺に話しかけて来た。
やばいやばい。ちょっと大人気ない嫉妬で黒く染まる所だったぜ。
着ぐるみ相手に何をムキになる必要があるってんだ本当に。
シンク下の扉を開けてトレーを取り出し、カウンターに置いて皿を上に乗せた。
「ん。美味しそう。この家に来てから食べる物全部美味しくて本当に幸せ。地龍は草とか岩とか生のお肉しか食べないから」
「アオイもそうだったんだけどさぁ。龍種って何でそんなに食べ物に無頓着な訳?」
角と尻尾、アオイは翼もだけど、それ以外は俺達人間とそう変わらない姿をしているのに、食に関して言えばかなり大雑把な種族だ。
アオイはこの家に来る前は、牙岩ダンジョンのモンスターを雷で焼いて食べてたらしいし、今のルージュの発言も聞き捨てならない。
「ん。私たち龍って、長命だからなのか結構大雑把。食べれれば良いし、お腹いっぱいになれれば良いって大体みんな思ってると思う」
大雑把でくくって良いのかそれ。
皿が三つほどで載せられなくなったトレーを持って、ルージュはテーブルに向かって行った。
「ただいまー」
玄関の方から親父の声がする。
「お。親父帰って来たな。丁度良いタイミングだ」
「あ、兄ちゃんこれも運んどいてね」
俺の返事を待たずに翔平はスリッパをパタパタと鳴らせて玄関に駆けていく。
「本当、あいつ新妻みたいだよなぁ」
親父のカバンやら背広やらを受け取りに行ったんだろどうせ。
所帯染みてるとかそんなレべルじゃなく、新婚ホヤホヤの若奥様みたいな弟である。
兄ちゃんちょっと心配だよ翔平くん。
「あ、ルージュこれもだってよ」
トレーをテーブルに運び終えたルージュに声をかけ、カウンターに翔平が置いて行ったサラダボウルを置いた。
「ん。わかった」
軽く頷いたルージュがトレーから皿を下ろして戻って来る。
「だぁ! あだ! うぁー!」
子供番組は歌のお兄さんとお姉さんが童謡を歌うパートまでいつのまにか進んでいた。
その歌を聴きながらジャジャは手をパチパチと叩いて合いの手を入れている。
んん! あのリズム感、うちの娘はもしかしたら天才じゃなかろうか。
ナナも普段はジャジャと同じように歌うから、双子のアイドルデュオとして世に出せばきっと凄い事になるだろう。
だがそれは俺が許さない。そういうのはもっと大人になってから!
「ただいまみんなー」
リビングに親父が入って来た。
ネクタイを強引に引っ張って外しながら、なんだか楽しそうにニヤニヤしている。
その後ろからカバンと背広を持った翔平が続いて入って来た。
「おかえり親父」
「おかえり父」
「おかえりなさいお義父様」
俺とルージュとアオイが各々返事を返す。
「ジャジャー、ナナー。じーじが帰ったぞー おっとアオイちゃんは授乳中か」
ソファ近くまで来て、アオイがナナを横抱きにしているのに気がついたらしい。
すぐに体の方向を変えてキッチンに来る。
ここからならアオイの後ろ姿しか見えないからな。
「だぅ!」
ママのおっぱいに夢中なナナの分まで、ジャジャは元気良く親父に返事を返した。
「おうただいまー。あー疲れた。翔平、今日は飲んでいいだろ?」
声は聞こえど姿は見えず。だけど親父はちゃんとジャジャに声をかける。
これは俺達も同じだ。
赤ん坊だからと言って無視は良くない。
「いいよ。ご飯と一緒?」
翔平はリビング横のハンガーラックに背広を掛けながら答えた。
小学生に酒を飲む許可を貰ってる家庭、ウチくらいだろうなぁ。
「ああサンキュ。はい皆さんご静聴ー。ああ、アオイちゃんはそのまま聞いてくれ」
ワイシャツの袖をめくりながら、親父は眠りかけているナナに気を使って少し小声で俺達を呼んだ。
なんだろう。そんな改まって。
「来週から薫平も翔平も夏休みが始まるだろ? なのでせめて少しぐらいは軽く旅行しようと思ってな。コテージを借りて来たんだ」
はあ?
「いや待て待て待て。コテージって、どこにそんな金がーーーーーー」
「父さん……どういう事」
「ーーーーーー翔平ステイ。ステイだ。落ち着け」
我が弟の顔から一気に色が消えた。
あまりの変化に俺が思わず慌てるほどだ。
やばい。これはマジギレしている。
うちの大蔵大臣がご立腹だよ親父!
「話を最後まで聞けよ翔。コテージって言っても、得意先人の持ち物でな。ご厚意でタダなんだわ。まぁ代わりに大掃除から始めなきゃならんが」
「タダなら良いんだよタダなら」
一転して爽やかスマイルになった翔平。変わり身の早さ凄いなおい。
「えっとな? その得意先のご家族ってのが夏真っ盛りの時にコテージを使うそうなんだが、毎年掃除が大変らしいんだよ。だから俺達に貸す代わりに、面倒な掃除を終わらせて欲しいって条件だ。どうだ? 今ならまだ断れるぞ?」
「掃除ですか?」
ソファ越しに首を捻って親父を見るアオイ。
どうやらナナはもう眠ったらしい。
「図面見させて貰ったが、かなり広いコテージなんだよ。ありゃ掃除すんの大変だ」
ああ、それなら筋は通るな。
要するに掃除がめんどくさいってだけの話だろ?
だから俺達にやらせて、その手間賃としてコテージを貸してくれるって訳だ。
「どこにあんのそのコテージ」
「こっから車で2時間ぐらいの所だ。小川が流れる山の中にあってな。避暑地には持ってこいの場所だぜ?」
ああ、そりゃ良いなぁ。
夏も本番を控えて、比較的高度が高いこの町の蒸し暑さはかなり酷いレベルまで来ている。
ジャジャとナナも本当は外に遊びに連れて行ってやりたいんだが、何せ大人でも弱音を吐く暑さだ。
赤ん坊の体には大いに良くない。
クーラーの効いた我が家は確かに快適ではあるが、だからと言ってずっと室内ってのも可哀想だもんな。
「俺は賛成だ。ジャジャとナナを遊ばせてやりたい」
「僕も別に良いよ。ちゃんと予算決めるならさ」
コテージはタダだけど食材とか飲み物とかは自分達で用意しなきゃだしな。
「私も行ってみたいです」
「父、山の中なら私の独壇場。任せて」
何を任されるつもりだルージュ。
「よし、んじゃ決まりだな。夕乃ちゃんやいちかちゃん達にも聞いといてくれ。ユリーさんには父ちゃんから伝えとくから」
「了解。いやー家族旅行なんて何年振りだ?」
母さんが死んでから行く暇なかったもんな。
7、8年ぐらい前から我が家の夏は自宅か図書館かだった。
そう考えると、結構楽しみだ。
「はい、では風待家の夏休み最初のイベントは、森のコテージで二泊って事で決定です! いやぁ楽しみだなぁ。双子達の水着買わなきゃなぁ」
親父は中年に似合わないキラキラした瞳をしながら、何やら楽しそうな妄想をしているようだ。
「だぁ! だぁ! うーだぁ!」
ジャジャの方も、クライマックスに差し掛かっていた。





