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俺とお前の為のアッパーカット⑧

 

 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆


『薫平! 待って! どこに行くの!? 戻りなさい薫平!』


 母さんの静止を聞かずに、裸足のままでマンションの一室を飛び出した。

 言ってしまった言葉の意味に自分でも傷つき、でも幼い意地が邪魔をして、謝れば済む話なのに怒られる事が怖くて、どうしようもなくなった結果だった。

 エレベーターを待つと追いつかれるから非常階段を勢い良く駆け下りて、エントランスロビーを横切り、大雨を降りしきる中を目的地も無くただただ走る。


『あああああっ! うあああああああん!』


 ガクガクと震える体は雨に凍えているのもあるけれど、胸の内から湧き出る後悔と、それを上回る自分への失望感で、人目も気にせずに泣いているからだ。

 嫌いな訳無いのに。

 母さんの事大好きなのに。

 親父の事憧れているのに。

 弟の事、誰よりも大事に思っているのに。


 自分の口から出た拒絶の言葉に、一番驚いているのは他でもない俺で。

 あの言葉で母さんを傷つけたかも知れないと、不安で不安で堪らなくなって。

 生まれて初めての現実逃避。あのまま部屋に居る事なんて出来なかった。

 だからただ、逃げ場所を探して走り続ける。


 そんな場所、あるはず無いのに。

 家族が俺の全てで、家族が俺の世界なのに。


 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆


「……で、殿下?」


 目を見開いたまま、カヨーネはアトル王子を真っ直ぐに見つめている。

 俺が告げた言葉の意味が理解できず、まだ思考が追いついていないようだ。

 その隣に立つウタイが、口をキツく閉じて心配そうにカヨーネを見ていた。


「あ、あノー。インターバル、終わってんだヨ?」


 すでにラウンド間の一分は過ぎ去っている。

 この決闘の見届け人である楽園姉弟。その中でもジャッジレフェリーを務めてくれたナナイロさんが、珍しくおずおずと俺に問いかけた。


「すいませんナナイロさん。もう少しだけ待ってもらえますか?」


 振り向く事もせずに返事を返す。


「いヤ、別に良いんだけどネ?」

「姉貴、今はおとなしくしとけって」

「あ、うン」


 銅鑼どら係のガサラの言葉に素直に頷き、ナナイロさんはロープまで下がった。


「悪りぃなガサラ。もしかしたら、迷惑かける」


 こうなっちまったら、どうなるのか分からないからな。

 一言侘びてガサラを見ると、大きなバチを掴んだまま腕を組んでいた。


「……まぁ、ただじゃ終わらねぇんじゃ無いかとは思ってたんだ。牧雄の言ってた通りになったな」

「牧雄?」


 荒事になるからと今日は遠慮してもらっていた牧雄が、何を言ってたんだ?


「『薫平くん、熱くなると何も考えなくなるみたいだから、止めてあげて』だってよ。大正解じゃねぇかバーカ」

「ぐう」


 見透かされてたっぽくて何も言えない。

 ていうか、翔平やアオイや三隈にも似たような事言われてんだよな俺。

 普段から冷静(クレバー)である事を心がけてんだけど。


「どうなっても良いようにって、俺と兄貴が控えてんだ。そもそもお前に選択肢の無かったこんな決闘なんざ、どうぶち壊そうと誰も文句言わねぇし言わせねぇよ。好きにやれ。なぁ兄貴?」

