第5話 館山での日常
ようやく投稿です。楽しんでもらえれば幸いです。
天文十九(1550)年五月 安房国 館山城
初夏。
久々の、晴天。
「…………」
荒い息を抑え、鬼から逃げている五郎は城内の垣根の一角にじっと身を潜めていた。
紺の軍帽を目深に被り、服は仕立ての良い露草色の上着と袴。足には巻き脚絆を着けていた。腰には革製の腰袋があったが、袋口からは物差や定規、矢立(筆と墨の入った、携帯用の筆記用具)が飛び出していた。中には設計に使う和紙が入っている。
五郎は息を整え、辺りをうかがう。
右、――クリア。
左、――クリア。
ふう、と安堵の息を吐く。鬼はいないようだ。そこで五郎は気付いた。かすかに声と足音。上。顔を上げて見やる。
(チッ……、見張りか……)
丁度交代の時間なのか、四人の兵が櫓の上にいた。二人の兵が櫓から降り、笑顔で会話しながらそのまま五郎のいる垣根に近づいて来る。
(暫くは動けんな……)
じっと息を潜め、ただただ通り過ぎるのを待つ。櫓の上に居る兵にも気をつけなければ。見張り兵は日常的に鰯や海藻、胡麻、玄米など目に良いものを食べ、目を鍛えていた。物音でも立てて見つかったら面倒だ。
(そういえば、もう一年か……)
垣根に静かに寄りかかり、ぼぅと目の前の壁を見てそう思った。特に意味はない。ただそう思ったのだ。この世界に来て一年。早いもんだ。現代には無い、技術や文化、考え方があるせいなのか、思いのほか楽しい。材料や道具を発注、もしくは一から自作してから取り組む。その所為なのかも知れない。前世より充実した日々だと思った。まあ、食事が冷め切っているのと、娯楽が少ないのが少々難点だが、これは仕方ないか。あと、もっと好き勝手出来れば言うことが無いな。
さて、そろそろ良いかな。五郎は周囲を見渡す。既に兵は通り過ぎていった。足音も聞こえない。櫓を見やれば、兵は館山湾の方へ真剣な眼差しで見ていた。仕事熱心で実に結構。
五郎は気を入れなおし、身体に力を入れる。
(さて、逃げるか……)
五郎は、造船設計技術者である。よって造船所に行き、造船の仕事をしなければならない。設計者ではあるが、それは未来での話。現代には殆ど残っていない、現場の船大工達の技術、道具、また建造のしやすさなどを見聞き、それを次に反映させなければいけない。また船大工と混じって実際に、未来では珍しい和船を建造してみるのも重要なのだ。
これはもう、父上も認めている当然の権利なのだ。やらなければいけない。
もう一ヶ月以上も城に缶詰状態には飽きたのだ!源一郎の顔より、船を見たいのだ!
そう思って何が悪い!?
そういう訳で、今までも城外に出ようも、これが中々上手く行っていない。一度成功したルートは潰され、次には使えなくなっている。優秀すぎて嫌になる。
だが、何時までもやられっぱなしではない。
少ない時間の中、苦心して入手した情報を元に頭の中で地図を描く。
館山城は一応の完成はしていた。小高い丘を掘削し、段階状に曲輪を形成した階郭式の近世城郭である。里見家が得意とする切岸に土塁だけでなく、その上に狭間のある房州石と混凝土で固めた分厚い塀でぐるりと囲んでいる。一番高い一郭には現代の模擬天守閣に似た、白漆喰と黒い下見板が美しい、望楼型天守閣が建てられた。
攻撃が集中する虎口には馬出に桝形虎口が設けられているが、今までの里見の城のように幾つもの曲輪や堀切は無く、城内はすっきりしている。平時の利便性を追求しているため単体での防御力は高いとは言えないが、そもそも地形的に敵は海から来ると考えれている。そのため敵が来たならまず各所の砲台で攻撃し、出撃した水軍で迎撃。それで撃退できなければ、城内にある砲台と鉄砲で援軍が来るまで粘ればいい。
だが、これは好都合であった。
城内には入り組んだ道は無いため、門を出れば一直線に城下町に出ることが可能。それに途中で工兵連中が置いた「工事中」やら「通行禁止」といった看板と通行止めは無くなっている。以前はここで捕まってしまった。「通行禁止」の看板で足止めをされている間に鬼に発見され、問答無用で連れ戻されたのだ。
