俺とお前の為のアッパーカット①
「なんだか、可哀想なお話ですね」
両手に挟んだ石鹸を泡立てながら、アオイが返事を返す。
「んー。いや、可哀想っちゃ可哀想なんだけどさ。だからと言って俺にできる事なんか何も無いし、アイツらの問題だろ? あーもうほら、ジャジャはもう終わったの」
「あー! んんー!」
素っ裸のジャジャが俺の腕の中で、ジタバタと暴れている。
「ナナ、ばんざーい」
「あぅ?」
アオイの言う事がいまいち分かっていないナナは、不思議そうに首を傾げる。
そんなナナを御構い無しに、アオイは脇の下から両腕を差し入れ、泡まみれの手でナナの背中を洗いだした。
「ナナ、気持ちいいねー?」
「あー、きゃっきゃっ」
ジャジャと同じく、素っ裸でお風呂用のベビーチェアに座るナナは、その手の感触に喜んで自然と両腕を上げる。
それを見逃さず、アオイは慣れた手つきで背中と、背中の小さな翼を優しく洗って行く。
お尻の短くて太い可愛い尻尾は、クルンと巻かれてナナの太ももの上だ。
「ほーら、気持ちいい?」
「うぁー!」
「そうだねー。気持ちいいねー」
元気良く返事を返すナナに、微笑みながら応えるアオイ。
「んー! だぁー!」
「ダメだってば。ジャジャはさっき洗っただろ?」
羨ましそうに、バスタブの縁にしがみついてジタバタと暴れるジャジャ。
俺の腰までしか張られていないお湯が、音を立てて波打つ。
ジャジャは俺の膝の上に立っているから、実は地味に痛い。
時刻は夕暮れ。場所は我が家のお風呂場。
俺にとって至福の時間と言える、双子達のバスタイム中だ。
何が楽しみかというと、双子達の肌の感触と、洗われるリアクションを見る事だ。
モチモチのジャジャとナナの肌は、石鹸がよく滑る。
赤ん坊特有の柔らかさは極上の癒し。
温めのお湯に浸かりながら、なんとも言えない幸せな一時を過ごしている真っ最中である。
「うー、して?」
「うー?」
顎を突き出すアオイを真似て、ナナも顔を上げる。すかさずアオイが首回りを優しく撫でた。
どういう感じなのかは分からないが、ナナがフニャフニャと笑っているからとても気持ちいいんだろう。
「いいなぁ。俺もナナを洗いたいなぁ」
「しょうがないですよぅ。薫平さんだと時間かかっちゃうんですから。風邪引いちゃいます」
分かってるんだけどなぁ。それでも羨ましいものは羨ましい。
「ん。同感。私も双子達を洗ってみたい」
浴室の扉の外で、ルージュが羨ましそうに俺たちの様子を見ている。
「それこそ仕方ないだろうが。お前だとお湯の温度上がっちゃうんだから」
「私は、上げたくて上げてるわけじゃない」
悲しそうな顔で俺と腕の中のジャジャを見るルージュ。
そんな顔をされても困る。可哀想だけどルージュには双子達のお風呂は任せられない。
本当に不思議な事だが、ルージュが触れた水はあっという間にお湯に変わってしまうのだ。
なんでも地龍、とりわけルージュ達アークドラゴンは水との相性がすこぶる悪いらしく、バスタブ程度の水量なら30分程度で沸騰させてしまう。
これは体温が高いとかじゃなくて、竜種が持つ『龍気』と呼ばれる力。その中でもアークドラゴンという種族のそれは、意思に関係なく水と反応する性質があるらしいのだ。
あくまでも肌に触れる水限定だから、コップとかに入っている水なら問題はないのだが、お風呂はどうしたって水に触れてしまう。
申し訳ないが、見るだけで満足してもらいたい。
「ん。こればっかりは、修行してもどうにもならなかった。ていうか、あんまり気にしてなかった。不覚」
「あはは……種族的な物ですからねぇ」