「まーかーせーろー」


 ガサラに話を振られたセイジツさんがゆっくり頷きながら、ゆっくり喋る。

 あ、起きてました? 全然動かないから寝てんじゃないかと思ったぜ。

 このモフモフ兄弟は本当に頼りになるなぁ。

 あ、ナナイロさん? そりゃ、話が拗れたら乱入してくるに決まってる。セイジツさんに期待してるのは、ナナイロさんの静止だったりするんだこれが。


「ああ、頼む。ありがとな」


 苦笑しながら軽く会釈をした。


「気にすんな」


 そう言ってくれて、本当に助かる。


「親父ごめん。せっかくセコンドを買って出てくれたのに、もしかしたらただの殴り合いになるかも知れない」


 続けて親父を見ると、腕を組んで面白くなさそうな顔をして居る。

 そりゃあなぁ。

 ルールと形式に則ったスポーツなら、割り切れる部分があったんだと思う。

 俺がいくら親不孝者だからと言っても、親父の前で喧嘩をした事は無い。


「……ジャジャとナナのためか?」

「あー、いや。これはー」


 こうなってしまったら、もう違う。

 この決闘にジャジャとナナは関係無い。関係させない。

 単純に俺が王子にムカついてるって理由の、酷く暴力的で野蛮な理由になりかけている。

 これ以上、我慢はできそうに無い。


「……違う。俺の信念と、意地のためだ」


 だから、そう答えた。


「……わかった。今回だけは見逃してやる」


 深くため息を吐いて、親父は頭を振った。

 馬鹿な息子でほんとゴメン。いつか、親父が堂々と胸を張れる長男になるから。

 必ず。


「薫平さん……」

「決闘、続けるの?」


 リングサイドにいるアオイと三隈が、心配そうに俺を見る。


「いやぁ、マジでゴメンな? ちょっとあのアホ王子に説教してくるわ」


 俺は何度、この二人にこんな顔をさせれば気が済むのだろうか。

 出しかけた言葉を呑み込んで、アオイと三隈は俯いた。

 心苦しさが胸を締め付ける。でも、もう止まれない。

 これはもう、生まれ持った俺の性分だ。いつか愛想を尽かされてしまうかもしれない。

 でも今は。


「……さあて、アトル王子。いや、アトル。仕切り直しだ。だが今度は俺が決闘の条件を決めさせて貰う」


 申し訳なさを振り払う様に、勢い良くアトルに向き直し、その目を睨みながら告げた。

 もう敬称やら何やらをつけて呼ぶ事すら嫌だ。大体、同い年のコイツになぜ畏まらなければならないのか。

 身分を敬う段階はとうに過ぎているのだ。

 呼び捨てで充分だこんな奴。


「お、お前! 何を勝手に!」


 狼狽するアトルは身を乗り出そうと足を踏み出し、躊躇して止まった。

 勝手とか、どの口が言うんだろうか。

 俺達の選択肢を奪い、ここまで周りを巻き込んどいて、今更そんな事言わせない。

 もう一度言ってやる。


「落とし前、つけさせてやるよ」


 そう、俺達家族だけじゃない。

 お前の後ろにいるカヨーネとウタイにもだ。

 不義理を通そうとしたその態度に、きっちりと筋を通させてやる。


「魔法だろうが翼だろうがなんでも好きに使え。空を飛ぼうと文句は言わん。ただし決着はこのリングの上でつける。インターバルも無し。相手に負けを認めさせたら勝ちだ。シンプルだろ? 俺が負けたら、お前の言い分を全部飲もう。土下座でもなんでも好きなだけやってやる。ただし俺が勝ったらーーーーーー」

「ま、待て。だから少し待ってくれ!」


 いいや。待たないね。待ってやるもんか。


「ーーーーーーカヨーネとウタイに全てを洗いざらい白状して、謝って、そしてきっちり嫁に取れ」


 それが、お前の通すべき筋だろう?

 知ってんだよ。お前のひん曲がってしまった歪な本音を。


「お、お前……馬鹿なのか? お前になんの得があってそんな……何が目的だ? なんの理由があってそんな事をするっ!」


 ねぇよ。

 そもそも暴力で何かを勝ち取ろうってのが、俺に向いてない。

 俺は今まで、自分の為にって理由で喧嘩を吹っかけた事は無いんだ。

 それだけは俺の自慢だから。

 ただまぁ、今回は。


「理由も無い。目的も無い。ただお前が一番悔しがるから、ちょっとだけ俺がすっきりする。それだけだ」


 こんぐらいの嫌がらせは、許してもらおう。


「な、何を言ってるんだお前は……り、理解できない」


 困惑しきった王子は思わずジリジリと後退していく。コーナーポストに背中をつくと、そのすぐ後ろにいたカヨーネとウタイに気づき、体を強張らせた。

 カヨーネの悲しそうな瞳と、アトルの怯えた瞳。

 その視線が交差して、リングとその周りに静寂が走る。


「……薫平さんは、そう言う人です。理屈じゃありません」


 アオイの声が、静寂を切り裂いた。


「うん。そうだね。薫平くんがここまで怒っているってことは、もう理屈じゃ止められない」


 続けて三隈に声が、アオイに同調した。

 二人を見る。

 さっきまで心配そうに俯いていたその顔に、なんだか強い決意が宿っていた。


「大丈夫です薫平さん。そう決められたのなら思う存分、戦ってください。私は何があっても薫平さんの意思を尊重します。もし間違っていたなら、絶対に止めて見せますから」


 ……いや、そりゃ、お前なら俺を止めるのは容易だろう。むしろ俺に勝ち目が無い。


「変な所だけ冷静で、変な所だけ向こう見ず。心臓に悪い人に惚れてしまった私達の運が無いんだね。きっと」


 そう言って三隈は微笑んだ。

 隣のアオイも釣られて笑う。


「お前ら……」


 な、なんだろうこの空気。

 殺伐としていた俺とアトルの間の場の雰囲気がガラリと変わっていく。


「きっとなんだけどさ。そのカヨーネさんって女性ひと、放って置けなくなっちゃったんでしょ? 薫平くんらしいなぁ」


 ウンウンと頷いて、三隈はアオイを見る。

 その視線を受けたアオイも、同じように頷いた。


「薫平さん。薫平さんはなんだか理解して無いみたいですけど」


 アオイの目が、俺を捉える。

 なんだか吸い込まれそうなほどに力強いその目に、ちょっとたじろいでしまった。


「な、なんだ?」


 俺が聞き返すと、三隈とアオイは嬉しそうにはにかんだ。


「理由もなく、目的もなく、ただ困っている人を助けようとするのは」

「ただの『凄い優しい人』、なんだよ?」

「です」


 嬉しそうに語る二人。

 なんなの、そのコンビネーション。

 俺に効果的すぎない?

 そうやって俺の心臓を鷲掴みにしようとするの、やめてくれない?

 二人掛かりとかちょっと卑怯じゃ無いかなぁ?


「あ、はい」


 何を言ったら良いのかわからず、思わず肯定してしまった。

 ほんと、良い女だよなぁ二人共。

 いやマジで、俺に惚れてるとか何かの間違いじゃなかろうか。


 だが、まぁ。


「……あー、アトル。すまん」

「な、なんだ」


 なんだかホワホワした場の空気に面食らっていたのか、アトルは突然の俺の言葉に体をビクつかせて反応した。

 あんだけ俺を信頼してくれる女の子達。

 俺の意思を尊重してくれて、認めてくれて、応援してくれている。

 そんなのさぁ。乗せられちゃうに決まってる。


「申し訳ないけど、やる気出て来た。お前も全力で来ないと、今の俺には簡単には勝てないぞ?」


 これで奮起しない男なんざ、男じゃねぇだろ。


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