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『自分なんか』なんて

 

「薫平さん? 薫平さん」


 アオイの声で目覚めた。

 お?

 おっといけない。すっかりウトウトしてしまった。

 なんだかとっても懐かしい夢を見ていた気がする。


「大丈夫? ちょっとうなされてたみたいだけど」

「喉渇きました? お水どうぞ」


 視界いっぱいに心配そうな三隈とアオイの顔が広がる。

 寝起きだからかもしれないけれど、ちょっとドキッとした。


「ああ、悪い悪い。いやぁ、治癒魔法ってすっごい気持ちいいんだな。どれぐらい寝てた?」

「10分ぐらいですかね?」


 アオイが手渡したミネラルウォーターを受け取って、首だけ動かして周りを見る。

 ここはガサラ達のアジトの中だ。リビングの隅にあるボロいソファに横になっている。

 決闘を終えて、カヨーネの治癒魔法で怪我を治療してもらっていた最中だったな。

 治癒魔法の思いがけない心地よさに眠ってしまっていたようだ。


「体の傷はあらかた癒えましたけど、疲れや体力の消耗はむしろ増している筈ですから。今日ご自宅に戻られたら、しっかり休んでくださいね?」

「ああ、ありがとな。怪我が無くなっただけでも御の字ですよ」


 軽く返事を返して体を起こす。

 ああなるほど。体が重い気がする。


「魔力での治療に加えて、風待様自身の回復力を底上げしたんです」


 んん。そう言われてもイマイチ、ピンと来ない。

 ペタペタと自分の顔を触ってみる。

 さっきまでパンパンに膨れ上がっていた俺の顔が、今じゃちょっと腫れてるぐらいだ。

 魔法ってやっぱすげぇ。


「アトルは?」

「殿下の処置はこれからです。まぁ、わたくしなりのちょっとした意趣返しみたいなものですけど。少し反省してもらおうかなぁ……って」


 そう言ってカヨーネは舌を少し出しておどける。

 褐色の肌に黒髪のカヨーネは大分大人びて見えるが、こう言う仕草をしたら年相応の女の子だ。うーん、オリエンタルビューティー。


オレなら、ここにいる」


 不機嫌そうなアトルの声が不意に聞こえて、俺達は一斉に振り向いた。


「殿下、無理に起きて来ないでください」

「うるさい。こんなの屁でもないわ。おい、風待」


 慌てて駆け寄るカヨーネから少しだけ体を退いて、アトルは俺をギョロリと睨んだ。


「なんだよ」


 重たい体が上手い事動いてくれなくて、ソファの背もたれに背中を押し付けて返事を返した。

 もうコイツが偉い奴と思ってなかったりする。


「……決闘は、オレの負けだ。望みをなんでも三つ言え。ああ、球大陸への往復の件はそれとは別に用意してやる。もともとそのつもりだったからな」

「はぁ」


 相変わらず、訳のわからん事言いやがる。

 余計にこの決闘の意味が無くなったんだけど?


「んじゃあ、一個だけ」


 もうこの王子の言葉に振り回されるのはごめんだからな。華麗に疑問をスルーしてやる。


「なんだ」

「カヨーネに、今謝れ」


 それは、見とかないと面白くない。


「なっ! ぐっ、貴様っ!」


 やーいやーい! 狼狽えてやんの!

 いやぁ、もう途中からお前のその顔見たさに頑張ってたんだよね実は!


「か、風待様! わたくしは結構でございますから!」


 両手をブンブンと降りながら、大慌てで俺にアピールしてくるカヨーネ。


「お前が良くても、俺が良くないの。ほらはーやーくー」


 ちょっと面白くなってきたぞう?


「薫平さん、なんだかとっても意地悪な顔してます」

「うーん、楽しそうって言われたらそうなんだけど、ちょっと怖いかな?」


 あれ?

 お嬢様達、今は俺を凹ませるターンじゃないよ?


「悪人面がそんな笑い方したら駄目だろうよ」

「う、うるさいよ毛玉!」


 アトルの背後からにょっきり現れたガサラが、ニヤニヤしながら俺の顔を指差した。

 ああ、どうやらアトルはガサラの部屋で休んでたみたいだな。


「い、いいから謝れって! なんでも聞くんだろ!?」


 早急に矛先をアトルに戻さなければ!