今日、門番として立っている兵は、五郎の顔馴染みである。兵の親戚が船大工という繋がりであった。口を封じるための賄賂も用意した。竹製の水筒。中身は二合の清酒である。門番となれる兵はそれなりの家格で給与もまずまずだが、高級品である清酒を飲める機会なぞ早々ない。賄賂としては十分だ。
これを渡して門を突破さえすれば後は楽。館山の街は館山湾からそのまま船で上がれるよう、水路が整備され、また中心には真っ直ぐ伸びた大通りがある。平時の利便さと水軍の展開効率を求めた街になっていた。直ぐに造船所に行くことができる。
城壁に沿って小走りに、確実に歩を進めていく。じっとりとした空気が肌に纏わりつき、気持ちが悪い。だがあと少しで爽快感が味わえる。それまで我慢だ。門まで、あと少し。あと少しだ――。
「若、どうしたので?」
「うおえェ!?」
後ろから声をかけられる。
「何だ、安泰さんか。驚かさせないでくれ」
急いで振り返ってみれば、安泰だった。頭に黒の軍帽を被り、腰には太刀を佩いていた。どうやら水軍の訓練帰りらしかった。
「まあ、見ての通り、逃げている」
「……ああ、成程」
それだけで安泰は察した。ここ最近は大人しかったが、単に脱走の準備をしていたから落ち着いたように見えただけのようだ。またお付の人は苦労するんだろうな、と安泰は思った。今度、差し入れでも持って行こう。
「ま、そういう訳だ。安泰さん、すまないがあとで」
そこで五郎は気付いた。鬼の足音であった。
「――わーかーさーマー?」
五郎は引き攣った笑みを浮かべて、ゆっくりと首を回す。ギチチチッ、と錆ついたような音が聞こえそうだった。
鬼がいた。おっとろしい形相をした鬼。その名も朝比奈源一郎。
「げェ、見つかった!?」
直後、脱兎の如く走り去る。鍛練の効果は出ていた。既に五郎の後ろ姿は小さく、以前では考えられないほどに速い。遠くで捕まってたまるかァ、と甲高い声が響いた。
「者共ォ! 逃がすなァァ!!」
源一郎は叫ぶ。刺又や荒縄を持った兵が追いかけていく。源一郎も走る。とても老人とは思えない身のこなしだった。
「若様ァァ! 逃がさァんぞォッ!」
「しつけえんだよッ! じい!」五郎は絶叫する。
「訓練キツすぎんだよ! 俺ァまだ七ツだぞ! 青春なんだぞッ! 遊ばなきゃいけない年代なんだぞッ!?」
「若は館山城の、監督なんですぞッ!? 武将の子なんですぞッ!? 鍛練こそが仕事でしょうがッ!! 遊ぶ暇はありませぬわッ!!??」
「んな灰色の人生送りたくは無いわッ!」
少しずつ叫び声は遠ざかっていく。安泰の元へ人がやってきた。実元だった。
「またやっているんですか。あの二人は」騒ぎを聞きつけた実元が言う。呆れた口調であった。
「逃げればそれだけ鍛練がキツくなるだけと思うんですがねえ……」
全くもってその通りであった。実元の言うとおり、五郎が脱走するたびに鍛練はキツくなっていた。それが嫌になってまた脱走し、鍛練が厳しくなる……。その繰り返しであった。
「最近、若様は街に降りてませんから。まあストレスが溜まっているんでしょう」
苦笑しながら安泰が言う。遠くから「俺は艦の、設計だけ出来ればいいのだッー!!」やら「許しまへんべッー!」など聞こえてくる。意外に頑張っているようだった。
「平和な証拠ですよ、これも」安泰は一旦言葉を区切り、少し品の悪い表情を浮かべる。
「ま、警護の者もついていますし、足腰鍛える訓練だと思えば良いんです。なにより見ていて楽しい」
「そりゃ違いない」
二人は笑い出した。ひとしきり笑い終えた後、安泰は訊ねる。
「そういえば、実元さん。時忠さん知りません? 水軍の資材についてちょっと聞きたくて……」
「あっちで賭けの胴元やってます。意外に儲かっているみたいですよ」
ここ一年で恒例となった、五郎と源一郎の鬼ごっこ。
館山では娯楽、最近では賭け事として人気があった。
賭けの内容は、五郎がどれだけの時間、逃げられるかである。
◆
「で、何のようだ? 薄情者共」
