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5 最後の障壁

 翌日任務が終わると、ジルはエイミーと落ち合って広大な砂の大地に向かった。

「今まで『オメガピース』の中がほとんどだったのに、こんな大がかりなところでやるってことは、今日のジルは気合い入ってる!」

「まぁね……。もう、あの興奮を少しでも早く魔術にしたくてたまらないから」

 ジルは、エイミーに顔を向けてかすかに笑った。そして、右腕を前方に高く伸ばし、じっと目を細めた。その先には、やや陰りかけた陽光がジルを照らしている。

「炎の女神改め、炎の歌手。私は早く見てみたい」

「分かった。エイミー、私より後ろに立って。成功したら、ものすごく危険かも知れない」

「そうね」

 ジルはさらに目を細める。そしてふぅと息をついて、語りかけるように詠唱を始めた。


 ――汝の魂、燃え上がる熱き旋律。汝の身、穢れなき灼熱の炎。

   朱き衣を翻し烈火の歌姫よ、彼の邪悪なる魂に、死と灰のレクイエムを放て!


 ジルの手から、莫大な魔力が空へと解き放たれていく。歯を食いしばりながら、ジルは女神が訪れるのを祈った。

「……っ!」

 10秒ほど経ったとき、ジルの手は解き放つ魔力とは別に、何か凄まじいパワーを感じた。自らでは出すことのできない力だ。ジルは、そのパワーが女神のものだと確信した。

「女神……っ!」

 あと少し、その力を引き寄せることができれば、女神を操ることができる。ジルの祈りは時間が経つごとに大きくなっていく。

「さぁ……、私に……力を……!」

 だが、そのまま数十秒、掴みかけた女神の力がより大きくなることはなかった。次第に遠く離れていく。そして、ある瞬間に、フッと消えてしまった。

「女神……」

 ジルは、ゆっくりと手を下ろした。肩で呼吸をしながら、女神の訪れない空をじっと見上げていた。その視界に、エイミーが飛び込んできた。

「どうだった?」

「ダメ……」

「ジル、すごく手応え感じたように見えたけど……」

 エイミーの言葉に、ジルは首を横に振る。

「たしかに、女神の気配は感じた。その手で掴めたような気がした。けれど、今の力ではそれが限界だった」

「でも、歌姫というイメージができたから、今まで見向きもしなかった女神が、ちょっとだけ見てくれるようになった。それだけでも大きな前進だと思う」

「そうね……」

 エイミーの言葉に、ジルは小さくうなずいた。


 ―◇―◇―◇―◇―


 次の日も、また次の日も、ジルは炎の女神を呼び出そうとした。詠唱を少しずつ変えながらも、「旋律」や「歌姫」といったようなジルのイメージを、その言葉の端々に溶け込ませていった。

 だが、ジルが真っ直ぐ天に伸ばした腕に女神の力を感じるものの、それ以上大きくなることはなく、あと少しのところで消えてしまうのだった。

(間違ってないはずなのに……。少なくとも、歌姫をイメージしてから、炎の女神が私のことを気にしてくれている……。でも、何が足りないんだろう……)

 不完全燃焼のまま、スノードラゴンとのバトルを終えたとき、ジルは強敵に打ち勝った直後とは思えないほど、ため息をついていた。

「ジル……、大丈夫……?スノードラゴンの冷たい息で、ダメージでも受けたの?」

「そうじゃない……。ファイヤーサイクロンで何とか打ち勝ったけど……、その前に女神を出そうとして……、できなかった……」

「こんな強敵相手に、無理しない方がいいのに」

 エイミーが言うと、ジルは首を小さく横に振った。

「きっと、炎の女神は、敵と戦っていないときに現れてくれないと思う。だって、女神が自らここにやってくるわけだし……、詠唱の練習に付き合っているほど、女神は暇じゃないような気がするの……」

 そう言いながら、ジルは女神のいるはずの空を見上げ、その力が宿っているはずの方向に吹き付けるように、もう一度ため息をついた。

「たしかに、世界で3人しか使えないとは言え、女神だってそんな暇じゃないよね……」

「……エイミー?」

 ジルがエイミーの足音を耳にして、目線を戻したちょうどその時、エイミーの右腕がジルの左腕に寄り添い、強く抱きしめた。

「なんか、もう……、ジルが炎の女神を呼ぶまで、いつまでも一緒にいたい気がした。あれだけ力を感じられたんだから、炎の女神を操れるようになる日も、きっと近いような気がする」

「近い……。それだけは間違いない……。でも、それがいつになるか……、私には全く分からない。今日、もう一度語りかければ現れるかも知れないし……、1年、2年経って、やっと私の叫びに耳を傾けてくれるのかも知れない……」

「今日だと信じようよ、ジル」

 エイミーが、ジルの肩に触れるようにうなずくと、ジルも自然とうなずいた。


 その時、二人を背後から照らしていた光が、まるで夜が訪れたかのように一気にしぼんでいった。ジルが振り返ると、ここからそう遠くない場所で数キロ四方にわたって空からの光が遮られ、そこだけ真っ暗な空間が広がっていた。

「エイミー。おそらく、ソーサルイーターが光の魔術師を呑み込んでいった……」

「光の属性を呑み込んでしまう、闇の魔術を放った……」

 「オメガピース」の外でさえ、ここまで強力な闇属性の魔術を放てるような魔術師はいない。光属性のトリビュート・ソーサリストがソーサルイーターに狙われたのは間違いなかった。

「ということは、すぐ近くにソーサルイーターがいるということ……?」

「間違いない。もしかしたら、ソーサルイーターが近くにいる今なら炎の女神を呼び出せるかも知れない……」

 ジルは、エイミーの腕をほどき、体を闇のドームに向けた。それから再び、その手を天に伸ばして、語りかけるように詠唱を始めた。


 ――その魂から解き放たれるは、生命燃え立つ熱き旋律。

   その身に滾るは、穢れなき情熱の炎。

   朱き衣を翻し烈火の歌姫、彼の邪悪なる魂に、灼熱のメロディを解き放て!


