アオイちゃん好き好き大作戦③
「アオイ、こっちだ」
「へ?」
間の抜けた表情で惚けるアオイは、用意していた毛布を手元から落とした。
俺は平静を装ってアオイを呼ぶ。
あぐらをかいた俺の膝を叩き、ここに来い、と。
「く、薫平さん?」
「いいから、ここに座って。ほら」
「え、え?」
どうしていいかわからずに、アオイはオロオロと周りを見渡した。
「大丈夫、誰もいないから」
翔平や親父、ルージュやユリーさんは気を効かせて避難所のロビーに向かってくれた。
今から日課の、授乳共同作業をするのだ。
避難所側も乳幼児とそのお母さん方に気を使って個別の授乳室を設けているが、さすがにそこに男の俺が入るのはタブーだろう。
ジャジャとナナの授乳は俺もアオイも上着を脱ぐ必要があるし、なぜ密着してるのかと聞かれても答えられないからな。
なので夜の授乳に関しては俺達家族に割り当てられているスペースで行なっているのだが、いかんせんここは狭い。
親父や翔平が側に居るのは幾ら何でも気まずいにも程があるからな。
なので夜の授乳の際は申し訳ないが別の場所で待っていて貰っている。
「ど、どうしたんですか?……なんか今日の薫平さん変ですよ?」
いつもと違う授乳姿勢に困惑しながら、アオイはオドオドと俺の股座に座った。
「そ、そんな事ないぞ?」
ここで考えて置いた言い訳の出番だ!
「背中を合わせなくても、要は広く密着してればいいんだから、これでもおかしく無いだろ。ほら、ジャジャとナナも大きくなって来てるから、そろそろ座ったままの授乳もしんどいだろ?一人づつあげようにもナナが嫌がるし」
ナナはなぁ。ジャジャと一緒じゃ無いと機嫌悪くなるんだよなぁ。
そもそも最初の授乳の時から、体制的に無理をしないと二人同時の授乳ができなかったんだ。
ジャジャとナナは人間の乳幼児と違って、少し成長した姿で産まれて来たから少し大きい。
そんな双子達を一人抱えるだけでも大変なのに、二人だとかなり頑張らないといけなくなる。
ならば。
「この体勢なら俺にもたれかかって、少し寝ている状態で母乳をあげれるだろ?俺の腕も自由だから、抱っこの補助もできるし」
どうだこの無駄の無い言い訳。
「……そ、それもそうですけど」
訝しみながら、アオイはお尻の座りが悪いのかモゾモゾとポジションを調整している。
「だ?」
「あぅ?」
敷いてある布団の上で遊んでいたジャジャとナナが、俺たちに気付いた。
「うー!」
パパとママがあそんでる!
ずるいずるい!ジャジャもいっしょ!
「だぁ!」
ナナはナナは?ナナもいいよね?ね?
おねえちゃんナナもあそぶ!
そんな姉妹の声が聞こえて来そうだ。
猛烈な勢いの尻尾を使った反則ハイハイで迫ってくる双子達。
家に居る時も、俺とアオイが揃うと脇目も振らずに突撃してくる双子達だ。
この機を逃すわけがない。
「ほらアオイ、チビ達が来たぞ。準備しなきゃ」
「は、はい」
準備というのは、つまり半裸となる事だ。
既に俺は上半身に何も着けていない。
今の体制だと、アオイの後頭部が俺の目の前にある。俺は一心不乱にその頭頂部のみを見つめて居る。
な、なんて早まった事を考えてしまったのか。
シャワールームでのスキンシップでアオイがあんなに喜ぶから、調子に乗ってしまった。
風待家若夫婦イメージアップ作戦は、周りに見られてないと意味がないのにだ。
冷静、冷静だ薫平。
これは、アオイへの労いだ。
俺との接触を普段から求めて居るアオイへの、ほんの小さなご褒美だ。
俺が理性を抑えて少し過剰にスキンシップをするだけで、頑張って居るアオイが喜ぶのなら、お安いもんだ。
そう、問題は俺の理性の話。
「ぬ、脱ぎますね?」
ボタンを外し、俺にぶつからない様にパジャマを器用に脱ぐアオイ。
わんぱくな心臓の鼓動を感じながら、俺はアオイのつむじにのみ意識を集中する。
が、無理に決まってるだろ!
見ちゃうよこんなの!
チラチラ見ちゃうって!だって薫平、男の子だもの!