館山城本丸御殿、五郎の私室。
恨みがましい声で五郎が言った。必死に逃げながら助けを求めたというのに、助けるどころか笑い、賭けの対象にしているのを見たからだった。お陰で源一郎にきっちりと搾られたのだ。それに対して、転生者たちは肩を竦めて「いやあ、だってねえ」と笑いながら言う。
「いやはや、商売の種を止めることはしませんから」
「いやぁ、面白いので、つい」
「面白いことは大事ですから」
「……あんたら良い性格しているよ、ホント」
五郎は長いため息をつき。「それで、どうしたのですか」と再び訊ねる。この忙しい中、用もなく集まることは無いからだ。
三人は居住まいを正し、互いに目配せをする。代表して安泰が言う。
「少々、問題が起きまして。それについての会合です」
「問題?」五郎は怪訝な表情を浮かべて言う。「水軍で、ですか?」
「その通りです」安泰が言う。「要望ですが、小早に変わる小型船が欲しいので設計して頂けないかと」
「んん? 小早では駄目ですか?」
この時代の軍船は安宅、関船、小早の三つに大別でき、その中で小早は最も小さい軍船である。といっても、ボートのような大きさから関船と変わらない大きさの船まで幅があった。里見水軍では快速で小回りの利く小早が主力であり、相当数があった。
「出来ればもう少し耐久性があった方が……。いかんせん脆いので直ぐに沈んでしまいます」
和船において、難点といえるのが耐久性である。和船の建造方法である棚板造りは造船設備が無くとも浜辺に船台を置けば建造でき、船体重量も軽く仕上がるが、衝撃に弱い。軍船である安宅、関船は船体から張り出した矢倉と呼ばれる箱形の構造物があり、体当たりしてもこの矢倉が衝撃を受ける構造だったため運用にはあまり問題は無かった。
だが、小早は軽快な速力はあるものの、矢倉を持たないため防御力が低い。そのため群れを成して動き、敵船を取り囲んで攻める戦術を取っていた。
「最近は、北条水軍と小競り合いが増えました……。どうも内房の土豪たちは北条への略奪を増やしたらしく、対抗処置として関船を揃えて来ました。お陰で、こちらの損耗が激しいのです」
さて、去年から安房里見家では海上交易路の強化のため、航路防衛を密にしていた。水軍の船数が増えたため、昔からの気風が残る海賊土豪たちはついでとばかりに三浦半島への略奪を増やしていった。結果、北条水軍は金に物を言わせて関船の数を増やし、快速で防御力もあるこの船で対抗し始めていた。
例えばの話、関船一隻を小早十隻で囲めば勝てるが、その関船が二隻、三隻、四隻……、と増えれば押し負けてしまう。流石に従来の戦術と船では、北条の関船に対抗できなくなってきたのだ。
「土豪たちももう少し考えて欲しいけどなあ……」
「流石に難しいでしょう。私だって勝浦の海賊たちを再編成するのに手間取りましたから、安西氏も数の多い内房の海賊を完全には制御できないでしょう」
「あいつら、嫌だったら直ぐに他所へ逃げますしね……」
この言葉に全員がため息をつく。里見家は海賊土豪たちの振る舞いには手を焼いていた。伝統的に自立性が高いため、まず気に入らなければ言うことは聞かない。物がなければ他所から奪うという考えであったため、日常的に商船や武蔵国へ襲撃をしていた。
そのため江戸湾・浦賀水道には商人は滅多なことで近づかず、これは経済にも影響していた。また、自分達が里見家の家臣という意識が希薄なため、各地に領地をもっており、中には北条から三浦半島に所領を得ている者もいた。
お陰で安泰が進める水軍調練は岡本水軍、勝浦水軍は終わったものの、内房の海賊は遅々として進まなかった。訓練が厳しいので脱走者が多いためだった。
「勝山の安西殿や木曽殿も頑張ってはいますが、海賊達の意識改革は全く進んでいないようです」
「……もっと頑張ってもらうしかありませんね。内房防衛の問題がありますから」
全員がまたため息をつき、「まあ、話を戻しましょう」と時忠が言う。
「小型船ですが、どうにかなりませんか?外房でも沿岸警備に使えるような船が良いですね」