「はい! 提案です!」

「うわぁ!」

「きゃあ!」

「ひっ!」

「ぎゃああああああああっ!」


 突如放たれた大音量の音波攻撃に、俺と三隈とアオイは素早く耳を塞いで驚き、間近で食らったガサラは絶叫して失神した。ザマァ!

 笑う超音波娘、ウタイの突然の登場である。


「び、びっくりさすなアホ!」

「す、すごい声ですね……」

「心臓が止まるかと思っちゃった……」


 前触れなくその声量で現れたら命に関わるぞお前!

 ガサラ達のアジトの窓ガラス、危ない勢いで揺れてんじゃねぇか!


「ごめんね? こんぐらいで良い?」


 てへぺろとあざとい仕草で謝るウタイ。

 その動きに合わせて、三隈を凌ぐ大きさの胸部がぶるんと揺れた。

 身長は翔平より少し大きいぐらいなのに、なんでそこだけそんな立派に成長しちゃったんだろう。僕、気になります。

 カヨーネと同じ褐色の肌が、ウタイの絶妙なバランスの雰囲気を強調している。


「あのね? 私、今日ほとんど忘れられてたでしょ? 私だって殿下の許嫁なのにさ」


 小声で話してるつもりなんだろうけど、それでもかなりデカイ声なんだからね?

 そういや、ウタイもアトルの婚約者だったな。なんだかすっかり蚊帳の外だったけど。


「別に殿下とカヨさんがラブラブなのは今に始まった事じゃないし、私も二人が大好きだから別に良いんだけどさ。それでも忘れられてた事は結構ショックなんだぁ」


 コイツ、考えてみたら一番複雑な立ち位置なんじゃなかろうか。

 どこからどう見ても相思相愛なバッカプルであるアトルとカヨーネに挟まれて、その上第二夫人だかなんだかの将来が決まってるってのは、一体どういう感覚なのか。


「なので、カヨさんへの謝罪と私への謝罪は、風待くんの決闘の報酬とは別カウントにします! 良いですよね殿下!」

「お、おまっ! 勝手に!」


 お? つまりどういう事?


「だってー、今回の件……っていうかダイランを出てから今日までの殿下の態度が一番悪いわけじゃない? 色々とフォローに回ってた私とカヨさんへの謝罪は当然だと思うなー。あー大変だったねーカヨさーん?」


 ああ、なるほど。

 そりゃそうか。今日一番迷惑だったのは確かに俺だけど、カヨーネとウタイは一年以上ずっとアトルに振り回されてた訳だもんな。

 そんなの、謝罪を要求しても何もおかしくは無い。

 むしろ部外者の俺に言われたから謝るって方が、筋が通らない。


「ぐっ! しかしだな!」

「良いのかなー? 私にそんな態度とってもー。本当に良いのかなー?」


 ニヤニヤといやらしい笑みを浮かべながら、ウタイは腰を曲げてアトルを見上げるように近づいていく。

 なんだろう。なんか楽しそうじゃない?


「えっと、なんだっけー? 『ふざけるなー。カヨーネの良さがわかるのは俺だけだー。アイツのふとした時に浮かべる笑みはまるで聖母のように俺をーーーーーー』むぐっ」

「は、はぁっ!? お、お前! なんでそれを!」


 アトルが目を見開いて、ウタイの口元に慌てて手を押し込んだ。

 聖母?

 なんの話?


「ーーーーーーんー! ぷはぁっ! いひひ、殿下忘れてたでしょう? 長老会でカヨさんの縁談があるって言われた日、誰がお屋敷で殿下を案内したのかを。いやー、情熱的な演説だったなぁ。鬼気迫るってのはああいうのを言うんだろうねー。だって、『お部屋の外で掃除していた私にも聞こえるぐらいの大声』だったもんねー?」

「な、おま、知ってたのか!? 知ってて、ずっと黙ってたのか?」


 なんか、また俺達を置き去りにして話が進んでない?