相変わらずの無表情で、どんよりと項垂れるルージュ。
アオイは苦笑いを浮かべてナナの体を洗っていく。
俺は水着を着用して、洗われたがって暴れているジャジャを抱いて浴槽に浸かっている。
アオイも濡れても構わないようにと、薄手のシャツに短パン姿だ。
所々が水で透けていて下着がクッキリ浮かんでいるという事実には、今はできるだけ触れたくない。全力でスルーである。勘弁してくれ。
双子達は普段からできるだけ同じサイクルで生活をさせたいから、ご飯やお風呂、お昼寝なんかは一緒に済ませるようにしている。
そのため、お風呂は毎日のちょっとしたイベントだ。
何せこのお転婆二人。大の風呂好きなのだ。
特にジャジャの反応が凄い。
アオイがバスタオルやパジャマの用意をし出すと、目ざとくそれを見つけてはいつの間にかお風呂場へと飛んで行き、浴室の扉の前で目を輝かせて待機しているぐらいだ。
ナナはナナで、アオイ以外に体を洗われるのは苦手だが、一度バスタブに浸かるとそこからが長い。
よっぽど気持ち良いらしく、なかなか上がろうとしてくれなくなる。
もう充分だろうとお湯から抱き上げると、嫌々と首を振ってわんわんと泣きわめく。
二人してお風呂用のおもちゃに夢中になり始めると、もうお手上げである。とてもじゃないが一人では面倒を見きれないのだ。
なので双子達のバスタイムは、俺とアオイが二人で見るようにしている。
時々は俺と翔平だったり、親父と翔平だったりするが、基本的には俺とアオイだ。ナナが嫌がるからな。
「ナナ、お目々ぎゅー、して?」
「んんー!」
アオイが右手でナナの額に壁を作り、左手で髪をワシャワシャと洗う。できるだけ泡が顔に行かない様にするためだ。
それを察したナナが強く瞼を閉じた。
角があるからシャンプーハットを使えない双子達は、石鹸が目に入る痛さを知っている。だから髪を洗い出すと、少し強張って目を瞑る。
これは、主に俺のせいだ。
まだ双子達のお風呂に入れ慣れてない頃、ナナを盛大に泣かしてしまった事がトラウマなのだろう。ナナが俺に洗われるのを嫌がる最大の理由である。
ちなみにチビ達のシャンプーは、ボディソープと兼用である。なんでも天然由来成分配合だとかなんとかで、間違って目に入ってもなんの心配も無く、赤ちゃんの髪や肌に優しいと世間のママさんに評判の石鹸らしい。
これ、避難所生活で親しくなったアオイのママ友に貰った物だ。
買い物の時とかによく会う人で、近々このママさんの赤ちゃんと一緒に、双子達も公園デビュー予定だとかなんとか。
アオイの交友関係もずいぶん広がったなぁ、と感心するばかりだ。
「ほーら流すよー? はい、ぎゅー」
「ぅむんー!」
シャワーノズルを持ったアオイの姿を見て、なんだかおかしな声を出しながら、ナナは全身を更に強張らせて目を瞑った。
背中を丸めて、尻尾を無理やり胸に抱え、前のめりである。
泡が目に入る痛さがよっぽど脳裏に焼き付いてしまったのだろう。
ごめんよ。ナナ。
さっきと同じ様に額に手を当てて壁を作り、シャワーで髪の泡を流して行くアオイ。
ナナは尻尾を抱きながら怯えた顔をしている。
「はいもう少しだよー。頑張れ頑張れー」
「な、ナナ。頑張って」
「んにぇ、んんー」
慣れた手つきで頭の泡を流していくアオイと、それを後ろから見ながらナナを応援するルージュ。
ナナが我慢できなくなって泣く直前に、髪の泡は流し終わった。
「はい、よくできましたー。今日は泣かなかったねー。ナナは偉いね」
「んぱ、あぅ」
優しく体の泡を落としながら、アオイはニコニコと笑っている。