この言葉に五郎は眉根を寄せて思案する。機動力があって頑丈、かつ数が揃えられ、関船に対抗できるよう火力のある小型船……、結構無茶な注文であった。
「んー、そうだなあ。となると……、ああ、アレがあったな……」思い出した五郎は立ち上がり、棚から1枚の設計図を取り出す。
「これならどうですか?図南丸型をそのまま縮小したもので、軽くて耐久性もそこそこあります」
要目は以下の通りである。
[千鳥型砲艇]
・主要目
全長:六間(10.9メートル) 船幅:八尺五寸(2.6メートル) 喫水:四尺五寸(1.5メートル) 乗員:二十三名 兵装:小型大砲(艦首)一門 他
・備考
図南丸型をそのまま縮小した小型帆船。一檣縦帆のカッター。補助推進に艪十六丁。
艦首には小型大砲を備え、船内に弾薬庫を設置。
「この、小型大砲というのは?」要目を見ていた実元が訊ねる。
「海戦に必要なのは火力です。小型でも大砲があれば打撃力は格段に上がります。ですので、この船に搭載できる砲の製造をお願いしたいのですが」
この言葉に実元は腕を組んで思案する。現状では六斤軽臼砲と三斤平射砲の鋳造で人員が余っていないからだ。
このとき、里見家では二種類の砲が量産された。最前線で歩兵が使う六斤軽臼砲、火力支援用の三斤平射砲である。どれも鋳造された青銅製の前装式滑空砲であり、六斤や三斤は使う砲弾の重量を表している。
臼砲はその名前の通り、臼のような見た目をした大砲である。この六斤軽臼砲は仰角を四十五度に固定されており、撃ち出された砲弾は山なりの弾道を描く。臼砲の特性上、低初速で命中精度も悪いが、総重量は二十貫(75キロ)と軽く、数人で運ぶことも出来る。射程は最大で三百五十間(640メートル)と弓よりも遠くから撃てた。
また低初速を利用して霰弾が使える砲であった。
霰弾は鋳鉄製の中空球に火薬と鉛玉や鉄片を詰めた砲弾である。信管は起爆する時間ごとに火縄の長さを揃えた火縄式信管で、その調節や着火の信頼度が難点であったが、敵の頭上で炸裂すればその威力は高い。
平射砲は直接照準で水平射撃を行う大砲である。日本では弾道学(発射された砲弾の移動と挙動に関する学問)が未発達のため、後方から遠距離で叩く間接射撃は無理なのだ。弾道が弓なりに飛ぶ曲射射撃に比べて射程距離は劣るが、その分命中率は高い。
三斤平射砲は山岳でも運用しやすいようにと出来るだけ軽量化しており、砲身と砲車込みで六十五貫(243キロ)ほど。射程は水平射撃で百二十~百六十間(220~300メートル)ほど。
しかし、これらの砲は千鳥型には使えない。臼砲はまず千鳥型の設計には合わないし、三斤平射砲は軽くて火力も悪くないのだが、現状でも生産が間に合っていない。
「んー、そうですね、なら大筒を使いましょう。これに棒火矢を組み合わせればかなりの打撃力になるはずです」
実元の提案は、艦首に大筒を設置することだった。これに砲弾を装填して普通の大砲として運用しても良い。だが棒火矢、つまり原始的なロケット弾を装填して撃ち出せば大型船相手でも有効だが狙えるだろう。棒火矢は火薬と鉄片を入れて榴弾もどきにしても良いし、鯨油を入れて焼夷弾として扱えばかなりの効果が見込めた。大筒は鍛鉄製で潮風に弱いが、青銅製より軽くて丈夫だ。使わないときは取り外してしまえば問題ないだろう。
「元々、大砲の補完として三十匁と五十匁の大筒を製造させていましたから、数にも余裕があります。これなら問題無いでしょう」
「うん、それなら大筒を旋回砲として使おう。旋回砲架を設置すれば射角も取れる」
「成程」二人のやり取りを聞いた安泰は訊ねた。「良い案だと思います。しかし、どれくらいで出来ますか?」
「規模を縮小していますから、一隻当たりの工期は二週間といったところでしょう。費用も材木の寸法や部品の規格などを出来る限り統一して、量産効果も合わせてなるべく安く済ませます」
「小早の軽快な機動力はそのままに、耐久性と火力を向上……。これなら水軍の主力として使用できるのでは?」
時忠の言葉に五郎は首を振って否定する。
