19・インクを溢す
「なるほど…」
薬のビンを見て呟く貴族の男。
“相変わらず胡散臭い態度のわりに薬はまともそうだ”と失礼な事を言う。
「ちゃんと俺が調合してるんだよ、今度見せてやるからね!!」
“運んで来た者が調合したわけではないかもしれないか”と男が更に失礼な事を言うので反論する。
「わかっている。すまなかったインキーノ。今度見せて貰おう」
悪用しようにも調合は並みの人間には真似できまい
こういう輩を納得させるには現場を見せればいいんだ。
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「マントのまま彼女と会うなんてヒヤヒヤしたよ」
シャーレアが帰宅して、肩の荷が下りたように息を吐く。
イレーサー青い帽子をテーブルにのせる。
「魔法使いだとバレなくてよかったなあ!」
イレーサーが魔法使いの格好をしている事にシャーレアはまったく気がついていないのか、敢えて見ないフリをしてくれたのか、普段と変わらない接し方ではあった。
しかし魔法使いであることをシャーレアには隠しているイレーサーはドラウノの注意力のなさ、前向きさに少し苛立つ。
「二度目は通用しないと思うけどね…大体僕の家はいつ彼女が来るかわからないんだから」
精神的に疲れたイレーサーは柔らかな毛でできた白布のソファにどっかりと座る。
「なんというか…お前と彼女はまるで恋人のようだな!」
冷やかされて不快そうな顔をするイレーサーとは反対に、ドラウノは高笑いをした。
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自室で本を読んでいたシャーレアはある事に気が付く。
まだ全ての本を読み終わっているわけではない為、棚の奥に鍵穴があることを知らなかった。
向こう側はただの空き部屋、地下や隠し部屋の通路にしても扉が小さい。
シャーレアは前の家主が作ったものだろうと、その扉を開けてみる事にした。
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「パパにしては位置が」
“鍵穴をこじ開ける丁度いい物はないかしら”
身近なものと言えば首飾りに細い部分があるけれど
流石に首飾りの細いパーツを使うのはためらった。
ふとして床に目をやると棒状の何かが落ちていることに気が付く
それは細長い釘で、鍵穴に入れてみるとサイズも丁度良く、なんとか扉を開けた。
何かマズイ事が起きるのではないかと、気が気でない
よく見ると中には本が一冊入っているだけだった。
安心すると同時に少しだけ不思議な事が起きる事を期待していたので、拍子抜け、というよりがっかりしてしまった。
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『ただいまパパ』
こっそり姿を消していたシャーレアが帰宅した際、出迎えていたが――――
『おかえりシャーレア』
顔も見ずにそそくさと階段を上がり部屋にこもってしまった。
『せわしないな』
フィードはポツリと呟いて、それから香辛料のスープを飲む。
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そろそろ夕方になるのでシャーレアの食事を作る。
「ついでだから君も食べていきなさい」
このフィードという少年はシャーレアの良い婿になりそうだと直感し夕飯をご馳走しようと考えた。
自分自身、ただの出身地、食事の好みからでの欲目の気がするが、少なくとも城の人間より良い人間には違いない。
「いいのか!」
フィードはとても嬉しそうにしている。
かなり強引に連行したから
内心では嫌がっているだろうと思っていたので、喜ばれるとは想定外、実に驚いた。
雑談を挟みながらも食事が出来上がったのでシャーレアを呼ぶとすぐに降りて来てくれる。
しかし息を切らせてまで急ぐ必要はないのだが、きっとお腹を空かせていたのだろう。
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「フィードも食べていくのね?」
彼は夕飯時だというのにまだ自宅に帰っていないから、きっとそうなのだろう。
「ああ親父さんが食っていけって」
あの父が客人を持てなそうとするなんて珍しい
イレーサーが家に訪ねてきた時はいつもすぐに帰らせようとしていたのに。
唯一家に入れたイレーサーの嫌うガラスを引っ掻いた音を立て、嫌がらせをする程であれ以来イレーサーが家に来る事ほとんどはなかった。
そんな父が夕飯を一緒になんて、ある意味フィードはすごいかもしれないわ。
「今日はシャーレアの好物にしたんだが、フィードは嫌いな食べ物はあるかい?」
テーブルに並ぶ料理は肉の中にキャーベツが入っている巻きキャーベツ肉、アースパラとベーコンのソテー、卵とキャロットーのスープだ。
「あんま豪勢なものくってねえからよくわかんねぇけど…ああ、付け合わせのパセリは腹が膨れねぇから嫌だ」
フィードはパーセリが嫌いなのね。
「パーセリは食べなくてもいいものだし
特に気にする必要はないと思うわ」
これは気づかいでなく、あくまで本心だった。
「確かにパーセリは端に寄せて、結局食べないしただの飾りでしかない。あまり必要ないだろう」
父が言いたい事を簡潔にまとめてくれた。
「アースパラなんとか、うまい!」
フィードはがつがつどの料理も美味しそうに食べている。
弟がいたらこんな感じだったのだろうと、なんだか心が暖かくなった。