「よいしょ」
吸われすぎて少し痛む様になったとの事で最近着用し始めた、授乳用ブラジャー。
特に噛み癖のあるジャジャのせいなんだが、服と擦れるだけでヒリヒリするらしいので、この肌に優しい素材のママ用下着で対処している。
なかなかに慎ましい胸のアオイは、双子達を産むまでブラジャーを着けた事がないそうだ。
聞いてもいないのに自己申告して来た。
あーいうの本当に困る。
そのママブラの背中のホックを外し、綺麗に畳む。
俺は事前に右手に掴んでいた布団を、アオイの足にかけた。
ブルーシートで目隠しされているとはいえ、ここは解放された空間だ。
念には念を置いて、ジャジャとナナが母乳を飲み始めたら、この布団で俺たちごと包む。
牧場の時に三隈や佐伯にも散々怒られたから、俺も少しは学習している。
隠すなら、何重にもだ!
「えっと、いいですか?」
「いつでも」
「はいおいでジャジャ」
「だぁ!うー?」
あそんでくれるの?ちがうの?
そんなニュアンスの声を出しながら、俺の膝によじ登ろうとしていたジャジャがアオイに抱き上げられる。
「むー。だぁ!」
わかったおっぱいだ!ナナも!
いち早く気づいたナナが、自分も抱っこしろとアオイの足にしがみついた。
「ナナはちょっと待ってねー。先にお姉ちゃんからよいしょっと。はーいお待たせー」
先に抱き上げたジャジャを定位置となっている左胸に抱え、アオイは片手でナナの腕を掴んで引き上げる。
あの持ち方、慣れてきたら簡単なんだよな。
最初は片腕だけとか痛そうで持てなかったけど。
「うー」
ポスンとアオイの胸に着地したナナが、嬉しそうにその胸をペチペチと叩いた。
「い、痛い痛い。ナナ、ママのおっぱい叩いたら痛いよー」
気づいたらガン見しているのは何を隠そう俺だ。
うぇいと!うぇいと薫平!
俺は紳士。
ジェントル薫平。
そもそも今更アオイの裸なんて見慣れてんだ俺は。
ほおら、ちょっと小高い丘を見たぐらい興奮なんてこれっぽっちも。
「はいどーぞ。んっ」
しない訳がないだろ。
するよ。
普段から意識はしてるんだよ。
ただそれを理性で押さえ込んでるだけであって、きっかけさえあれば簡単に眠れる獣が目覚めちまうよ。
今みたいな無駄に艶かしい声なんか聞いたら一発だよ。
なんだよ。ちょっとジャジャが強く噛んだだけじゃん。
強く噛んだ時に反応しちゃった声を聞いただけじゃん!
「めっ!俺、めっ!」
「わっ!く、薫平さん?」
俺の中の紳士が必死こいて獣に鞭を打つ。調教師だったのか紳士さん。
獣は鞭にひるんで檻に戻った。これで一安心だ。
俺の戒めの叫びを聞いたアオイが、びっくりして振り返った。
「大丈夫。紳士はベテランだった」
「な、なんです?」
熟練の鞭さばきだった。ありゃあ見事だ。
そうじゃなくて。
「いや、こっちの話。驚かせてごめんな」
「は、はあ。……今日の薫平さん、本当におかしいですよ?熱とかありませんよね?」
「ないない。健康そのもの。むしろ健康だから今困ってんの」
「えぇ……?」
俺がまごう事なき男の子だったからっ!