「あくまで小早よりマシ、というレベルですよ。船体が小さいから天候に弱く、沿岸部での使用が前提です。急場凌ぎに過ぎません。それに」
五郎はいったん言葉を区切り、能面のような表情を浮かべた。
「これからは競争です。どちらが先に我慢できなくなるか、そういう軍備拡張競争ですよ」
五郎はこれから里見家と北条家で競争、史実でも起きた第一次世界大戦前に起きたイギリスとドイツ帝国の建艦競争のような、泥沼の競争が始まると考えていた。いや、既に始まっているだろう。
里見水軍の小早に対抗するために、北条水軍は多数の関船を。
北条水軍の関船に対抗するために、里見水軍は関船を沈められる大筒を載せた千鳥型を。
そして近いうちに、北条水軍はこの千鳥型に対抗するための船を出すだろう。
そして里見水軍はこれに対抗する船を出さなければならない……、この繰り返しである。
これが耐えられなくなれば、里見と北条の全面戦争である。
「千鳥型も悪い船ではありませんが、大筒を載せた関船が出てくれば不利になります。史実でも小型快足で精強だった村上水軍が、最後には織田の大船に敗れていますからね。北条に勝とうとすれば短期で決着のつけられる、堅牢な西洋式の軍艦は必要になるでしょう」
物凄く金がかかりますがね、と五郎が言うとみな嫌そうな表情を浮かべる。今まで里見家は守る側で「負けなければ勝ち」であったが、これからは攻める側に立って「何が何でも勝たなければいけない」のだ。つまり戦費が異常に膨れ上がることに繋がる。そうしなければ生き残れなくなるのだ。
仮に史実どおりに房総半島に里見家を維持して豊臣、徳川に擦り寄ったとしても、里見家は一地方の弱小大名である。気に入らなければ消されるのが今の世の中。事実、徳川幕府が出来てから里見家は難癖に近い理由で改易させられた。これは外様で、江戸湾の防衛と交易路を持っていた里見家が邪魔だったためと考えられている。
「その前にやることは色々とありますが、さて」五郎は立ち上がり、身支度を手早く整える。
「と言う訳で、ちと行って来ます」
「どちらへ?」怪訝な表情を浮かべた安泰が訊ねる。
「いやぁ、千鳥型を建造するなら設計者自らが船大工に説明する必要がありますから。うん」
笑いながら言う五郎に、安泰たちは妙な表情になった。神妙な顔で暗い未来を聞かされたら急激にいつもの顔で現実に戻された。その落差についていけなかったのだ。
「……いやはや、確かに目の前の事をやらないといけませんね」数瞬置いて、苦笑しながら時忠が言う。
「まあ、うん、そうですね」実元も同意する。何となく呆れた表情であった。
「ハハ、造船所までお供しますよ」頭を掻きながら安泰が言う。
「すみません、頼みます。特に、じいに見つかると厄介ですので」
おどけたように言う五郎に全員が笑う。先程までの気分は変わっていた。
「ま、やるだけやってみましょう。そしてやってから後悔しましょう。どうせその時にならないと、分からないんですから」
全くその通りですね、と全員が答えたところで“会合”は閉会することになった。
◆
“会合”が終わり、五郎は安泰の他にぞろぞろと大量の人を引き連れて活気のある城下町を歩いていた。
城門から出る時に、源一郎が大量の人を揃えて待ち構えていたのだ。
「……さすが、我が傅役よ。本当に優秀だね」
「お褒め頂き、ありがとうございます。これが私の仕事ですので」
見事な所作で一礼する源一郎に、五郎はがっくりと頭を落とした。
そんな訳で、五郎の監視兼護衛として人が付くようになった。他にも荷物を運ばせているためなのだが、お蔭で注目の的となっていた。民衆は物々しい雰囲気にぎょっとするものの、先頭にいるのが五郎だと分かるとひっきりなしに声を掛けてきた。
「お、若様だ」「若様、お久しぶりです」「若様、新鮮な魚はどうです!美味いですよ?」「若様、また造船所ですか?」「今度、ウチの店によってください。上手い飯を食わせますよ」「あ、テメェ抜け駆けするな!」など、以前と変わらない姿だった。
その様子に五郎は前に出ていた護衛を下がらせ、笑いながら答えた。
