君を想う(エピソードEP)
部屋の扉を開ければ、まず目に入ってくるのは愛する妻が育てていた観葉植物だ。
つってもサボテンだから放っておけば勝手に育っちまうんだが、アレはあんまり物を欲しがらない薫が妙に気に入ってねだってきた物だ。
結婚する二年前だったか。
俺がまだ今の職に就いたばっかりの頃で、イライラしてクサっていた時だ。
薫に会うまで喧嘩稼業なんかしてたもんだから、普通の仕事って奴にイマイチ慣れず、上手くいかない日々に鬱憤を溜めつつも平静を装っていた。
あん時はまだ現場の作業員でしかなく、日当で暮らして居たなぁ。
『康平くんには緑が足りないのよねー』
そう言いながら、東京の獣人街にある花屋で、アイツはサボテンを手に取った。
『周りがコンクリートのビルか廃墟しか無いから、そうやってイライラしちゃうの。ねっ、これ買おっか?』
まだ全然貧乏だった時だ。
俺は呆れて反対した。
こんな食えないもんより、食える野菜の苗を買おう。
なんて言っても、アイツは笑って俺を指差した。
『ふふっ、めんどくさがりな康平くんにお野菜なんて育てられるわけないでしょう?基本的に私が面倒見るけど、もしかしたら一日二日お水を上げられないかもしれないじゃない?そういう時でもちゃんと育つ物とじゃないとだーめ』
まぁ、概ねその通りだったんだからタチが悪い。
粗暴で無鉄砲な俺に花なんかきちんと育てられるわけないからな。
アイツが居なかったら、多分このサボテンですら枯れてしまっていた。
『ほら、それ見たことか!』
薫の事だ。
きっとこう言って、ニヤニヤと笑って威張り散らすんだろう。
おうおう、お前にゃ敵わねぇって。
出会った頃からそうだもんな。
お前が高校生で、俺がチンピラで。
ああ懐かしいな。
『何老け込んだ事言ってんの?まだ若いんだから、頑張って働いてきてね!ほぅら、薫平もそう言ってるよー?』
『とーちゃ』
『ふふっ、とーちゃだけは上手く喋れるのね。薫平は』
ああ、これは何だっけか。
確か現場から営業に抜擢されて、東京から引っ越す時のだ。
一番最初の木造アパートから荷物を全部運び出して、空になった思い出の部屋の中で物思いに耽って居たら言われたんだっけ。
給料は少し下がるけど、雨なんかで中止になる現場と違って安定するからな。
新しい営業所の立ち上げスタッフだから、地方に引っ越す事になったんだ。
親方と部長には本当に感謝だな。
学歴も無い俺を見初めてくれて、子供ができた事も考慮してくれた。
おかげで今の営業所に就く事ができたんだ。
『ドカンと稼ぐのも男らしくていいけど、じっくりコツコツってのもかっこいいよね?翔くん?』
『だぁ!』
『とーちゃん、遊んでー!』
これは、そうか。
翔平が生まれて、稼ぎの良い会社に転職するかどうか相談した時だっけ。
生まれつき少し体の弱い翔平は、頻繁に病院の世話になってたからな。
収入的には問題はなかったんだが、今後のために蓄えを増やそうと思っての提案だった。
でも薫は笑って–––––。
『今の職場、気に入ってるんでしょ?なら辞める必要無いじゃない』
–––––と簡単に言いやがった。
薫平も手のかかる時期だったのに、アイツは俺の仕事まで気にかけててくれて、嬉しかったのを覚えてる。
『無理に仕事変える必要は無いよ。大丈夫。翔平は強い子だし、薫平もちゃんとお兄ちゃんしてくれてる。偉いんだよ薫平は。今日も買い物の荷物持ってくれたんだから!それに私も頑張るしねー。出来る嫁を持って幸せだなー。康平くんは』
そうだな。
俺は幸せ者だ。
本当に、お前に逢えて良かったと思ってる。
お前に出逢えたから、俺はたくさんの幸せをこの腕に–––––。
「父さん、父さん!父さんってば!」
「お、おぉ?」
誰かに揺さぶられて、目が覚めた。
ここは俺の部屋、俺のベッドだ。
あれ?
「もう、いつまで寝てるのさ。もう起きないと。お仕事、今日からなんでしょ?」
「あ……?お、おおっ!もうこんな時間か!?」
壁掛けの時計を見ると、6時を少し過ぎて居た。
危ない危ない。
この家から営業所まで、車でも40分ぐらいかかっちまうからな。
高速使えばすぐなんだが、そんな贅沢をして居られるほど我が家のお財布は厚く無い。
だから何があっても良い様に、早めに家を出ているんだ。
「翔!ネクタイどこだっけか!?」
「もう、昨日僕がアイロンかけてリビングに用意してる!シャツはそっち!」
わぁ、できた子!
俺の子とは思えないぐらい!
俺が用意した覚えのないワイシャツとスラックスが、ハンガーに掛かっている。
アイロンも効いてて新品みたいだ。
「おお、ありがとう!」
「朝ごはん、もうできてるからね?チビ達起こさないように着替えてよ?」
分かってる分かってる!
プリプリと怒る末の息子が部屋から出て行った。
慌てて寝間着を脱いで、ワイシャツに着替える。
スラックスに足を通して、部屋の壁際に掛けてある薫の写真を横目で見た。
「ますますお前に似てきたよな。アイツ」
『康平くんがだらしないからでしょ。全くもう』
聞こえるはずの無い声に苦笑する。
アイツなら、きっとこう言うだろう。
薫の写真は、全部俺の部屋に置いてある。
アイツが死んでしばらくは、薫平も翔平も写真を見ると堪らず泣き出してしまったからな。
かと行って押入れにしまうのも嫌だったから、俺の寝室にまとめて保管しているのだ。
いつでも見たい時に見れるようにと。
ワイシャツのボタンを閉めた。
同じく翔平が用意してくれていた靴下を履く。
この格好になれば、気分はもうお仕事モードだ。
これは言わば働くお父さんの戦闘服。
一家の大黒柱の証、そして俺の誇りである。
さて、今日も頑張ろう。
ベッド脇のローチェストに置いてあるサボテンを見る。
牙岩の事件で一月も放ったらかしにしていたから少し心配だったんだが、今でも元気にここにある。
これも薫の思惑通りなのかな?
もう一度薫の写真を見た。
太陽のような笑顔で、薫はそこに居る。
「行ってきます」
欠かさないように心がけて居る、俺の日課。
家を出るときは、必ず薫に報告をする。
カーテンと窓を開けて、エアコンを切る。
あとで翔平が布団を干すだろうからな。
部屋の入り口に向かい、壁に設置されている電気のスイッチを切った。
ゆっくりと扉を閉める。
長男の部屋で眠っているであろう孫達。
そして息子夫婦を起こさないようにだ。
赤ん坊って、物音に敏感なんだよな。
カチャリと少しだけ音を立てて扉が閉まる。
階段へと足を向けて、一瞬立ち止まって俺の部屋の扉を見直した。
『行ってらっしゃい。頑張ってね。康平くん』
「おう」
薫の声が聞こえた気がしたから。