困惑するばかりのアオイは、まだ疑わしそうに俺の顔を見つめている。
「それより、体制どうだ?大丈夫なら布団かけるけど」
「あ、はい。今までよりずっと楽です。ジャジャ達も頭がゴッツンしないようですし」
少し悲しい表情を見せるアオイ。
あぁ、なんか言ってたな。
胸が小さすぎてチビ達の頭二人分のスペースが取りづらいって。
「そ、そうか。布団かけるぞ」
「お願いします」
了解を経て、薄手の布団で俺たちを包む。
そのまま両手を布団の中にしまい、両側からジャジャとナナの体を支えてやった。
「あ、これすごい楽です」
「そりゃ良かった」
その言葉で少し救われる。
紳士さんの頑張りも無駄じゃなかった
双子達が喉を鳴らして母乳を飲みだす。
ンクンクと可愛らしく飲む姿を、アオイの背中越しから鑑賞する。
最初は一生懸命に吸っていて、徐々にゆっくりと。
次第にその小さな瞼を閉じ始め、やがて最初にナナが眠り始めた。
ああ、やっぱり。
双子達がそこにいるだけで、もはややましい気持ちは霧散してく。
少しだけ見えるアオイの横顔は、薄い笑みを浮かべた優しいモノだ。
愛おしさを隠そうともせず、アオイも、そして双子達も幸せそうにしている。
そこには暖かい雰囲気しか流れていない。
いやらしさは欠片も含まれておらず、むしろ神々しさすら醸し出す。
そんな空気だ。
「……なんか、良いですね。これ」
「ん?」
アオイが小声で呟いた。
「前はジャジャとナナの、背中は薫平さん。私の大好きな人に挟まれて、すごい安心感があります」
「あぁ……」
うん。
そうだな。
俺の今の体勢は、双子達とアオイを丸ごと抱えている状態だ。
地面すら接地させず、その体全てを俺が包んでいる。
まさに独り占め。
これは少し贅沢ではないだろうか。
アオイの言っている事も、なんとなく分かる。だけど俺のとは少し違う。
俺が守るべきモノが、全てここにある。
そんな安心感。
多分アオイの感じた安心感と同種の、だけどやっぱり別。
「なんだろう……私、こんな幸せで良いんでしょうか」
「何言ってんだお前」
うとうとし始めたジャジャの頭に頬ずりをしながら、アオイは苦笑した。
「……ずっと考えていたんです。この子達が産まれて来てくてた事には感謝しかなくて、毎日がキラキラと輝いているけれど。元々は私の甘えた心が原因で、薫平さんに全てを押し付けてしまっているって」
少し目を伏せて、アオイは天井を見上げた。
「私が勝手に薫平さんを好きになって、私が勝手に子供を産んで、私のワガママで薫平さんや翔平さん、お義父様に無理をさせてしまってる。それは、事実だから」
「……お前、まだそんな事」
「母さんだって、泣かせちゃいました」
アオイの表情が、薄い夜行灯の明かりでぼやける。
「駄目な娘です。親不孝者です。大好きで大好きで、本当に大好きだった母さんに、あんな顔させちゃいました」
「……ユールさんの事なら、俺も一緒に考えるからさ」
俺はユールが去る所を見ていない。
見送ったのは、アルバとアオイだけだ。
だからユールがどんな表情で何を思って飛び立っていったのかはわからない。
けど、疲れていたとはいえ、あれだけ取り乱すほどにアオイを心配していたんだ。
そのわだかまりは、完全に解けている訳、無い。
「はい。いつかは母さんにも、分かって貰いたい。そんな思いとは逆に、この生活に満足している私が少し嫌になります」
「良いじゃないか。お前が笑ってないと、ジャジャとナナだって可哀想だ」
そうだよ。
アオイはママ。母親だ。
母親が笑ってないと、子供は心から笑えなくなる。
その笑顔は、ずっと傍にあると思えてないと、辛い。
「……いいんでしょうか。私はいろんな人の好意に甘えてるだけです。翔平さんは、まだお兄ちゃんに甘えたいと思ってる筈です。お義父様だって、お金の負担ばっかりかけてます。夕乃さんに至っては、好きな人を横から奪っていくような真似まで。この避難所の他の人達もすごく優しくて、あの岩で一人テレビや本を見ながら時間を浪費していた自分が馬鹿みたいです」
アオイは顔を下げ、頭を後ろに反らして俺の肩にもたれかかる。
横目で俺の顔を見て、また薄く笑う。
「こんなにたくさん助けて貰ってるのに、幸せを感じてしまって、本当に良いんでしょうか」
そんなの、分かりきってる事だ。
「翔平に関しては、まぁちょっと最近難しいけど。アイツはしっかりした奴だから心配すんな。親父の事は俺にも考えがある。三隈は……俺からはなんとも言えないけどさ」
それは流石に、コメントし辛い。
「他の人たちがお前に優しいのは、お前が頑張ってるからだ。だからお前は今のままで良いんだよ。良くない訳ないだろうが」
「……やっぱり、今日の薫平さんはいつもより優しいです」
へ?
「今の薫平さんの顔、ものすごく柔らかい表情でした。惚れ直しました。大好きです」
「お、お前なぁ」
「ふふっ」
茶化した様に笑いながら、アオイは目を閉じて俺の首元に顔を埋める。
「……薫平さんの匂い、大好きです。とても安心する、私の大切な匂い」
「んな恥ずかしい事、言うなよ」
今の俺の顔真っ赤なんだけど?