「や、みな元気そうだな。済まないが今日は店には寄れないな。この通りだし」
そう言って、後ろを見せて大勢の家人たちがいることを告げる。
それを見て納得した様子の民衆たちは邪魔にならないよう、道を開けていき、五郎は民衆たちと軽く会話をしながら再び歩き出した。
暫くして、水軍の停泊する海岸近くまで来ると周りに民衆が居なくなり、目付け役についてきた源一郎が近寄って小声で話しかけてきた。
「若様、貴方様はここの領主なのですから、もう少し威厳を示さないと」
「良いじゃないか。子供に威厳があったら逆に怖いさ」
「確かにそうですが、先日も風魔らしき忍が捕まったのです。もう少し警戒をしても……」
険しい顔で源一郎が言う。やはりというか、ここ一年、館山には忍がよく来ていた。
複数の侵入者は職人に変装し、巡回中の兵士や門番が手を出しても木符しか差し出さなかったため既すんでのところで全員捕えることが出来たが、翌日には地下牢で自害していた。身元を判明するものは無かったが、恐らくは風魔だろうとの予想だった。
その事は五郎も分かっているが、過度に警戒する必要は無いと考えていた。
「この状況下で忍は襲わんよ。無駄だし、まず命令しない」
「それは、一体どういう事で?」
「ふむ、そうだな。じいは忍をどう思う?」
いきなり話が変わり、源一郎は混乱するも、直ぐさま思った通りに答えた。安泰も少し気になるのか、聞き耳を立てていた。
「……信用に値しない、金次第で動く野盗紛いの存在ですな。他国の忍や、やり口を聞くにそうとしか思えません」
源一郎の答えは予想通りのものだった。思った通りの答えに五郎は軽く頷き、その疑問に答えた。
「じいがそう思ったように、北条もそう考えているからだよ。忍びは貧しい暮らしをする者が多い。だから下に見て、いつ裏切るか分らないから働いても禄を与えない。信用も信頼もしていないからな。そんな事をされて働く奴はいるか? いないよ。だから仕事以上の事はしない。それに、忍びは情報を集めるのが第一だ。暗殺なんて大それた事するなら既にやっているよ」
そう言うと、源一郎は納得した顔をした。言われてみれば、という感じであった。
「……それが事実なら、忍びとは大変なものなのですな。ですが、北条以外にも候補はあるのでは?」
「無理だろう。何かしらに秀でた国人衆ならともかく、裏切った忍びは野盗と同じになる。他の地域に行っても受け入れてくれないさ」
裏切りにはしっかりとした手順が必要だ。それは伝手であったり、血筋など、仲介できる者が居なければならない。
国人衆なら親戚、本家と分家、また息子の嫁に娘の嫁ぎ先など多くの縁があるが、忍びにはそれが無い。
現代でも、例えば金銭を貸し借りしようとするときや、仕事を斡旋するときに見ず知らずの人物に斡旋することなどまず無い。保証が無いからだ。
また北条は強大だ。近くにいる大名は今川氏、武田氏、関東管領、古河公方など。どれも良家であり、代々持つ縁だけで保証付きの家臣を集めることができる。それ以外だとまともな扱いなぞ受けられない。
故に、風魔は北条に仕えるしかない。それが一番マシだからだ。
「ふぅむ……」
ここまで聞いた源一郎は何か思うことがあるのか、思案顔になった。
「ま、風魔の動きは今のところ情報収集が中心。ここにいる間は襲われることはないさ」
「……思ったのですが、それは可能性の話であって、襲われないという確証は無いということでは?」
源一郎は見落としていた事実を言うと、五郎は曖昧な笑みを浮かべた。自分の予想が当たっていることに源一郎は顔を顰めた。
「……警護の者を増やしましょう。それと、脱走は許しませんぞ」
「分かった分かった。気を付けるよ」
「本当に。良いですか、若様――」
また始まった、と五郎はウンザリした顔をする。源一郎の説教は同じことを繰り返して長いのだ。
源一郎の小言と愚痴が混じった話が三周したところで、五郎たちはようやく目的地である造船所にたどり着いた。
造船所は海岸沿いに建てられた、瓦葺きの背の高い木造建築だった。