「ジャジャとナナ、今起きてますかね?」

「もう夕方だもんね。終わったらすぐに帰ろっか」


 アオイと三隈はもう興味なさそうだ。

 んー。長引きそうだなこのコント。


「知ってましたよ? だって全部聞こえてきたんだもん。その後から殿下がなんだか色々考え込むようになって、態度が急に変わったから、何かお考えがあるんだろうなーって思って黙ってました。偉い?」

「え、偉いとかそうじゃなくて! 良いか? 絶対に誰にも言うなよ? カヨーネにもだぞ!? 絶対だぞ!?」


 そろそろ切り上げさせるか。腹減ってきたよ俺は。


「なぁ、もう良いか?」


 家にはまだ乳飲み子が二人待ってるんでさぁ。巻いてくださいよ巻いて。


「ぐっ!」

「う、ウタちゃん、今のほんと?」

「うん、ほんとほんと。これから殿下が酷い事する度にワンフレーズ分教えてあげるね? 何せ1時間近くカヨさんへの思いをお爺様達に演説されてたから」

「い、1時間も? ほ、他には? ちょっとだけ教えて? ねっ? ウタちゃんの好きなケーキ奢ってあげるからっ」


 狼狽えるアトルの横で、火照った表情のカヨーネがウタイと内緒話をしている。

 全部筒抜けなのがウタイクオリティなんだが。


「そこ! 買収するな! え、ええい! 謝れば良いんだろう! 謝れば!」


 やっと決心したか。

 そうそう、素直に謝れば全部丸く収まるんだよ。


「ぐっ……カヨーネ」

「は、はい」


 互いに顔を向けあい、その目をまっすぐに見つめあう。

 アトルはバツが悪そうに、カヨーネは蕩けそうなほどの熱の篭った瞳で。

 落ち着かないのか手を握ったり開いたりを繰り返すアトル。

 期待しすぎてその褐色の肌がどんどん赤みを帯びてくるカヨーネ。


 なんだよこのストロベリってる空間。

 おかしいなー。

 この家、俺の足元で泡を吹いて白目剥いている毛玉さん達の家なんだけどなー。

 トタンでできたあばら家で、いろんな所に無骨なトレーニング機材が散乱している、色恋とは全然関係なさそうな家ナンバーワンなんだけどなー。

 そういや親父、どこ行ったんだろう。セイジツさんとナナイロさんも居ないや。


「あ、あの、その、なんだ。えっと」


 カヨーネの視線に耐えきれなくなったのか、いろんな場所に目を逸らしては、またカヨーネの瞳を見るアトル。


「ゆ、夕乃さん……私、こう言うのお昼のドラマで見た事あります」

「人の告白シーンをこんなまじかで見るのは、わ、私も初めてだよアオイちゃん」


 うちのお嬢様方はいつのまにか観覧客になってた。

 顔を真っ赤にして拳を握って、とても楽しそうにキャイキャイ言っている。

 いや、お前らが仲よさそうなのは素直に嬉しいんだけど、これ告白シーンじゃないからね?

 なんだか告白しそうな空気だけど、実際はアトルがカヨーネに土下座してもおかしくないんだからね?

 て言うか!


「良い加減にさっさと謝れよイライラすんなぁ!」


 いつまでにらめっこしてんだオラァ!

 俺早く家帰ってジャジャとナナとお風呂入りたいんだよ! 汗だくになったんだぞ!

 誰かさんのせいで!


「わ、わかってる! カヨーネ!」

「はい! アトル様!」


 熱に浮かされたカヨーネは、アトルの声に元気良く返事を返した。

 気づいてないようだから突っ込まないけど、『殿下』じゃなくて『アトル様』になっちゃってるけど良いの?


「……す、すまなかった。迷惑をかけた。……少し、空回っていたようだ。申し訳無い……。お前が、オレに愛想を尽かせて無ければなんだがーーーーーーこれからも、側に居てほしい」


 だからそれは告白だろうが馬鹿野郎!

 ぐっ! ツッコミたいのに、流れるピンク色の空気でとてもじゃないが突っ込めない!


「そんな……愛想なんて滅相もございません! カヨーネはいつだって、ずっとアトル様のカヨーネにございます!」

「か、カヨーーーーーー」

「アトル様ーーーーーー」


 おい。

 ちょっと待て。

 やめろ! なんか良い感じに持っていくのやめろぉ!


「ゆ、夕乃さん! こ、これ! キスする流れですよね! ねっ!?」

「だ、ダメだよアオイちゃん! 邪魔しちゃダメ! こっ、後学のためにここはしっかりと見ておかなきゃ!」

「いや、お前らも楽しんでないでさぁ!」


 すっかり野次馬じゃないか!


「殿下ー? 私にはー? ねぇカヨさんだけじゃなくて私にも謝って貰いたいんだけどー?」

「おっ! おう! ウタイも済まなかった!」

「なんか雑ぅー」


 でかしたぞウタイ! 褒めてやる! 

 よくぞあの流れを断ち切った!