ナナは顔に残った水滴を手でクシクシと拭って、パチパチと目を瞬かせた。
「これで、終わりー。ほーらドボーン」
「あーぅ!」
ベビーチェアからナナを抱き上げ、アオイはバスタブに入る。
俺は足を折り曲げて、バスタブのスペースを広げた。
「よし来た。ほらジャジャ、ナナ来たぞ?」
「だぁ!」
お世辞にも広いとは言えないバスタブに、俺とアオイとジャジャとナナ。四人も入ってギュウギュウだ。
上手い事スペースを開けれても、どうしたってアオイと足が密着してしまう。
俺は自分に言い聞かす。
透けたシャツから見えるアレは、水着と一緒。変に意識するから、イヤらしく見えるだけ。冷静ですよ。冷静。
「いつのまにかベビーバス使わなくなっちゃいましたね」
「俺らも一緒に入ってるみたいなもんだしな。もう少し大きくなったらまた使うだろ」
どんなに気をつけても濡れてしまうもんだから、最近だと俺もアオイも一緒に湯船に浸かる様になってしまった。
双子だからと大きめのバスタブを買ってしまったのが悪かったんだ。
大きすぎてチビ達だけだと危なっかしくて見てられなかった。
どうせ見ていないといけないなら、俺らも一緒に入った方が安全だという考えから、お風呂の時間は自然とこういう形になってしまった。
あの大きさのベビーバスなら、双子達が立って歩ける様になる頃にも使えるだろう。
それまでは俺たちと一緒だ。
「それで、なんでしたっけ。王子様とその奥さんの話」
「許嫁だから、まだ結婚してるわけじゃ無いんだがな」
朝のHRをサボって身の上話を聞いた後、俺とカヨーネは1限の途中から教室に戻った。
名目はカヨーネの調子が悪そうだったから、たまたま近くにいた俺が介抱していたって筋書きだ。
保健室に行くまでもなく、かといって一人だと心配だったから俺が付いていた、という設定。
んー、我ながら無理のある言い訳だった。
カヨーネは文句なしの優等生だし、ウチの担任はアトル王子が他国の王族だと知っているので、一応は疑われつつも何も言われずに済んだが、俺一人なら間違いなく説教されていただろう。
日頃の行いって大事。俺も頑張ろう。
「その王子様が、少し可哀想なのは理解しましたけど……、どうして薫平さんと決闘するなんて考えになるのかが理解できません」
「ん。魔族の事は昔からよく分からない」
俺と向かい合わせで座るアオイと、浴室の前で床にお山座りをしているルージュが疑問を投げかけてきた。
「……俺は、まぁ、分からんでもない」
カヨーネの話を聞いている時から、ぼんやりと気づいた事がある。
王族と平民というスケールの違いや、立場や人間関係の違いこそあれど、俺と王子はどこかが似ている。
早くに母親を亡くした事や、優秀な兄弟がいる事。
喧嘩しか取り柄が無く、周囲に認められないフラストレーション。
実態の伴わない噂や評判に翻弄されて、本当の自分を見てもらえない悲しさ。
もちろん、その全てが比べるべくも無く、王子の身の上の方が辛いのは分かっている。
だけど、ほんのすこしでも感じてしまったシンパシー。
それが、俺の中でなんとも言い難い暗い感情の渦を巻く。
「薫平さん」
「ん?」
「どうしたんですか? ボーっとして」
いつのまにかアオイの膝の上に移動していたジャジャは、楽しそうにナナとアヒルのおもちゃで遊んいた。
それに気づかないぐらい考え込んでいた様だ。
アオイはそんな俺を心配そうに見ていた。
「薫平、決闘と言われたからには、手心を加えるのはおすすめしない。相手に失礼」
ルージュは俺の顔をまっすぐに見つめ、強い光の篭る瞳で告げた。
「あ、ああ。分かってるよ」
手心?