金具を使わず、太い柱と梁、貫を使った伝統的な工法で建てられており、壁は金谷から切り出された房州石が使われた、木骨造と呼ばれるものだった。看板には大きく[里見造船所]と達筆な字で書かれている。
周りには同じく木骨造の倉庫が立ち並び、やや離れた場所には新たな造船所と倉庫が建設中だった。
五郎は裏手に回り、大きく開けられた船台を出し入れする門がある。門からは海に向かって混凝土を打った坂道が伸びており、現在は締切堤を建設し、排水した後に海底にまで道を伸ばすための作業をしていた。
それを横目に見つつ、五郎は大きく開けられた門から中に入った。
そこでは多くの職人たちが作業中であり、材木を鉋にかけて薄く削ぐ、鑿と鎚で穴を穿つ、加工した材木を組み合わせるなど、各々の役割を果たしていた。
「おーす、みんな元気かー?」
そう言うと、五郎に気が付いたのか、近くで作業していたまだ若い職人が来て声を掛けてきた。
「若、お久しぶりですね。もう来ないかと思いやしたよ」
「ハハ、それは無いな。死ぬのはまだ先だし、自分が作った船の上と決めているのでな」
「違いありやせんな。親方をお探しで?」
「ああ、直ぐに呼んでくれ」
「了解しやした。ちと待ってください」
青年が「親方ァー!若が来やしたぜー!!」と大声で叫びながら奥の方へ探しに行った。
その声で他の職人たちも気が付いたのか、口々に「お久しぶりです」と挨拶をしながら、作業を中断して五郎にぞろぞろと近づいてきた。
「あー、気にせず仕ご―――」
「手前ぇら何してやがる!さっさと持ち場に戻りやがれっ!」
五郎が言い切る前に、白髪の男が怒鳴りながら出て来た。男は既に老境を過ぎているが筋肉隆々で、未だ衰えを知らず、肌は赤黒く潮焼けしていた。怒鳴られた職人たちは男を見ると慌てて持ち場に戻り、ビクつきながら作業を再開した。
ふん、と男は不機嫌そうに鼻を鳴らし、五郎に向くと先程と打って変わり、深く丁寧なお辞儀をする。
「若様、お久しぶりでございます」
「や、親方。元気そうでなにより」
「若様も、お変わりないようで」
親方と呼ばれた男はこの造船所の責任者である船大工であった。
変わらないな、と思いつつ、そっと源一郎に目配せすると頷き、家人たちが運搬車を前に出した。
積んでいるのは、酒樽と魚の干物である。
「親方、これは土産だ。皆で飲んで食べてくれ」
「は、いつもありがとうございます。皆喜びます」
「そりゃ良かった。で、早速だがどうだ、コイツは?」
五郎が指差したのは、船台に置かれた建造途中の船だった。
まだ通常の和船よりも厚く、長い航があるだけで、外板・内板はまだ取り付けて無かった。
先日より建造が始まった[図南丸型]、その一番船であった。
「概ね順調ですな。手順が違うので手こずりやしたが、短艇である程度の練習をしたお蔭か、最初の弁才船の時のような混乱は無いですな」
ニヤリ、と笑いながら言う親方に思わず苦笑する。
大型の和船は操舵性を良くする為に大型の舵で、取り外せるようになっていた。そのため、艦尾は大きく開いた構造が殆どであった。
以前、弁才船を建造する際にも職人の一人が和船と同じように艦尾を切開してしまい、設計者の五郎と説明を受けていた親方が激怒し、混乱することがあったのだ。
今回もそういった事態が起きないように、五郎は事前のちょっとした練習として船大工たちに竜骨と肋材を持った西洋式の短艇を建造させていたのだ。
短艇は船に搭載し、人や荷物の運搬、連絡などに使われる小船であり、今回はそれが上手く作用したと聞いて五郎は内心ほっとしていた。
「このままいけば、あと半年ほどで出来上がりそうです」
この言葉には五郎も驚いた。
弁才船の建造期間が約六ヵ月ほどであり、急がせているとはいえ慣れない構造と工法を使用した船を建造するには相当早いスピードである。
「思ったより早いな。大丈夫なのか?」
「なに、若が詳細な設計図を書いてくれたお蔭ですし、やり方も教えて下さる。何より、色々と差し入れを持ってきてくださるので此方も張り切らなければいけませんからな」