 もうお前ら家に帰ってから存分にイチャつけば良いんじゃないかな!?

 て言うか決闘の申し出からこっち、お前らの痴話喧嘩に巻き込まれただけにしか思えなくなってきたんだけど!

 くそ! 俺が勝ったのに負けた気分だぜ!


「あーもう終わり! 薫平お家帰る! ジャジャとナナと遊んで寝る!」


 ふてくされてやる!

 ちくしょう!


「あ、そうですね。お夕飯の準備もしなきゃですし」

「今日は私も手伝うね薫平くん」


 良かった。ウチのお嬢様方が戻ってきてくれた。


「そ、そうですね! 殿下の治癒もしなければなりませんしね! 屋敷に戻ったら、一杯癒してあげますね!?」


 なぁ、それ本当に治療なんだよねカヨーネ。

 いやらしく聞こえるのは俺が思春期だからってわけじゃないよね?


「親父ぃー! 帰るぞー!」


 こんな場所にこれ以上居られるか! セイジツさんとナナイロさんに挨拶して速攻で帰るぞもう!


 ソファから勢いよく立ち上がり、裏庭に続く扉へと向かう。

 数歩歩いて、思い出して足を止めた。


 そうだ。これだけは言っとかなきゃ。

 これが伝えたくて、こんな茶番に付き合ったんだしな。


「なぁ、アトル」


 振り向いて、アトルの顔をじっと見る。

 まだ真っ赤に染まったその顔は、見ててやっぱりムカついてくる。

 が、それはもう関係ない。


「な、なんだ」


 呼ばれると思ってなかったのか、泡を食って取り繕うアトル。

 遅いよもう。お前の恥ずかしいところ全部見たよ。

 それだけが俺の勝ち取ったもんだ。

 あ、いや。決闘の副賞。

 願い事が三つ、丸々残ってるっけ。それはどっかで使わせてもらおう。

 今んとこ思いつかないしな。


「もう、『自分なんか』なんて言うなよ」

「は?」


 は? じゃないよ。

 さっきまでずっと卑屈だったくせに、もう忘れてやがるのか。


「『どうせ自分なんか』って言葉は、言った本人よりもその周りが傷つくんだ。お前を信じてくれて、お前を心配してくれる人達をな。この場合は……カヨーネとウタイ、かな」


 そう。

 その言葉は、自分じゃなくて自分の周りの人間に深く突き刺さる。

 こんなにも信じているのに。

 こんなにも思っているのに。


 ーーーーーーあんなにも、愛してくれたのに。


「実際さ。お前の周りには、お前が思ってる以上にお前を信頼して、見守ってる奴が一杯居ると思うんだ。カヨーネやウタイだけじゃなくて、他にも」


 そうじゃなきゃ、お前の周りには人が集まるわけないじゃないか。

 お前の兄貴も、屋敷に居る使用人も。

 どこかで絶対に、お前を味方して居るんだ。きっと。


「だから、これは俺にも言える事なんだけどさ。もう、自分の為だけに頑張るってのは、とっくに卒業してんだよ俺達。あんまりデカイ事言えないけどさ」


 アオイが居る。

 三隈が居る。

 ルージュが居る。

 親父が見ていてくれる。

 翔平が味方をしてくれる。

 母さんが見守っていてくれる。


 そしてジャジャとナナが、信頼して甘えてきてくれる。


 そんなの、張り切っちゃうに決まってる。

 かつてーーーーーー母さんに言ったあの言葉が、長い間俺の心を縛りつけた様に。

 きっと、『自分なんか』って言葉は、俺達が考えている以上に罪深い言葉なんだと思う。


「まあ、言いたいのはそれだけだ」


 右手を上げて、ヒラヒラと揺らしながら振り返る。

 ちょっとクサイ台詞だったから、実は恥ずかしい。


「……ふふっ。薫平さん待ってください」


 後ろから嬉しそうな声を出しながらアオイが着いてくる。


「あ、薫平くん。荷物持ってくるね?」


 心なしか明るい三隈の声が少し遠ざかる。


「……悪かった」


 アトルの消え入りそうなぐらい小さな、本当に小さな、でも心からの謝罪の言葉が聞こえてきた。


 良いよ。別になんでもない。終わった事だもの。とは言わずに、もう一度右手を揺らす。

 さーてと、早く双子達の顔が見たいなぁ。


 そんな事を考えながら、俺は扉を潜る。


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