んなアホな。
「……薫平さんのことだから、王子の話に同情してしまって、それでどうしようか考えてるんじゃないですか?」
「……まぁ、可哀想だし、自分のプライドのために喧嘩売ってくる奴は嫌いじゃない」
面倒だけど。
名を上げたいとか、力を誇示したいとか、そういった下らない理由で襲ってくる奴らよりかは百倍マシだ。
過去の経験で言わせてもらえば、アトル王子みたいなタイプは真っ向から叩き潰せば勝手に納得してくれるタイプだ。変に後がこじれない分、楽だっていうのは言い得て妙か。
「んー、同情っていうんじゃないんだよな。これは」
「じゃあ、何を悩んでるんです?」
「怖い顔してる。できれば外でその顔して欲しくない。子供達が怯えるから」
おいルージュ、別に最後の情報要らないだろ。
「んー」
風呂場の天井を見上げて、もう一度カヨーネの語ったアトル王子の過去を思い出す。
母を早くに亡くし、父は多忙で構って貰えず。その上、生まれつきの体質のせいで親元を離れ、一人寂しく長い療養生活を強いられる。
自身に降りかかる過分過ぎる身に覚えのない期待。それに応える為に精一杯努力するも、生まれ持った体質のせいでそれも実らない。
ようやく手に入れた小さな小さな誇りも、久しぶりに会った父親の一言で全て帳消し。
まぁ、悲惨だわな。
なんだか他にも事情がありそうだが、カヨーネが語らなかったって事は俺の知らなくても良い事だろう。
知り得た情報だけでも、アトル王子が不貞腐れて、今の捻くれた性格になる理由も充分に分かる。
頑張って頑張って、ひたすら頑張って掴み取った功績を、一番認めて貰いたかった父親に軽く突き放されてオジャン。
うん。グレるってそりゃ。
俺でも心折れそうだもん。まぁ、俺にはその功績とやらが無いけれど。
だけど、今のアトル王子の態度は納得がいかない。
確かにカヨーネの言葉や態度は悪いかも知れない。
だけど彼女の王子に対する一挙手一投足は、誰がどう見たって好意の裏返しだ。
何も知らない他人から見たら嫌悪から来る悪態だと思うかも知れないが、ちょっと事情を知った俺ですら分かるぐらいだ。幼馴染のアトル王子が気づかない訳が無い。
なら、なんで王子はカヨーネにあんな態度を取るのか。
俺には分かる。
まったくもって腹が立つことに、分かってしまう。
何せそれはいつかの俺と全く同じ。
俺が通り過ぎてきた過去と、同じだからだ。
つまりは俺がアトル王子に抱いた感情は、同族嫌悪。
はるか昔の、それこそ本当にガキだった頃の俺を見ている様で、見てられないし、居た堪れないのだ。
母さんがまだ生きていた頃。
翔平が上手に喋れないほど小さい頃。
親父の仕事が忙しすぎて、相手にしてくれなかったあの頃。
母さんが倒れた時のあの頃の俺と、一緒なんだ。
だからこそ、俺には推測できる。
王子は『敢えて』カヨーネを突き放そうとしている。
捻くれて捻くれてどうしようも無く、『自分から離れた方が相手にとっても最善』とかいうクソみたいなそれっぽい理由を自分の中で捏造して、間違ってると気づいているのに引くに引けなくて、張らなくても良い意地を張り続ける事こそが正しいと信じきっている根性の腐ったアホらしい感情。
卑屈の極み。
やけっぱちで、捨て鉢な、馬鹿にもほどがある、そんな状態。
「薫平さん……もしかして、怒ってます?」
「薫平、落ち着く」
そんな怖い顔してる?
まぁ、あんまり機嫌は良く無い。
「あぅ?」
「だぁ?」
双子達もそれを察したのか、小さな羽をパタパタと動かして俺の元へ泳いで来る。
そう、この姉妹。
歩けないし立てない癖に、泳げるのだ。
背中の小さな青い羽と、お尻の太くて短い尻尾を巧みに動かして。ワタワタと手を動かして水をかき分けて来る。
名付けて! 犬かき改め、『龍かき』!
見た目も愛らしい最強の泳法である!
「なんでも無いぞー! ほーら!」
「だぁー!きゃっきゃっ!」
「あぅー!」
胸で受け止めて抱きしめると、楽しそうな声を上げて笑うジャジャとナナ。
うん。そうだな。
アトル王子との決闘は、双子達の為。
ならば、俺には一切の手抜きも許されない。
「……一発、思いっきりぶん殴れば、スッキリするかもな」
「はい?」
「薫平?」
ポツリと呟いた俺の言葉は、アオイとルージュには届いていない。
「だぁ」
「ふぁ」
ただ胸の中の女の子二人が、俺の声に頷いた。