親方の言葉に嘘は無かった。
五郎は自分の知っている知識は惜しみなく提供し、不足するものは直ぐに揃えていた。必要な部品や道具類も鍛冶師に掛け合い、質の良い物を回してくれるのだ。時折、作業に交じっては一緒に汗を流し、笑い合い、こうやって訪ねる時には必ず酒と肴になるものを持ってくるのだ。威張るだけしかない役人たちとは全く違う姿に嫌う人間はいなかった。
「それならいいが……、事故には気を付けてくれ」
「ハハ、分かっております。安全第一、ですな」
まあ立ち話もなんですから、と親方が片隅にあった机と椅子へ案内する。
机と椅子と言っても、どれも酒樽に板を置いた粗末なもので、焦げた跡や酒の匂いが染みついていた。
源一郎は顔を顰しかめていたが、五郎も安泰も気にせず座ったため、自身も腰を下ろした。少数の護衛以外は造船所の外でゆっくりと待つことになった。
「親方、これを見てくれ」
そういって机に広げたのは、“会合”で見せた千鳥型砲艇の設計図である。
「……ふうむ、これは、図南丸型の縮小版ですな」
唸りながら設計書をまじまじと眺める。
肋材と檣には弾力性としなりのある松材、外板には腐食しにくい杉材が使われることになった。どれも比較的安い材木である。数を揃えるには丁度良かった。
同じく眺めていた源一郎は興味深そうに設計図を眺めていた。ただ、「少し変わった小早」ぐらいにしか見えなかった。
「若様、このじいめにもこの設計図について教えてほしいのですが」
「ああ、この船は新たな軍船だよ」五郎が言う。「これから先は小早に取って代わるかもしれない」
「ほお、これが……」
親方も眺め終わったのか、設計図から顔を上げ、五郎に質問した。
「若様、基本的にはそこで建造中の船と変わらないようですが、この区画は?」図面の一部分を指差し、五郎に尋ねる。
「それは弾薬庫だ。こいつは艦首に大筒を載せるからな」
これに親方だけでなく、源一郎も驚いた。
「大筒をですか?それはまた……」
海戦が変わりますな、と続ける。これに安泰が説明を入れた。
「現在、北条水軍が関船を多数投入しています。それで、小型の船に大筒を載せて対抗しようという訳です」
“会合”で出た話の一部を言うと、ああ、成程、と二人とも納得したのか、大きく頷いた。
「で、どうだ?」
「まあ、大丈夫でしょう。規模が小さいですから二週間もあれば大丈夫ですな。資材の方は?」
「いや、まだだ。使う材木が確保出来ていない。が、近いうちに親方に建造を頼みたい」
「ふむ、勿論ですとも。こういう船は新鮮で楽しいですからな。ワシが是非やらせていただきます」
「そうか、良かった」
これで一安心、といった表情で、
「じゃ、親方、仕事くれ」
と、既に邪魔な上着を脱ぎ去り、動きやすいように襷たすき掛けをして如何にも準備万端な五郎。
それを見て安泰はああ、やっぱりと苦笑し、親方はニイ、と笑い、源一郎は呆れたように顔を押さえていた。
「若様、久々だからと言って鈍っていたら承知しませんぞ?」
「はっ、親方こそ、もういい年だから引退が見えているんじゃないか?」
「ふふ、中々面白い冗談ですな。ワシは生涯現役でして」
「ははは……」
「ふふふ……」
お互いに不気味に嗤い合いながら、五郎も道具を片手に造船作業に加わった。
職人たちにアドバイスを送ったり、親方に拳骨を落とされたり、それを見た源一郎と親方が喧嘩になりかけたりと慌ただしく、夜は持ってきた酒と干物で宴会騒ぎとなり、五郎にとってまだ楽しく平和な時を過ごしていった。
そして半年後、五郎は図南丸に乗り込み、試験航海に出ることとなった。
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用語説明
・旋回砲
船縁上に設置される、上下左右に可動する旋回砲架を持つ小型砲である。大体は半ポンド(200グラム)の砲弾を使うものが多く、帆船が全盛期の頃に補助火砲として使われ、取り外して上陸艇の火砲に使うこともあった。
2015/4/4 一部文章の修正を行いました。