 ジルの祈るような声に誘われるように、その手に炎の女神の力が宿り出す。その力が少しずつ大きくなる。ジルはやや目を細くしながら女神が現れるのを待った。

(あと少し……!)

 歯を食いしばりながら、ジルは手の先、指の先まで懸命にパワーを届ける。感じる力が、ここ数日で最も大きくなっていることは間違いなかった。

(女神……っ!)


 だが、ほぼ時同じくして、ジルの目の前にあった闇のドームは急速にその姿を消し、その代わりにジルの耳に聞こえたのは、今にも力尽きるかのような生命の鼓動だった。



 ――ハァッ……、ハァッ……。


(どういうこと……)

 苦しそうな表情を浮かべる者の姿は、ジルの目には見えない。勿論、その声はジル自身のものですらない。強敵に立ち向かい続け、いつ力尽きてもおかしくないような戦士の声だった。

 そして、その息に吸い込まれるように、ジルの手に宿っていたはずの力は、徐々にその感触が消え失せていった。

「ジル……。なんか、私の目にはものすごく惜しかったように見えた……」

「そうかな……」

 エイミーに話し掛けられるまで呆然と立ち尽くしたジルは、これまで以上に深いため息をついた。首を何度も横に振って、突然力が失われた右手で左腕を撫でた。

「やっぱり、私に炎の女神は無理だった……」

「惜しかったよ……。ジル、あと少しじゃない……」

 エイミーが懸命に声を掛けるが、ジルはその度に首を横に振る。


「エイミー……。さっき聞こえてきた。炎の女神が、苦しそうに戦っている声が……。そして、これ以上無理だと叫んでいるような声が……」


 ジルは、一度も聞いたことのない鼓動が誰のものか、手の中で気付いていた。体力の限界を迎えていた、炎の女神に他ならなかった。その鼓動からは、とても魔術界から出て戦えるような力は残っていないように思えた。

「炎の女神が、ジルにもう無理って言ったの……?」

「なんか、そう言ってた……。声には出さなかったけど……」

 ジルは、そこで首を垂れた。何度も炎の女神に語りかけたはずの右手が震えている。その右手を、エイミーは強く握りしめ、一緒になって心の震えを分かち合った。

「本当に、そうなのかな……」

「エイミーは……、そうじゃないと思ってるの」

 ジルは、エイミーに目をやった。ちょうど、エイミーが自信を持ってうなずいているのが見えた。


「そう言ってくれただけでも、炎の女神はジルのことを気にしているはず……。ジルの力を認めてくれているはず……!」


「えっ……」

 ジルは、エイミーに言い返そうとしたが、そこで言葉が詰まった。エイミーの表情が、いつになく真剣で、本気でジルのことを心配しているように見えた。

「ほら、もし女神がジルの力を認めていなかったら、今までと同じように……、何も言わなかったと思う……。実際、女神を歌姫と言うようになってから、心を開いてくれたはず」

「そうね……。それだけは間違いない……。今までと違って、決して歌姫と思われていることを嫌っているわけじゃなさそう……」

 そう言って、ジルは女神の苦しそうな鼓動を心に思い浮かべた。その鼓動は、ジルに何かを語りかけている。ジルは、それが何かを聞き取ろうとした。


(やっぱり、これ以上は辛いって言ってそう……)


「女神のあの声、疲れたって言ってるような気がする……」

「そういう声だったんだ……。魔術界で炎の全てを司る存在のはずなのに……」

「そう。絶えず強い炎を放っているけど……、本当はボロボロの体で戦っているのかも知れない……」

 ジルは、そう言い切ってからエイミーの表情を伺った。エイミーがはっきりとうなずいていた。だが、同時にエイミーは何かを思い付いたような表情を浮かべた。

「ジルも、女神の気持ちを分かりだしてるね」

「分かりだしてる……」

「そうじゃなかったら、ジルの口からそんなこと言えないと思うな」

 そう言って、エイミーはかすかに笑った。そのまま、一歩、二歩と歩き出した。

「エイミー、どこ行くの。ねぇ」

「自分の任務。ジルが炎の女神に近づくようになるまで、私は心配で自分の任務も手に付かなかったの」

「……ありがとう」

 エイミーは、その声に呼ばれたかのように振り返り、そっと笑った。



 その夜、ジルはベッドに入ったきり寝付けなかった。感じたはずの激しい力と、聞こえてしまった辛そうな鼓動を何度も思い返しながら、ベッドの上で炎の魔術のことを考えるばかりだった。

(炎の女神はボロボロで、でも、それを誰にも言えない中で戦い続けないといけない……)

 そこでまばたきしたジルは、瞳の中で以前に見た光景を思い浮かべた。ソードマスターのトライブが、右腕に傷を負いながらも戦い続けている姿だった。

(トライブは、それでも諦めないで戦い続けている……。弱音も吐けない状態で……)

 そう心で呟いた瞬間、ジルは咄嗟に息を飲み込んだ。


(今の炎の女神とそっくりなのかも知れない……)


 ジルは、ベッドの中で数回うなずいた。エイミーの言った「女神の気持ち」の意味も、ジルの中で少しずつ分かり始めてくるようだった。

 だが、ソーサルイーターという名のタイムリミットは、着実に迫りつつあった。

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