「フフッ……」
俺の顎に額をグリグリと押し付けて、アオイは笑う。
アオイが色々思い悩んでる事は感づいていた。
普段のアオイノウン・ドラゴラインという女の子は、とても明るくて良く笑う。
素直で、純粋で、ひたむきで。
でも、とても寂しがりな女の子だ。
一人が怖くて、泣いていた過去がある。
母との別れを惜しんで、泣いていた過去がある。
家族に憧れて、孤独に震えていた過去がある。
だからきっと、アオイは今自分の理想の世界にいる。
帰るべき場所に、迎えてくれる家族。
ただいまと言われて、おかえりと返す。
おやすみと言って、おやすみと帰ってくる。
そして朝日が昇れば、おはようと言い合える。
そんな幸せ。
それはアオイが望んで望んで、狂おしいほどに望んだ幸せのカタチ。
今が満たされているという事は、失う事を恐れているという事だ。
だからアオイは、自分の現状に怯えている。
何一つ欠けても、耐えられない。
もうアオイの体の一部にすらなってしまった、一つ一つの小さな幸せ。
七年前に母さんを失った俺たち家族には、痛いほどわかる気持ちだ。
ずっと居てくれると思ってた。
帰ってきたら、笑って出迎えてくれるのが当たり前だった。
美味しいご飯を作ってくれて、たわいもない話に喜んでくれて、間違った事をしたら、怒ってくれて。
無くしてわかる大切な物。
ありふれたフレーズだが、それが全てだ。
俺たち家族は、無くした物の大きさに打ちのめされた過去がある。
多分、一番母さんを好きだったのは親父だ。
子供の俺たちから見ても、親父は母さんにベタ惚れだった。
そんな親父が、一番苦しんだ筈の親父が、歯を食いしばって立ち続けてくれたから、俺と翔平は悲しみを乗り越えられた。
アオイが俺たちに抱く思いは、俺と翔平が親父に抱く思いと似ている。
特に俺だ。
迷惑をかけている。
不甲斐ない姿ばっかり見せている。
何の役にも立てないでいる。
それでも、見捨てずに見守って居てくれている。
だから、俺だって見捨てない。
誰一人、家族を見捨てない。
それが家族。
それが俺たちだ。
「アオイ」
「……はい?」
どうやら微睡ろんでいたようだ。
今日も人一倍頑張っていたから、疲れているのだろう。肉体じゃなく、精神が。
俺の胸に密着するアオイの素の体が、ほんのり熱を帯びている。
ジャジャとナナはもう完全に寝ている。
定期的に上下する体が何とも言えないぐらいに愛おしい。
「……呼びました?薫平さん」
呼ばれて顔を上げたアオイは、眠たげな目をしている。
その顔を見て、こみ上げる感情があった。
そして無意識に。
「……ん」
額に、優しく口付けた。
「あ……」
小さな薄ピンクの唇から、ため息にも似た困惑の声が聞こえてきた。
時間にして5秒ほど。
完全に俺の意識から離れた体は、アオイの額から口を離そうとしない。
「……え?」
我に帰ったアオイの小さな疑問の声が、俺の肉体を意識の下に帰還させる。
そうしてようやく、口を離す。
「………あれ?」
俺、何やってんだ?
今、何した?
「あ、いや、あれ?」
何かを言おうとして、何を言えばいいのか分からずに狼狽える。
アオイの顔を見ると、目を見開いたまま固まっている。
「あ、アオイ?」
呼びかけて見る。
「……さ…から……くれた」
「へ?」
顔と顔を突き合わせたこの距離でも聞きづらいほどの声。
何を言ってるのか分からない。
「アオイ?ど、どうした?」
もう一度呼ぶ。
今度は目を瞬かせて、アオイは俺の顔を見る。
「薫平さんから、キスしてくれた……」
さっきよりも聞こえやすいが、やはり小さな声でアオイは答えた。
「き、キスっていうか、あの、その」
「うぅ……薫平さんが、私にキスしてくれたぁあ」
瞳に涙を滲ませて、アオイはまた俺の首に顔を埋めた。
「ご、ごめん!いやなんか!勢いっていうか!あの!その!」
「あ、謝らないでくださぁい。うぅぅう嬉しいのに大きい声出せなぁい」
ここが避難所で、しかも夜だと言う事に配慮してるらしい。
「ううぅぅ嬉しいよぉ」
「そ、そうか。そりゃ良かった」
そんな言葉しか出てこない。
「こ、今度は口にしてくれたらもっと嬉しいですぅううう」
「え!い、いやそれは」
「嬉しいですぅううう」
グリグリと俺の喉を頭で攻めるアオイ。
「か、考えとくからっ。なっ?」
オタオタと不用意な言葉を口にして、俺はアオイを落ち着かせようと努力する。
結局、親父達が戻ってくるまでアオイは俺から離れなかった。





